第9話 ひとり②

宮原さんの熱弁から逃げ切って、オアシスに来たつもりだったが、現実はそう甘くない。深いため息を吐いて、遠巻きにされている騒動の元凶に言葉を投げかけた。


「ここで何しているんです?」

「居たら悪いか?」

「悪い」

「てめぇ」


通りで剣道場の入り口で先輩方が顔を見合わせて困っているわけだ。


入り口を塞いで相談している先輩方を横目に道場に入ると、何故か”高校の剣道場”に、さもここにいるのが当然といった顔をした土方さんが居た。迫力のある怖い顔で打突台に一人打ち込む見知らぬ美男子が居たら、誰だって困るだろう。


大学名まで印字された袴を履いているとなれば、稽古に来たのであろうことは容易にわかる。だが、気合の入った打ち込み練習をしていたら話しかけられない。それも明らかな実力者相手に「すみません、どこのどちらさまですか?」なんて失礼以外に他ならない。


「内藤さん、先輩たちが困ってます、ついでに僕も困ってます」

「この野郎」

「なんです?僕に会いに来てくれたんです?野郎に追いかけられても、ぜーんぜん嬉しくないですよ?」

「よく言う、俺が竹刀を構えたらベタ惚れのくせに」

「僕に打たれるのが好きなあなたの趣味には遠く及びませんよ」


友人に人相の悪い笑顔と称されるニヤニヤ笑いをすると、竹刀を肩に乗せた土方さんも唇の端をいびつに持ち上げて笑っていた。やっぱりこの間、コテンパンにしたのが堪えていたらしい。

本来は素振り用の木刀を投げ渡すとニヤリと笑った。自分も目の前の男と似た笑みを浮かべているに違いない。


何が心残りでこの人は昔にそこまで執着しているのだろう。聞き出したいところ、大変残念だけど僕は弁舌がたつわけではない。やっぱり、学がない僕はこれでしかわからない。


相手が構えたと同時に、容赦なく切りかかるが当然のように避けられた。


「相変わらずだな」

「そういえば、さっきの質問の答えはなんです?問い詰められて困ったんですけど」

「あ?」

「女の子のお願いですよ」

「お断りに決まってんだろ、てめぇがわからねぇはずがねぇ」

「我儘ですねぇ」


土方さんからの返し刃を木剣で擦り上げて狙いをそらす。

即座に足蹴りを入れてみるが、当然のように飛んでよけられた。


「女子高生からのお誘いなんて、貴重ですよ?」

「ガキはごめんだな」

「あはは!あんたも、随分と出世したもんですねッ!」


何度か打ち合わせたが、拮抗している土方さんとの打ち合いで近場で決めるのは無理だ。


平青眼に構えて、全体を見る。

土方さんも僕と同意見のようで、猫背気味の独特の姿勢でこちらを睨みつけている。

本気の殺気に背筋が粟立つような興奮と刹那の快楽が身体を巡る。

張り詰めた緊張がほどかれる瞬間をギリギリに察して動かないと、本気で斬られる。


「そこまでだ!!」


小手だけを両手に着けた大曲先輩が僕と土方さんの打ち合いの間に入ってきた。


先輩を巻き込むわけにはいかない。緊張をといて、構えもとく。大曲先輩は怒ってるみたいだ。まあ、この状況で怒らない部長がいたらお会いしてみたいぐらいだ。1年が防具も着けずに見知らぬ男と、木剣で死合いをしていたらそれは怒るだろう。当然だ。


「北条、どういうつもりだ!」

「申し訳ありません、先輩。この間、この人の大学剣道部で、稽古させてもらったんです」

「それで?」

「この人、内藤隼人って言うんです」


知る人は知る名前だ。


剣道を今やっている人間で知らない人は少ない。

この人は大学剣道の大会で優勝争いに絡む選手だ。少し前まで高校の大会にもいて、その名は知られている。


剣道部で強豪校と言われる部活うちでこの人を知らない子は一年生ぐらいだ。

私も以前から名前だけは知っていた。まさか、記憶にある本人だとは思いもしなかったが。


「今日、稽古しようって約束していたのをすっかり忘れてました」

「俺を忘れるなんて、いい度胸してるじゃねぇか」


不遜に笑って話に合わせる目の前の男は、私が何も知らない女子高生なら悲鳴を上げたいぐらいイイ男だ。似た者同士、嫌な笑みを浮かべていることだろう。


部長が深いため息をつきながら先を促した。


「それで?」

「顧問にお願いします」

「ったく、早めにいえ早めに。北条の先輩なんだな?」

「はい」

「それは、稽古を期待してるぜ。よし、顧問に言って何とかしてやろう」


もともと外来稽古が多い部活だ、きっと言葉通り何とかしてくれる。

大曲先輩の頼もしい言葉に安心する。土方さんが急に押しかけてくるから、もちろん外来申請とかしていない。そもそもどうやって校内に入ってきたのかも謎だ。


大曲先輩は割って入ったあと、僕の近くに立って困った顔をしていた。


「ただな、心配かけんな。驚いた」

「すみません」


軽く頭の上に置かれた手がくすぐったい。

先生が僕を甘やかしていたように先輩は薫を甘やかしてくれる。


小手をつけたままだから、ちょっとごわついていて、部活の臭いがするが、それがより先生との記憶を呼び覚ます。


「知らない男と北条が木剣で打ち合ってると報告を受けるこっちの身にもなってくれ」

「はい、ご心配おかけしました」


確かに中身はどうであれ、私の外見は女子高生だ。

後輩の女子高生が、道場で申請のない不審者と戦っていたら、先輩の立場なら肝の潰れる思いをすることだろう。


先輩を見送ってから再度土方さんに向き直る。

木刀を腰から抜刀して、晴眼に構える。土方さんも構えるがやっぱり道場剣術にしては柄が悪い。


「お前、相変わらず可愛がられるな」

「今回のはあんたのせいだと思いますよ?」


土方さんの顔を見上げることに違和感を覚える辺り、自分も昔に囚われたままだ。


僕も人のことを言えない。

今日も竹刀に持ち替えたあと、昔よりも細い甲高い声を上げて、彼に打ち掛かった。

打ち込まれる度に重く感じる剣戟に昔との違いを実感している。でも、まだ道場内では僕の方が強い。


監督を審判にして、今日も今日とて、ブレなく土方さんから二本取った。

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