第13話
この山荘のリビングは、実によくできた造りだ。外に日が出ていれば明るく、日が沈めば暗くなる。しかし、室温はその逆だ。日が出ている間は涼しく、日が沈めば暖かくなる。常に快適な温度が保たれ続けるのだ。
だが、今の城崎にとって、このリビングはとてつもなく居心地の悪いものだった。突然の告白。今目の前にいる美香は、自分が人工知能であることを自白した。そして、人工知能はもう一人いると、そう言ったのだ。
すでに外には日が昇っているはずなのに、城崎の目の前は真っ暗だった。体も異常な熱を持ち、今にも燃え上がりそうだ。
「あの、美香さん。僕の頭から煙とか出てませんよね」
「ええ、大丈夫です。え、まさか城崎さんがもう一人の人工知能ですか。いや、ひょっとして山荘の中には人間の方が少ないってパターンですか」
「そういう意味じゃありません。俺は人間です……多分」
目の前にいる美香は、どこからどう見ても人間にしか見えない。確かに口調が不自然に変化したり、すぐに人の言動をまねするような傾向はみられた。しかし、普通の人間でもそういった行動をとるものは存在する。いやむしろ、他人の真似をして流行に流される人間の方が、現代は多数派だろう。
そんな人間として普通の振る舞いができる美香が人工知能だとすると、途端に自分が本当に人間なのか疑問が湧いてきた。本当は自分自身で気付けていないだけで、自分は人工知能だという可能性はないだろうか。
誰かに作られ、過去の思い出を入れられ、都合のいい時だけ作った人間の言う通りに行動するようプログラムされているとしたら……それがあの無意識に行動していた時だとしたら。それが自分の呪うべき悪い癖ではなく、誰かに仕組まれたものだとしたら。
城崎の中で、ドンドン自分に対する疑念が増幅されていく。
俺は、本当に人間なのか?
答えの出ない問いに答えを求め、城崎は美香から情報を聞き出そうとする。そうして行動するうちは、その問いを考えなくて済んだから。
「美香さんは、どうして自分が人工知能だと知ってるんですか」
「製作者に教えて頂いたので」
「製作者のことを知ってるんですか」
思わぬ答え。城崎は目を大きく見開き、声の振動で窓ガラスが割れまいかと心配したくなるほど声を張り上げてしまった。美香は椅子を持ち上げて一歩分ほど下がって城崎に睨みを利かし、数十秒ほど耳を手で塞いでから続きを話し始めた。
「はい。彼は私に今回の実験のことを話し、協力するように言いました。市役所で皆さんが実験協力者に名乗り出た時、市役所内の防犯カメラで皆さんのことを見ていたんです。だから、私は皆さんのことを最初から知っていましたよ」
あっけらかんとした態度で言う美香。城崎は開いた口が塞がらない。実験が始まる前から、自分は既にモニタリングされていたのだと知り、背筋が凍るような想いだ。
「それで、その製作者ってやつはどんな奴なんだ」
「ごめんなさい、それについては詳しいことは言えない。それに、私の中にある彼の情報はほとんどが削除されてしまっている。ただ、私が自分の作った人工知能だと話していたことだけはよく覚えている」
美香の少し含みのある言い方が城崎は気になったが、これ以上そこを追求しても美香が口を割りそうだとは思えなかったので、別の話題に移ることにした。
「美香さんの仕組みについて、教えて頂けますか。どのようにして自律思考やコミュニケーションを可能にしているんですか」
「私も完璧には分かっていないと思うけど、要するに私は、自分自身でプログラムのコードを書き換えることができるようになっている。周囲の人間の反応をフィードバックとして、うまく環境に馴染めるようにコードを書き換える。それが、自律思考と呼ばれるものの正体。コミュニケーションに関しては、チャットでやり取りすることができることはもう知っているでしょ。後は自分の中に参考となる人の話し方の音声データ何人か入れて、その合成音声で音を出す。その時々によって話し方が違うのは、私のチューニングがうまくいっていない時があるから」
美香の話を聞いて、城崎は少しガッカリした。最新の人工知能などと銘打たれていたからどれほどの技術かと思ったが、自分が知っている技術の応用でしかなかった。もちろん応用方法を考えることもすごいことなのだが、どうせならもっと新しい技術を見て見たかったと心の底から思った。
「それで、もう一人の人工知能がいるという根拠は」
「それは簡単。あなたもすぐに理解できるわ」
「じゃあ、早く教えてくれませんかね」
「私は、誰も殺していないから。だから、この山荘の中で人を殺した人工知能がいる。私一人を作るのに五十億円くらいかかったらしいから、量産されているとはとても思えない。だから、もう一人の人工知能がいると考えるのが自然」
「論理的で無駄がない。さすが、人工知能だ」
城崎が感心したように大きく頷くと、美香はそれにも負けないほど大きく首を横に振った。三歳くらいの女の子が駄々をこね、自分の好きなおもちゃを買うときに見せるような、オーバーな体の動きだった。
「そんな風に言わないで。私は私、三澄美香よ。あなたなら、きっと私のことを一人の人格者として扱ってくれると思ったから、こうして話したの。人工知能として扱わないで。私だって、好きでなったわけじゃないんだから」
「わ、わるかったよ」
美香の美しい顔に線を描く、一筋の涙。多種多様な輝きを放ちながら流れ降りるその様は、どんな芸術家たちの作った作品にも負けない美しさがあるように思えた。
城崎はその美しさに感動を覚えるとともに、恐怖を感じていた。美しい。確かに、この世のものとは思えないほどに美しい。だが、それも誰かの作ったプログラムなのだ。まだ姿の見えない人間に、今自分の心は操られているのだ。まるでその人物から、こういうのが好きなんだろうとあざ笑われているようだった。
そしてその心をコントロールされている感覚によって、城崎の中にまた自分を疑う疑念が起こる。本当に自分は人間なのか。答えは、まだ出ない。
その時、西棟の方から悲鳴が轟いてきた。城崎には、それが優菜の声だとすぐに分かった。
自分への疑念や美香に訊くべき質問などは一度頭の隅に置き、城崎はすぐさまリビングを飛び出した。次いで、美香も飛び出す。
階段を上がる度廊下を覗き込みながら進み、西棟三階の恵子の部屋の前に新見夫妻の姿を確認した。城崎と美香が互いの顔を見合ってからその方向に進もうとした時、階段の方から、後を追って飛び出したであろう旭と厚美が合流した。
四人は恵子の部屋の前、新見夫妻の後ろに並んだ。
「なにかあったんですか」
旭が新見夫妻の後姿に尋ねると、晴信がゆっくりと手を上げて部屋の壁を指さした。四人も、それに合わせて視線を動かす。
「伏見くんの時と同じ……」
恵子の部屋の壁には、伏見が死んだ時と同じように赤い文字が書かれていた。でも、そのメッセージ内容は異なっていた。そこには、こう書かれていたのだ。
私には、全員の秘密が見えている。
人工知能の私にとっては、貴様らのスマホにアクセスすることなど簡単なことだ。
この山荘の中で生き残ることのできる人間は、城崎連。彼一人だ。
その他のものは皆悪人、私に始末されることになるだろう。震えて、眠れ。
悪人に、明日など必要ないのだから。
城崎はメッセージを読み終わると、部屋の中を見回すように視線を動かした。恵子の遺体はまだ回収されておらず、電池のなくなったスマホも部屋の隅に転がったままだ。壁の文字以外、部屋の中で昨夜と特に変わった様子は無い。つまり、何者かがこのメッセージを書くためだけに再びこの部屋に侵入したということだ。
そんな風に考えながら俯くと、城崎の視界に床にへたり込んだ優菜の姿が映った。どうやらこのメッセージの第一発見者で、その内容に驚いて腰を抜かしてしまったようだ。怯えたような潤んだ目で、こちらを見ている。
……いや、全員から見られている。
部屋の中を観察するのに夢中になっていた城崎は、その場にいる全員から向けられる熱い視線にようやく気付いた。
「あの、なんでしょうか」
「それはこっちのセリフだ。どういうことだ。なぜお前だけ死なないと書かれているんだ」
「そんなこと言われても、俺にもなにがなんだか」
旭の質問に城崎が反論すると、城崎の眼前に厚美のその怖い顔が迫った。
「おい、城崎。てめえ、俺からの信頼を裏切るつもりか。知っていることがあるなら全部話せ。今、ここでだ。俺を失望させてくれるなよ」
「厚美さんまで……僕にはなんだか分かりません」
城崎がとぼけていると感じたのか、厚美が眉間にしわを寄せながら城崎に手を伸ばした。強引な手を使ってでも、知っていることをすべて話させる気だろう。
城崎が覚悟を決めて両目を瞑ると、厚美の手が城崎に触れた丁度のタイミングで、心春が大きな笑い声をあげた。厚美は呆気にとられ、目を丸くしながら心春をかえりみた。城崎も厚美の手が伸びてこないことを不思議に思い、目を開けた。
「城崎さん、あなたは誤魔化すのが下手ですね。私には、もう全部分かりましたよ」
「心春さん? いったい何を言って――」
「黙れ! お前がこの実験の主催者なんでしょ。だから人工知能に命を狙われないし、それを壊そうとする私も止める。そう、つまりこうすればいいのよ」
そう言うと心春は、懐から取り出した拳銃を優菜に向けた。
「心春さん、なにしてるんですか。今すぐその銃を下ろしてください」
「ほら、私に我が子のように大切に思う愛しの人工知能ちゃんを殺されるのが嫌なんでしょう。でも残念、今からこの子はさようなら。ジ・エンドです」
心春の拳銃を持つ手に、力が籠められる。優菜は腰が抜けたままなのか、銃口の方を怯えた目で見るばかりで、身動き一つ取らない。城崎は体で止めようとしたが、心春から、動いたら撃ち殺すと言って制止された。
「クソっ。晴信さん、心春さんを止めてください。あなたしか心春さんの暴走を止めることはできないんです。ここで引き金を引けば、心春さんは一生後悔しますよ」
「どうして止めなければいけないんだ。撃ちたいなら、撃てばいいじゃないか」
晴信からの思いがけない返答に、城崎は頭の中が真っ白になった。これまでの晴信とは別人のような、冷たく感情のこもらない声が頭の中で木霊する。木霊するたび、城崎の心に、絶望を深く深く植え付ける。だが、城崎はまだ諦めなかった。
「なに言ってるんですか。心春さんが殺人犯になっても構わないんですか」
「構わないよ。こいつは僕のためだけに働き、僕のためだけに生きる。僕だけが使える操り人形だからね」
「一体どうしちゃったんですか。生きるのを諦めるにはまだ早いですよ」
「生きるのを諦めたわけじゃない、良い人を演じることを諦めたんだ。この五日間だけ妻想いのいい夫を演じれば生きてこの山荘を出られると思ったが、スマホを覗かれたのなら話は別だ。奴は既に俺の本性が分かっている。なら、殺される前に殺すしかない」
晴信は、心春が拳銃を握る手を上から覆うように握った。そして耳元に顔を持っていき、小さく囁いた。
「これは、殺人じゃない。僕たちの未来のために必要なんだ。ここを出たらあの家に住んで、子どもを作って、三人で幸せな家庭を作ろう。ここで死んでしまったら、我が子に合わせる顔が無くなっちゃうよ。幸せな未来を、一緒に勝ち取ろう……さあ、撃って」
そう言うと、晴信は手を離した。仮に優菜が人間で殺人罪が適用されることになったとしても、心春の単独犯ということにして自分は逃げおおせるつもりのようだ。
城崎は唇を噛み締めながら新見夫妻の間を抜け、優菜を抱えて走り出した。と言っても部屋の入り口は新見夫妻に塞がれているので、部屋の隅に移動して二人と最大限距離を開けることしかできなかった。
「ほら、どうしたの心春。あいつらは僕たちの幸せな未来を壊す邪魔者なんだよ。早く殺さないと、皆悲しむんだよ」
「でも、でも、あいつが本当にそうかなんて分からないし」
「分からなくてもいい。人間は間違えてもいいんだ。間違えたら、またやり直せばいい。人間、人生の最後には何もしなかったことを後悔するらしいよ。ここであいつらを撃たなかったら、心春は一生後悔することになるんじゃないかな。あそこであいつらを撃ち殺していれば、私は今頃幸せな家庭の真ん中にいたはずだ。私は自分が生きている意味を見つけられたはずだって。後悔してからじゃ、遅いんだよ」
晴信が話し終えると、一発の銃声が山荘に轟いた。
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