第2話 小石の行く先

生徒たちが待望していたチャイムがゆっくりと鳴りはじめた。

高校の終業チャイムは、これからの予定がみっちりと詰まっている生徒たちの気持ちは無視して、のんびりとその時刻を告げていた。


当然だが、チャイムが空気を読んでくれることはなく、そしていつものように先生も空気を読まずにのんびりと授業は終了した。


「起立、礼」


学級委員長の几帳面な声がそれを言うと、忙しく動き出した同級生とは異なり、私の今日の予定はこれで終わりだった。

このあとはいつものように道場で自主稽古か、公園で近所の子供たちと遊ぶぐらいかな。まあ、これと言って絶対の予定はない。


そんな風にちょっと気が抜けていたせいか、気を使って貰ってくれた同級生に声をかけられた。


「北条さんも、これからカラオケ行かない?」

「んー、予定があって、ごめんね」

「えー?何、男と?」


彼女たちの言う男は彼氏という意味だろうけど、私にはあいにく彼氏はいない。お互いに知っていてこの言葉を交わすのは、一種のご挨拶だと私は思っている。


まあ、今日の公園は、天気が良いから女の子も来ると思うけれど、やっぱり人数的には男の子の方が多いかなあ。道場に行くとしても、うちの部員の内訳からするとどうしても男が多い。


「そうだね、いつも男の方が多いかな」

「なにそれ?」


彼女たちの笑顔からは、馬鹿にしたような感情が透けて見えていた。

男とデート、遊んだりするのが価値基準となっている彼女たちからしたら私のカーストは最下位。

対象年齢外の子どもたちと遊んでいるのも、道場で剣を打ち合っているのも、彼女たちのいう充実した毎日にはならない。嘲笑の色を隠さないまま不自然に白い肌と紅い頬の彼女たちは数人の男子生徒と連れ立って、教室を出ていった。


感情を人に読みとらせてしまうほどの若さに「若いなあ」と感想を述べる自分と「女の子って面倒くさい」とため息をつく脳内の自分に気が付いた。そう考えてしまうのは、彼女らと自分は違うと念じ続けている私のただの傲慢だろうか。


のろのろと荷物をまとめ終わったころ、彼女らが出ていった戸がまた開いて、今度は厳つい男が顔をのぞかせた。


部活の先輩、大曲先輩だ。


剣道部の部長に相応しく、がたいも声も大きい。その武骨な感じに勝手に親近感を覚えている。この教室に来たのだから、先輩は私に用があるに違いないのに、彼は私を視線の先に捉える前から教室に響く大きな声で話し始めた。


「おい、北条、今日は先生が道場使うなって。教職員会議があるから」

「はーい、わかりました」

「おう、じゃあな」


剣道部の部長は言うべきことは言ったという雰囲気で、教室をあわただしく出ていった。

道場に行けばわかることをわざわざ教室まで来て教えてくれるあたり、面倒見の良いあの先輩らしい。道場の自主稽古もダメなら、もう一つの予定通りにしよう。


とりあえず、私も家に帰るか。

それから公園に行こう。


足元が涼しい女子生徒用のスカートに違和感を覚えるのは、昔のように竹刀と防具を持っているせいかも。肩に乗せた竹刀はとても軽い。


理由はよくわからないけど、今日はスキップして飛び跳ねたいぐらい気分が良かった。いつもより高い位置にいる太陽を眺めながら、駅まで歩く。珍しく用事が早く終わったこの日に、電車がいつ来るかなんて知らない。


何気なく、本当に特に意味もなく、軽く足元の小石を道先に転がした。

緩やかに勾配がある坂道を小気味の好い音を立てて小石が転がっていって、転がっていって、見知らぬ黒い革靴に当たって小石が跳ねた。


さっと前後を見てみるが、生憎、今のこの道には自分しかいない。

知らぬ存ぜぬは効かない状況に、サッサと白旗を挙げた。


無視をして拗らせるよりもすぐに謝った方が心象が良いだろう。


「すみません」


ガラの悪い人だったら面倒だな。

そう思いながら黒い革靴の足元から順に目線を上げていくと、どこか見覚えのあるどころかよく知っている顔をした青年がそこにいた。


「あ」

「おまえっ」


向こうから反応があったことを考えると、向こうも私のことを覚えているらしい。そう判断して遠慮なく、距離を詰めて、既知の男をしげしげと眺める。


そういえば、あの人はこんな顔だった気がする。


それにしても時代が変わっても役者顔とか、この人、無駄に凄いなぁ。

それに反応から察するに、どうやら私が”僕”だったころを覚えて生きている。

前から「馬鹿だ馬鹿だ」と思ってはいたけれども、想定の範囲を通り越して大馬鹿過ぎる。


呆然としている様子、つまり間抜け顔だ。

無駄に顔の良い間抜け顔の馴染を見つけて、無性に面白くなってきた。


「ふふっ、あんたって人は相変わらず馬鹿ですねえ」


遠慮なく笑うと、まるで僕が悪いことをしたかのように目の前の既知の男は目尻を吊り上げ始めた。


「てめぇ、会うなりご挨拶じゃねえか」

「内藤、お前のコレ?」


小指を上げて土方さんと一緒に居た友達が囃し立てる。

今も昔もこの人は女遊びが激しいみたいだ。


前世であれだけ女の人で、痛い目にあったのにまだ学習していないのかと思うとさらに笑える。


容赦も遠慮もする間柄でもない。遠慮なくゲタゲタ笑ってやると、予想通りに鬼の形相になっていくからより面白い。だから僕にからかわれるのだと、いい加減気付いたら良いのにとも思うけど、まあ、わかったらこの人じゃない。


口の端がピクピクしはじめた。

あの人が怒るときは大抵これを目安にしていた。もちろん、この様子が見えだしたら、子どもたちと一緒にあの人に背を向けて走り出していたものだ。


ほーら、そろそろ怒るぞ!


「馬鹿言ってんじゃねぇ!誰が」

「薫」


予想通りに怒り始めて、昔の呼び名が続きそうだった土方さんの言葉を遮った。確かに、既に剣道バカの変人で通っているけれども、電波認定までは受けたくない。流石にこんな往来で昔の名前を呼ばれたら困る。良くも悪くも前世の名前は有名だ。


したり顔とよく言われた口角を無理に上げた笑顔で、土方さんのお友だちと調子を合わせた。


「先手打って自分の名前言っておかないと、この人、名前を間違えちゃうんですよねー」

「おっと、君よく分かってるね、その様子だと幼馴染かなんかか?」

「んーと、幼馴染なんてキレイなもんじゃないです。悪友です」


満面の笑みで笑いかけると、青筋浮かべて黙ったイイ顔の男が見えた。


土方さんはこと喧嘩となれば、我慢強く、ついでに謀略を張り巡らせている間はどんな罵倒をされても涼しい顔をするくせに、なぜか僕を含む昔馴染みに対しては短気だ。昔から喧嘩早くて刀を振り回していたことを考えたら、元は短気なんだろう。


土方さんの革靴に当たってはね返った小石を拾って、目の前で投げてみせる。


青みがかった普通の小石が光を反射して、まるでなにか意味あるもののように私の手元に戻る。


「相変わらず、俺を怒らせるのが上手いじゃねえか」

「嫌ですねえ、そんな褒められたら照れちゃいますよ」

「誰も褒めてねえよ」


今と昔をわからせておかないとうっかり電波な名前で呼ばれかねない。


くすくすとクラスの女の子を見本に笑うと、露骨に嫌な顔を見せてくれた。元々十分、怒った顔はしていたが、不快感まで上乗せして、ステキな表情をしている。どこぞの悪い事務所の人のようだ。


「うぜえ」

「そんなこと言って!隼人とこんなに仲良しな子、初めて見たよ!」

「隼人はすぐ手を出すから友だちに留まれないんだよねえ。ほーんと、もったいない」

「「ねー」」


唐突に現れた私と話をすぐに合わせてきた社交的なお友だちとひとしきり揶揄って、爆笑しておいた。

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