第4話 手合わせ
何か間違って昔馴染みと出会ってしまった次の休みに、私は袴を履いた町村さんに大学を案内されていた。土方さんと手合わせするのに、大学の剣道場を使うらしい。
ついでに、他の人とも稽古して帰れる。大学は自由で、外部の私が自由に入って稽古してもなんにも問題がないとのこと、高校生と大学生は1年しか違わないのにこの落差はなんだろう?と、純粋に疑問が浮かぶ。
「いやぁ、内藤も人が悪いよな。早く教えてくれたら良かったのに。薫ちゃんの名前を検索して驚いたよ」
気安い感じで話しかけてくる町村さんを見て、ゆるく笑顔になった。
はじめに会ったときにも、思ったが、かなり人懐っこい青年だ。
自分よりも年上の人間を青年とか称してしまうのは、あの人と出会ってから、以前よりも色濃くなってきているあの男の記憶が原因に違いない。
「ありがとうございます、でも、おだてても何も出ませんよ」
「お世辞じゃないって。ジュニアの大会から、負け知らずの剣豪、北条薫って聞いてたからてっきりもっと、ごっつい女かと思ってた」
「十分ごっつい方だと思いますけどね」
最もどちらかと言うと、スポーツとして昇華された剣道と昔の自分がやっていた剣術は似ても似つかないが、基礎の足さばきや心持は変わらない。
それならやはり経験の差が出てくるだろう。学生にとって1年の経験は如実に剣筋に現れる。人生二回目で、剣道やるのも二回目ともなれば差が出て当然だ。
それに加えて、今の人が経験するはずのないことまでも僕の手が覚えているんだから、差が出て当然だと思う。どんな人と手合わせしても満ちることを覚えないこの剣への気持ちをずっと未消化のままに持ち合わせてきた。
「楽しみにしてますよ、強いとお話を伺っていた剣道部」
「期待に応えられると思うぜ」
「ようこそ、俺たちの大学剣道部へ」
紺の防具に白字で内藤と刻まれている男の前に、静かに蹲踞で構えた。
この人の剣は、今と昔でどう違うのだろうか。
実戦で使えない剣術なんて、とか吐き捨てていそうというよりも何度も言っているのを聞いた。実戦の喧嘩が大好きなだったこの人が打ち込む、平和な世に順応した内藤隼人の今生の剣筋が見たい。
「はじめッ」
鋭い開始の声が聞こえても、立ち上がるだけで互いに一歩も動くことができなかった。
あぁ、やはり、この人の剣は斬る感覚を知っている。
隙のない構え。遊びも、他の何もかもを排除した、相手を倒すためだけの独流の剣がまだ目の前にある。僕だけじゃない。あの時代を、あの狂気を感じて、身を震わせるほどの歓喜が、僕の感覚を鋭くする。
「大丈夫だ、隙が無くても作ればよい。基本に忠実に、一瞬を見逃すなよ」
ふと、柔らかくて優しい声が僕の耳にそっと吹き込んできた。
もう教えてくれた先生の顔を思い出せなくなってもこの言葉だけはずっと、教えてくれたときのまま記憶している。先生が生きる全てを教えてくれて、そして、僕の生きる全てだった。
彼の全体に神経を研ぎ澄ませる。
この瞬間だけは、周りの音も、色も、全てが無い。
あるのは手元の剣と、彼と、私だけだ。
甲高い自分の裂帛が一膜遠く、他人事のように聞こえた。
ここには僕と土方さんしかいない。この瞬間、自分と相手以外は要らない。今だけは記憶も、後悔も、何もかもを捨て去り、快感にも似た恍惚さに身が震える。
「一本!」
激しい気鋭とともに打ち込んだ私の小手が、彼が私ち打ち込んだ面よりも早く、打ち抜いた。真剣を持った実戦ならこんなバカな真似はしないが今やっているのはあくまでスポーツだ。殺し合いじゃない。
最も、今後もそんなことをする予定はない。
視線だけで人を殺せるならそれだけで何人殺れるかわからないほど怖い顔が、面金の向こうに見えた。この人の剣の威力は痺れるものの痛みのない先ほどの面で実感している。
「勝つためには手段を択ばないんじゃないんですか?ひ、じ、か、た、さん」
「てめぇ」
今の僕の笑顔は凶悪に違いないと自覚しながら、彼に囁いた。
彼から滲み出る殺気が心地よい、これを懐かしいと思うなんて頭がおかしい。でも、今はそれが酷く愉快だった。
僕の言葉に激昂して単純になった土方さんから難なく二本を取った。
凶悪な顔をした土方さんが私と連戦しようとしていたが、町村さん含む他の大学生に阻まれて、悔しそうにしている。
あの人はまだまだ今のルールに順応しきれていない。僕よりもかつての狂気に引っ張られている。昔のように真剣を持ったつもりで打ち合っているから、現代の試合では機会を逃しているって監督に注意されるのだろう。
その土方さんとの試合の様子を見ていた他の大学生からも練習試合を申し込まれた。
女子高生と侮られることがないことからも、ここの剣道部が強いのがわかる。
楽しくて、小手の向こうにある竹刀が軽い。普段の高校の部活よりもずっと楽しい。でも楽しくても、土方さんと試合したときのような、自分と相手だけがいるような無の境地までたどり着くことはない。そのまま順当に稽古を終えた。
「「有難うございました!」」
礼を述べているだけなのに、道場の高い天井に反響する声は弾んで聞こえる。
毎日、高校の部活で、似たような場所の板を踏んでいるはずだが、今の足裏にある冷たい木の板の感触は懐かしい気がした。
間違えないように、「北条」と書かれたネームを眺めて自分の名前を念じる。うっかり内藤隼人を忘れかけているあの人に引きずられないように注意しないと。反面教師で、防具外しても向かってきそうな土方さんを見ると、そんな土方さんを一生懸命に取り押さえる町村さんと目が合った。
口パクで大変ですねと伝えると、ウィンクで返事をくれた。
大学生って、みんなこうキザなものなのだろうか。まだ高校生の私にはわからないことだらけだ。他の部員と一緒に稽古場にお礼を言って、先に稽古場を後にすることにした。
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