第19話 僕と私

手を伸ばせば、健康的に筋肉の付いた女の子にしては鍛えられている部類に入る腕が視界に入る。その先にある電球に手が届かないことは百も承知で、ベッドに寝転んで手を伸ばしていた。


「手に入れたい、って玩具じゃないんだから。全く、僕らしくない」


でも、今の僕は私で、北条薫だ。昔も今も我儘だ。

僕を置いていきたいと願った先生とあの人の言葉を蹴って京まで付いて行って、そして、勝手に病気になって、迷惑をかけた。


最後の戦はただの荷物でしかなかった。


そして、今は私からあの人に益をもたらすことができない。何も渡せるものを持っていない。ただ、あるのは今も昔と同じ剣だけ。

それも、捨てようとしている。ただの人である私が必要とされるにはどうしたら良いんだろう。傍においておく女の子としてなら圧倒的にヒトミ先輩が良いに決まってる。


「剣をやめて、私に何が残るか」


何も残らない、相変わらずだなって言われるのは嬉しいと思っていたけれど、それはイコール成長をしていないという言葉だと気が付いたのは最近だった。努めて変わらないわけではなくて、私はどうしても変わることができない臆病者だった。


それでも、餓鬼みたいに願ってしまっている。


「あの人に幸せになってほしい」


嘘偽りのない自分の本心だ。

察しが良いと昔からよく言われていた。それだから、自分が取るべき行動は既に決まっている。


優勝インタビューで引退宣言をしてから、鳴りっぱなしの携帯を止めて、一つの電話番号にだけ応じることにした。

お誘いに応じて出てきたけど、大学生っていつもこんなにお洒落な場所でお茶をするものなのかな、それともヒトミ先輩がそういう先輩なのかな。後者な気がする、私が大学生になってもこういうところはあまり来ることがなさそうだ。


頭上でくるくると回る羽に目を向ける。落ち着いた雰囲気のカフェは、私の気分が落ち着かない。


「どうして、隼人の電話に出てあげないの?」

「こんにちは、来てくださり、ありがとうございます。ヒトミ先輩」


ヒトミ先輩の服は、フレア状のスカートだ。それぐらいしか私にはわからないが、とても良く似合っている。細くて長い足が際立って、近くのテーブルが低いようにすら見える。


ただ、とても美しい先輩なのに眉間に皺が寄っていて、それの原因であろう私は少し申し訳ない気がした。


「薫ちゃん、急に、部活も引退って、怪我でもしたの?大樹も心配してたわ」

「いえ、怪我ではないのですが、前からそうしようかと考えてはいたんです」

「そう。それで、2人の連絡に応じないのに、私に連絡を取ってくれたのはなぜ?」

「先輩にお願いがあって」


内藤先輩が絡むことのせいか、いつもよりも話の持っていきかたがせっかちな印象を受ける。先輩以上の女の人なんて、めったにいるはずがないのに


「これからも、内藤さんをお願いします」


これまで以上に険しい顔をした先輩は私を見据えていた。テーブルの上でコーヒーのカップを包む手は少し震えている。


「なに、それ」

「失礼なことをいうつもりはなかったんです。言葉通りに取ってください、私は部活をやめます。いや、もうやめました」


黙ってこちらを見つめる先輩の目は真っ直ぐで、当てられているこちらが苦しくなる熱がこもっている。それでもここで言葉を止めるわけにはいかない。


「ですから、ここに来る意味はもうないんです。内藤先輩と会う必要も、大樹先輩と剣を合わせることもないんです」

「それで?」

「大樹先輩から、内藤先輩が不安定だと連絡がきました」

「えぇ、そうね、最近、彼は荒れているわ」


チクチクとする不愉快な痛みは生ぬるく風を送ってくるファンのせいに違いない。


「私が手を出すわけにはいかないので、お願いしたいんです」

「どうして?」

「私は、もう剣を握るつもりはありませんから」


その言葉で全てを説明したつもりだったが、ヒトミ先輩は意味不明だと言わんばかりの表情をしていた。


「私だって、剣を握るつもりはないわよ」

「えぇ、ヒトミ先輩は私と違うものを持っていますから…。私の存在価値は剣にしかありません」


小さいころから、皆が私を仲間外れにしない理由は道場で一番強いから。あいつなら必ず勝ってきてくれるから。手合わせする相手として絶対的に強くて面白いから。

昔は、あいつが先陣切ってくれたら死者数が減るから。必ず、しくじらない使える駒だったから。


それ以外に必要とされる理由を聞いたことがない。その切り札を捨てた私なんて必要ないでしょう?

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