青の水鏡ーなんであんたも生まれ変わってんだよー
藤原遊人
第1話 梅の花
細くて手を伸ばせば容易く手折れる枝に目を奪われる。白く闇夜に浮かぶこの花は、僕が大嫌いで信頼しているあの人の好きな花だ。
下手くそで実直な歌に幾度も詠んで、その詠った回数より多く僕にからかわれても懲りないほどに、あの人はこの花を好いている。
冷える中、我儘を言って開いてもらった雨戸から白い花弁がゆっくりと僕の枕元まで降りてくる。
花弁が座る場所に選んだのは僕の刀だった。
僕の人生そのものと言っていいほどの、魂に座られても苛立ちすら感じないとは、次にこの花を見ることはないかもしれない。この花弁の図々しさは、今も戦をしているあの人のようだ。
あ、そう考えたらちょっと苛立ったかもしれない。
行燈に照らされた花弁を手に乗せるが、わずかな風でそれは再び舞っていった。
爽やかな甘い香りが、部屋に立ち込めている。この香りは嫌いじゃない。
「総司さん、今日はご機嫌ですね」
「梅を見ていたら、ちょっと腹の立つことを思い出してしまいました」
「そうですか」
刀と逆隣に腰を下ろしたお婆さんを見やる。
今日はくすんだ小豆色のような小袖を召している。
この仕事を請け負うまでの経緯がどうであれ、死病を患った人間を看病してくれる優しいお婆さんだ。
「今日は、先生からお便りはありませんか?」
「さぁねぇ、手紙1つ、私は見てないよ」
「そうですか」
始終穏やかなお婆さんの表情に少し苦しそうな影が見える。
きっと、僕に言うなと口止めされているのだろう。
時折、この家に顔を見せる姉のミツもこの話題を避ける。
敗戦続きの幕府軍に属する近藤先生に関して、良い話が入ってくるのはないだろう。
もしかしたら、と嫌な予感が脳裏を過る。
いや、それだけはあの人が付いているのだからない。一瞬の栄華と永遠の忠義を、同時に魅せてくれるあの人なら。
だから僕はあの人のことが嫌いだったのかもしれない。
先生があの人と遠くに行ってしまう気がして。
でも、実際に先生が僕から遠くに行ってしまった今は、傍にあの人がいるだろうと思うとなぜか心穏やかだ。
もっと前にこの心持を知れたら上手くやっていけたのだろうか。
それとも死ぬ間際にならないとこの気持ちまでたどり着くことはできないのか。
何にしろ、もう先生にも憎いと思っていたアイツにも会うことはない。
小さな箱庭で舞う梅は僕らのことを現しているよう、そう思うのは梅を見る度に下手くそな句を詠んだあの人の影響か。
それとも、教養はあった方が良いと教えてくれた山南さんの影響か。
今日は昨日より少しばかり身体が軽い、穏やかな陽が差す縁側に立つと梅の濃い香りがむっと迫る。
あぁ、この感性があるのは、親のように接してくれた先生のおかげかもしれない。
「動かねば闇にへだつや花と水」
僕までも句を詠み始めるなんて、末期だ。
これで、明日にころっと死んだ日には辞世の句と言われるかもしれない。
もっとも、僕なんかが詠んだ句を大事にしてくれるのは、姉のミツと先生ぐらいだろうけど。
まあいいかな、病気も末期なんだろう。
みんなが何れ良くなると教えてくれるが、そうならないことは自分自身が1番よく知っている。
梅の花弁に座られた僕の
先生のもとで、僕が役に立つことはもうできない。
本当は誰かの剣で僕が死ぬまで、先生の夢のために刀を振るいたかった。
僕を大切にしてくれる先生の傍に居たかった。
そして、僕が、先生が望む大輪の華を咲かせる手伝いをしたかった。
ただ、もうすべてが叶わない願望だ。
この痩せた手で先生の道を切り開けるほど、刀は甘くない。
幕府が打った悪手はもうどうにもならないところまで転がってしまって、これ以上立て直されることはたぶんない。そして、それに追従している新選組もきっと。
だから今後もし、先生とあの人に、もうあり得ないが、仮にいつか会うことがあれば、嫌味を言わずに素直にあの人に感謝を言えるだろうか。
「少しはご飯をお食べにならないと」
「婆さん」
「どうかしましたか?」
僕がほほ笑みかけると、皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして彼女も微笑んだ。
お婆さんは、自分に向けられたものでもないものにも気が付いて、それでもきっと、受け取ってくれる。
「いつも、ありがとう」
「どういたしまして、さあ、身体が冷えるといけませんよ」
お婆さんは甲斐甲斐しく綿の入った袢纏を手渡してくれた。
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