第11話 記憶

「今日もお世話になりますね」

「薫ちゃんならいくらでも大歓迎だよ」

「大樹先輩に言われると己惚れそうになっちゃいます」

「ははっ、それはいい」


高校が休みの土曜日、再び私は先週と同じ道場に案内されていた。案内役も先週と変わらず大樹先輩だ。大学の道場は、高校の体育館と違って、元から道場として建てられているせいもあってか、やはり雰囲気が良い。


「大樹!あれ?その子は誰?」


後ろからかけられた声に揃って振り返ると、背の高い美女が私を見下ろしていた。


スタイルも抜群で、この世の殆どの男の好みだ。むしろこの人がストライクゾーンから外れている男はB専か、不能だ。生まれる前からやり直してこい。そのぐらいの美女だから、見下ろされると異様な迫力がある。


「北条薫ちゃん、内藤の幼馴染で剣の天才。この道では剣神とか、神童って言われてる子だよ。ホントにお世辞、贔屓目なしに、むちゃくちゃ強い」


なんだか軽く頭に置かれた大樹先輩の手がこそばゆかった。


強いと評されるのは間違っていないので良いけど、同じ次元じゃないと言われてどこか冷たさを感じることが多い。でも、大樹先輩のは嫌味がないからか、不快じゃない。

まあ、もっとも、こちらの美女はそんなことを聞きたいのではないと思うが、大樹先輩は気持ちを汲むつもりはないらしい。


私のことを上から下までしっかりと見た後、彼女は思い出したといった様子で手を打った。どうやら落第点らしい。貧相なボディラインに、これだけ筋肉がついていて、そういう見方をされて合格がでることはまずない。


「この間、隼人が抱きしめた例の噂の子ね」

「そうそう、薫ちゃんのことは好敵手って言ってたけど」

「聞く限りその慌てようは普通じゃないわね」

「あいつもさ、ああいう顔をする相手がいるって知って俺は安心したよ」


美女の眉間に皺が寄る、もしかしなくても不味そうな雰囲気だ。この人も漏れなく土方さんを想いの人にしているに違いない。


大樹先輩は愛想がいい割に空気を読まずに吸うタイプの人間らしい。こんなことで面倒事を引き起こされてはたまらない、真っ平御免こうむる。なによりあの人と恋仲とか、気色悪い以外の何物でもない。誰得だよ。


「私、昔、身体が弱かったんです。それを思い出させちゃったみたいで」

「もう大丈夫なのか?」

「はい」


本気で気遣う色の見える目が私に目線を合わせて覗き込んできていた。

空気は読まないけど、大樹先輩は優しい人だ。


「ふぅん、稽古が終わったら少し話さない?」

「喜んで」


いい意味のお話し合いではないだろうと思うものの、それなら大樹先輩がついてくれるときに洗礼は終わらせておいた方がよい。


だから稽古終わりにシャワーを貰った。

前よりもぬるくなった風に濡れた髪が遊ばれて水を撒き散らしていた。


今日の空は青くて広い、青い絵の具で白いキャンバスを塗りたくったような冬らしい快晴だ。もう春だけど。大学には更衣室にシャワーが付いていて、なんと快適なことか。刀は好きでもあの防具の臭いは今も昔も受け入れられない。


「冷やすと、また内藤が心配するぞ」

「そうですね、気を付けます。大樹先輩はもういけますか?」

「まあな。薫ちゃんは?」

「向かえます」

「ただなあ、薫ちゃんに対して過保護なお兄さんが付いてきたいらしくて」

「なるほど」


それは逆効果な気がする。火に油。

昔からその類の情緒を介さないダメなところがあったと古い記憶を掘り返す。


大樹先輩が隣に並ぶと自分が小さくなったような錯覚を覚える。大樹先輩も、土方さんと同じぐらいの背丈がある。あの美女さんと並んで遜色ないほどに。今生で、土方さんの隣に立てるほど僕は烏滸がましくない。前だって、職務で並んでいただけだ、他意はない。


「俺の顔に何か付いてる?」

「いえ、特には」

「なんだよ、そんなに見つめて、思わせぶりだなぁ」

「昼間の彼女ほどじゃないですよ」

「あー、ヒトミか。悪いやつじゃないんだけど、なんか悪かったな」

「いいえ、彼女からしたら厄介なのは僕でしょうから。あの美女さんの想いの人は内藤さん、ですか?」

「あぁ」


美女さんも隠そうとしていなかったからか、それとも大樹先輩の開放的な性格のためかあっさりと肯定された。


「そういえば、薫ちゃんはその手の話はどうなんだ?」


続けてやってきた質問に少し面食らった。

からかい目的でもないのに、私にあえて聞いてくる強者はあまりいない。やっぱり大樹先輩はちょっと変わっている。


「男よりも男らしいせいで、この方16年、浮いた話はありませんよ」

「薫ちゃん可愛いけどな」

「お世辞でもありがとうございます。でも、私がダメなんです」


何が楽しくて野郎と手を繋いで歩いたり、接吻をしなければいけないのか。

早いところ、記憶と折り合いをつけないと誰とも付き合えない。強く頭を打ったら記憶が飛んで行ったりしないかな。遠くからどこかで部活をやっている声が聞こえる。


「薫ちゃんってさ、あいつの前では僕だよな。それって昔の癖?」

「あー、そうですね」

「気づいてなかったのか」

「この間、出会うまで、内藤さんは遠い過去の人でしたから。思い出の中で現実にいないって言ったらわかりますか?」

「言いたいことわからなくもない」

「だから話していると記憶を拾い上げているような、変な感じです」


まるで自分のことのようにため息をつく大樹先輩は出会って間もない私と土方さんで悩んでいるのだろうか。お人好しで、失礼な言い回しになるが、大分暇なお人だ。


急に辺りを見渡して何かを確認してから、大樹先輩は顔を寄せて小声で話を続けた。


「薫ちゃんと会ってからあいつ、女遊び止めたんだよ」


その期間はたかだか一カ月足らず、あの人はどれだけ女癖悪いんだ。かつてのことも思い出して呆れ返るが、あの面なら可能だろう。


「今まで、あいつに何度も注意してやめなかったのに。薫ちゃんに本気だと思うぜ。

女と遊んでも家まで送ったことなんて、一度だって見たことも聞いたこともない。あの内藤が、再会してすぐの薫ちゃんを家まで送って行った」


大樹先輩には申し訳ないけど、それはない、あり得ない。

もしそれが本当だとしても違う意味を持っているだけだ。まかり間違ってもあの人と恋仲になるなんてやめてほしい。懸想相手にだってなりたくない。


久々の再開、相手を気遣う、家まで送っていくなどなど。

それらの行動は普通の男女なら何かが芽生えるのだろうけど、あくまで自分らはかつて仲間だったという繋がりだ。その名残を追って、後悔を引きずってダラダラ歩いているだけだ。


「弟分に負けたのが相当悔しかったんじゃないですか?あの人、かなり負けず嫌いですから」

「あー、いや、確かに、稽古にも熱は入ってるけど」

「無いです、内藤さんに限ってそれはない」

「なんでそう思う?」

「僕的に嫌です。アウト」


それに、あの人がお熱だった昔の女、遊女のお菊さんを思い出してもそれはないと断言できる。どちらかと言わなくても、私よりあの美女さんがお菊さんに似ている。


「確かに、あの人は気の強い勝気な江戸女を好みますけど、私は内藤さんの趣味じゃないです。私も内藤さんは趣味じゃありません」


自分の言葉でバッサリ切り捨てておきながら、あの役者顔の男の眼中にないと言い切るとどこかに少しだけ存在していた乙女心に大ダメージが加えられた。試合で言うなら、二本先取の試合で一本取られてさらに反則を一つもらった、背水の陣の状態だ。


「2人とも強情だよな」

「強情ですか?」

「あぁ、俺は面白いけどな」


ニヤニヤとした笑みを隠さない町村先輩は私と土方さんで何を妄想しているのか。

どうやら逞しいのは女の子たちだけではないらしい。


「私たちが追っているのは恋じゃありません、記憶です」


私も土方さんも、早く忘れてくれればよい。

時折、感じる胸の痛みはどうにもならない記憶を追っているせいだ。そんなわかり切ったことを念じてしまうほど、ここ最近の自分がよくわからなかった。

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