第18話
実験最終日、あと数時間でこの地獄から解放されることになる。死の恐怖から解放され、自由になれる。しかし、生存者の心には暗雲が立ち込めていた。
一緒にここを出られると思っていた人間が二人も、それも目の前で血を流しながら死んでしまったからだ。これまでと違い、外傷もなく安らかに昇天しているわけではない。確実に人の手で、文明の利器によってその命が絶たれたのだ。
通常なら加害者への恨みつらみによって多少は消化されるかもしれない怒りも、今回は加害者を責めることができない。なにより、その加害者が目の前で自殺したことが最も生存者たちの心を締め付けた。
このやり場のない怒りや焦燥感は、どこに向かえばいいのだろうか。
そんなことを思っていると、城崎の耳にあのムカつく男の声が聞こえてきた。城崎がそちらの方に目を向けると、入り口で固まったまま動けない厚美や美香、優菜の更に後ろにその声の主が立っていた。
「あらあら、随分と悲惨なことになってしまいましたね」
そう言うと近衛は、三人の間を手刀で通り抜けながら部屋の中に入ってきた。そして晴信を一瞥した後、城崎の前に立ち塞がった。
「近衛……なにしにきやがった」
城崎が睨みつけると、近衛は両手の平を城崎に向けて突き出し、その後ばんざいのような姿勢を取って敵意が無いことを示してきた。城崎の目には、これまでずっと近衛から滲んでいた悪意のようなものが、きれいさっぱり消えているように思えた。
「こんなことになるなんて、さすがの私達でも予想外でした。本当に、人間というのは想定外の行動を取りますね」
「ふざけてるのか。こんな状況に人間を追い込めば、殺し合いが起こることなんて予想がついただろ。それに、ここにいる人工知能にだって何人殺させた」
「……実験の結果死ぬのは、あくまで悪人だけですから。心春さんのような被害者の方が無くなる結果になるとは――」
「お前が心春さんの名前を呼ぶな! 実験の結果死ぬのは悪人だと? 悪人なら殺してもいいのか。悪人なら、そいつの死を喜ぶ奴がいるとでも思ったのか」
城崎の感情がむき出しになった声は、その場にいるすべての者を委縮させた。相手が、人工知能であっても。それほどまでに、城崎の怒りには訴えかけるものがあったのだ。
しかしそれは、目の前にいる近衛に向けられたものではない。この実験を公認している政府、人工知能を作り上げた研究者、名ばかりの自律思考の下に殺人を実行した人工知能。そしてなにより、心春のことを救えなかった自分自身に対して、その怒りは向けられていた。
「――とにかく、彼女のことは私たちが引き取ります。こうなってしまった以上、我々がしっかりと責任を取らなければいけませんから」
「はっ、誰が言ってるんだか」
近衛が手を差し出すと、城崎はその手を払いのけて近衛から顔を逸らした。心春のことを、渡したくないのだ。自分の手元にいれば、心春を安置することができる。だが一度でも近衛たちの手に渡れば、その先はどうなるか分からない。近衛たちが心春を手厚く葬ることなど、どう考えてもあり得ないことだった。
「城崎さん。信じてもらえないでしょうが、どうか耳を貸してください。私たちの目的は、人間を殺すことじゃない。ましてや、殺し合いをさせることじゃないんです。本当は、誰にも死んでほしくなかった。全員でここを生きて出て、笑顔で日常に戻ってほしかった。これは、今も変わらない私たちの本心です。私が人工知能だからって、人間の死を望んでいたり、軽んじていると思われているなら、それは大きな間違いです」
城崎が再度近衛を睨みつけると、近衛は怯むことなく城崎の目を真っ直ぐに見つめた。相手は感情の無いはずの人工知能だが、その目には、何か覚悟のようなものが宿っているように見えた。今の近衛なら、信じてもいいかもしれない。城崎はそう思い、心春を両手でゆっくりと床に下ろした。
「ぞんざいに扱ったら、許さないからな」
「はい。手厚く葬ることを約束します。私に任せてください」
そう言うと近衛は、心春の亡骸の前で手を合わせた。五秒ほどそうした後、お姫様抱っこのようにして心春を抱え、近衛は部屋を後にした。近衛と入れ替わりであの低身長の防護服二人組が担架を持って部屋に入ってきて、無駄のない作業で晴信を担架に乗せて部屋を出た。
「連くん、そんなに自分を責めないでください。誰も、誰も悪くないですから」
「城崎、あと数時間の辛抱だ。そうしてここから解放された時、あいつらから犠牲者全員を奪い返して、俺たちで手厚く葬ってやろう」
「厚美さんの言う通りだよ、連。まずは、私たちが生きてここを出よう。皆の分まで背負って」
三者三様の言葉をかけられたが、城崎はそのどれにも返事をすることなく、部屋を出て階段の方に歩いていった。後の三人はその背中から漂う悲壮感を避けるように、少し距離を開けてついていくことにした。
城崎はそのままリビングに入り、ダイニングテーブルに顔を伏せた。リビングは先ほどの惨劇が嘘のように床がきれいに清掃されていて、旭の遺体も運び出されていた。警察の鑑識が使うルミノールのような薬品でも使わない限り、ここで誰か死んだことなど誰も気付かないだろう。それほどまでに、痕跡がきれいさっぱり消されていた。
厚美と美香、優菜の三人は少し気まずく思いながらも、席についた。しかし城崎の座っている辺の方には誰も座らず、全員が向かい側の辺に座っていた。それも、城崎と正対する席には誰も座っていない。
「ま、まあ。後はここで四人大人しく過ごして、今度こそ全員で生きてここを出ような」
厚美が少し軽めの口調でそう言ったが、誰もそれに賛同するものは居なかった。城崎は顔を伏せたままだし、優菜や美香はそんな城崎のことを心配そうに見つめている。厚美は口を真一文字に閉ざし、頭を抱えた。
しばらくの沈黙。どれだけ時間が経ったか分からなくなってきた時に、突然城崎が顔を伏せたまま口を開いた。
「このままでいいのかな」
短く端的なその言葉には、とてつもない怒りと悲しみが込められていた。
「連くん、どうしたの」
「……このまま、俺たちが生きてここを出られたらそれでいいのかな。人工知能も見つけず、仇も取らず、ただ生き永らえるだけでいいのかな」
それを聞いた三人は、思わず息を吞んだ。その後の言葉がどう続くかによって、また死者が出るかもしれないからだ。
「城崎、お前はなにが言いたい。まさかここで皆死んじまおうなんて、そんなこと言うつもりじゃないだろうな」
厚美の牽制。
城崎はそれに対して、何度も首を大きく横に振り、強く拒否反応を示した。
「俺が言いたいのは、人工知能の正体を暴くべきだってことです。そうしてこの実験を失敗に終わらせることが、俺たちに許された最後の抵抗だと思います。それに、ジョンさんを殺した奴だってまだ分かってない。このまま有耶無耶になったら、誰にとってもいい結末じゃないでしょ」
城崎はそう言って顔を上げ、全員の顔を見回した。美香は顔を上げた瞬間に城崎から目線を外され、優菜とは一秒ほど目が合った後に目を逸らされ、厚美は真っ直ぐ城崎の方を見つめた。
厚美の目は城崎が本気かどうかを測っているようで、目を合わせた城崎の方が思わず目を逸らしてしまいたくなるほどに強い力が込められていた。それでも、城崎は自分の本能に抗って目を合わせ続けた。それだけ本気だと、示したかったから。
「……そこまで本気でそう考えてるんだったら、俺たちも手伝おう」
厚美がそう言うと、城崎はまた首を横に振った。それを見た厚美が眉間にしわを寄せると、城崎が取り繕うように言った。
「いえ、厚美さんには優菜ちゃんのことを守ってほしいんです。これまで全然考えていませんでしたが、殺人人工知能が僕たち全員の前に姿を現しているとは限りませんから。ひょっとしたら、どこかに身を隠しているのかも。そうだとしたら、皆を守れるのは厚美さんしかいませんから。頼みますね」
口から出まかせ。本当はこの四人の中に殺人人工知能がいると確信している城崎は、厚美と一緒に捜査するわけにはいかなかった。
何故なら、美香は自ら人工知能であると告白した点から考えて疑っていないし、優菜にはこんな残虐なことはできないと分かっているからだ。となれば、この中で一番疑うべきなのは厚美だ。それに、仮に厚美が人工知能でないとしても、ジョン殺しの疑惑は残ったままだ。ジョンが死んだ後、一階から三階まで短時間で運ぶことなど、厚美ほどの大男でないと難しいのだから。
「へえ、そんな可能性が本当にあるのかねぇ」
城崎が急に動揺して早口になってしまったからか、厚美は明らかに城崎の発言を疑っていた。城崎は何とか取り繕おうと思い、席を立って冷蔵庫の方に向かった。冷蔵庫を開けて中から冷えた炭酸飲料を取り出し、冷蔵庫を閉めてすぐに一口飲んだ。そうして飲むふりをしながら、冷蔵庫の映り込みを利用して厚美の様子を確認していたのだ。
冷蔵庫には、腕を組みながらこちらをに睨みつける厚美の姿が映っている。城崎はこの場をどう治めたらいいかと頭を悩ませ、冷蔵庫に手をついた。
その時、城崎の脳が強烈な違和感を覚えた。いや、正確にはこの瞬間そのものに違和感を覚えたわけではない。今冷蔵庫に手をついて頭を悩ませたこの行動が、過去の違和感の答えになっていることに気が付いたのだ。
城崎はすぐに引き返し、突っかかって来そうになった厚美を片手で制してから美香に言った。ジョンが殺された時の映像を、もう一度見せてほしいと。
美香は少し訝しげな顔をしながらも、座ったまま城崎にスマートフォンを差し出した。城崎はすぐに動画を再生し、さっき自分が気付いたことが本当かを確かめた。
「……どうしてだよ」
動画を見終えた城崎は、そう小さく呟いた。その発言が意味するところは、城崎と美香以外の二人には分からなかった。
「美香さん、俺の目を見て答えてくれ。この映像は、一体どういうことだ」
「どういうことって、どういうこと? 最初に言ったとおり私は何かの役に立つと思って――」
「なんでこの動画が編集されてるのかって、それを訊いてるんだよ!」
城崎の言葉を聞いて、美香は視線を下げた。両足の間で握りしめられた拳が、キリキリと音を立てている。厚美や優菜は話についていくことができず、呆然としていた。
しばらく沈黙の時間が続いた後、美香が開き直った態度で話を再開した。
「編集って、何を根拠にそんなこと言ってるの」
「この動画は、夜に美香さんがカメラをセットするところから始まる。画面に映った録画ボタンを押し、画面を見て録画を開始したことを確認したんでしょうね。初めは、美香さんの顔や体で画面が埋め尽くされて、その後に美香さんが離れていくところもばっちり写っている」
「そうね、そんな当たり前のこと言ってどうしたの。それとも、その接写で興奮しちゃった?」
「じゃあなんで、動画を止めるところは写ってないんですか」
城崎の発言を聞き、厚美が城崎の手に握られたスマートフォンを奪い取って確認した。確かに動画は美香の接写で録画を初め、ジョンを発見した後に城崎と美香、優菜がリビングに戻ってきて全員を起こしたところで録画が終了していた。録画を終了する時は、誰もスマートフォンに近寄った形跡がない。
「ふふ。その答えは、もう城崎君には分かっているんでしょ」
そう言うと美香は立ちああがり、城崎の目の前に移動した。
「私は人工知能。ICT機器にアクセスするなんてわけない。自分でスマートフォンにアクセスして、録画を止めた。あなたにイメージしやすいように言うなら、リモコンを使ってテレビの電源を消すようなものね」
美香が突然自分が人工知能であると暴露したので、厚美と優菜は驚きの声を上げた。二人にとっては、初耳の話だったのだ。
だが既にそのことを知っていた城崎は、再び美香のスマートフォンを手に持って操作し、その画面を美香に向けた。画面には、ジョンが目を覚まして部屋の明かりをつけたところが映っていた。
「動画は床に置かれて撮られていたから、壁の高い位置にあった時計は写っていない。だから、俺たちは動画の再生時間から考えて、ジョンさんが起きたのは午前五時ごろだと思っていた。でも、それは編集によってそう思わされていただけだったんだ」
そう言うと城崎は、画面の一点を指さした。そこには、キッチンに置かれた冷蔵庫があった。
「この冷蔵庫は、鏡みたいに物を移す。これだけ小さく映っているだけだから気付かれないと思ったんだろうが、少し人間をなめすぎたな。アナログ時計の針なら、これだけでも大雑把に読むことができる。ここにはっきりと、午前四時を指す時計が映っているんだよ」
城崎はそう言うと、全員に見える位置へスマートフォンを置いた。そこには確かに、小さく冷蔵庫に移りこんだ時計が午前四時を指していることが読み取れた。そしてそこから少し動画を再生すると、その時計は瞬時に午前五時三十分ごろまで針を進めた。意図的に編集されていることは明らかだった。
「美香さん、あなたは部屋が真っ暗で何も映っていない時間をループ再生することで、この空白の一時間半を生み出したんです。その間に、ジョンさんは殺された。つまり、この映像には犯人が映っていたはずなんです。それを、あなたは隠した。どうしてですか」
城崎の問いかけに、美香は何も答えなかった。近くにあった椅子を引いて座り、俯いて座るだけだった。
「……厚美さん。優菜と美香さんと一緒に、ここに残っていただけませんか。僕が、必ずすべての真相を解き明かしてみせます」
厚美が静かに頷くのを見て、城崎はリビングを後にした。
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