第12話
四日目、朝。目覚めた城崎がリビングに降りたが、そこには誰の姿もなかった。城崎はダイニングテーブルに一人で座り、目を瞑って、昨日恵子の部屋に突入した後のことを思い出していた。
部屋のドアを破って入った後、旭が恵子の死を確認した時に膝から崩れて泣き出した新見心春は、取り乱したように叫びながら優菜を閉じ込めた部屋に向かった。優菜の部屋は、恵子の部屋の二つ左隣だった。
心春が激しくドアをノックして叫び声をあげたことで、優菜は困惑しながらもドアを開錠した。心春はすぐさま部屋の中に入り、ズボンのポケットにしまっていた人工知能抹殺用に配布された拳銃を優菜の額に突き付けた。
「あんたが、あんたがまた殺したんだろ」
「な、なに言ってるんですか。私は皆さんに言われて、ずっとこの部屋の中にいたじゃないですか。それはあなたたちご夫婦が一番よく知っていることでしょう」
「黙れ! あんただけ単独行動だった。つまり、あんただけが恵子さんを殺せる状況だった。つまりあんたが犯人、人の皮を被った殺人人工知能ってことよ」
「言っていることが無茶苦茶じゃないですか。その状況作り出したのは、他ならぬ心春さんじゃないですか」
「うるさい! 人間もどきが私の名前を呼ぶな」
心春の拳銃を持つ左手に、力が込められていく。一触即発。心春がいつ発砲してもおかしくない状況だった。そんな状況に待ったをかけたのは、夫の晴信であった。晴信は心春の左手にそっと手を添え、耳元で大丈夫と呟きながら、ゆっくりと左手を下ろさせた。
「晴信さん、どうして。どうしてこんなやつのこと助けるの。こいつは、もう三人も殺してるのに。私たちも、いつ殺されるか分からないのに」
心春が涙ながらに訴えると、晴信は優しい口調で諭すように答えた。
「心春、落ち着いて。優菜さんがこの部屋から出ていないことは、見張りについた全員が証明している。窓が無いから、正面のドア以外この部屋から出ることは不可能なんだ。優菜さんに、恵子さんを殺すことはできない」
「じゃあ、それ以外の人たちが犯人ってこと? でも、皆リビングにいたんでしょ」
心春の目線が、リビングにいた四人の方に向く。誰一人として言葉は発しなかったが、皆一様に頷いた。心春はそれを見て、再び大声をあげて取り乱した。
「じゃあ、誰なのよ。皆みんな、誰も恵子さんを殺せた人間なんていないじゃない」
恵子の心からの悲痛な叫びは、全員共通の大きな問題を提起した。人間には不可能と思われる犯行。この状況のみ見れば、この山荘にいる人工知能は直接手を触れることができない状況でも人を殺すことができると考えられる。
もう、人工知能を見つけて閉じ込めることで全員が生き残るという、城崎の望んだ平和的な解決方法が実現することはなくなった。
「とにかく、これでますます単独行動は危険になりました。全員で固まって動きましょう」
城崎がそう提案すると、心春が大きく首を横に振った。それを見た厚美が心春に理由を尋ねると、心春は消え入るような小さな声で答えた。
「今回の恵子さんの件で、人工知能が直接手を触れなくても人を殺せるって分かった。もう、信じられないよ。こうしてあなたたちと話している間にも、ひょっとしたら誰かが私のことを殺そうとしているかもしれない。私に同情の目を向けながら、平気で殺す人工知能がこの中にいるかもしれない。そんな人たちと一緒にいるなんて、無理だよ。また、またこれだ。もう、晴信さんしか信じられない」
心春の悲痛な声は、全員の胸の中に大きな遺恨を残した。確かに恵子の殺害方法が明らかにならない限り、先ほどまで談笑していた人間が、その談笑の最中に笑いながら平気で人を殺していた可能性を否定することはできないのだ。
恵子が死んだことで優菜が一番に疑われる状況は回避されたが、それは閉じ込めておくことで安心できる人物がいなくなっただけの話であった。三名の死者が出た現在、全員が容疑者へと戻ったのだ。
「妻の言う事にも、一理あります。私は妻と一緒に部屋に戻りますので、皆さんはご自由にされてください。では、これで」
晴信が紳士的にそう言うと、新田夫妻は優菜の部屋を後にした。
部屋に残された五人はしばらく黙り込んでいたが、やがて旭が恵子の部屋に行くことを提案した。まだ人間の犯行の可能性だって捨てきれないのだから、詳しく調べるべきだと言ったのだ。城崎と美香はそれに賛成したが、厚美と優菜は拒否した。
「厚美さん、どうして」
「城崎、お前のことは信用しているが、他の奴らは話が別だ。こうなっちまった以上、尚更信用なんてできねえよ」
厚美は腰に手を当て、斜め下を向きながら言った。やりきれない思いが、その仕草から読み取れた。
「優菜ちゃんはどうして」
「ごめんなさい。今はなにが何か分からないから、少し休みたいです」
そうして厚美と優菜はそれぞれ自分の部屋に鍵をかけて過ごし、城崎と旭と美香の三人が恵子の部屋を訪れることになった。
城崎は真っ先に恵子の遺体に駆け寄り、手を合わせてから再度脈を測る。当然、脈は触れない。次に首元を観察する。ジョンの時と同じ位置に、針が刺さったような跡がある。それを見た城崎は、頭を抱えた。
「お前、日を追うごとに頭を抱える回数が増えてきたな。どうしたんだ」
「ジョンさんの時と同じ跡が、恵子さんにも残っている」
「じゃあ、こいつも渡り廊下から外に放り出されて殺されたのか」
「いや、今回の状況でそんなことしたら、見張りの誰かが気付くことは間違いない。それに、ジョンさんの時と同じ問題もある。俺たちは全員、リビングにいたんだからな」
「じゃあ、どういうことだ」
「答えは、一つしかない――」
城崎はそこまで言って立ち上がり、旭と美香の顔を見回してからゆっくりと言葉の続きを話した。
「――この山荘にいる人工知能は、この首輪を自由に作動させることができる。警告音を発させることも、直接手を触れることが無くても、だ」
城崎のその言葉に、旭と美香は絶望した。山荘の外に出なくとも、誰とも会わずとも、この首輪によって自分が命を奪われる可能性は無くならないのだ。
自分で言ったことながら、城崎も絶望した。涙が流れそうになったので、俯いて誤魔化した。その時、部屋の隅に転がっているスマートフォンの存在に気付いた。恵子のものらしい。どうやら外に居る新田夫妻が聞いた大きな音というのは、恵子がこれを落とした時のもののようだ。
近づいて手に取ってみると、画面にはあられもない姿の伏見が映っていた。一糸まとわぬ姿で局部を手で隠している。泣きながらカメラを睨みつけている写真まである。恵子の言った性被害の告発は、嘘だったのだ。それどころか、実際は正反対のことが起こっていたのだ。
「恵子さんが悪人判定された理由は、これで間違いなさそうだな」
そんなことを思い返していると、背後から声をかけられた。
「入り口で止まるな、邪魔だ」
城崎が振り返ると、そこには旭が立っていた。城崎は場繋ぎ的な謝罪で取り繕った後、リビングに入って台所の方へ進んだ。
「朝御飯でも食べるのか?」
旭はダイニングテーブルに座り、城崎の方には目もくれずに言った。
「ま、まあね。腹が減っては戦はできぬともいうし」
「よく食えるな。殺人鬼が何人いるかも分からないこの状況で、全員が手を触れることのできる食べ物なんて。毒物仕込み放題だぞ」
「そういう言い方、止めろよ。それに食べなかったら、生き残れないかもしれないし」
「実験期間は、明日で終了する。それに殺人人工知能を見つけて壊せば、その時点でここから解放される。話は簡単だ」
旭のその言葉に、城崎は冷蔵庫を漁る手を止めた。そして冷蔵庫の扉を閉め、旭の方を振り返ることなく、そのまま閉まった冷蔵庫の扉を見つめて話し始めた。
「自分で考えて動く人工知能を壊すのは、人間を殺すこととなにが違うんだろうね。俺には、それが分からない。こんな状況でも、人工知能を含めて誰も死なないでほしいと思っている。俺って、頭おかしいのかな」
城崎の思いがけない発言に驚き、旭は城崎の方を見た。城崎は相も変わらず冷蔵庫の方を向いているが、冷蔵庫の扉は鏡面のようになっているので、涙を流して唇を噛み締めている城崎の顔が朧気に写っていた。
旭は正面に向き直り、城崎の疑問に答える。
「お前の考えを否定するつもりはない。でも、楽観的すぎるとは思う。お前の推理が正しければ、敵は人工知能だけじゃないかもしれないんだ。その犯人だって分からないのに、ここにいる日数をいたずらに伸ばすのは得策じゃない。人工知能を壊す以外、残った全員がハッピーエンドを迎えることはできないんだ」
「でも、俺にはそんなことできない」
「何故だ。相手は人工知能だし、少なくとも一人は確実に殺している悪党だ。その上、そいつを殺せば人間は全員助かる。殺すことを躊躇う理由がどこにある」
旭がそう言うと、城崎は目元を何度か拭ってから旭の方へ振り返った。物音でそれに気付いた旭も、城崎の方へ体ごと向け、二人は相対する形となった。
「悪党だから殺してもいいって言うのなら、この中にいる人工知能と同じ考えだ。俺たちは人間だ。悪党であろうとなかろうと、人間であろうとなかろうと、命を奪うのはいけないことだと叫び続けなければいけない。何かを殺すなんて、絶対あってはならないんだ」
城崎の力強い言葉は、旭を閉口させるのに十分だった。
「俺は、これ以上誰も死なせずにここから出る。人工知能も含めた全員で、ここから生きて出てみせる。そのために、俺は人工知能を見つける。殺すためじゃない」
「……それが、お前の出した答えか。まあ、頑張れよ」
旭はそう言ってダイニングテーブルから立ち上がり、廊下の方へと歩きだした。しかし、廊下に出る直前に足を止めた。
「お前が、この実験に参加してくれていて良かった」
そう言い残して、旭は廊下に出た。
廊下に出ると、タイミングを逸してリビングに入りそびれている美香の姿があった。美香は俯き加減で肩を震わせていたが、旭は何も言うことなくその脇を抜けていった。
城崎はダイニングテーブルに一人座り、ペットボトルの水を飲んでいた。旭に言われたことで、食べ物を食う気が失せたからだ。そうしてゆったりとした時間を過ごそうとしたところ、入り口の壁から美香が飛び出し来た。城崎は少し驚いたものの、何とか口の中で暴れる水の動きを沈め、飲み込んでから挨拶をした。
「あ、美香さん。おはようございます」
「……城崎さん、私はあなたを信用していいんでしょうか」
「どうしたんですか、いきなり」
「人を信頼するなんて、私らしくない。そんなことをしたことがない私には、どうやって信頼できる人を決めたらいいのか分からないんです」
美香は城崎と距離を取ったまま、俯き加減で話していた。城崎にとっては初めて見る、美香の自信が無さそうな態度だった。城崎はペットボトルのふたを閉め、机の上に叩きつけるように置いた。大きな音が鳴ったことで、美香は体を飛び上がらせながら城崎に目線を送った。
「今の俺の行動を見て、どう思いましたか」
「ごめんなさい、怒らせてしまったようね。まあ、突然あなたのことを信頼していいのかなんて訊くのは、今はあなたのことを信頼してないって意味になるから、失礼だったわね。ごめんなさい、全部忘れて」
美香が城崎に背を向けると、背中から人を小ばかにしたような笑い声が聞こえてきた。美香は少しムッとして振り返り、城崎のことをこれでもかというほど睨みつけた。城崎は白々しく首を左右に振り、笑いを堪えながら話した。
「よく分かっているじゃないですか。なら、信頼する人を決めるなんて簡単だ」
「へえ、人が真剣にした相談を小ばかにするような人だったんだ。あなたのこと勘違いしてたみたい。そんな人のこと、信用できるわけないね」
「ほら、自分で決められたじゃないですか。それでいいんですよ。人は直感を馬鹿にして、論理的に考えることばかりもてはやすけど、直感で決めたほうがいいこともあるんです。美香さんが俺のことを信頼できないと思うなら、それでいいんです。俺は、美香さんの決断を尊重します」
そう言って、城崎は乾杯でもするかのようにペットボトルを美香の方に揺れ動かした。
それを見た美香の中に、感じたことのない感情が芽生えた。心が揺れ動く。これが、人を信頼するということなのだろうか。美香の頭の中は、普段の理路整然としたものとは正反対の混迷さを極めていた。
自分が今しようとしていることは、ほとんどの確率で間違ったことであることは明白である。でも何故か、何故か今目の前にいるこの男なら、話してもいいような気がする。この男なら、信頼してもいいような気がする。非合理的。どうかしているとしか言いようがない考えだけど、もう自分を止めることはできない。
「城崎さん、私はあなたがこの実験を、悲劇を止めてくれると信じて重要なことを話します。この実験の核心に迫るかもしれない、重要な話です。あなたは、それを聞く覚悟がありますか」
「急にどうしたんですか」
「覚悟があるかと聞いています」
「……ある。俺は、この山荘から全員生きて脱出させる。たとえ相手が、人間じゃなくても」
城崎の言葉を聞き届けてから、美香は城崎の隣の席へ座った。そして耳元に口を近づけ、優しく囁いた。
「この山荘には、人工知能が二人います」
「え、どういうこ――」
「声が大きいです、小さな声で。誰かに聞かれたら危険です」
城崎は、声を忍ばせた。
「どういうこと? なんでそう思うの」
「私の他に、伏見くんを殺した人工知能がいるはずだからです」
「なるほど、なるほど。つまり、美香さんは人工知能だということですね……え?」
城崎が美香の方を見ると、美香は笑顔で頷いている。
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