ニート経験者の過去

正体不明の素人物書き

気まぐれな毎日から、働くようになるまで

 前回載せたエッセイ「発達障害者の苦い出来事」でも少し書いたことだが、ニート経験者でもある。

 今回はその頃のことを書いていこうと思う。


 二十歳を過ぎて間もない頃、2年制の専門学校を卒業したばかりで、本当なら働いてるはずなのに、それどころか勉強嫌いを理由に大学に編入もしなかった。

 専門学校に通うようになり、卒業したら就職すると決めてたものの、どういう職業にしようかを具体的に決めてなかった。

 入学して2年目になり、学校の近くにある多目的ホールで企業説明会があり、生徒全員でそこに行った。

 初めてということもあり、雰囲気に圧倒されながらも友人たちと回った。

 しかし、会社の人が相手となると、質問したいことはあっても、どう伝えたらいいかわからずに何も言えないままだった。

 結局、どうするとも決まらないままで終わってしまった。


 それから数日後に、ある会社の説明会に友人と行った。

 それはよかったものの、自分たち以外みんな大学生で、中には国際大学に通っている人もいたほどだった。

 それだけでかなり場違いな気分だった。


 その数日後に応募して、実際に面接を受けたが、職種を選び間違えて、しかも面接でも質問にはっきりと答えられなかった。

 結局落ちてしまったが、それでよかったと今も思っている。


 しかし、それからどこを受けようという気持ちになれず、どうしようかと思っていた。

 そんなある日に、親から「働く気あるのか?」と聞かれてはっとなり、卒業したら資格を取るための塾に1年だけ通うことにした。

 しかし、その塾で検定を受けても落ちてばかりでどうしようかと思った。

 それと同時に、「バイトでも働く経験はしたほうがいいか」と思い、たまにだがバイト面接を受けても決まらなかった。

 友人の一人にこれを言ったら、「バイトでも決まらないなんて珍しいな」と言われた。

 何が原因なのか、それがわかれば対策ができるのに…と今でも思う。

 仕事は探してなかったが、履歴書を書く練習はしていた。

 …下書きをしても、ボールペンで書くのが苦手だったからか、本書きで何度も失敗した。


 それから1年が経ち、塾に通う期間が終わっても無職だった。

 最初は「働く気がない」という気持ちからだったが、いつからか「何がやりたいんだろう」と思うようになり、その答えがどれだけ考えても出てこなかった。

 これが原因で、求人広告は見ても、応募にまで踏み込めなかった。

 そんな自分に親から「どこでもいいから早く探せ」とよく言われるようになる。

 立場上の都合で言い返すことはできなかったが、これを聞くたびに「本当にどこでもいいのか?」と思った。

 普通はどこでもいいのかもしれないが、親はどこでもいいからと言っておきながら、実際に探そうとすると「Aはダメ。Bにしろ」などと滅茶苦茶なことを言ってくる。

 これで「どこでもいいなんて言わないでくれ」と何度も思った。

 親や親戚からは「早く働け」とよく言われたが、「受けても決まらないんだから仕方ないだろ」と思った。

 地元の大手企業からの求人が来て、親に半ば強引に応募させられた。

 まだ何がやりたいんだろうという迷いがあるうえに、敷居が高すぎる気がしたのを理由に、落としてくれることを願いながら履歴書を書いて送った。

 結局、書類選考の時点で不採用になったわけだが、それを見たときに親に気づかれない程度にホッとする自分がいた。

 この当時はまだ車の免許を持ってなかった。これが理由で、ある会社で面接中にお引き取りを食らったこともあった。

 親から取ってみないか?と言われたこともあったが「目のことを考えると自信がないから」と言って断った。

 しかし、その数か月後…。

 友人の家に泊まってその翌日の朝、友人の親から車の免許のことを指摘された。

 自分の親に言った時と同じように断ればいいかと思っていたが、それを言ってもいろいろ言いくるめられ、断りたくてもそれができない状況に追い詰められてしまい、一度断ってることもあって抵抗を感じながらも親に言ったら、あっという間に自動車学校に入校することが決まってしまった。

 それから半年ぐらいかけて取得したが、この頃もまだ、「何がやりたいのだろう」という迷いを抱えたままだった。

 どこでかは覚えてないが、誰かが「やりたいことがないのを理由に、社員として就職せず、フリーターとして過ごしている」と聞いたことがあった。

 この時は特に気にも留めなかったが、このことがずっと頭の中に残っていた。


 ある日のこと。ずっと抱えていた迷いが、ある考えを持ったことで吹っ切れた。

「これだけ考えても答えが出ないということは、やりたいことは何もないのか?」と思ったとき、それが答えだったのだ。

 この日以降、それまでとは違ってあちこち探した。しかし、どこを受けても返事は不採用ばかりだった。

 ニート生活を始めて3年ほどしたころに、バイトがやっと決まったこともあって、ニート生活に終止符を打つことができた。

 採用が決まったことを親に話したら、「明日は雷だな」と笑いながら言われたが、「早く働け」と言われ続けてたことを考えたら、マシな方だと思った。


 この後も、仕事をあちこち変わって、あっという間に10年が過ぎたころ、ニートで過ごしてた頃のことを思い出すことがあった。


 後になって考えてみれば、あの当時は何がやりたいのかわからなかったのではなく、「何が自分に向いているかわからないから、どんな仕事に就いていいのかわからなかった」のだと気づいた。

 それと同時に、「何が向いているかわからないなら、何でもいいからやってみて、その中から自分に合った仕事を見つけてみよう」という前向きな気持ちと、「何度落ちても、決まるまで絶対にあきらめない!」という人の何倍も強い意志と根気があったら…と思った。

 正直、このことに気付くのが遅すぎたと思った。

 もっと早くに気づいていれば、もしかしたらニートで過ごしてても、あちこち探してたかもしれない。

 そして3年もニートで毎日をダラダラと気まぐれに過ごすこともなかったかもしれない。

「好きでニートでいたわけではない」自分にとっては、ニートとしての生活は

 ある日、ニュース番組だったか忘れたが、ニートのことを取り上げていた。

 そのときにインタビューを受けた人が、「働いたら負け」と言っていた。

 自分もニートだったが、働いたら負けなんて思ったことは一度もなかった。

 それどころか、だと思っていた。


 あの当時、ハローワークが上に、求人検索はもちろん、応募も自分でやらなければいけないと思っていた。

 就職の相談に乗ったりしてくれるような体制が整っていて、それを知っていれば、何度も通って相談してたかもしれない。

「職業適性検査研究所」というところがあることも後になって知った。

 いろいろ遅すぎた気がしてならないと思うこの頃である。


 そして働くようになってからも、長続きしなかった。

 それどころか、長続きしても鬱で辞めたこともあるほどだった。

 ある日、すぐにでも辞めたいぐらい気が滅入るようになり、それを我慢して働くのがやっとだった。

 なら辞めればよかったのでは?と思う人もいるだろう。

 しかし、「辞めた後のことを考えると、どうしてもあと一歩踏み出せなかった」のだ。

 これが原因で無理がたたり、鬱状態と診断されるほどになった。


 この時のことも、数年ほどして思い出すことがあり、その時に気づいた。

「辞めた後のことは、辞めてから考えればいい」と…。

 本当に、気づくのが遅すぎることばかりだった。


 今になって振り返ってみれば、親たちはニートで毎日をダラダラと気まぐれに過ごしていた自分のことをよく家から追い出さなかったなと思い、同時にもし追い出されてたら今ごろどうしてたかと思うとぞっとした。


 この辺りで締めくくるが、またも、支離滅裂な内容になったかもしれない。

 このエッセイがどうか、自分と同じように迷いを抱えている人たちに、その迷いから吹っ切れるきっかけになってくれればと思う。

 同時に、自分みたいに何年も毎日をダラダラと気まぐれに過ごすことをしてほしくないと思う。

 そして、ニートが一人でも減ってくれればと願うこの頃である。

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