第9話

「ちょっと待って。一旦話を整理させて」

 城崎が早口でまくし立てるように現場の状況やそれに対する考察を述べると、美香は少し混乱した様子で手を左右に振りながら話を制止した。この話し方も、城崎の呪うべき悪い癖である。

「まず伏見くんは、しわ一つないベッドの上で大の字になって寝ころび、安らかな顔をしていた。それに対してジョンさんは、苦しそうな表情を浮かべながら床に寝転がっていた。これはあまりに対照的だってことね」

「そう。それに、ジョンさんは右足の骨が折れていた。これも外傷が全くなかった伏見くんとは違う点だ。それに、伏見くんの部屋で見つけた壁文字も、ジョンさんの部屋には無かった」

「その壁文字は、一件目だけ見せしめのために書いた可能性もあると思うけど」

「なるほど、その可能性は考えなかったな」

「でもその他の点は、あまりに違いがありすぎるね。それで、城崎さんはこの違いについてどう思うの?」

 美香の目が、真っ直ぐ城崎の目を覗き込んでいる。この時の美香に嘘をついても無駄なことは、ここまでの短い間でも分かることだった。城崎は意を決して、本当のことをすべて話すことにした。

「僕は伏見くんの一件は人工知能が行ったことで、ジョンさんの一件は誰か人間の仕業だと考えてる」

「その理由は」

「一件目の現場は、あまりに人間離れしすぎている。スプレーで書いた壁文字の線が、異様なまでに直線だった。壁の至近距離に立てば人間にも可能かもしれないが、その下のベッドのシーツにはしわ一つなかった。つまり、ベッドの上に乗った形跡も、動かした形跡もないってことだ。至近距離には立てない。一方ジョンさんの方は、人間に再現不可能なことはまずない。むしろ死体をぞんざいに扱ったりして、人間らしい事件現場だったと言えるかもしれない」

 城崎が、真っ直ぐ美香の目を見て答えた。しばらく美香は、そのまま視線を合わせ続けた。そして城崎が目を逸らさないことを確認してから、俯いて軽く拍手をし、再び城崎の方へ向き直った。視線の鋭さが増しているのを見て、城崎はこれからさらに深い追及が来そうな予感がした。

「人間同士で殺しあう理由は? 動機はなに」

「そこはまだ分からない。何か見られてはいけないものをジョンさんに見られたとか、知らないふりをしていたけど本当は怨恨があったとか、今ではどんな理由でも成立してしまう。でも、皆が既に動機を知っている可能性もある」

「どういうこと?」

 城崎は一度間をおき、深呼吸してから再び話始めた。

「近衛って人がここに来た時、生き延びる条件を三つ言ったことを覚えてる?」

「人工知能の破壊、実験期間終了、それに……あ!」

「そう、人間として最後の生き残りになること。あの時の話は全員が聞いていたから、誰かがこの条件に賭けてジョンさんを殺した可能性はある。それでジョンさんが人工知能だったら英雄になれるし、仮に違っても人間が疑われる可能性なんてかなり低い。それにバレずに殺し続けられれば、人工知能の破壊か最後の生き残りになるのどちらかの条件を達成できる。そうすれば、自分は必ず生き残れる」

 城崎の結論に美香は息を吞んだが、その気持ちは城崎も同じだった。

 自分で言っておいてなんだが、もし本当にそんな恐ろしい考えを持っている人間がいるとしたら、それは殺人人工知能なんかよりもよっぽど厄介だ。悪人を殺す人工知能だけが相手なら善人として振舞うことで生き残れる可能性があるが、皆殺しを画策している人間がいてはその可能性が潰れてしまい、生存率は大きく低下するだろう。

「でも、その危ない人間が優菜ちゃんだって可能性もあるじゃん。だとしたら部屋に隔離できたわけだし、後は皆が大人しく過ごせばそれで……」

「でももし違った場合、事態はかなり深刻なことになる」

「どうして?」

「さっきも言ったけど、この計画の重要な点は、犯人の正体がバレないことだ。例の殺人人工知能に犯行がバレたら、犯人自身が始末されてしまうからね。それを踏まえると、犯人が本気で皆殺しを考えているなら、短期決戦にならざるを得ない。今この瞬間も、誰かの命が狙われている可能性がある」

 城崎は視線を下に向け、力強く握った拳で太もも辺りを叩いた。鈍い音が、狭い部屋の中に響いた。美香は城崎に気を遣うように、優しい口調で質問を続けた。

「そこまで分かっているのに、どうしてなにもしないの。状況が悪いということは、十分すぎるほどに理解しているのに」

「状況が理解できても、現象が理解できなきゃ意味がない。ジョンさんがどうやって殺されたのか、まるで分らないんだ」

「足の骨が折れている以外、異常はなかったんだよね」

「いや、まだ他の誰にも言っていないことがある」

 そう言って城崎は顔を上げ、自分の首輪を掴んだ。そしてしばらく首輪を手で触った後、一点を指さした。美香も同じ場所を触ってみると、何やら少し窪んだ感触があった。

「なに、これ」

「多分、ここから注射針のようなものが飛び出してくるんだろう。山荘の外に出たら死ぬ首輪の正体だよ。そして、その針が刺さったような跡が、ジョンさんの首には残されていた」

「じゃあ、ジョンさんは山荘の外に連れ出されて殺されたってこと?」

「俺も最初はそう思った。でも……」

 そう言うと城崎は、頭の後ろで指を組んでベッドに倒れこんだ。

「心春さんが渡り廊下から外に飛び出した時、ものすごい警告音が鳴っただろ。あれ、ジョンさんの部屋にいても聞こえたんだ。きっと、リビングに居たらとんでもない大音量だったんじゃない?」

「確かに、凄くうるさかった」

「美香さんの映像からして、今朝の五時にジョンさんは生きていた。もしその後足を折られて山荘の外に放り出されたのなら、山荘中に響く警告音が鳴ったはずだ。それなら、さすがに誰か一人くらいは起きるだろう。少なくとも、美香さんの映像に音が残っているはずだ」

「でも、聞こえなかった」

「そう。でも、一応あの映像もう一回見せてもらっていいですか? 気が動転していて、何か大事なことを見逃しているかもしれません」

 城崎が体を飛び上がらせながらそう言うと、美香はそっとスマートフォンを差し出した。城崎はそれを受け取り、動画の再生ボタンを押す。当たり前だが、映像自体に違いはない。だが、見る視点が違う。

 それぞれの行動を注意深く観察し、ジョンに対して何か怪しい行動を取っている者がいないかを確認する。ジョンがリビングを出て行った後は、耳を澄ませて何か音が聞こえないかを確認する。何度か繰り返し聞いたが、音は何も聞こえてこなかった。

 だが、城崎は何か映像に違和を感じた。一回目には気づかなかったが、この映像は何かがおかしい気がする。そう思って何度も繰り返し見たが、結局その違和感の正体は掴めないままだった。

「やっぱり、分からない」

「ねえ、渡り廊下に行ってみない? そうしたら、何か証拠が見つかるかも」

 美香の提案を受け、城崎はマグカップに入った美香のこだわりコーヒーを一気に流し込んでから立ち上がった。正直冷めた上に甘すぎるこのコーヒーの後味は最悪だったが、そんなことより今は頭を起こすことが先決だった。


 城崎が先導し、渡り廊下に向かった。渡り廊下からしばらくは砂地が続き、三十メートルほど離れると手入れされた植垣とその向こうに草木が生い茂っているのが見える。外に出るわけにはいかない二人は、左右に分かれてそれぞれの方向を向き、渡り廊下からその砂地の範囲に目を凝らした。

「ねえ、あれそうじゃない? 何かを引きずった跡がある」

 美香が指し示す方向に城崎が目を凝らすと、植垣のすぐ下の位置に何か大きな跡があり、そこからこちらに向かって何かを引きずって移動したような跡が見えた。その後は、渡り廊下から七メートルほどの所まで続いている。

「心春さんが騒ぎを起こしたのは、あの辺りじゃない?」

「心春さんが飛び出したのは反対側だから、あれは心春さんが付けた跡じゃない」

「なるほど。じゃあジョンさんを殺した犯人は、きっと東館三階の廊下の突き当りにある窓からジョンさんを突き落としたんだ。そうすれば足が折れたことにも説明がつく。突き落とされたジョンさんは最後まで諦めることなく、折れた足を引きずって移動した。それがあの跡だ」

「ということは、犯人は三階の窓からジョンさんを突き落として、首輪を発動させて殺害した。その後ジョンさんの遺体を担いで移動し、ジョンさんの部屋に戻したってこと? そんなの、あんなか弱い優菜ちゃんにできるわけないじゃん」

「ああ、これではっきりした。優菜はジョンさんを殺した犯人じゃない」

 優菜が犯人じゃないという確証が得られたので、城崎は小さくガッツポーズをした。そして美香にお礼を言おうと振り返ると、美香は真顔で両手を掲げたまま静止していた。城崎は一瞬戸惑ったが、すぐにその意図を理解してハイタッチした。


 それを、西館三階の廊下の突き当りにある窓から、険しい顔で見つめる厚美がいることに、二人は気付かなかった。

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