第4話 ドロップ

 気づけば水たまりを踏んで足が濡れてしまうのも構わず、俺は夢中で駆け出していた。


「ふっ、藤塚!」


 ライラック色の傘をさした人影が、俺の呼びかけで立ち止まる。ゆっくりと振り向いた彼女は、俺の姿を見て目を丸くした。


「えっ? どうしたの内海くん」

「いや……その……」


 せっかく追いついたのに、情けなくも口籠ってしまう。送るよ、の一言が喉の奥から出てこない。


 だって俺は彼氏でもなんでもない。引かれたりしないかな、とか馴れ馴れしいかも、とか迷惑だったらどうしようとか。嫌な想像をしてしまう。悲しいがヘタレなんだ俺は。


「……内海くん、もしかしてなんだけど、駅まで送ってくれようとしてる?」


 図星をさされ、誤魔化すこともできず、ただ頷く。走ったせいもあるが顔が熱いし、呼吸もなかなか整わない。


「でも……内海くんのお家って駅と方向逆だよね? 悪いよ……」


 藤塚の顔は傘に隠れて見えない。でも、申し訳なさそうな声で、気を使わせてしまったことが十分すぎるほど伝わった。


 ああ、失敗した。何やってるんだろう。


「……引き止めてごめん。なんか、図々しかったよな。その、もう少し話できたらって思って。でも、明日も学校あるしな。また明日!」


 気まずい空気になるのを避けようとしてやけに明るい声を出そうとし、声が上ずる。これ以上、彼女に気を使わせるのは不本意だった。


 駅までの道は店も多く明るい。歩いている人の中には女の人だっている。何も俺が駅まで一緒に行く必要はないんだ、と己に言い聞かせて踵を返そうとした時だった。


「まっ、待って!」


 藤塚の澄んだよく通る声に、俺はぴたっと足を止めた。体が凍りついたみたいだ。


「……嬉しいよ。私も、話し足りなかったから」


 一瞬、耳を疑った。都合のいい夢なんじゃないかと思ってしまう。だって、同じ気持ちだったなんて。


「学校だと、話できないもん。だから、もし、迷惑じゃないんだったら……」

「おっ、送るよ!」


 反射的に答えていた。さっきまで口に出せなかったのが嘘のようだ。滑り落ちるように発せられた俺の言葉に、藤塚は目尻を細め、花のように可憐に笑った。


「……お言葉に、甘えさせていただきます」


 ああ、好きだな、と思った。


 可愛い、綺麗だとはずっと思っていた。


 でも、それだけじゃなくて、もっと胸の奥からこみ上げてくる感情がある。


 多分、自覚しないように自分を騙してきたけど、本当は初めて話した時から一目惚れだったんだと思う。


 初めて彼女の姿を見たのは、入学式。二ヶ月も前のことだ。彼女の周りに人だかりができていたのをよく覚えている。


 すらりとした体型に、目鼻立ちの整った小さな顔。長い髪はサラサラで、遠目で見ても明らかに一般人とはオーラが違っていた。


 ああ、自分とは別世界の人間だ、と思ったんだ。


 同じクラスになって、それでも話す機会なんて全くと言っていいほどなくて、きっと卒業するまで藤塚咲良という女子生徒と俺は、関わることなんてないんだろうと思っていた。


 それが、たまたま藤塚がソシャゲをやっていることを知って、黙っていてくれと頼まれて、友達になった。


 ねぇ、私たち友達にならない? それでさ、このことは……私たちだけの秘密にしてくれないかな?


 そう頼まれウィンクをされた時から、もう恋に落ちていたんだと思う。


 認めてしまったら、もう後戻りはできない。


 この感情を、俺は隠し通さないといけない。


「ありがとね、内海くん」


 隣を歩く彼女に、笑顔を向けられて嬉しいのに、なんだか胸が苦しくて、上手に笑うことができない。


 藤塚が俺に好意的なのは、友達だからだ。


 唯一ソシャゲの話ができる存在。だからこそ、この関係に色恋なんて持ち出しちゃいけない。じゃないと、この関係は壊れてしまうだろう。


「……あー、あのさ、次のイベントのことなんだけどさ。ランダムで結構レアアイテムがドロップするらしいんだよね」

「えっ、そうなの? ドロップアイテムはノータッチだったな」


 ゲームの話を振ると藤塚は熱心に話を聞いてくれるし、饒舌になる。


 きっと、ゲームの話題がなかったら、こんなふうに話すことも、隣を歩くこともなかったはずだ。俺の気持ちを知れば、きっと藤塚は困るだろう。


 だから、この気持ちは絶対に知られちゃいけない。


 雨脚が弱まってきた。アスファルトに、信号や店の明かりが反射してキラキラと輝いている。


 雨は嫌いじゃない。こういう小雨なら、むしろ好きかもしれない。


 もし叶うのなら、この気づいてしまった感情も雨と一緒に洗い流してくれたら、と心の中で密かに願った。

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