第20話 僕と私②

深い深いため息をついてヒトミ先輩が話し始めた。


「薫ちゃん、貴女にはそれだけじゃないでしょう?」

「他に、何か、ありましたか?」


学業は頑張ってみたが、いたって普通レベルから脱却することができていない。頭の面では大して使えない。横に並べるオブジェとしても、スタイルも悪ければ、女らしい柔らかさも失している。全体的に筋肉質だ。


「まさか、恋敵を説得する日が来るなんて」


ヒトミ先輩の呟きに目を見張る。

まさか、本当にそう見てくれているとは予想外だった。


「いい!隼人は渡さないわよ!というつもりだけど、貴方たち見てたらバカバカしくなってきちゃったわ」

「何を」

「薫ちゃん、ちょっと想像してみて」

「え?」

「例えば、隼人と私がキスをしてたらどうする?」

「えっと、自然な流れではないでしょうか」

「もっとしっかり想像しなさい」


想像って、顔だけはやたらに良い内藤さんと、美女のヒトミ先輩。並んで、不意に向かい合って、キスをする。


それで、内藤さんは幸せそうに笑う。

ヒトミ先輩も恥ずかしそうに頬を染めながら愛らしく笑う。


ジワリと胸の奥で滲む何かがあるが、それは私が望むあの人の幸せには邪魔なものだ。


「幸せそう、ですね」


正面からさっきの比にならないぐらい深いため息が聞こえた。

幼い子供にものを教えるように根気よくヒトミ先輩は言葉を繰り返した。


「いい?もっとしっかり想像しなさい。客観的な感想でなくて、あなた自身の気持ちを聞きたいの」

「わたしの、気持ち?」

「そうよ、もう一度、考えてみて。私と隼人が手を繋いで歩いていく。恋人繋ぎで手を繋いで、二人しか見えていない様子で、互いだけを見て笑ってるのよ」


手を繋いで、幸せそうに笑いあって、二人が歩き去っていく。


『じゃあな』

『また今度ね、薫ちゃん』


二人はそう、私に言うと振り返ることもなく。景色を見るわけでもなく、互いが互いの世界のように連れ歩いている。


あのとき、お菊さんを囲うと決めた土方さんのように。

滲むこの痛みは気のせいでは済ませられないほどに私の中に巣食う感情と繋がっていた。


いやだ、置いていかないで、一人にしないで。そう願って伸ばした手が届く日は来ない。だから手を伸ばしたくない、どうせこちらに差し伸べられる手はないのだから。期待するだけ落胆する、そう学んだ。


「嫌、ですね」

「それが、あなたの気持ちよ」

「あの人の幸せのためには存在すべきでない感情です。私は欲していません」

「感情と願いはいつも、一致するとは限らないわ。それに」


ヒトミ先輩の言葉は途中で遮られた。


「お前に俺の幸せがなんたるかを勝手に定義されるのは納得いかねぇな」


肩を引かれて振り返ると、土方、いや内藤先輩がいた。怒っている様子を隠さない内藤先輩の顔はここ半年ぐらいで随分と見慣れたもので、いつもなら何とも思わないのに、今日は違った。


後ろめたいことがあるからか、ちょっと怖い。

蛇に睨まれたカエルとはこんな気分なのだろう。


「俺の電話にメールに、全てを無視するとはやってくれるな。それに加えて、なんだ?俺の幸せ?そんなもんは俺が決める」


胸ぐらを掴みながら言い切る内藤先輩はどこまでも、よく知る土方さんそのままだった。


「なんで、ここまでしてお前は気がつかない。いや、そういうお前にだから惚れたのか。今度、なんて甘いこと考えて、俺はお前に逃げかけられた」


今、この人はなんと言った。


「覚悟して受け取れ。俺は、お前が、薫のことが好きだ。勝手に離れていくな」


気のせいでなければ、なぜ、この人はヒトミ先輩を選ばない。趣味は全く一致しているはずなのに、私はただの弟分、しかも生意気で手のかかる。


「おい、固まってんじゃねぇよ。薫、俺もお前の気持ちは知ってんだ。それを自覚して、聞かせてくれ」


淡く緑かかっている瞳が私を覗き込んでいた。


「私は」


本当にそれを口にして良いの?

私は剣しか取り柄のないやつだ、今の世の中、剣だけで生きていくことなんかできやしない。生意気で天邪鬼な私がそれを、望んで良いの?


期待と恐怖が織り交ぜになったこの感情は誰の手にも負えない。

どうしたら良いのかなんて、わからない。


ただ、いまの状態として眼前に迫る内藤先輩は嘘を言っているように見えない。曇りなく私のことを見つめるその目は逸らされることなく、私を見据えていた。


「あんたが好きだなんて、一生の不覚だ」


ようやく吐き出せたのは全くもって可愛くない言葉だった。


「言ったな、言ったことには責任持てよ」


そういって不敵に笑う内藤先輩は、想像の中にいたときみたいに幸せそうな色を含んで笑っていた。やってられないとばかりに肩を竦めたヒトミ先輩が離席していくのを視界の端で見送った。

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