第7話
翌朝。城崎が目を覚ますと、台所の方から食器の擦れ合う音が聞こえてきた。そちらの方に目をやると、優菜が全員の朝食を用意しているようだった。城崎は左手にある腕時計で時間を確認しようとしたが、一日目の入浴時に外した後つけていなかったらしく、そこには不格好な日開け後だけが残っていた。腕時計の唯一といってよい欠点だ。城崎は少し苛立ちながら、右手にある壁の高い位置にかかっている時計に目をやる。まだ午前六時過ぎだった。
「おはよう、優菜ちゃん。随分早起きなんだね」
「あ、城崎さん。おはようございます。あらら、誰にも気づかれないで朝食を準備して皆を驚かせようとしたのに、失敗ですね」
優菜が後頭部を掻きながら、下をぺろりと出してお道化た。可愛い。昨夜と同じく、城崎の頭の中にはそれ以外の言葉が出てこなかった。
「イチャイチャしているところ悪いんだけど、私も起きちゃった」
城崎が優菜に見惚れていると、背後から美香の不愛想な声が聞こえた。美香は上体だけ起こし、眠そうに目を擦っている。
「あ、美香さん。おはようございます。美香さんも随分と早起きなんですね」
「六時十分。私にとっては、十分の寝坊ね。ところで、私よりも早起きなジョンさんの姿が無いけど、どこに行ったの?」
美香に言われて部屋の中を見渡すと、ジョンの姿はどこにもなかった。城崎は優菜に尋ねたが、優菜も知らないとのことだった。誰にも知られず、そっと姿を消した人間が一人。嫌な予感がした。城崎が一人でジョンの部屋を尋ねようと思いリビングから出ようとすると、台所にいた優菜が駆けてきた。
「連さん、私も行きます」
「駄目だ、危ない。ここで待っていてくれ」
「嫌です。私も行きます。それに、危なくても連さんが助けてくれるんでしょ」
そっと袖を引っ張ってくる優菜に、城崎の母性本能がくすぐられる。なにがあっても、優奈のことだけは守りたいと思えた。
「じゃあ、私も行く」
その一言で、城崎の意識は現実世界に戻ってきた。気付くと、城崎のすぐ左隣に美香が迫っていた。あまりの近さに、城崎は思わず三歩後ろに下がってしまった。
「え、美香さんまでなんで」
後退りしたことを忘れさせるように、努めて冷静に振る舞う城崎。だが恥ずかしさからか、あるいは危機感からか、心拍数はどんどん上昇していた。
「あなたが優菜さんを守るなら、あなたのことは誰が守るの?」
「え、いや。自分の身は自分で守――」
「駄目。私が守る」
城崎は何度か断りを入れたが、美香が一向に引こうとしないので、根負けする形で美香の同行を認めた。
「ああ、分かりました。とにかくジョンさんの部屋に向かいましょう」
こうして三人は、ジョンの部屋に向かった。東館三階の廊下に行くと、一室だけドアが半開きになっている部屋があった。階段の側から数えて三つ目、それがジョンの部屋だ。城崎はそのドアに近づき、そっと顔を覗かせた。
部屋の中には、苦悶の表情を浮かべながら床に倒れこんでいるジョンの姿があった。
ジョンの亡骸を発見した後、城崎は優菜と美香の二人を部屋に入れることなくリビングに引き返し、寝いていた全員を起こした。そして厚美と旭と共に、再びジョンの部屋に戻った。
「こりゃあ、ひでえな。この顔……相当苦しかったんだろうな」
ジョンの側にしゃがみ込みながら、厚美が言った。城崎はその後ろでガタガタと体を震わせ、旭は顎に手をやりながら部屋の中を周回していた。部屋の状況をよく観察しているようだ。
「なんでジョンが? こいつが何したんだよ」
「厚美さん。泣くのは結構ですが、冷静になってください。この状況、おかしいと思いませんか」
「旭。てめえ、伏見の時にも思ったけど、人が死んでるってのに冷静すぎるんじゃねえか? まさか、お前が人工知能なんじゃねえだろうな。人工知能だから、人の死を悲しむような感情は持ち合わせていないとか、そんなことじゃねえだろうな」
立ち上がった厚美が、凄みながら旭の方に歩み寄る。その歩行速度はとても遅いが、その速度がかえって恐怖感を駆り立てるように演出していた。しかし旭は、そういった演出や雰囲気には一切流されず、飄々としていた。城崎の目には、厚美の言った感情が無いという言葉が当たっているように映った。
「僕を人工知能だと疑うことは結構ですが、今はその頭脳を別の方向に使って頂きたいものです。でなければ、大きく誤った方向に進んでしまうでしょう」
「どういう意味だ」
厚美が旭を睨みつけると、旭はそれを無視して城崎の方に向き直した。
「あんたはどう思う」
「え、俺?」
「初っ端から人格を疑われるくらい寝坊したんだ。寝不足は解消して、頭もよく回るようになってるだろ。あんたはこの状況を見て、どう思う」
「そんな、急に言われたって」
「そんなところで震えてるだけじゃ、何も解決しない。あんた、このまま人が死に続けてもいいのか」
旭にそう言われ、城崎はジョンに近づいてよくその姿を観察した。そうしないと、いつかは優菜が殺人人工知能の毒牙にかかってしまうかもしれないと思ったからだ。早急な解決、それが全員が助かる道であった。
ジョンの亡骸は、伏見の時と同じで出血がない。だが、大きく違う点はいくつかあった。そうして冷静に状況を整理していくと、城崎はある一つの結論に至った。
「これは、伏見くんを殺した犯人とは違うやつがやったと思う」
「どうしてそう思う」
「伏見くんの時とはあまりに状況が違いすぎる。伏見くんはしわ一つないベッドの上で、安らかな顔で亡くなっていた。一方ジョンさんは、苦しそうな表情を浮かべながら床の上に無造作に寝かされている。まるで、誰かに放り投げられたようだ。それに、壁にもあのメッセージが無い。ベッドだって、シーツなどが乱れたままだ」
「つまり、どういうこと?」
「伏見くんを殺したのは人工知能で、ジョンさんを殺したのは……多分人間だと思う」
城崎の結論を言うと、旭は納得したように頷き、厚美は口をあんぐりと開けたまま微動だにしなかった。
「僕もあんたと同意見だ。これは伏見を殺した犯人と別の、人間が起こしたものだと思う。ただ一つ分からないのは、ジョンさんの死因だ」
旭がそう言うと、城崎はジョンの足元の方へ視線を動かした。そして右足をしばらく触った後、短く言った。
「足が折れてる」
城崎がそう言うと、旭もジョンの右足に触って確認した。確かに、右足の骨が折れているようだった。
「でも、足が折れただけじゃ人は死なないよな」
「もちろん。でも、昨日まで折れてなかった足の骨が今日は折れている。それも、その人は殺された。そこには、何か意味があるはずだ」
城崎と旭が天を仰いで唸っていると、突然外から大きな音が聞こえてきた。警告音のような甲高い音と人工音声のそれは、頻りに山荘の敷地内に戻るよう促していた。
「なんだこの音?」
「渡り廊下の方からだ。行ってみよう」
城崎が駆けだすと、後の二人も続いた。
渡り廊下に辿り着くと、そこには新見夫妻と優菜、美香の姿があった。新見晴信が妻の心春の上に覆いかぶさるようにして渡り廊下に倒れこみ、心春はその下で顔を両手で覆って泣いていた。美香はその光景を見て呆然と立ち尽くし、優菜は膝をついて泣き声をあげている。もうそこには、警告音も人工音声も聞こえなかった。
「なにがあったんですか」
城崎がそう尋ねると、美香が振り向いて答えた。
「ジョンさんが亡くなったことを知った心春さんが、この渡り廊下から外に飛び出したんです。そしたら、心春さんの首輪が赤く光って、警告音を鳴らしながら山荘の中に戻るように人工音声で伝えてきたんです。それでも心春さんはこのまま死んだほうがましだと言って戻りそうになかったので、晴信さんが決死の覚悟で飛び出し、心春さんを抱えて戻ってきたというわけです。首輪はカウントダウンまで始めていたので、かなりギリギリだったのかもしれません」
美香は詳細に状況を説明すると、再び新見夫妻の方に目を向けた。その場にいる誰も口を開けず、二人の女性の泣き声だけが聞こえる空間で、呆然と立ち尽くすだけだった。
心春が落ち着いたのを見計らって、全員一緒にリビングに戻った。
「この首輪、すぐに薬物が注入されるのかと思ったけど、一応猶予はくれるんだな。これで、少しは安心だな」
旭はそう言って全員の顔を見渡したが、美香以外とは目が合わなかった。美香の視線も、同意とは違った意味を含んだ視線のように見えた。
「……安心、できるわけないか」
「ところで、旭さんはジョンさんの部屋を調べたんですよね。何か分かったんですか」
美香のその質問に、旭は答えるべきかどうか迷ったのか、城崎の方に視線を向けた。美香もそれに倣い、城崎の方に目を向ける。城崎にとって、その真っ直ぐに見つめるきれいな黒い瞳が、今は怖かった。すべてを見透かされているようで。
城崎は答えに窮した。今ここで、この中に殺人犯がいるかもしれないと話すと、心春は再び精神状態を乱すだろう。それに、乱されるのはそれだけではない。今は殺人人工知能という共通の敵がいるから、全員固まって行動することができているのだ。もしこの中に裏切り者がいるということになれば、この生存者たちの協力体制も維持することはできないだろう。
「なにも、分からなかった」
「城崎さん、本当のことを教えてください」
「本当だよ、本当に何も分からなかった。あの部屋で何が起こったのか、皆目見当がつかないよ。ジョンさんがどうして亡くなったのかも……」
「私は、誰が犯人か分かりますよ」
美香がそう言うと、全員が顔を上げた。先ほどまで旦那の胸の中に顔をうずめていた心春さえも、その赤く腫らした目を美香に向けていた。
「おい、小娘。つまらない冗談言うんじゃねえぞ」
「厚美さん、口の利き方には気を付けたほうがいいですよ。あまりに汚い言葉を使うと、人工知能から悪人判定されてしまうかもしれませんから」
美香は鋭い口調で厚美を黙らせると、ポケットからスマートフォンを取り出し、その画面が全員に見える位置へ置いた。
「昨日、壁際のコンセントにスタンド型の充電器を接続してこれを置いておきました。あそこからなら、この部屋のほとんどが画角に収まりますからね」
「録画してたのか!?」
「はい。そのうち何か掴めるかもしれないと思ったけど、まさかこんなに早く役に立つとは思いませんでした。じゃあ、長いので早送りで再生します」
そう言って、美香は動画の再生ボタンを押した。
動画は、昨晩全員が寝静まる前から録画が開始されていた。最後まで起きていたらしい厚美が部屋の明かりを消すと、部屋全体が暗闇に包まれた。動画の再生時間からして、深夜の一時頃のことである。そこから、朝五時頃にジョンが電気をつけるまでは暗がりの時間が続いていた。しかし、少なくとも今朝の五時までジョンは生きていて、その間は恵子以外の人間がリビングにいたらしいことがこの映像から分かった。
問題は、その後だ。ジョンは午前五時十五分ごろにリビングを出て行き、それ以降映像には写らなかった。そして、午前五時四十五分。優菜が目覚めた。優菜は目覚めた足でそのままリビングを後にし、十分ほどしてから戻ってきて、そのまま台所に入った。それから少しして城崎と美香が目覚め、ジョンを探しにリビングを出て行った。しばらくしてから三人が戻ってきて、全員を起こした。その間、リビングにいた全員に特段妙な動きは見られなかった。
動画は、そこで終わっていた。
動画を再生し終えると、美香がゆっくりと話し始めた。
「この映像を見る限り、ジョンさんを部屋で殺害できたのは一人しかいない。優菜さん、あなたですね」
全員の視線が、優菜に注がれた。
「間違いないわ、こいつが殺人人工知能よ! 早く撃ち殺して、こんなふざけたゲーム、早く終わらせてやる!」
心春がそう叫ぶと、厚美もそれに呼応して大きな声で優菜を威嚇した。美香と旭、新田は静観しているが、優菜を見つめるその視線は冷たい。このままいけば、満場一致で優菜が撃たれることは明白だった。
「ま、待ってください。そんな結論を急がなくても」
「うるさい! このままこいつを見逃したら、また人が死ぬかもしれないじゃない。それでもあんたは、結論を急ぐなって言うの? どうせ、こいつに惚れたから見逃してほしいだけでしょ。馬鹿みたい。人工知能に、それに殺人鬼に惚れちゃうなんて」
「でも、もし違ったらどうするんですか。この映像には、昨日から自室に籠っている恵子さんだって映ってない。彼女が犯人だったら、一体どうするんですか。殺してからじゃ後戻りできないんですよ。あなたさっきゲームと言ってましたけど、これはゲームなんかじゃない。現実なんです。間違えることは許されないんです」
城崎と心春はしばらく激しい言い争いを続けたが、どちらの言い分も一定の正しさがあるため決着は付かなかった。二人が疲弊して言い争いの勢いが弱まった頃、美香がこれまでとは違った少し感情のこもった声色で言う。
「お二人の意見は、きっとどちらも正しいです。だから、決着なんてつきません。どうでしょう、ここは間を取ってみてわ」
「なに、あんたまでこの色ボケ男と同じこという気?」
「そうではありません。このまま何もせずに殺され続けるのは癪に障りますから、一番疑わしい優菜ちゃんへの対応はとるべきでしょう。でも、間違えたら後戻りができないという城崎さんの意見もまた、正しいんです」
「じゃあ、どうしたらいいのよ!」
「優菜ちゃんをどこかの部屋に閉じ込めて、交代制で監視しましょう。それで新たな犠牲者が出れば、優菜ちゃんは無実です。逆に殺人が止まったり、見張りの人が狙われたりすれば、その時に優菜ちゃんを撃てばいい。違いますか」
美香の冷静な提案に、全員が賛同した。その後の話し合いの結果、優菜自身の個室に閉じ込め、その前に二人の見張りを置くことになった。優菜の部屋が監視場所に選ばれた理由は、その方がもう一人の容疑者である恵子の監視も可能だからだ。
もちろん、優菜に肩入れしている城崎が見張りから外されたことは言うまでもない。
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