第6話 フレンド登録の思い出

 ティーンズ向け人気ファッション雑誌『IRIS《アイリス》』のモデルであり、芸能事務所に所属している藤塚咲良はその活動を理由に早退することが稀にある。


 今日がその日で、藤塚は三時間目の授業を終えると撮影があるとの理由で足早に帰ってしまった。


 周りのクラスメイト達に、頑張ってね、という声援を受けながら、彼女はにこやかに手を振りながら教室を出て行くのを、俺は黙って見送った。


 声をかけることができなかった。


 口をひき結んだまま彼女の去っていく姿をただ見つめていたのにはわけがある。


 教室では極力話さない。


 それが俺と藤塚の暗黙のルールだからだ。


 釣り合わないから。でも、それだけじゃない。もし二人で話をしているところを見られて会話の内容や仲良くなった経緯を詮索されたら、彼女との約束を破ることになりかねないからだ。


 俺たちが『GFN』によって繋がれていることは誰にも知られてはいけない。いや、正直なところ、知られたくないのだ。他の誰でもない、俺自身が。


 徐にスマホを取り出し、『GFN』のアプリをを起動する。『GFN』というのは略称で、正式には『グランド・ファンタジー・ニューワールド』というタイトルのスマートフォン向けRPGだ。


 名前の通り、壮大なスケールで描かれる空想世界を舞台に剣や魔法といった様々な能力を持ったキャラクターを操作してストーリーを進めていく育成ゲームである。アニメ化が決定し放送開始は今秋の予定、今かなり人気で話題性のあるアプリゲームの一つだった。


 起動したのには理由がある。ゲームがしたいからではなく、コミュニケーションツールとして使うためだった。


 仕事に向かう藤塚に、口で直接労いの言葉を伝えられないなら、せめてゲームの中で、と思ったのだ。


 SNSで伝えることもできる。彼女はかなりのフォロワーをもつ公開アカウントを所持しているので、そこの投稿にメッセージを送ることもできる。


 それでもあえてゲーム内でメッセージを送る理由は、藤塚が撮影場所への移動時間中にソシャゲ──『GFN』をやるだろう、と踏んだからだ。イベント走る、と宣言していたし撮影前にメッセージに気づくだろう。隙間時間にささっとプレイできるのがスマホゲームの利点だし。


 ──なんていうのはちょっとした言い訳で。本音を言うと、特別感を得たかったからだ。


 彼女とゲーム内でもやり取りできるのは俺だけなんだっていう、情けないが優越感に浸りたかったのだ。

 

 俺はゲーム内でフレンド同士の情報交換などに使用するトーク画面を開き、フレンド一覧にあるブルームという名前のメンバーを選択すると、「いつもお疲れ様。がんばれ。」といったメッセージを打って送った。


 藤塚のゲーム内のユーザーネームは、ブルーム。


 五月、友達になってと言われOKしてすぐのこと。学校以外でどこか二人でゲームの話ができるところはないか、と藤塚に尋ねられカフェ『La toile』を紹介して二人で初めて行った日。


 まず、ゲーム内でも友達になろうということになり、プレイヤー名を教え合いフレンド登録をした。


 ちょっと変わったプレイヤー名だな、と思い由来を聞いたところ香水のブランドの名前からとったのだ、と教えられた。さすがモデル。ネーミングまでオシャレだと感心した。


 ちなみに俺のプレイヤー名はノアール。家で飼っている猫の名前を拝借したのだと、相手に聞いた手前伝えると、それを聞いた藤塚は目を輝かせた。


「えっ! 内海くん猫飼ってるんだ!」


 あまりの食いつきに少々面食らいつつ頷く。


「いいなぁ。私、今まで一度もペット飼ったことないんだよね。猫か〜。ねっ、写真ある? 見たいな〜」


 そう聞かれ、ブレていない比較的鮮明な、よく撮れている写真を探す。藤塚は子供みたいに目をキラキラさせて、まだ? まだ? とそわそわしている。猫好きなのだろうか。


 俺には姉が一人いるのだが、ノアールはその名付け親である姉に非常によく懐いていて、俺の存在は二の次、いや三の次くらいだった。


 しかし姉がこの春から大学進学とともに一人暮らしをはじめて家を出たので、おおよそ寂しくなったのだろう、ノアールはよく俺の部屋を訪れるようになった。


 一昨日も俺の部屋にやってきたノアールが、俺に甘えて膝に乗っているところを撮った写真を見せたところ、藤塚は大きな潤んだ瞳を一段と輝かせ、感嘆の声をあげた。


「うわぁ可愛いっ! 綺麗な猫ちゃんだね。黒い毛並みがつやつやしてる! 抱っこしてみたい」

「抱っこか……機嫌が悪いと引っ掻かれるぞ。機嫌が良いとすげー甘えてくるけど」

「気まぐれ屋さんか〜。でも猫のそういう、自由気ままなとこ、好きだなぁ」


 そう言って藤塚は目尻を下げ、柔らかい笑顔を見せた。初めて見る、藤塚のうっとりとした表情に思わず息を呑んだ。


 約一ヶ月前のことだが、鮮明に思い出せる。


 ノアール話題のおかげか、その後のソシャゲの話もあまり緊張せずに済み会話も弾んだ。昨日であの店に行くのは四回目だ。次に行くのはいつになるだろう、なんてぼんやり考えていた時だった。


「晃太! おーい」


 新太の声だ。名を呼ばれたのでその方向に目を向けると、今朝と同様にイケメンが教室の前に立っている。今朝と違うところといえば、新太が体操着を着ていることだろうか。


 俺がスマホをポケットに入れ、新太の方へと向かうと新太は身を乗り出して数学の教科書を差し出したので受け取る。


「教科書ほんっとありがとな! あっ俺、この後体育なんだ」

「お、おお、そうか」

「奢るのだけど、何がいいか考えといてくれよ! じゃ、またな!」

「ああ」


 来たかと思ったら早々に去っていく友人の姿を、ぼんやりと見つめる。ハキハキとした声、エネルギッシュなオーラ、なんだか太陽みたいで直視できなかった。


 二階堂新太とは一応友達だけど、なんで仲良くなったのか今でも不思議に思う。昔から俺はパッとしなかったし、その逆で新太は昔から誰よりもキラキラしていた。


 まあ、腐れ縁というだけで、新太には俺以外にもたくさん友達がいるし、教科書を借りにきたっていうのもたまたまなんだろう。


 席に戻るとちょうどチャイムが鳴り、四時間目の授業が始まった。

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