第3話 イベント、走る?

「ご馳走さま。ありがとな」


 チーズケーキを完食し、もう一度藤塚にお礼を言う。藤塚は、内海くんは律儀だね、と柔らかく笑った。なんだかこそばゆい気持ちになって、照れ隠しにぐいっと残りのコーヒーを喉に流しこんだ。


「おいしかったね」


 藤塚もティラミスを完食したようで、残り少なくなったアイスティーのストローをもてあそんでいる。


 地毛なのか染めているのかわからないが艶やかなダークブラウンの長い髪が、店内のライトに照らされて赤みががって見える。


 綺麗だな、と思って見つめていると澄んだ瞳と目が合った。心臓がどくんと音をたて、体温が上昇したのを感じ、慌てて視線を逸らす。


 手元のスマホの画面をつけて時刻を確認すると17時55分だった。店に入ったのが16時30分くらいだったから、約一時間半もいたことになる。


「そろそろ出るか? もうすぐ18時だし」


 そう言うと、藤塚は腕時計を見て目を丸くした。


「もうそんな時間? えー、楽しい時間ってあっという間だね」


 楽しい時間、というフレーズになんだか胸が熱くなる。嬉しい。


 藤塚は、残りのアイスティーを飲み干すと、店内を見まわしてから口を開いた。


「ここ、素敵なお店なのにあんまりお客さんいないよね。穴場っていうか、隠れ名店って感じですごく好きだなぁ。知り合いにも遭遇しなさそうだし」

「ああ、俺もこの店気に入ってる」

「初めてここに連れてきてもらった時、本当にカフェなのかなーって思った。入り口にたくさん絵が飾ってあるし」

「ここ、絵画教室兼ギャラリーだからな」


 店の名前は『La《ラ》 toile《トワール》』。フランス語でキャンバスという意味らしい。入り口から入って右側がカフェ、左側が絵画教室のアトリエとギャラリーだ。


「すごく落ち着くんだよね〜。ついつい長居したくなっちゃう。でももう帰んなきゃ」


 そう言って、藤塚は伝票を取ると、スクールバッグを肩にかけて立ち上がった。


 座っているとあまり分からないが、モデルをやっているだけあって藤塚は背が高い。167か8は確実にあるだろう。


 俺の身長が170ちょうどなので、目線はほとんど変わらない。


「んじゃ、払ってくるね」


 そう言って颯爽と会計をしに歩き出した藤塚を慌てて止める。


「待てよ、コーヒー代」

「えー、いいよ。気にしないで」

「そういう訳にはいかない」


 ケーキに加えてコーヒーまで奢ってもらうのは流石に気が引ける。たしかコーヒーは380円だったはずなので500円玉を渡すと、藤塚は内海くんってほんと律儀、とくすくす笑った。


 会計を終えた藤塚におつりを渡されそうになるのを頑なに断ると、奢った意味が〜、ぼやかれてしまった。頬を膨らませジトっとした目で睨まれても可愛い、というか美人。さすがモデルだ。


 つい長々と見つめてしまったからか、藤塚はさっと顔を背けて小さく、また奢るからね……と呟いた。


 外に出ると朝からの雨がまだ降っていた。小雨ではあるが、傘をささないで歩くことは無理そうだ。


「雨続きだね~。梅雨だもんね」


 そう呟きながら、藤塚は薄い紫色──ライラック色の傘を開いた。俺も傘立てから自分の紺色の傘をとって開く。


「ね、内海くんは雨は嫌い?」


 藤塚は傘をさして一歩前に踏み出した。俺は突然の質問に少し考えてから口を開く。


「好きではないな。でも嫌いじゃない。土砂降りの中歩くのとか勘弁だけど、このくらいだと少し落ち着く、かも」


 雨が降ると、傘をさしていても必ずといっていいほど肩や靴が濡れるし、傘は荷物になるし、大雨に打たれて風邪をひいたこともあるし、いいことばかりじゃない。


 でも雨の音に耳を澄ませると、なんだか落ち着く。雨のにおいも結構好きだ。なにより、雨上がりの空は、雨が嫌なものをすべて洗い流してくれたような、そんな清々しさがある気がして……ってなんかポエマーみたいだな俺。


「うん。わかる。私もね、なんかこういう雨は嫌いじゃないよ」


 藤塚がくるりと俺の方に振り向いて、一緒だね、とふんわり微笑んだ。


 なんだか、胸が苦しい。体全体が心臓になったみたいに脈打つのを感じる。


 藤塚といると、たまに動悸がする。そりゃあ、相手は芸能人だし綺麗だし緊張もあるだろう。いままで彼女ができたことがない俺には刺激が強すぎるんだと思う。


 藤塚が歩き出したので、後を追うようにして歩き出す。


「……明日から新しいイベントが始まるじゃんね。内海くんはどう? イベント、走る?」

「……うーん、俺の推しキャラはイベント対象外だから、のんびりクリア報酬のアイテム集めでもするよ」

「そっか。私はせっかく引き当てた新キャラ使いたいから、ちょっと頑張っちゃおうかなーって」


 いつもの話題になり、だんだんと鼓動が落ち着くのを感じる。


「それならフレンド支援やっとく」

「わー助かる! よろしくね」


 ゲーム上で互いにフレンド登録をすると、ゲームで戦闘するたびに消費する体力を回復させるアシストができるようになる。ちなみに1日3回まで支援可能で、3時間おきに1回という制約がある。


「じゃあ、今日はありがと!」

「いや、こちらこそ」


 藤塚の利用している駅は俺の家の方向と反対側だ。もう解散することに名残惜しさと、一人で駅まで歩かせることに不安を感じる。


 藤塚は有名人で、すれ違えば誰もが振り向くような美人で、外はもう暗い。


 藤塚の遠ざかっていく後ろ姿の見て、思う。


 今からならすぐに追いつける。走っていって、駅まで送るよ、と言えたら……。


 傘を握る手に力が入る。

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