第14話

 死を覚悟して目を閉じていた城崎だったが、銃声を聞いてしばらくしても何の痛みも感じないので目を開けてみた。新見夫妻や旭、美香や厚美がこちらを見ている。

 新見心春の握る拳銃の先からは煙が昇っていて、部屋の中には火薬の匂いもした。城崎は覚悟を持って、自分の体を見回すが、どこにも異常は無さそうだった。振り返り、後ろに隠れさせていた優菜の体も舐めるように見るが、こちらにも着弾した様子は無い。どうやら、銃弾は外れたようだ。

「優菜、立てるか。この部屋から早く逃げないと」

「無理だよ、連くん。立った瞬間に殺されちゃう。怖い、怖いよ」

 城崎がこれまで見た中で、一番怯えた優菜だった。しゃがみ込んで体を震わせ、両手で頭を抱えている。床には雫の落ちた跡が付き、その範囲もどんどん広がっている。新見夫妻の前から走って逃げるなど、とてもできそうにない。

 城崎は再び正面に向き直って、膝立ちのまま両手を広げた。未だ心春からは、こちらの方に銃口を向けられている。しかし心春の拳銃を握る手は、先ほどから上下左右あらゆる方向に揺れ動いている。それでも、こちらに銃口を向けることを止めようとはしない。

 いや、できないのだ。銃口が違う方向を向く度、つまり心春の中に気の迷いが生じる度、晴信が耳元で囁いている。これは幸せな未来を勝ち取るために必要なことなんだ、と。晴信が心春に囁いた後は、揺れ動く銃口が自然とこちらに向いてきた。

 自分がやらなければ、一生添い遂げると誓った晴信が死ぬかもしれない。それだけは、どうしても避けなければいけない。晴信がいなくては、自分はこの先、生きていける気がしない。でも、人を殺したくはない。

 覚悟と迷いが混ざり合った心春の瞳の中に、城崎はそんな心春の心の中を見た気がした。心春だけなら、まだ説得のチャンスがあるかもしれない。しかし……。

「さあ、よく狙って。心臓だよ、心臓を狙うんだ。君ならできる。僕だけじゃない、後ろに隠れている皆を救うことができるんだ。皆が、君を必要としているんだ」

 晴信が再び、心春の耳元で言った。しかし今度は周りにも聞かせるように、大きな声で言っていた。周囲の人間にもメリットがあるのだから邪魔するなと、後ろにいる旭たちに釘を刺したかったのだろう。城崎が新田夫妻の後ろに目を向けると、その釘がうまく刺さっていることが分かった。

 唯一新田夫妻の暴挙を止めようとした旭のことを、厚美が羽交い絞めにして抑えているのだ。いくら旭と言えども厚美には力負けし、目に進むこともままならないようだ。美香は最後尾で体を震わせ、事の行く末を見守っている。これで人工知能だというのだから、恐ろしい話だ。

 そんなことを考えていた城崎の耳に、荒い呼吸音が聞こえた。心春のものだ。心春は過呼吸状態ながらも真っ直ぐにこちらを見据え、銃を構え続けている。心なしか手の震えも、徐々に収まってきているように見えた。瞳の中も、迷いの色が薄れている。心春は本気で、城崎たちを撃つつもりのようだ。

「晴信さん……私の隣に、一生いてくれるよね」

「ああ、ずっと一緒だよ」

 心春の手の震えが、止まった。ゆっくりと城崎の心臓に向かって、標準を合わせる。後ろは確認しづらいが、城崎の心臓を打ち抜けば、おそらくはそのまま優菜にも弾が届くだろう。拳銃には、残り一発しか弾が残っていない。

 この一発で、確実に二人とも仕留める。

 そんな気概が、覚悟の決まった目や震えの止まったて、そして全身からあふれ出していた。

「ごめんね、城崎さん。優菜さん。私たちの幸せな未来のために、死んで」

「駄目だ、俺はここから全員生きて出ることを諦めない」

「そんなの、無理だよ。それに……私は晴信さんが生きていてくれれば、それでいい」

 そう言うと心春は、引き金を一気に引き切った。しかしその瞬間、後ろから何者かに蹴り飛ばされ、心春は前のめりに倒れた。その反動で銃口は明後日の方を向き、城崎たちがいる場所よりはるかに手前の床に着弾することとなった。

「あんたら、もうその辺にしとけ。城崎の勇気が、その後ろにいる優菜さんの絶望が、あんたらには分からないのか」

 心春のことを背後から蹴った旭が、少し感情的になりながら言った。旭の見せた、初めての感情だった。

「偉そうなこと言わないでよ。あなたたちは自分で何も行動してないじゃない。全部私に押しつけて、失敗したら全部私のせいにするんでしょう。もう嫌、あなたたちみたいな善人ぶった奴に利用されるのは、もう嫌なのよ」

「あんたに何があったかは知らないけど、今のあんたは何も変わらない。そこにいる善人ぶったあんたの旦那に、利用されているだけだ」

「違う、晴信さんはそんな人じゃない。私のことを守ってくれる人なんだ」

「じゃあなんであいつは、あんたの代わりに銃を撃たない。全部あんたに任せるんだ。本当に人を守るって言うのは、汚れ役を買って出ることじゃないのか。あそこにいる城崎みたいに、本当に死ぬかもしれない状況でも身を挺することじゃないのか」

 旭がそう言うと心春は、優菜を抱きしめながら優しい言葉を投げかけ続ける城崎の方を一瞥してから、崩れ落ちて泣いた。その大きな泣き声は、先ほどの銃声と負けず劣らず、山荘中に響き渡った。

 心春が泣き崩れると、旭の後ろにいた美香と旭を羽交い絞めにしていた厚美は、それぞれ城崎たちの方に駆けよった。

「連、大丈夫?」

「城崎、怪我はないか。お前を疑うなんて、俺はどうかしてたよ。悪かった、悪かった」

 二人の言葉を聞いて、城崎は思わず口角が上がった。あの壁のメッセージを見た時はどうなることかと思ったが、こうして、むしろ全員の結束が強まる結果となった。それと同時に、晴信の恐ろしい本性も知ることができた。城崎は晴信が自分と同じ考えを持って行動していると思っていたが、どうやら違ったようだ。

 城崎は、旭の方に目を向けた。まだ新田夫妻の前に立ち、微動だにしていなかった。少し離れているが、旭が晴信に話しかけている声がはっきりと聞こえた。

「それから、旦那さんの方にも言っておかないといけないことがある」

「お説教なら、聞く気はありませんよ。私たち夫婦の愛の形について、あなた方にとやかく言われる筋合いはありませんから」

 晴信はそう言うと、しゃがんで心春の両肩を抱いた。はっきりとは聞こえないが、耳元で何か優しい言葉をかけているようだ。晴信は、まだ心春を利用することを諦めていないらしい。旭はそんな様子を見て、大きな溜息をついた後に、晴信に向かって鼻で笑った。それを聞いた晴信は再び立ち上がり、旭と対峙した。

「随分と失礼なお方ですね。そういえばあなたは、フリーライターでしたっけ。やはり、世間一般からと呼ばれるだけあって、素晴らしい人間性を持ち合わせておられるようだ。僕も、少し見習った方がいいのかな」

 皮肉たっぷりのその言い方に旭は頬を引きつらせた後、同じく皮肉たっぷりの言い方で返答した。

「お褒めの言葉、ありがとうございます。でも、あなた様の人間性には到底及びませんよ。私には口説き落とした女性を自分の都合のいいように洗脳し、自分のためには人殺しまで厭わなくさせるなんてこと、とてもできませんから」

「そうですか。まだまだ甘いお方ですね。頭の中がお花畑のようだ」

「頭の中がお花畑、ですか。その言葉、そっくりそのまま返しますよ」

 旭がそう言うと、晴信は見るからに不機嫌になり、怒鳴り声をあげた。

「こんな状況で何も行動を起こさないお前たちの方が、よっぽどおかしいんだよ」

「それは確かにそうかもしれない。が、焦って動いたところで結果は伴わない。現に、あんたは今自分で墓穴を掘った」

「……何が言いたい」

 晴信の勢いが少しだけ収まると、旭は壁のメッセージを指で指し示した。

「あんたはあのメッセージを見て、殺人人工知能が書いたものだと思い込んだ。でも、あれが人工知能の書いたものだという証拠はどこにもない。人間が書いた可能性だってある」

「ふん、人間が書いた可能性だと。人間があんなものを書いて、一体何のメリットがあるというんだ」

「忘れたのか、最初に近衛の言っていた実験終了の条件。その中には、人間として最後の生き残りになることが含まれていた。つまり、このメッセージで錯乱した人間同士が殺しあう時にうまく逃げられれば、自分が生き残れるってわけだ。丁度、今のあんたみたいにな」

「なるほどな、なら簡単だ。これを書いた犯人は城崎だ」

「馬鹿かあんたは。メッセージで名指しされてる人間なんて、真っ先に疑われるに決まっているだろう。現にあんたも、城崎を撃つことに抵抗が無かった。違うか」

 晴信は閉口した。

「もし僕の言っていることが正しいとしたら、あんたは自ら人工知能に悪人としての本性を晒したということだ。この中で次に死ぬのは、間違いなくあんただ。明日を生き延びれば何とかなったのに、残念だったな」

 旭が続けたその言葉を聞いて、晴信は心春の両脇に手をねじ込んで無理やり立ち上がらせた。しかし心春は泣いたままで全員の力が抜けているのか、晴信が何度立たせようとしても自立することはなかった。

「おい、心春。聞いてただろ。僕はこのままじゃ殺されてしまうらしい。その前に、僕が死ぬ前にこの実験を終わらせよう。さあ、まずは僕の部屋に行こう。入り口を入ってすぐのところに、まだ拳銃が置かれたままのはずだ。あの銃を置いてくれた人は親切だったんだな。ドアのすぐ前なんて分かりやすい所に置いてくれてさ。さあ、それを使って、今度こそ邪魔者を始末しよう。僕が殺される前に、今すぐにだ。でないと、僕たちの幸せな未来が閉ざされてしまう」

 晴信はそう訴えたが、心春は座り込んだまま首を横に振り、立ち上がろうとすらしなかった。心春の初めての抵抗。晴信の顔はどんどん険しくなる。口調や語尾も荒く、こめられる力もどんどん強くなっていく。

「おい、僕が死んでもいいのか。なあ、おいって。何とか言えよ」

 晴信は業を煮やし、心春のことを殴りつけた。心春は力なく床に倒れ、微動だにしない。そんな無抵抗の心春に、晴信は手を上げ続けた。

「お前みたいな生きてる価値のないカスを、嫁にもらっただけ、有難いと思えよ。お前は、俺の言う事を聞く以外生きている意味が無いんだ。動け、俺の言う事に首を縦に振れ。俺をこれ以上イライラさせるな」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私なんかが晴信さんに逆らってごめんなさい。自分の考えなんて言ってごめんなさい。全部言う通りにします。しますから、もう止めてください」

 心春は背中を丸めて防御姿勢を取り、ガタガタと震えながら、小さな声でごめんなさいと繰り返すばかりだった。

「だったら早く立て! 行くぞ」

 晴信に引きずられる形で、心春は部屋を後にした。

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