第8話 ひとり

「ねぇ、北条さんさ!この間、一緒にいたイケメンは彼氏!?」


まだ開始の刻限を告げる鐘の音すら鳴っていない教室で同じクラスの女の子に話しかけられるのは珍しい。

しかも内容が内容だ。

彼氏いない歴=年齢の私に聞くには内容がおかしい。バカにする文言ではなく、期待に満ちた言葉というのもいつもと違いすぎて気味が悪い。


「土曜日の夕方!もの凄いイケメンと並んで歩いてたじゃない!」

「あぁ、あの人のことか」


散々、土方さんのことを馬鹿にしながら歩いて帰ったときのことか。

誰も聞いてないと思って呼び方を改めていなかったが大丈夫だったろうか。


稽古のあと、きちんと家の前まで送ってもらった日のことだ。

お陰様で今まで男っ気のない、というよりも私が男そのものなのではないかと疑いをかけていた家族が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。あながち間違っていない辺り悲しいが。


「知り合い!?彼氏なのっ!?」

「あの人と好きあう関係とか勘弁してくださいよ、昔馴染みです」


現在では自分が沖田総司、相手が土方歳三でないにしろ、記憶があるからどうしても抵抗がある。顔を合わせれば罵倒のしあいだった。木刀を持たせれば、殺し合いかと他の門弟に誤解されるぐらい本気で殴り合っていた。だからそういう間柄ではない。


一人で完結していると、思いの外力強い手に肩を掴まれてゆすられた。


「ちょっちょっと、何なんですか」

「紹介して!お願い!」

「私はいいですけどあの人が断ったらダメですよ。一応、道場の先輩ですから」

「それでいいから!」

「期待しないで下さいよ、あの人、その手の話、困ってないんですから」


嘘がさらりと出た私の豪胆さに苦笑いが漏れる。

確かに、言ったことは間違いではない。


それにしても僕は、女の子にここまで懇願されることは今までもなかったし、この先もないだろう。あの人のツラは流石すぎる。


頭がゆすられたせいでちょっと気持ち悪い。

込みあがる吐き気を抑えながら、スマホのアプリを立ち上げて「内藤隼人」の文字を探した。


内藤隼人のルームは、既読のマークがついたっきり返事がない。

まあ、この手の話は向こうも聞き飽きているだろう。私から送った文言は至って普通だ。


「あんたを紹介しろと詰められている、後の対応投げて良い?」


なんとなく、無言で断っておけと圧力をかけられている気もしなくもない。


昔も手紙を返事しないという圧をかけることができる鬼副長だったなあと薄ぼんやりと思い出す。手垢で汚れた窓の向こうで、体育中の学生たちをなんとなく見る。


あぁ、部長の大曲先輩のクラスらしい。

ボール競技は苦手と以前に言っていた言葉に違わずボールがあさっての方向に飛んでいっている。腕力はあるから、ボールはよく飛んでいるからクラスメイトは大変そうだけど、楽しそうだ。大曲先輩のやらかしのおかげで、ちょっと楽しい気分になっていたが、教室内の現実に戻ってきた。


授業中に私に話しかけてくることなんてこれまでなかった彼女、宮原美夏さんが私に楽しそうに話しかけてくる。彼女の様子を簡単に表現するならルンルンである。


「北条さん、彼から返事きた?」

「まだ返事は来ませんよ。向こうも授業中なんじゃないですか?」

「真面目なのね」


頬を自力で赤く染め上げる少女は完璧にあの人を勘違いして妄想している。

懐かしい記憶を拾い上げて、いつも土方さんを追い回していた幼なじみをふと思い出す。あの子は40キロ以上の道のりを追いかけてきたり、なんなら京都まで徒歩できた強者だった。


いつの世も女の子はたくましい。


「美夏、北条さんに絡んでどうしたの?」

「聞いて!!」


目を輝かせて、街で見かけただけの土方さんについて熱く語る彼女には感嘆の心すら覚える。よくあの人の造形美を思い出せるな。

白磁器のような滑らかな頬、切れ長の少し青みがかった瞳……。


宮原さんの解説で、そこまで記憶をなぞったところで、至近距離の切羽詰まったあの顔を思い出した。背中に回された筋肉のついた力強い腕と、私の頬にかかる吐息、一度喪ったからこその失いたくない切実たる想いが垣間見えた。


あー…、要らないこと思い出した。


相手がかつての盟友とわかっていても恥ずかしい。

それも、お友だちの大樹先輩の目の前の出来事だ。最高に恥ずかしい。


ちょっと宮原さんの話から遠ざかりたくて窓の外をもう一度見ると、校庭からこちらを見ていた大曲先輩と目が合った。先輩にゆるーく手をふると、大きく手を振り返してくれた。


「あんなイケメンが昔馴染みだなんて、北条さんも隅に置けないね!」


宮原さんのたくましい妄想を片耳で聞きながら、正面にいる数学の教師にはあくびをかみ殺す。平和そのものだ。今日も、ゆっくりと午後は過ぎていった。

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