第10話
新たな証拠を見つけたことに美香と城崎が手を取り合って喜んでいると、そこに西棟の方からやってきた旭が合流した。旭は美香に見張りの交代時間であることを短く伝え、美香はすぐに西棟の方へ向かって行った。
「あんた、二人して何喜んでたんだ」
「あ、ああ。あそこを見てくれないか」
城崎は美香と発見した砂の痕跡の方を指さし、旭もそちらの方を向いたが、旭は首を傾げるばかりで特に言葉を発しなかった。
「ま、見るだけじゃ分からないか。あそこに何か着地したような跡と、何か引きずったような跡があるだろ。つまり、犯人は東棟からジョンさんを突き落とし、足を骨折させた。ジョンさんはその足で決死に戻ろうとしたが、健闘空しく首輪の餌食となった。これが、あの事件の真相だということだ」
城崎が砂地の跡を見ながらまで説明すると、その背後から溜息をつく声が聞こえてきた。当然、溜息の主は旭である。
「あんた、それ本気で言ってんのか」
「ああ、本気だ。これが俺と美香さんが協力して辿り着いた、ジョンさんの死の真相だ」
「……あんたに期待した俺が馬鹿だったようだな」
「え、なんで?」
城崎が間抜けな声でそう言うと、旭は先ほどよりもさらに大きくわざとらしい溜息をつき、城崎に哀れみの目を向けた。
「犯人は、東棟からジョンさんを突き落とした。その後首輪の犠牲になったジョンさんを担ぎ、部屋まで運んだ。そう言いたいんだな」
「ああ、そうだ」
「なんでそんな回りくどいことをする必要がある。突き落とした高さにもよるけど、普通それだけで終わりだろう」
旭が溜息交じりに言う。確かにその意見は真っ当だったが、城崎は鼻で笑って一蹴した。
「それは、犯人がジョンさんの死を見届けようとした時に、足を引きずって移動するジョンさんの姿が見えたからだよ。元からそういうプランではなかったんだろう。でも、落下して即死異だったら自殺や事故死の可能性があるけど、引きずって移動した後が残れば、誰かに殺されたと疑われる可能性がある。だから人工知能に罪を被せるため、急遽部屋まで運んだんだ。そんな力業、優菜には無理だ」
「警告音はどう説明する」
旭の冷たく放ったその一言に、城崎は今の今まで自分が忘れ去っていた前提を思い出した。
そう、山荘から外に出ようとすると、あの首輪はけたたましい警告音を発する。それは東棟の三階にいてもはっきりと聞こえるほどの音量で、比喩ではなく、山荘中に響き渡っていると言っていいだろう。
いくら寝ているとはいえ、この渡り廊下からほど近いリビングでその音を聞き逃すことがあるだろうか。いや、ない。少なくとも、誰も起きないというのは考えにくい。この謎の答えが出ない限り、真相が解明されたとは言えなかった。
城崎が肩を落としたその時、東棟の方からこの山荘にいる者ではないが、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あらあら、お二人様。こんなところで何をしているのですか」
振り返ると、そこにいたのは防護服姿の近衛だった。
「なにしに来た。誰も読んだ覚えは無いぞ」
旭が威嚇するように睨みつけながら言うと、近衛は両手を上げた。とても低い、人を馬鹿にしたような笑い声を防護服の中に反響させながら。
「なにが可笑しい」
「いやはや、私たちは呼ばれないと来ないと言った覚えはなかったので。まさか遊びに来ただけで怒られるとは思いませんでした。困りましたね……皆さんとは、仲良くしたいのですが」
「ふざけるな、貴様らと仲良くするなどありえない話だ。消えろ」
旭がそう言うと、近衛は手をひらひらとなびかせながら東棟に姿を消そうとした。だがその背中に城崎が呼びかけたことで、近衛はその歩みを止めた。
「ジョンさんの遺体を回収しに来たのか」
「ええ、察しが良くて助かります」
「伏見くんの時は電話してから来たのに、今回は電話する前から来たのか。なにか、急いで回収しなきゃいけない理由でもあるのか」
「そんなことはありません」
「そもそも、誰も連絡を取っていないなら、お前たちはどうしてジョンさんが亡くなったことを知っているんだ」
「それは……」
「言えないのか、なるほど。だが、お前たちがそれを知る方法など一つしかない。この山荘は隠しカメラか何かが仕掛けられていて、監視されている。まあ、そもそもこれはイカレた実験って体だから記録するのは当然か。そのカメラを目立たせないようにするため、濃い色が特徴のウォールナット材で出来たこの山荘を舞台に選んだ……いや、この実験のために新しく作ったのかな。だとしたら、カメラのレンズを肉眼で見つけるのはまず無理なんだろうね」
城崎が矢継ぎ早にそう言うと、近衛はしばらく城崎を見つめて黙り込んだ。呼吸が少し早くなっている。目も左右に泳いでいる。先ほどまでの余裕は消え失せ、近衛の目には緊張の色が走っていた。
「何のことを言っているのか、分かりませんね」
近衛はそう言うが、声が上ずっていた。城崎は何も答えず、防護服越しに近衛の目を見つめ続けた。
「……察しが良くて、困りますね」
苦し紛れに近衛が放った一言は、少し諦めの混ざった口調に聞こえた。
その隙を城崎は見逃さず、追及を続けた。
「俺たちと仲良くなりたいんだよな。じゃあ俺、いくつか気になっていることがあるから教えてもらってもいいか」
近衛は冷静な判断ができなくなっていたのか、二つ返事で了承した。
「回収された遺体はどうなるんだ。お前たちお抱えの医者がいる病院に運んで、死亡診断書を書かせるのか」
「我々は、しなくても構わない無駄なことはしません」
「じゃあ、どうするんだ」
「あなた方の死体がいくら一般人の手に渡ったところで、いくら不信に思われて解剖した人がいたとしたって、死因が明らかになることなんて無いんですよ」
近衛はそこで息を継ぎ、そこから人間とは思えない速度で話し始めた。
「いいですか。検死において毒物が使用されたかを調べるためには、これまでの既存の毒物と化学成分の一致するものが体内に残されているかを調べる必要があるのです。既存の毒物と一致するもの、この点が重要です。つまり、全く新たに生成された毒物をしようした殺人は、その死因を突き止めることなどできないということです。もちろん、生成せずに新たな毒物を発見することでも可能ですが、こちらはあまり現実的ではありません。一方で、新たな毒を生成することは簡単です。何故なら我々の手中には、最新鋭の自律思考型の人工知能がいるのです。こいつのコアプログラムに新たな毒物を作成するミッションを入れておけば、そいつは自らの意思で始めたと錯覚しながら、嬉々として人間の知らない未知の毒を作り始めるのです。皆さんの首に着いたそのおしゃれな首飾りには、もれなくその毒が付属されています。よかったですね、皆さんは最新の人工知能が作り出した未知の毒の、最初の被験者に選ばれたのですから」
近衛は途中から興奮したように声を上ずらせていた。城崎を黙らせるために一息で話したというよりは、興奮で息継ぎを忘れているかのように見えた。話し終えた時近衛は息を切らしていたが、まだ何か言葉を紡ごうとしているようで、途切れ途切れに単語を発していた。でも、そのどれも発音が不明瞭で聞き取ることができなかった。
「じゃあ、近衛さん。教えてくれ。その最新鋭の自律思考型人工知能とかいうやつは、この山荘の中でなんていう名を名乗っているんだ」
遂に城崎は、核心に迫る質問をした。息も絶え絶えといった様子の近衛は、更にその動揺を加速させた。呼吸がどんどん早くなる。
しばらくすると、近衛は防護服を脱ぎ捨てて、素顔をさらけ出した。
顔という数少ない見える部分にばかり集中していたため気付かなかったが、近衛はかなり恵まれた体格をしていた。身長は一八〇センチメートルを超えていそうで、肩幅も広い。そこから、すらりと長く白い両手が伸びている。足には筋肉がしっかりとついているが、上半身の発達した筋肉のせいで細く見えていた。
「それを知って、お前はどうする」
「そんなの決まっているだろ。皆がこれ以上苦しまないように、破壊するんだ」
「お前にそれができるのか? こんな状況になってもなお、誰のことも疑っていないお前に、人工知能とはいえ人間の見た目をした物を……銃で撃てるんですか?」
近衛の声に、初めて会った時の冷たさが蘇った。先ほどまで左右に泳いでいた目は城崎の目だけに焦点を合わせ、早まっていた呼吸は瞬時に元に戻り、近衛はあの時の余裕な態度を取り戻していた。動揺に付け込んで詮索することは、これ以上は難しいようだった。
「最後に、一つだけ聞かせてくれ」
「なんでしょうか」
「近衛、お前がこの実験で使われている自律思考型人工知能を作り出した人間なのか。それとも、お前も――」
「察しが良くて、助かります。人間と話すと疲れることの方が多いですが、あなたは他の人間よりまだましですね。私としても、あなたのような人と是非仲良くなりたいものです」
「……あいにく、俺は人間の友達しか募集してないんだ」
「それは残念です。是非、間口を広げることを検討してみてください。それでは」
そう言って、近衛は素顔のまま東棟の中へ消えていった。
城崎は興奮冷めやらない状態だったが、旭に促されてリビングに戻った。リビングに戻った旭は手慣れた手つきで豆を焙煎すると、すばやくコーヒーを淹れ、城崎の待つダイニングテーブルに持ってきた。
「なあ、砂糖どれだけ入れた?」
「なに言ってる、男は黙ってブラックだろ」
旭がそう言ってカップを口に運ぶと、城崎は安心してコーヒーを口に運んだ。
「なんで分かったんだ、近衛が人工知能だって。あんだけ早口で、噛まずに長台詞言ったからか? それとも口調がおかしいとか」
「防護服が曇らなかったんだ。落ち着いている時なら曇ることの方が少ないだろうが、あれだけ早い呼吸音だったのに、顔の前の透明なシート部分は一切曇らなかった。それで思ったんだ、こいつには体温という概念が存在しないんじゃないかってね。ま、俺たちが最初にイメージする、ロボットに人工知能が載っているタイプだろうから、この山荘にいる奴よりは古いタイプだろうけどな」
「なるほど」
しばらくの沈黙。コーヒーを啜る音だけが聞こえる。
「そう言えば話が途中になってたけど、お前はジョンさんの死因について本気で考えて、あの結論に至ったんだよな」
「ああ、ジョンさんは東棟から突き落とされて、足を骨折。身動き取れず首輪の餌食になった後、犯人によって部屋に運び込まれた。本気でそう思っている」
「じゃあ、犯人は誰だと思っているんだ」
旭のその言葉を聞いて、城崎は黙り込んだ。
「お前、本当は近衛に言われたこと、図星だったんじゃないか。お前はこんなとんでもない状況なのに、誰も疑っていない。いや、疑いたくないと思っている。違うか」
「……ああ、その通りだよ。お母さんや学校の先生に小さい頃に言われた、皆と仲良くしなさいって言葉に、今でも縛られてるんだよ。自分がどれだけ傷ついても、相手が喜んでいればそれでいい。俺は、いつもそんな風に考えちゃうんだよ。どうかしてるよな」
城崎が俯きながらそう言うと、旭はその肩を叩いた。
「素敵な考え方じゃないか、いいお母さんだったんだな。でも、この状況ではその考え方は捨てたほうがいい。今のお前がそう考えて行動したら、待っている結果は一つしかない」
そこまで言うと、旭は一度言葉を止めて城崎の肩を抱いて目線をあげさせ、その目を真っ直ぐ見つめながら続きを話した。
「死だ。お前に待っているのは、死だけだ。それでいいのか」
城崎は、答えることができなかった。
「いいか、お前が死を回避する方法はただ一つ。この山荘にいる人殺しを全員見つけること。人工知能も、ジョンさんを殺した人も全員だ。そしてそいつらを部屋に閉じ込めて、この地獄の実験期間を生き抜く。それ以外に方法はない」
尚も、城崎は無言のままだ。
「いいか、そろそろ見張り交代の時間だから、これが最後の忠告になるかもしれない。もしジョンさんの真相がお前の推理した通りなら、犯人は厚美さんだ。思い出せ。伏見君の遺体が見つかった時、厚美さんはお前を掴んで投げ飛ばしたんだ。それだけの力があれば、渡り廊下からジョンさんを担いで部屋に戻るなんてわけない。そうだろう」
旭は城崎の返答を待ったが、城崎は何も返答しなかった。
旭が更に言葉を紡いで城崎を元気づけようとしたその時、リビングと廊下に面するところから渋い声が聞こえた。
「旭、交代の時間だ」
旭は、リビングを後にした。
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