第16話 解く②

カラリと揚がったポテトと、早くもコップに汗をかいているオレンジジュースが目の前に置かれてた。


「俺に言うことあるんじゃないか?」

「何がですか?」


文脈もなにもなく土方さんから問いかけられた質問に息が詰まった。

まさか、僕が気が付いたことが知られてしまったのだろうか。一瞬、腹がヒヤリとしたが、彼の表情からしてそうではないらしい。


「いきなりなんです?さっぱり理解ができませんけど」

「なんで、俺たちは昔を覚えてんだろうなぁ、と思ってな」


遂にこの話をする時が来てしまった。また、彼に何も告げずにしのぐことはできるだろうか?


「それで?」

「俺と同じように、前を覚えてるのはお前だけだった、だからお前に関係してるんじゃねぇかと思ってな」

「僕、ですか」


合っている、正解だ。

僕が彼をこの残酷な記憶の中に止めてしまっている。僕に付け込まれてしまうような馬鹿で、優しいこの人を。


「その様子だと覚えはなさそうだな」

「生憎ながら。どうでも良いことばかり覚えているんですけどね。土方さんの面白い句とか、酒に呑まれて川に落ちたこととか、もっとどうでも良いことになると原田さん自慢の腹芸とか」


カラカラに乾いた口からは無意味にぺらぺらと言葉が紡がれていた。嘘ばっかりの僕に反吐が出そうだ。


美術館の展示されてる彫刻が裸足で逃げ出したくなるほどの男は、憂いのある深いため息をついた。僕らを無視して辺りの喧騒は流れていく。


「いや、きっと、俺の方、なんだろうな。お前は」


何かを言いかけて、土方さんは途中で言葉を止めた。


「言いかけて止めるのはやめてくださいよ、余計に気になるじゃないですか」


酷く苦しそうに彼は言葉を吐き出した。


「お前には、人を斬ることの躊躇がなかった。だが、一つ場所が違えば殺した相手の死を悼むだけの心があった」


あんたは更に罪悪感と、その命に対しての責任感まで背負って立っていたじゃないですか。


「何をしたら良い」


それはまるで、贖罪のように聞こえた。

どうして、あんたはそうやって、あんたのせいじゃないのに、なんで罪を背負って赦されようとするんだ。


わんわん煩い蝉の声が硝子の向こうから聞こえていた。

沈黙のままに土方さんは氷がふんだんに入ったコーヒーを口元に運ぶ。


そうだったね。この人はずっと昔から、僕に、部下に、人殺しをさせることに後悔していた。だから人の道に外れないように過激ともいえる局中法度を定めて、ならず者や畜生に落ちないためにと気を使っていた。そして、特に、僕に対してそれが顕著だった。


なんであの二人に指摘されるまで気が付くことができなかったのだろうか。そして、気づきながらこれまで黙っていたのは、ただの僕の我儘だ。


「土方さん」

「どうした?」

「僕は後悔してません」


あんたを今までずっと縛っていたことはとても後悔しています。


「僕は、僕がしたこと、選んだこと、何一つ後悔なんかしてやるつもりはありません」

「そうか」

「人を斬るか斬らないか、僕は自分で選んだ」


あぁ、そうだ。

僕の下らない感情で彼を縛り付けるのは最低なことだ。ずっと前から知ってながら、彼を手放すことをしようとしていなかった。


彼が後悔している間だけは、彼が僕のことを見てくれるから。

そう思って、知ってたことから目を背けていた。僕は最低だ。


驚いたように土方さんの目が見開いていた。


「僕は、僕の意志で刀を振るっていました。そこに後悔なんか一片もありません」

「あと一つ聞いても良いか?」

「どうぞ」

「本当に俺を恨んでないのか?」


薄氷の上を歩いているかのような色が伺える。確かめるような、そして、救いを求めているような。他人事で、第三者として見ることができるなら背筋が震えるくらい嗜虐心が煽られるに違いない。


「僕がなんで土方さんを恨まなきゃいけないんです?」

「そうか」

「あんたは思いつめすぎですよ」

「そうだな」


頭の中ではこの会話が不自然にならないためのセリフがいくつもいくつも浮いてきていたが、何一つ口から出てくることはなかった。


この人は、もう僕のことを見てはくれない。


「総司、ありがとう」

「僕は何もしてませんよ」


この平和な時代に生まれた貴方が苦しんでいるのを知りながら、黙っていた僕にお礼なんか言わないでほしい。


付け睫毛に躍起になっている世間一般の女の子からしたら喉から手が出るほど欲しい睫毛を惜しみなく震わせて彼は安堵していた。


あぁ、どうにもならない、この腹の底で渦巻く感情はどうするべきなんだろう。


「内藤先輩」

「あ?」

「携帯、鳴ってますよ」


女の人の名が浮かんでくるそれはこの人らしい。

きっと、瞳さんとはあのヒトミさんのことだろう。


私は目の前に見える何かに気を取られていなければ、どこかに走っていって消えてしまいたいぐらい、激しい感情が喉元にこみ上げている。


この短期間で、この人に依存してしまった僕がいけない。

知ってるよ、そんなことはわかってる。


「悪い、急ぎの用事らしいんだ」

「いいですよ、ジュース、ごちそうさまです」


黒々とした果てのない思考に沈みそうだったところ、遮ってくれた。


「またな」

「さようなら」


彼は一瞬、眉根を寄せたが再び鳴りだした携帯に気を取られてその背を向けた。手を軽くあげて立ち去るその姿は普通の、ただ顔が良いだけの大学生だ。


きっと、土方さんと会うことはもうない。


「馬鹿だな」


紫の水面に少し吹きかける。醜く揺らぐ自分の目に嘲笑が抑えられない。

解っていたから、ずっと黙っておこうとしていたのだろう。

敗因は僕があの人の幸せを願うほどにお人よしだったこと、そして、


「思いの外、あんたが良い人過ぎたよ」


悔しいのか、寂しいのか、哀しいのか、それともただの罪悪感なのか。

いろんな感情と衝動が、ぐるぐる回って連なっているようだ。僕をはち切れさせそうなこの感情は何という名前が付いているのか、僕は知らない。


「うっすい」


時間が経って炭酸が抜けたジュースはゲロ甘だけど、今僕の手元にあるジュースはさらに氷が解けている。僕の喉を余計に乾かすことに貢献した薄いジュースを空けて、空っぽになった紙カップはゴミ箱に放り投げた。


あの人の連絡先、あとで消しておこう。そう決めて、ファーストフード店からうだる暑さの日差しの中へ一歩踏み出した。

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