第八話 スイートスイートスイート


 さて。しかしまあ結局のところ。

 先輩の指示によってその場で的確に息を潜めることに成功した俺達は、何者かとの接触を避け、結果何事もなく廃ラブホを後にしていた。

 そしてその数時間後。新入生歓迎廃墟ツアーが無事お開きとなり、先輩や荒木と別れた後のこと。

 

 なぜか俺は今、上圓と共にいた。

 しかも、我が家の居間に。隣り合って座って。

 それで、更に言うと、目の前にはちゃぶ台を挟んで母さんがいた。

 そんな中で、言う。

「俺達、付き合うことになりました」と……。



 なぜそんなことになったのかといえば、帰る方向が一緒だからと最後まで俺と同じ電車に乗っていた上圓が二人きりになった途端に突如切り出したあの話のせいである。

 奴は、何の前触れもなく真顔で言った。

「せんぱいって、ゆっずん先輩に惚れてますよね?」

「ヘェあ?」

 虚を突かれ、間抜けという概念を擬音に押し込めたような間の抜けた声が出た。

 すると上圓は心底呆れ顔で。

「はァ~、やっぱ図星かー。その顔でポーカーフェイス身につけてないって、ギャップ萌えでも狙ってるんですか? モテないからやめたほうがいいですよ? ……いや、まあせんぱいはどんなに頑張ってもモテはしないでしょうから、別にどうでもいいか」

「な、なんなんだいきなり」

「あ、そういうのいいんで」

 素っ気ない言葉とともに目に映るのは、『心の底からつまらない』とでも題すべき顔。

「そういうのって何だよ」

 自分は突拍子もない話をふっかけておいて、そのくせ説明責任も果たさずにこちらからの問をきっぱり遮断する上圓に文句を垂れる。

「ちっ。しつこいとゆっずん先輩にバラしますよ。それが嫌なら黙って聞いててください」

「いやそもそも好きではないのだから、バラすもなにもないだろう……」

 というかなんでそんなに怖い顔をする?

「あー、はいはい、素直になれないのは乙女だけでいいんでマジ黙ってください。てか黙れ」

「……。」

 年下の少女とは思えぬ凄みを効かせながら睨まれて、俺は情けなくも沈黙した。

 すると彼女はころっと満足げにニコついて。

「よし、黙りましたね? いい子です。では、早速ですが本題に入ります。この上圓が、なんでせんぱいが誰に対してその腐った性欲を向けようとしているかなんてそんなクソどうでもいいことをわざわざ口に出して確認したかといいますと……」

「おい、性欲て……」

「うるさい。一々上圓の言葉に口を挟まないでください。次やったら痴漢冤罪の被害者に仕立て上げますよ?」

「……。」

 ここで正義の声を上げたらむしろ悪に仕立て上げられそうだったので、俺は再び年下の少女に黙らせられることを選んだ。

 ところが。

「よろしい。……そして、その理由はですね、それが――この上圓に対する裏切りだからですよぉ、このマザロリコン野郎がァ!! ぐぬぬぬぬぅ!!」

「いたたたたた! おい、急に何をするんだお前は! 公衆の面前で!」

 なぜか俺は電車内で横に立つ女子中学生から暴行を受けていた。

 周囲からの目が痛すぎる。このあいだ入学式で答辞を述べた時以上に恥ずかしい。

 しかし彼女には羞恥心というものが欠落しているのか、

「なーにが公衆の面前で、ですか! だったらてめえの彼女の前でさっきまで堂々と鼻の下伸ばしてたのはどこのどいつだってんですよ! ああん?!」

 などと更に声を大にして暴れ始める。教養がないにも程があるだろ。というか何を言っているのかがマジで理解出来ない。

「いっ、いい加減にしろ、何の話だ?」

「この期に及んでとぼけるかこのクソ童貞が……! ちぎりますよ? 未使用のまま」

 混乱状態の俺。一向に止まらぬ上圓。

 こちらが対話を試みようとしても、彼女はそれに応じずに暴れ続ける。

 しかもヒステリックに叫ぶせいで、なんだか周囲の乗客から恐らくは俺がなにかしでかした=俺が悪いみたいな内容の視線が大量に突き刺さってくる。もうこんな電車、降りたい……。

 いよいよどうしようもないので、俺は取り敢えず彼女を落ち着かせる方向で動くことにした。

「わ、わかった。いいから落ち着け。そうだな、俺が悪かったなら反省する。だから落ち着こう。な? 話ならいくらでも聞くから」

 すると。

「なるほど、じゃあ次の駅で降りましょうか。ちょうど、行きたかったカフェがあるんです?」

 彼女はぱぱっと元の愛くるしい表情に戻って、にっこりと微笑んだ。最高に小悪魔的に。


 電車を降り、改札を抜けてしばらく歩き、俺一人なら絶対に行かないようなカフェに入る。

 また、その間なぜか彼女は自然に俺の手を握っていたが、藪をつついて蛇が出ても困るので、俺はされるがままに身を任せていた。彼女は自分の意見を通す為なら自分が周囲からどう思われようと構わないし周囲を味方につけるためなら羞恥心だってかなぐり捨てるということを、さっきのアレで嫌というほど学ばされたからだ。誰だって、日に何度も痴話喧嘩染みた茶番を演じさせられたくはない。

 ……そして、俺の横を歩く彼女は終始すまし顔でクラスのマドンナ然とした顔つきをしていたが、きっと内心で俺がそんなことを考えているのなんて、全てお見通しだったのだろう。

 お目当ての店に着くと、彼女はしたり顔でうふふと笑った。

「エスコート、ありがとうございます?」

 そう言っててとてとと店内へ入る。

「はあ……」

 ため息をついて、それに続く。

 俺は未だに上圓に対してどのような受け答えをすべきなのかがわからなかった。ただでさえ母さん以外の人間と話すことは少ないというのに、こんな特殊な人間とどうしてまともに会話ができるだろうか。

 とはいえ、こいつの後ろ姿をいくら眺めていたところでその答えは得られない。

 店内を見渡す。オシャレで、このピンク髪の後輩が好きそうな内装。それ以外の感想は特に思いつかなかった。

 要するに、俺自身はこんなことでもなければ一生来なかったであろう、そんな場所だ。

 ……落ち着かない。

「わぁ。せんぱ~い、なんかカップル用のメニューとかもあるみたいですよぉ?(ケラケラ)」

 まあ、同伴者も別の意味で落ち着いていないようだったが。

 俺は適当に無難な返事をしつつ、店員の案内を待った……。

 

 さて、彼女は席に着くなり、一息をつく間もなくこう言った。

「まあ、せんぱいと長々話す気もないんで、言います。せんぱい、上圓の彼氏としての自覚、あります?」

「は? ないが」

 何言ってるんだコイツ? 頭がおかしいのか? ……あ、おかしいんだった。

「え、あれ、おかしいですね。昨日、言いましたよね? 私の彼氏になってくださいって」

「言ったな」

「ん? じゃあなんでないんですか、自覚? 病気ですか? 認知症?」

「いや、なってくださいと言われただけで、なるとは言ってないんだが」

 普通に何言ってるんだお前くらいの反応しかしてなかっただろうに。

「でも、断ってないですよね。断ってないってことはつまり嫌じゃないってことじゃないですか。だって、嫌なら絶対イヤって言いますよね? つまり、好きなんですよね? 彼氏じゃん」

「そうはならんだろ」

 暴論が過ぎる。 

「だいたい、せんぱいが上圓ほどの女と付き合えるのなんて1生に1度というか200生に1度ですらないんですから素直にその幸運にあやかれっていう話じゃないですか」

「仮にそうだったとしてお前はそれでいいのか? 何の得があるんだ?」

「恋愛に損得を持ち込むって、ナンセンスじゃないです?」

「人を損得で説得しようとしている奴が何を言ってるんだ?」

「はあ、まあ、それもそうですけど。なんかー、上圓のかわいさだけでうんって言わせたかったぁ、私の乙女心にも気付いて欲しいなぁ、みたいな? きゃるるん?」

 謎理論での理詰め(?)では俺が頷かないと見たのか、女の力を使い始めた上圓。自分のかわいさにものをいわせたおねだり顔と猫なで声が、俺を貫いた。

「それは悪かったな」

 あまりのかわいらしさに、うんとは言わないまでも謎の罪悪感を覚えたのか、いつの間にか謝っている俺。正直、自分でもわけがわからないし、この女は怖いなと思った。

 すると。

 彼女はけろっとしつつも上目遣いに、

「ぶっちゃけ、私っていじめられてるじゃないですか」

「ぶっちゃけたな」

 あまりにも唐突な暴露トークに、思考が硬直してオウム返しめいたことをしてしまう俺。

 その空白になった脳に、上圓はここぞと本音を畳み掛ける。

「それで、まあ先輩みたいなコワモテな上級生が彼氏になってくれたら、そういうのも少しはマシになるんじゃないかなぁ? みたいな打算です。彼氏になって欲しい理由」

 上圓はかわいらしい仕草を交えつつ、最後にはびしっと人差し指を立て、そう言った。

「恐ろしい発想だな……。それに、だったら三年生とかの方がいいんじゃないか?」

「三年は受験で断られそうですし、すぐいなくなっちゃうじゃないですか~」

「なるほど」

 こいつ、狂ってるように見えてそういうところは異様に合理的なんだよな……。

「そんなわけで、か弱い後輩を助けると思って彼氏になってください、せーんぱい?」

「つまり、お前のボディガードになれってことか?」

「そうとも言えるかもしれません。給料は上圓のかわいさ払いですが」

 上圓はそう言って男ウケしそうなポーズで首を傾げた。

 あまりのあざとさにむしろ心が冷える。

「お、おう……」

「なんでひいてるんですか。むしろ金よりも資産価値が高いこの私のかわいさを享受できることの幸福を噛み締めてくしゃくしゃになった顔で感謝の言葉を述べるくらいしてください」

「ボディガードにさせていただき光栄です、ありがとうございます……みたいなことか? 冗談じゃない。誰が言うか」

「へえ、じゃあ見捨てるんですね、上圓を。ふうん……。あ、ちなみに私、見て見ぬふりをする人もいじめる人と同じくらい恨むタイプなんですよね」

 さらっと言ってのけたが、なんだかその淡白さの中に相当な憎悪を感じた。なぜって常にわざとらしいくらい輝いているコイツの目が、一瞬だけ異様に真っ黒に据わっていたから……。

「これは脅しなのか?」

「ふぇ? ちょっとなに言ってるのかわかんないです」

 無外そうにきょとんとしているが、完全に確信犯だ。直接は言葉に残さないところが完全にヤクザの手口である。

 とはいえ。

「わかった。まあ、そういう事情があるなら、俺は構わないぞ」

 俺は仕方なく頷いた。

 母さん以外のものにあまり興味がない俺だが、だからといって知り合いがいじめられているというのに何もしないでいられるほど、他人に無関心なわけでもない。人間として必要な倫理観や道徳なんかはきちんと家庭で教育されている。

 なのでまあ、昨日のアレを見た時点で、何か力になれることはないだろうか程度の想いはあった。だから、この提案はある意味ちょうど良かったとも言える。

 が――。

「嫌です」

「は?」

 なぜか拒絶された。

「あの、なんでせんぱい如きが上圓と付き合うという最高の条件を突き出されて「仕方ねえなあ、そこまで言うならやってやらなくもねえか~」みたいなオーラ出してるんですか? いやいや、ありえないし」

「お前が頼んで来たんだからそうなるのがモノの道理だろ」

「え、そもそもせんぱいがどうしても上圓の力になりたいって言い始めたんですよ?」

「記憶の改竄が著しいな」

「やっぱ上下関係はしっかりさせときたいじゃないですか」

「だとしたら年齢的にもお前が下だろ」

「年下の、しかもJCと付き合う高校生って、ろくな男じゃないですよね」

「確かにな……。それには同意する」

「なんで、人間的な格として、せんぱいよりも上圓の方が圧倒的に上なので、せんぱいの方からお願いしてきたていでお願いしますね」

「どうせ交際相手のフリをするだけなんだからどうでもよくないか?」

「そんなこと言う人に限って、結婚後十年くらいして娘から「どっちからプロポーズしたの?」とか聞かれた時に「母さんからだよ」だの「覚えてないだの」言って謎のプライドを保とうとするんですよ。そんなことされたら癪ですからね」

「そもそも結婚なんかしないだろ……」

「せんぱい……」

 上圓は珍しく顔を下げて重苦しい声を出した。

「どうした、急に?」

「上圓たちは、いじめっ子を騙すために付き合ってるフリをするんですよ。ラブラブカップルのフリを。だというのに、結婚も見据えてないようで、誰が騙せます? こんなことも言わないとわからないか~。はあ、ほんとつかえないな~、せんぱいは」

「どこの中高生カップルが結婚を見据えて付き合うんだよ。頭おかしいだろ」

「ハァ……、これだからマザコンこじらせた童貞は……。真の童貞と処女のカップルはですよ、まだ穢れも遊びも知らないんです。一度付き合ったら、もう別れることなんて考えてないんです。だって大好きなんですよ? 別れる理由なんかないですよね? だったら必然、結婚したら~、みたいな乳くさい妄想だってしちゃうわけですよ。吐き気がするくらい純粋なんです。そのへんの愚かさっぷりまで加味して演技してくれないと。……てか、上圓と付き合って結婚したくならないとかそれもう病気なんでそういう意味でも結婚願望ないと不自然なんですよ。まったく、私に真面目に恋してます?」

「してるわけないだろうが。注文の多い奴だな」

 というか中高生カップルへの偏見と恨み節がすごい。

「注文の多いやつ? それは遠まわしに上圓に料理されたい=食べられたいっていうアピールですか? キモいんで二度としないでください」

「……俺が一度でも宮沢賢治好きを公言したか?」

「はて? 上圓てば、あんませんぱいに興味ないんで覚えてないです。……あ、店員さーん注文いいですか~?」

 彼女はそう言うと、二人分の品を勝手に注文して、早々に俺いじりを再開した。

 というわけで、結局、なんだかんだで俺からお願いして付き合わせてもらったことになった。

 どうでもいいが、遺憾。



 そして。

「バイトしないんですか?」「母さんに禁止されている」「うわキモ。でたマザコン。てか、なんで?」「彼女がいないから」「え? は? どういうこと? てか上圓いるじゃん」「本物じゃないしな……」「や、上圓のかわいさは本物ですけど」「聞いてない」……等々のやり取りを経て――。

 なぜか上圓が俺の家に来ることになり、先述の通り、母さんにカミングアウトした。

 母さんは気絶した。

 けれどまあ、その後、結局はお祝いのムードとなり、三人で一緒に夕飯を食べたりして。


 時は夜。外は暗い。俺は上圓を家まで送ることとなった。

 その道すがら、彼女は言葉の割に真面目なトーンで口を開く。

「ふう、言っちゃいましたね。大好きなお母さんより大好きな女の子ができたって」

「ありがとな」

「ふぇ?」

「これでバイトが始められる。母さんを騙すようで心苦しいが」

「いいじゃないですか。人助けしてるんですもん。……それより、心苦しいのは上圓の方ですよ」

「お前でも嘘をつくと良心が痛むんだな」

「あ、いえ、そーゆーことではなく」

「?」

「だってせんぱい、上圓じゃなくてゆっずん先輩のことが好きじゃないですか。なのに上圓の彼氏役やってくれるとか、さすがの私でも、少しだけ胸が痛いです」

「……。」

「なので、出来たらですけど、私のこと、本当に好きになってくれたらなって思います。そしたら、上圓の胸はこれっぽちも痛んだりしないじゃないですか」

 彼女は下を向いて、まるで独り言でも言うかのようにそう言った。

 そして、不意にその目線を上げて、俺の瞳を覗き込んだ。

「だから、トクベツに許可します。――上圓のこと、好きになってもいいですよ?」

 俺はその時、世界が桃色になった、そんな錯覚をした――。

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