第5話
城崎が優菜と個室に閉じ籠ってから三十分ほど経過した頃、部屋のドアがノックされた。城崎は両手を広げて優菜に前に立ちふさがったが、ドアをノックした者は特に手荒なことをする様子は無かった。しばらくの沈黙の後、ドアの向こうから声が聞こえた。
「城崎さん、影富士さん。リビングにお集まりください。大事なお話があります」
ドアの向こうから聞こえたその声は聞き馴染みがなく、この山荘にいる十人のものではなかった。伏見くんの死体を回収しに来た、政府側の人間だ――城崎は、そう直感した。
「優菜ちゃん、どうする?」
「ここは大人しく従っておきましょう。逆らったら何をされるか分かりません」
「それもそうだね」
城崎は優菜を背後に庇いながら、ドアを少しだけ開けて顔を覗かせた。かなり目を凝らされないと気づかないくらいの隙間で顔を覗かせられるのは、借金取り対策のために身に付いた惨めな技術だったが、今は優菜を守るのにうってつけの技術だった。
城崎が覗き見た先には、布に包まれた何かを担架に乗せて運ぶ、防護服姿の男たちがいた。低身長の二人が担架の両端を抱え、高身長のもう一人は指示を出している。間違いなく、指示を出している人間の序列が上だろう。
城崎は三人が階段を降りて完全に見えなくなるまで部屋に留まり、その後優菜を引き連れてリビングの方に向かった。リビングには、既に他の面々が出揃っていた。城崎は一瞬だけ一人足りないと感じたが、担架に乗せられた布を見て、考えることを止めた。
他の七人が同じ方向を向いて並んで座っているので、城崎と優菜もそれに倣って座った。二人が座ると、先ほど指示を出していた長身の防護服の男が九人の前に躍り出た。そして大げさに咳ばらいを二回して、全員の注目を集めてから話始めた。
「現在山荘におられる方は、これですべてですね。始めまして、私この実験の現場責任者の命に与りました、
そう言って、近衛は深々と頭を下げた。その口調と姿勢から、とても紳士的な雰囲気が醸し出されている。防護服のせいでよく分からないが、年齢は四十代か五十代といったところで、顔立ちも整っているように見える。
「さて、皆様。お亡くなりになる方が出られたので少々動揺されていると思いますが、ご心配なく。彼は最新の人工知能に悪人と判断されたので、追放されたまでです。皆さんが悪人ではなければ、同じ目に遭うことはありませんから」
近衛が邪気を纏わせた声でそう言うと、突然厚美が立ち上がって叫んだ。
「ふざけるな! なにが悪人だと判断されたから追放だ。この実験は、最新の人工知能が人間に馴染めるかどうかを見るもののはずだっただろう。それなのに、そいつは殺人という、人間界で最も犯してはならない罪を犯した。そんな危険な奴、今すぐ廃棄処分に――」
「廃棄処分にしたければ!」
厚美の発言が途中だったが、近衛はそれを遮って大きな声を上げた。そのあまりの覇気に、その場にいた全員が口を真一文字にした。近衛はそれを見て、数度深呼吸してから、再度落ち着いた様子で話を再開した。
「廃棄処分にしたければ、ご自分の手でどうぞ」
「ご自分の手で?」
近衛の予想外の発言に、厚美の勢いは完全に殺された。他の八人は、黙って見守ることしかできなかった。
「皆さんのお部屋に、それぞれ一丁ずつ拳銃をご用意しました。皆さんの中に紛れ込んでいる人工知能を見つければ、それで心臓の部分を打ち抜いてください。そこ以外の装甲は固くて弾丸を通しませんので、必ず心臓を狙ってください。大丈夫です、相手は人工知能ですから。皆さんが殺人罪に問われる可能性はありません。僅かに血は出るでしょうが、すぐに止まりますので」
「間違えて人を打ったら……どうなるんだ」
厚美が恐る恐る尋ねると、近衛はコメディドラマでよく見るような大仰な首の傾げ方をして、左の口角だけを上げた。
「さあ? 人間を打ち抜いたらどうなるかなんて、試したことが無いので分かりません。ただ一つ言えることは、拳銃に込められた貴重な二発の銃弾の内、一発は無駄に消費されるということです」
静寂。
誰も何も話すことはできなかった。自分たちの目の前にいる男が、同じ人間だとはとても思えなかった。常識の通じない相手、それと相対することがこんなに恐怖を掻き立てることになることを、その場にいる全員が初めて思い知った。いや、より正確に言うなら、その場にいる人間の誰もが初めて思い知った。
「この実験のルールはご理解いただけましたか。皆さんがここを生きて出る方法は三つです。一つ目、恐怖の殺人人工知能を見つけ、拳銃で心臓を打ち抜いて破壊する。二つ目、人間として最後の生存者になる。三つ目、実験期間である五日間を生き延びる。どれを選ぶかは、皆さんの自由です。大丈夫、最後まで生きる望みを捨てなければ、きっと生きて帰れますよ」
そう言うと近衛は、近衛が話している間後ろでずっと待機していた残りの二人に手で合図を送って、担架を持たせた。
「また死体が出ましたら、私たち三人にご連絡ください。この実験は極秘のため、生憎これ以上の人手はありませんので」
そう言い残して、近衛はリビングを後にした。厚美が追いかけようと立ち上がったが、ジョンが体を使って静止した。厚美を落ち着かせ、首輪の存在を思い出させたのだ。
その後の反応は様々だった。芙美恵子は繋がるはずのないスマートフォンを眺め続け、厚美はやり場のない怒りを壁を殴りつけることで発散し、新見心春は夫の胸の中で泣いた。後の者は口を閉ざし、その場に呆然と座り込んでいるだけだった。
だが、誰も自分の部屋には戻ろうとしなかった。自分の部屋に戻れば、人工知能を打ち抜くための拳銃が用意されている。今の自分の精神状態でそれを見れば、自分が何をするか分からなかった。それが、最悪の結末に直結していると感じられた。
一時間ほどの無為な時間が経過した頃、三澄美香が突然口を開いた。
「どうして伏見さんは、悪人だと判定されたんだろう。そんなに悪い人には見えなかったけど」
その言葉に、小春と恵子以外のすべての人間が反応を示した。
言われてみれば確かに、伏見が悪人と判定されるような理由など見当もつかない。目覚めてすぐは混乱もあって城崎にきつく当たることもあったが、それ以降は特段気になる点は無かった。
美香の素朴な疑問に頭を働かせた七人は皆同じ結論に達したようで、その視線は一点に注がれた。そう、山荘探索の際に伏見と共に行動した恵子である。その視線に気づいた恵子はスマートフォンから顔を上げ、目を丸くしながら視線の理由を尋ねた。
「伏見さんが悪人と判定された理由、心当たりありませんか?」
「み、美香さん? その口ぶり、あなた私のこと疑ってるの?」
「いえ。ただ、ここにいる誰もが彼が悪人判定される理由に見当がつかないんです。となれば、山荘を探索する際にあなたと行動を共にしたその間に、なにかあったということです。恵子さん、あなたなにしたんですか」
「わ、私は何もしてないわよ。むしろ被害者よ」
「被害者?」
美香が立ち上がって恵子の方に歩み寄ろうとすると、恵子は咄嗟にスマートフォンの画面を隠した後にスリーブ状態にし、目を左右に激しく泳がせた。明らかに動揺している。どうやら山荘探索の際になにかあったという予想は、大当たりのようだ。
「恵子さん、話してください。なにがあったんですか」
美香の問いかけに、恵子は更に高速で目を左右に泳がせてから、早口で答えた。
「せ、銭湯を見つけた時に、伏見くんが私を襲ってきたのよ。きっと普段裸で入る場所だったから、私の裸を想像しちゃったんでしょうね。年頃だし、仕方ないと思って、この状況で告発するのはあまりにひどいと思ったから、黙っといたのよ。それがバレたんでしょうね。強姦は、立派な犯罪ですから」
恵子から飛び出した予想外の話に、その場にいた全員が目を丸くした。
銭湯を見つけた際に、伏見が恵子を襲った。それが本当だとしたら、確かに伏見は悪人と判定されてしまうだろう。
だが、城崎はどうもこの話を信じることができなかった。昨日の伏見の様子からは、そのような蛮行に及んだことは伝わってこなかった。他にもそう思った人がいたようで、恵子にはいくつか疑いの眼差しが向けられていた。
それを居心地悪く思ったのか、恵子はリビングを飛び出していった。
リビングは静寂に包まれ、再び無為な時間が流れ始めた。
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