第2話
見知らぬ天井を見上げながら目覚めた城崎は、左手につけた腕時計で日付を確認した。市役所で実験協力者に名乗りを上げたと記憶している日から、二日が経過していた。
次に、上体を起こして辺りを見回した。部屋の内観はログハウスのようで、壁は丸太がそのまま使われているかのように、丸みを帯びた凹凸があった。美しい木目が見渡す限りに広がり、床や天井もすべて同じ材木で作られていることが分かる。その美しい木目と濃い色合いから考えて、おそらくウォールナット材だろう。一度呼吸すれば、木の香りが胸いっぱいに広がった。
部屋の中央に目をやると、そこには大きなダイニングテーブルが置かれていた。こちらも木製だが、色合いが薄く、周りと調和していない。材木の価格は抑えられているように見えた。しかしこのテーブルから考えれば、ここがリビングだということはすぐに分かった。ダイニングテーブルの向こうに、カウンターを挟んでキッチンのような場所や冷蔵庫が見えることも、その考えを指示するだろう。
更に情報を集めようと立ち上がろうとしたところ、右手がなにかに触れた。そちらの方に目をやると、城崎に背を向けて倒れている人の姿があった。少し視線を動かせば、他にも数人、床に倒れたまま動かない人が目に付いた。
「もしもし、大丈夫ですか。しっかりしてください」
城崎はすぐ隣で倒れていた三十代と思しき男性の肩を叩きながら、声をかけた。三度ほど声をかけると、その男性から僅かな反応が返ってきて、五度目で完全に目を開けた。少し虚ろな目をしているが、意識ははっきりしているようで、城崎からの問いかけには正確に答えることができていた。
城崎はその男性を気遣いながらも、手分けして倒れている人を起こすよう呼び掛けた。男性はそれに呼応し、立ち上がる。二人とも少し足元がふらついていたが、なんとかた倒れている全員に声をかけることができた。性別や年齢などはバラバラだったが、起きた時の反応は皆一様に同じだった。この場所に見覚えのありそうな人は、誰もいなかった。
「全部で十人、ですか」
城崎が最初に起こした男性がそう呟くと、皆周囲の人間の顔を覗き込むように見た。一組泣きながら抱き合っている男女がいる以外は、特に反応を示さなかった。顔見知りが集められたというわけではないらしい。
「なんなんですか、この首輪は。どこなんですか。あなたたちは誰なんですか。」
十人の中で一番若々しい見た目をしている女性が、怯えながらそう言った。城崎は言われるまで気付かなかったが、首に金属製の首輪が備え付けられていた。服など逮捕されないための道具にすぎないが口癖の城崎にとって、このような機能性の伴わない服飾アイテムなど最も必要のないものだった。つまり、これは自分のものではない。辺りを見回すと、そこにいた全員の首に同じ首輪が装着されていた。
冷静に状況を見た後、城崎は再度声を上げた女性の方を見た。女性はスカートの裾を両手で床に押し付けながら、その怯えた目をすべて男性陣に向けていた。これから乱暴されると思っているのかもしれない。城崎はその女性と距離を取った上で、安心感を与えようと爽やかな笑顔を見せて答えた。
「僕たちも今起きたばかりなので、状況が掴めていません。この中に、なにかここにくる前のことを覚えていらっしゃる方はいませんか?」
城崎の問いかけを聞いて、その場にいた全員が腕を組み、そして首を傾げた。誰も声を上げないところを見ると、特に思い当たることがある人はいないらしい。
「では、一先ず状況整理も兼ねて、順に自己紹介していくのはどうでしょうか。覚えている限りの、最後の記憶と一緒に」
「いや、そんなことよりも外部と連絡を取ろう。幸い、俺のポケットにスマホが入っていた」
歳の頃は五十歳といったスーツ姿の強面の男性がそう言ったが、ポケットから取り出したスマートフォンを見て、ガクリと肩を落とした。
その原因は、全員が自分のポケットからスマートフォンを取り出すとすぐに分かった。画面の右上に、圏外と書かれていたからだ。その後年齢不詳の女性が部屋の中に固定電話を発見したが、受話器をあげても反応は無かった。外部との連絡手段はないらしい。
「では改めて言いますが、自己紹介から始めませんか?」
城崎の提案に、全員が戸惑いながらも賛成した。だが誰も先陣を切って話そうとはしなかったので、言いだしっぺの城崎から順に自己紹介することになった。
「城崎連、二十五歳のフリーターです。目覚める前の最後の記憶は、自宅のベッドに横になったことです」
次は、城崎が最初に起こした三十代と思しき男性が自己紹介を始めた。
「名前は
旭は、よれよれのワイシャツの襟を正しながら言った。言われてみれば確かに、旭はワイシャツに綿のパンツを履いて、小綺麗な格好をしているように見えた。その手入れの具合は差し置いて、だが。
「……
スーツ姿の強面男性が、訝しげな眼を周囲に向けながら言った。その顔に刻まれたしわや声の渋さ、警戒心の強さから、羽陽曲折、様々あった人生を想起させる貫禄があった。
「私は
「私も同じです」
先ほど泣きながら抱き合っていた二人が自己紹介した。夫の新見晴信は周囲の人間の目を真っ直ぐ見ながら、心春は少し伏し目がちに言った。二人はペアルックのボーダーシャツを着ていて、その仲の良さが伺えた。
「
「あの、年齢は?」
「レディに年齢を訊くなんて、デリカシーの無いお方ですね」
城崎の率直な質問に、芙美恵子の強烈なカウンターが決まった。恵子は四十代頃に見えるが、服装がかなり若々しい。城崎はそこに違和感を感じて質問したが、恵子にとっては触れてほしくない話題のようだ。
「ブライアン・ジョン、六十二歳の大学教授です。最後の記憶は、大学の研究室で実験をしていることです」
ブライアンは、流暢な日本語で自己紹介を終えた。その後のやり取りで十年ほど前までブラジルに住んでいた日系人らしいということが分かったが、研究内容に関しての質問には、守秘義務だからの一点張りで答えなかった。
「伏見幸助、十八歳の大学一年生です。最後の記憶は、大学で分子生物学の講義を受講したことです」
いかにも爽やかイケメンといった雰囲気の伏見が、気怠そうに言った。服装にも気を遣っていて、しっかりと流行のファッションアイテムを取り揃えていた。大学での女子人気が高そうだ。
「……
長い髪をなびかせ、伊達眼鏡かと疑いたくなるようなよく似合った眼鏡を光らせ、三澄美香は不愛想に言った。とても整った顔立ちをしていて、座っているからはっきりとは分からないが、スタイルもとてもよさそうに見える。職場での男性人気は間違いなく高いだろう。
「あ、私は影富士優菜です。えっと……二十二歳の大学四年生です。最後の記憶は、箕輪市役所で実験協力者に応募したことです」
先ほどまで怯えた目を向けていた女性が、目線をあちこちに動かしながら自己紹介を終えた。とても可愛らしい見た目をしていて、怯えているのを見ると思わず助けたくなるような可憐さを持ち合わせていた。二十二歳とのことだったが、見た目だけで言えば、女子高生や中学生だと言われても信じてしまうほどに幼さがある。
恋愛経験が少ない癖にとてつもなく惚れやすい城崎は、既に優菜に心を奪われていた。
「実験協力者に応募って……ひょっとして、『自律思考型最新人工知能の臨床実験』のこと?」
芙美恵子がそう言うと、優菜はゆっくりと頷いた。それを見た周囲の人間も、思い思いの言葉を口に出していた。それを一言でまとめるなら、全員が『自律思考型最新人工知能の臨床実験』の実験協力者に応募したということだった。年齢も性別もバラバラだった十人に見つかった、唯一の共通点だった。
「ねえ、ダイニングテーブルの上に何か冊子が置いてあるよ」
三澄美香がそう言うと、城崎は立ち上がってその冊子を手に取った。表紙には、『自律思考型最新人工知能の臨床実験にご協力いただける皆様へ』と書かれていた。城崎は早速中を開け、全員に聞こえるように大きな声で音読し始めた。
「実験協力者の皆様、手荒な真似をして申し訳ありませんでした。なにぶんこの実験は政府肝入りの実験のため、実施場所などの情報を秘匿にする必要があったのです。ですがここにおられるということは、皆さまは幸運です。数多くの応募者から、皆さまは最新の人工知能との共同生活という貴重の体験をすることができる者に選ばれたのです。これを読んでいるころには、既に自己紹介も終わっていることでしょう。皆さんは気付きましたか? その中に既に、最新の人工知能がいますよ。この共同生活の最後には、誰が人工知能だと思うかと質問するので、是非とも探してみてください」
城崎がそこまで読むと、その場にいた十人全員が顔を見合わせた。
この中にいる誰かが、精巧に作られた、本物の人間にしか見えない人工知能なのだとはとても思えない。
城崎はそう思いながら、再度冊子に目線を落とした。
「また実験中に山荘の外に出ようとした場合は、この政府公認実験の情報を漏らそうとしたスパイであると認定し、皆さまの首輪から体内に薬品が注入されます。即時執行の死刑だと考えてください。五日後には必ず安全に外しますので、ご安心ください。何かありましたら、山荘内の電話からこちらに連絡してください。この冊子を読み上げる声に反応し、使用可能になる仕様です。その他の外部へは通信できなくなっていますので、お気を付けて。追伸。この五日間の共同生活中に、人工知能が独自のアルゴリズムで悪人だと判定した人は、実験の最中であってもこの実験から追放いたしますのでご注意ください」
十人は首輪を手でさすりながら、項垂れた。冊子の中に明記されていたわけではないが、即時執行の死刑という言葉から考えるに、その中身が穏やかなものでないことは明らかだった。
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