第11話
旭が立ち去った後のリビングには、落ち込んだままの城崎と状況が飲み込めない厚美だけが残った。厚美は気を遣って気さくに話しかけるが、城崎から反応はない。
「……なあ、あいつとなんかあったのか。それとも、愛しの優菜ってやつが閉じ込められてるからか。どっちだ」
無反応な城崎に話しかけ続けて十分ほど経った頃、いよいよ厚美が核心に迫る質問をした。城崎は少し動揺して肩を震わせたが、質問に答える余裕はなかった。
旭が最後に残した言葉。ジョンを殺した犯人が人間で、本当に一階から部屋まで運んだとしたら、犯人は厚美だというあの言葉。それは、城崎の中でもすでに辿り着いていた結論だった。それでも、いざ厚美のことを思い返してみると、とても人を殺して平気な人間であるようには見えない。現に、今目の前にいる厚美はこんなにも自分に気遣ってくれているではないか。伏見くんの死を本気で悲しんでいた厚美さんが、その後に自分が生き残るためだけにジョンさんを殺したりするだろうか。
城崎の中では、一番の容疑者として厚美を疑う感情と人のよさそうな厚美を信頼している感情が闘っていた。その決着はまだ見えない。
「どちらでも、ありません」
「お、やっと喋ったな。じゃあ、なんだ。伏見の部屋に投げ飛ばされたから、俺のことが怖いのか。だからそんなに気を落としてるのか」
「そんなことありませんよ」
「でもな、どれだけ気を落としても、お前は男としてやってはいけないことがある」
そう言うと厚美は、城崎の両こめかみを手で挟み込み、無理やり顔を持ち上げてその目を睨みつけた。そのあまりの覇気に、城崎の体は一瞬で硬直した。
一体何を言われるのか。ひょっとしたら、今から自分は殺されるのかもしれない。ジョンと同じように、今から渡り廊下の外に放り投げられ、泣き叫びながら近衛の言っていた新たな毒の被験者になるのかもしれない。そうなったら、守ると誓った優菜はどうなるのだろうか。いや、ひょっとしたら自分が知らないだけで、もう既に全員この世にはいないのかもしれない。自分が、最後のターゲットかもしれない。
厚美を疑う城崎の心は、そんな恐怖心を煽るような警告を頭の中に発し続けた。それと同時に、体格差から抵抗するだけ無駄だという考えも頭の中を駆け巡った。全身から力が抜ける。今から自分は、殺されるのだ。
城崎は覚悟し、目を閉じた。左右の耳に、厚美の渋い声が聞こえてくる。
「お前、浮気だけは絶対駄目だぞ」
「……はい?」
「だから、優菜って小娘が部屋に閉じ込められてるからって、あの美香って方に乗り換えようとしただろ。知ってんだぞ」
「何の話か全く分かりませんが」
「お前、俺たちが見張りに行ってるからって油断してただろ。でもな、西棟の廊下の窓から、お前と美香が渡り廊下で密会してたのは丸見えだったんだよ。ハイタッチだけならまだしも、抱きついたりなんかして。優菜ちゃんにも見せるべきだったか」
「抱きついてなんかいませんよ」
「その他のことは認めるんだな」
厚美の止めの一言を聞いて、城崎は自分が誘導尋問に引っかかったことに気付いた。否定する時に興奮して立ち上がった自分が恥ずかしくなって、顔を耳まで赤らめ、椅子に座って俯いた姿勢に戻った。
厚美はそんな城崎を見て、少し口角を上げながらも冷静に話を続ける。
「それで、本当はあの女となにしてたんだ」
「……それは言えません」
「本当に浮気だったのか」
「違いますよ! それに、優菜とだってまだ恋人関係になったわけでもありませんから。仮に美香さんと密会していたところで、浮気にはなりません」
「浮気だって認めたな」
「認めてませんよ」
城崎は厚美の方を向き直し、目を真っ直ぐ見つめながら否定した。それを見た厚美は、山荘中に響き渡りそうな豪快な笑い声をあげた。しばらく笑い続けた後、目元に溜まった涙を拭ってから、厚美は少し遠い目をして語り始めた。
「お前はいい奴だ。こんな状況になってしまったけど、お前だけは信用できる。その真っ直ぐで、単純で、嘘のつけないところがお前の良いところだな」
「馬鹿にしてるんですか」
「いいや、褒めてるんだ。人間、大人になってからもそんな純粋な心を持ち続けるのは難しい。俺は会社役員をしていたから特にかもしれないが、話す人みんなが俺の肩書や会社名ばかり見ていた。それに持ってこられる商談も、半分は詐欺まがいのものだ。いや、ひょっとしたらもっと多いかもしれない。そうやって人間の悪意に晒され続けると、なんとなく分かって来るんだ。本当に信頼するべき人間が誰なのか、な」
厚美は、城崎のことを見つめながら肩に手を置いた。城崎の方も、少しだけ表情が緩み、無意識の内に今の心境を吐露していた。
「厚美さん、この状況で誰にも死んでほしくないと思うのはおかしなことなんでしょうか」
「おかしくなんてないさ。皆そう思ってるよ」
「確かに、人間に誰も死んでほしくないという主張なら、きっとみんなも賛同してくれると思います。でも僕は、人工知能にも死んでほしくない」
初めて吐露された城崎の本音に、厚美は少し面食らった様子だったが、話を遮ることなく静かに頷いた。
「この山荘にいる人工知能が本当に自律思考できているなら、内部に埋め込まれたプログラムや計算式でなく自分で考えて動いているのなら、それは僕たち人間となにが違うのでしょうか。それを壊すことは、人間を殺すこととなにが違うんでしょうか。僕には、それが分からない」
城崎の目から、一筋の涙が零れ落ちた。厚美は城崎の肩に手を置いたまま、俯いて何も言わなかった。城崎の抱える疑問は、一朝一夕で答えを出せるほど簡単なものではなかった。
城崎が俯いて涙を流し、鼻を啜っていると、廊下に面するところから女性の声が聞こえた。城崎は優菜かと思って顔を上げたが、そこに立っていたのは伏見恵子だった。
「なにあんた、男の癖にそんな泣きじゃくってるんじゃないわよ。その汚い顔を私に見せないで、気分が悪いわ」
恵子が城崎に嫌味を言うと、厚美が眉間にしわを寄せながら恵子の方に振り返った。恵子は厚美の顔を見て怯み、声を震わせながら負け惜しみのように言う。
「あんたの顔は怖すぎるのよ。こっち見ないでくれる?」
そう言うと恵子は、二人の横を通り過ぎて冷蔵庫を漁り始めた。厚美と城崎の二人はしばらく恵子のことを静観していたが、恵子が作業を終えたらしいところで、平静を取り戻した城崎が優しく声をかけた。
「恵子さん、どうされたんですか」
「はあ。見て分からないかな、ぼくちゃん。お腹が空いたから、こうしてご飯を食べに来たのよ。あなたたちのことは知らないけど、私は昨日の夜ご飯すら食べてないのよ。丸一日何も食べなかったら、いくら私がスレンダーでもお腹が空くわよ」
「そうですか。まあ、僕たちも昨日の晩御飯以降は何も食べてませんが」
「ああ、部屋を出たところにいたカップルから聞いたわよ。あの……誰だっけ。外国人が死んだんでしょ。ま、ご愁傷様ということで」
恵子が適当に手を合わせて言うと、厚美が声を荒げて立ち上がった。
「このクソアマ! 人が死んだんだぞ。お前それでも血の通った人間か。それとも、逆恨みでお前がジョンを殺したのか。そりゃ自分で殺したんなら、哀れみの気持ちなんてこれっぽっちも持たないよな」
「なによ! 私が自分の部屋に閉じこもったのは、あんたたちが私の勇気ある告発を無視しようとしたからでしょう。性犯罪の被害者が声を上げることがどれほど苦しくて怖いことか、あんたらには分からないでしょうね」
「ああ、分かんねえな。そんな高尚な気持ちも、こんな若作りに必死なおばさんに発情した小僧の気持ちもな」
「それは今関係ないでしょ!」
二人は互いに声を張り上げながら、その醜く本筋のズレた応酬を続けた。城崎が宥めようとするが、ヒートアップした二人は全く聞く耳を持たない。それどころか、無理に二人の間に割って入ろうとした城崎に対して、先ほどまで優しく接していた厚美でさえ暴言を吐く始末であった。
そんな二人を見て城崎が頭を抱えていると、またリビングに新たな人影が入ってきた。旭と美香の二人である。突然のことに二人も状況を掴めなかったが、城崎に求められるままに厚美と恵子の間に入ってけんかを止めることになった。
その後もしばらくは小競り合いが続いたが、五分ほどして何とか落ち着いた。
「私があの外人を殺したと思っているのなら、それは大きな勘違いよ。私は皆の前かいなくなってから、一度も自分の部屋を出ていない」
「それを証明できる人は――」
「いるわけないでしょう! 今日起きたのは、朝の十時を回ってた頃よ。私は何も知らないし、知りたくもない。これ以上疑うのは止めて」
そう言い残し、恵子はリビングから出て行った。
その後で旭と美香が話して分かったことだが、どうやら恵子が部屋を出て真っ先に話したのはこの二人だったらしい。この二人からジョンが死んだことを聞かされた上にアリバイを尋ねられたことで、自分が疑われていると勘づいたらしい。だからこの部屋でジョンの話題が出た時、恵子はあんなにも苛立った様子を見せていたのだ。
「まあ、なんか悪いことしちゃったかもな」
厚美がそう呟いた時、廊下から誰かが慌てて走ってくる足音が聞こえてきた。その音のする方へリビングにいる全員が顔を向けると、新見心春が姿を現した。
「恵子さん、ここに来た?」
「ええ、少し前にここで何か食べてましたけど、どうかしましたか」
「晴信さんと見張りをしていたら、恵子さんが怒りながら部屋に戻ってきたの。その後すぐに中からものすごく大きな物音がして、部屋の外から声をかけても返事がないの。鍵も締まってるから、皆を集めてドアを破るしかないって、晴信さんが」
心春がそこまで言うと、厚美がリビングを飛び出した。それに旭、城崎、美香、心春の順で続く。先ほどまで元気に話していた人間が、大きな物音を立てた後、何の応答もしなくなった。それが何を意味するかは、その場にいる全員が理解していた。だが、信じたくはなかった。何故なら、この状況で恵子が殺されては、それは――。
「あ、皆さん。こちらです、こちらのドアを破りましょう。私が合図をしますから、全員同時に体当たりしましょう。いいですか、いきますよ。せ~の!」
破られたドアの向こう側には、床に無造作に倒れこんだ恵子がいた。その顔は、伏見ほどではないがとても安らかな顔をしている。旭が恵子に駆け寄り、手首に三本指をあてた後、しばらくしてから首を横に振った。
それを見た心春は、膝から崩れ落ちた。顔を両手で覆い、大きな声をあげて泣いている。それもそのはずである。心春にとっては一番の容疑者である優菜を部屋に閉じ込めたことで、もう誰も犠牲者が出ないと踏んでいたのだろうから。
その上この恵子の死は、混沌とした状況をより難解なものにした。
優菜は部屋の中に幽閉され、その前には新見夫妻が二人で見張りを行っていた。城崎と厚美、旭と美香については、四人でリビングにいた。誰も一人で行動したタイミングはほとんどなく、仮にあったとしても見張りのいる優菜の部屋の前を通らない限り、この恵子の部屋にはたどり着けない。
そう、これは完全なる不可能犯罪であった。
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