第七話 初デートにラブホとか最低ですね……
というわけで今、俺は女子とラブホテルに来ていた。
いや、待って欲しい。俺は何も悪くないんだ。
これはあくまで、母さんとの約束を果たす為であって……。
時は昨日の夜。上圓からおかしなことを言われた日の夜にまで遡る。
部屋の中で、俺はとあるチラシを見ていた。
俺の見るチラシといえば、もっぱら最寄りのスーパーの特売チラシであるのだが、今日は違う。
杠依雨。例のあの不思議な先輩から貰い受けた、廃墟部の勧誘チラシである。
そこには先輩が実際に撮影したのか、なんとももの寂しい廃墟の写真を背景に、土曜日の午前十時某駅集合と書かれていた。
俺は明日、その催しに参加する。「新入生歓迎廃墟ツアー」とか銘打たれた、謎の催しに。
そしてそこではっきりさせるのだ、廃墟部に入部するのか、しないのかを……!
なんて思っていたら、スマートフォンにメッセージが届いていることに気づく。
(荒木)『明日ダクソしよー』『(謎の騎士が手招きしているスタンプ)』
「それくらい、学校で言えよ……」
思わずぼやいてしまうくらい唐突なメッセージだった。
というか、アイツ、他のクラスメイトと遊んだりしないのか? 明日は休日なのに。
……しかしまあ、あまり人様の休日の過ごし方に文句をつけるのもよくないか。
俺はそう思い、慣れない手つきで返信を試みる。
(自分)『申し訳ないが、明日は廃墟部の催しに参加するので無理だ』
するとしばらくして返信が来た。
(荒木)『参加希望』
「はあ?」
アイツ、廃墟部には入らないんじゃなかったのか? よくわからない奴だな。
まあ、チラシには「友達も連れてきてね! 飛び入り歓迎!」とか書いてあるので、荒木の急遽参戦自体は問題ないのだろうが。
―――ぴこん。
(荒木)『詳細はよ』
はよってなんだ? 早くしろってことか? などと思っていると……、
(荒木)『うう、既読無視やめてください……』
とまあ、そういうわけで、同行者が一人増えることになった。
そしてまた更にその一時間後。
寝ようかなと思っていたら、またスマートフォンの通知が光っていることに気付く。
俺のアドレスを知っている人間などほぼいないので、また荒木かと訝しみつつ画面を睨む。
(上圓)『明日私の家の前に11時で』『遅れることは許しません』
クソ生意気な後輩からの連絡だった。そういえば今日連絡先を交換させられたんだった。
しかし、それにしてもなんだこれは。大体、奴の家なんか知らん。
一々突っ込むのも面倒なので、端的に拒絶する。
(自分)『無理だ』
すると、ものすごい速度で返信が来た。しかも連続で。
(上圓)『は?』『てか既読ついてから返信までが遅い』『既読つけんのも遅い』『私を最優先に物事を運んでください』『わかりましたか?』
(自分)『無理だ』
(上圓)『え』『意味わかんない』『理由』『私のお願いより大事なものなんてこの世にないんですけど』『そんな簡単に無理とか言わないで』『むしろそれがムリ』
(自分)『明日は廃墟部の催しに参加する』
(上圓)『あっそ』『だから?』『聞いてないし』
(自分)『言ってないからな』
(上圓)『うざ』『死ね!!!』『ばーかばーか!』『(大便のゆるキャラ(?)が中指を立てているスタンプ×3)』
すごい勢いで罵倒の言葉が画面上にぽんぽんぽんと表示された。
軽く傷ついていると、振動と共に、急に画面が別のモノへと移り変わり――
上圓
画面の上半分いっぱいに表示されるその二文字。
つまり、上圓からの電話が来た。
俺はそれを見て、正直出たくないなあ、やだなあ、うわあと感じながらも、出なかったらもっと大変な事態になりそうなことを予感して、数秒の逡巡の後、出た。
すると開幕――
「おそい!!! ワンコール以内に出ろし!」
耳を劈く様な、特大の罵声が反響した。
「……すまない」
「てかなんなですか、さっきの? ふざけてるんですか馬鹿にしてるんですか殺しますよ」
「捕まるぞ」
「おもんな! なんですかそのクソリプは……。はーイライラする~。まあいいです、明日のそのイベント? 私も行くんで。いいですね?」
「え、はあ?」
「返事! いいですね?」
有無を言わせぬとは、正にこのことである。俺は自分の意志の確認という過程を経ることなく、いつの間にか頷かされていた。
「え、まあ、どうぞご自由に」
「じゃ!」
ガチャン!
……実際にそんな激しい幕切れの音はなかったのだが、そうと幻聴する程、乱雑に電話を切られた。
なんでこんなに俺は下手に回っているのだろう。女子中学生に。まあ、構わんが。
そう思っていたら、またピコピコと小悪魔からのメッセージがやって来た。
(上圓)『場所と時間』『もう寝たいんで早く教えてください』
「はあ……」
なんなんだろう、これは。
俺は何とも言えない気持ちになりながら、必要事項を上圓へと送り付けた……。
翌日。
「おは~!」
駅前で待っていると、集合時間の五分程前に荒木蘭菜がやって来た。(ちなみに俺はその五分ほど前からここにいる)
「おはよう」
俺はやってきた彼女の私服姿を眺めながら、挨拶を返す。
「なぜ制服なんだ?」
「へ? 学校のイベなんじゃないの? 今日?」
彼女はいつも通りの露出の激しい制服姿で首を傾げた。
「まあ、そうだが……。チラシの注意書きを見なかったのか?」
「ハァ? なんのハナシ……ってかむしくん意外と私服まともじゃん!?」
「母さんが選んでるからな」
「いや、ガチのマザコンやないかい!」
「なぜ急に関西弁……?」
「深い意味はない。意味がないのが意味。ぐれーとえんたーていめんとれくいえむ!」
「……?」
何を言っているんだコイツは?
「あ、やっぱむしくんてニコ動とか見ない系なのね。漫画とかも読まなそうだし」
「ニコドウ?」
「動画サイトの名前。アタシ、ゲーム実況してる時のクセで、素で話してるとそういうノリの変なこと言っちゃうみたい。気をつけなきゃかも」
「なるほど」
死ぬ程どうでもいい。
「ひゃああっ!? なんなんその信じられないくらい興味ねーって顔!? もう少し対話者に気をつかってよぉ……。ヘコヘコに凹む……。アタシの話ってそんなにつまらないのかな……。はっ、もしかして視聴者も実は……」
出会って五分もしない内に下を向いてブツブツ言い出す荒木。大丈夫かコイツ。
「はあ……」
というわけでため息をつきつつ、面倒だなあと思いながらも「そんなことないぞ」「元気出せ」「お前はすごい」「面白い」「よっ人気投稿者」みたいな中身の無いことを言って励ましていると、後ろから小さな声がした。
「はわ……、昌也……」
美しく繊細な声が耳を通り、甘美な電流へと変換されて脳天を痺れさせる。
「先輩っ!」
俺は一瞬前まで荒木と何の生産性もない会話をしていたことなど刹那に忘却してばさっと後ろを振り返った。
そこには――
「ありがとう……。来てくれた……。待ってた。うれしい、うれしい、な……」
どこか退廃的な衣装に身を包んだ、可憐で尊い紫の薔薇(スターリング・シルバー)の様な杠依雨先輩がいた……。
そして、その二十分後――。
「こんにちは~! って、あれ、ギャル先輩もいるんですかー?」
遅刻してきたにも関わらずまるで悪びれていない様子の上圓がやって来た。
「ホントに来たし……」
「参加者、増加……。よろこばしい……。感謝……」
「お前、流石に少しは遅刻して申し訳ないみたいな態度を取れよ……」
「それならさっきせんぱいにごめんなさいラインしたじゃないですか~」
「だとしても実際にも言うだろ、普通」
しかもコイツが言ってるごめんなさいラインとは、集合時間から十分経っても現れないので仕方なくその旨をSNSで詰問したところ、「せんぱいの為におめかししてたら、ちょっぴり遅れちゃいました(謎の絵文字)」「てへっ?」という恐らくは嘘である申し開きと主観的に述べられた事実に申し訳程度の謝意を添えただけのものである。
「てへっ」という三文字とハートを謝罪と受け取れる寛容性が俺にも欲しい。
そして、そう思ったのは俺だけではなかったようだ。
「この淫乱ピンク、常識ねえのかよ……(ぼそっ)」
小心者らしく、小声で文句を垂れる荒木。
するとそこへ、甘ったるいのに謎の威圧感がある声が飛ぶ。
「えぇ~、何か言いましたかぁ、らんちゃ~ん? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれませ~ん?」
いつの間にか「らんちゃん」なんてあだ名で呼ばれているらしき荒木は早くもヘタレた。
「な、なんでもないし! た、ただー、ゆー先輩はどう思ってるんかな~……?」
「いいよ。わーは、来てくれただけで、上々、揚々、感無量……」
さすがは杠先輩。俺達とは器の大きさが違う。見習わなくては。
なんて思っていたら、その偉大なる精神を内包した小さな身体へと、魔の手が。
「わお、お二人と違ってゆっずん先輩は優しいお方みたいですね~。だぁーいすき」
上圓はそう言うと、杠先輩へと抱きついた。
けれども彼女はまるで動じない。
「逆説、ただし……ええと、あなた……」
そしてそのまま自身の細い身体に絡みつく上圓の腕を無表情で剥がしながら、先輩はその持ち主をずいと見遣って口ごもった。
恐らくだが、名前を思い出そうとしているようだ。一応彼女が来る前に荒木の自己紹介ついでに上圓しえるという名も出したのだが、まるで心に残らなかったのか。
と、思わぬ助け舟。
「ん~、上圓がどうかしましたか?」
先輩はきゃる~んと小首を傾げてみせる上圓を見つめ、再び口をあけた。
「そう、上圓。蘭菜にはもう、さっき言ったけど、服装が駄目。アウト……」
言いながら、小さな指でバッテンを作る。
ただ、そんな尊い仕草をする彼女の目つきは少し厳しい。
その目線の先には、「ゆるふわ」という形容が恐らく一番相応しいと思われるであろうファッションスタイルの上圓がいる。清楚ながらにどことなく隙があり、女の子らしさの主張が激しいにも関わらずあまり攻めている感じがしない――そんな出で立ちの彼女が。
即ち、俺がこれまで母さんから受けてきた情操教育の中で幾度となく要注意人物のする格好とされてきたものが。曰く、完全に計算された完全に計算されていないように見えるコーディネート、やべえ女の着る私服。
なので、俺はなるほどこれが例の清楚系ビッチと言う奴かと思いながら、彼女の口が動くのを見ていた。
「謎かけか何かです? ギャル先輩ならんちゃんはともかく、上圓はいつも通りかわいいですけど。むしろ私服かわい過ぎてせんぱいとかさっきから、惚れ直しまくりですし」
「勝手に人の感情を捏造するな」
むしろ明確に距離を置かなくてはと注意している。
そして先輩もそれに同意なのか、眉をしかめ――。
「たしかに、かわいい……。でも、危険……」
「危険、です? まあ、道行く人がみんな上圓に惚れてしまうという点で見れば、そうとも言えるかもしれませんけど」
「うわぁ、啓蒙高過ぎんだろ、このビッチ……(小声)」
もはや荒木さえも、彼女の極まった着こなしに引きつった笑みを浮かべていた。
「なにブツブツ言ってるんですか、らんちゃん?」
「な、なんでもないって~。しえるちゃんマジ無敵ピンクじゃん的な~?」
「いいこと言いますね、ギャル先輩。せんぱいも見習ったらどうです?」
「そもそも無敵ピンクってなんだよ」
わけがわからん造語に疑問を呈す。
が、帰ってきたのはその回答ではなく。
「のん。上圓、無敵ちがう……。むしろ危機的……。待つのは悲劇……」
先輩の至って真面目な忠告だった。
そして――。
「は~、まだなんです~? もう上圓足パンパンですよ~。せんぱーい、おんぶ~」
「はあ、はあ……。もう歩けない……。心が折れそう……」
あの後、電車に揺られ一時間強、そしてそこから田舎道を三十分程歩いて、現在。
誘ってもいないのに自分からついてきた二人の女が、延々と文句を垂れていた。
「だから言った。その靴は、よくないと……。色んな、意味で……」
「そういう問題じゃないですよ~。運動靴でも一時間徒歩はふつーにしんどいです」
パンプスを鳴らしながらぶーたれる上圓。
「そうかもしれないが、まだ三十分だ。話を盛るにも程があるだろう」
「だって全然つきそうにないですし? この調子で歩いたらそうなりますもん」
「いや、さすがにそろそろ着くんじゃないか? どうですかね、先輩?」
「うん。というか、ほら、あれ……。もう、到着……」
「え、どれ……? はあ、はあ……、なんもなくない?」
「よく見て、あの生い茂る緑の奥に、お城……。見えるはず……。廃れた、お城が……」
彼女の言う通り、目を凝らすと、ぼうぼうに生えた木々の狭間から、年季の入っていそうなホテルっぽい建物の一部が見えた。
「あっ、ああ、あれですか? たしかになんか見えますね。うわー、すごい古そ~。え、もしかして目的地あれなんですか? マジですか? あんなのの為にこんな歩かされたんですか?」
「そう。あの為だけに、わーたちは、歩いてきた……」
「ちっ……。せんぱい、後で説教」
「なんでだよ。お前が私も連れてけみたいなこと言って来ただけだろうが」
「はあ? なんならここでしてあげてもいいんですよ? これとして。お話」
そう言うと上圓は俺にだけ見えるように小指を立てた。
昨日のあの発言を引きずっているのだろうか。
よくわからないが色々とめんどくさそうだったので、適当に頷いておいた。
するとその裏で、未だやや息の荒い荒木が言う。
「てか、おもっくそ立ち入り禁止って書いてあんだけど……」
見やると、確かに目の前にはそんなような完全に人を遠ざけることが目的であろう柵があった。工事現場などにも使用されているようなものが。3mくらいの。
だが、杠先輩はこともなげに。
「許可は得てる。だいじょうぶ」
と言ってさっと後ろを振り返ったかと思うとまた前を向き直り、その人形のように繊細な体つきからは想像もつかない身のこなしであっさりと柵を超えて向こう側に立った。
「は?」
「ええええええええー!!! マァ?!」
「嘘だろ……」
残された俺達は驚愕の渦に包まれる。
至極当然の反応だと思う。
だって箱入り娘だとか文学少女だとか薄幸の美少女だとか天使とか妖精みたいな雰囲気の杠先輩がやんちゃな男子高校生でもなかなかしないようなことをいきなりやってのけたのである。驚くなという方が無理だ。
なのに先輩は柵の網目越しに真顔で。
「こんな感じで、こっちへ……。気をつけて」
なんて言って手招きをしている。
「今更ですけどあのヒト頭おかしいんじゃないですか?」
「失礼だろお前」
「いや、でもふつうに変態過ぎるでしょ」
「普通に変態ってなんだよ」
「それは言葉の綾じゃん」
「まあ、変態みたいな格好してるのはらんちゃんですけどね」
「はあ? ただの制服だし!」
「だってそれ、その格好で柵なんか登ったら、パンツは見えるわ乳首は見えるわってな大惨事になると思いますけど」
「たしかに……。むしくん、見たら死なすかんね?」
「いや、乳首は見えないだろ」
「そこ?!」
「ていうかなに見たがってるんですかせんぱい。上圓というものがありながら」
「ねえよ。そもそも見たがってなんていない」
「でも見れたら喜ぶんでしょう?」
「さあ?」
「なんだしその反応……」
「結局むっつりなんですよ、せんぱいも。所詮は童貞男子高校生です」
「ああ、もうそれでいいから。取り敢えず、先、登ってるぞ」
どこまでいってもこの会話は俺に不利でしかない上に、いつまでも先輩を待たせるのもアレなので、さっさと柵越えをすることにした。
進入禁止と書かれた柵を超えるのには抵抗があるが、先輩が許可を得ていると言っていたし、それなら大丈夫なのだろう、たぶん。登る時に「一応、人に見られてないか確認してから、ね? いらぬ誤解を生みかねない……」とか言われてやや不安になりもしたが、まあ、先輩がそんな違法行為なんてするはずがないし、大丈夫だろう、たぶん。
そしてその後、残りの二人も柵を超え(「先に行ったということは乳首派だったんですね」とかからかわれた上に、どんくさい荒木が落下しくさったのを受け止めて悶絶していたら「そこまでしたのに結果見れなくて残念でしたね」などと言われたという最悪のイベントだった)。
「じゃ、いこう……。れっつごう……」
という先輩の弱々しくもどこか楽しそうな掛け声と共に、俺達はその建物に向けて再び歩き出した。
そして。
「初デートにラブホとか最低ですね……」
と、上圓にジト目で言われているというわけだった。
なぜなら、俺達が杠先輩に連れてこられたのは、ラブホテルだったからである。
といっても、ここはただのラブホではなく、勿論彼女の部の活動で来ているので、それはもう本来の機能を失ってしまった廃墟――廃ラブホであるのだが。
湖のほとりにあるこの大きな廃ラブホは、見上げる程立派な佇まいであり、具体的に言うと十階くらいまでありそうだった。そしてよくわからない中東風の装飾が施された外壁のせいでアラビアの宮殿の様な印象を受けるが、その頂辺には中華テイストのレストランがあるらしく、チグハグ感がすごい。
先輩はそれを見て「ああ……、この、潰れるべくして、潰れた、ラブホ……。高速沿いでもない郊外の微妙な観光地に立って……、性が果たせればいいだけを、あろうことかこんなに巨大に、珍奇な外装……。しかも、食事施設まで……。愚か。愚か。けれど、だからこそ愛おしい……。感じる、感じるの……、息吹を……。時代の……」のようなぼやきをしばらく続けていた。恍惚とした表情で。
その様は、システィーナ礼拝堂で素晴らしい壁画を前に打ちひしがれる殉教者の如き神々しさがあったが、あくまで彼女はそれを薄汚れたラブホに対してやっているわけで、この時ばかりは流石に俺も「頭おかしい」と思ってしまった。
「うわー、でもなんかすごいわー。こういう廃墟ってダクソ感あって好きなんだよね~」
「あー、わかります。オタクってそういうの好きそうですよね! 寂れてて人気がない感じとか、なんか陰キャっぽいですし!」
先輩ほどでもないが浮かれているらしき荒木へナチュラルに毒づく上圓。
すると先輩は急にこちらへ振り返って。
「それは、肯定……。でも、気を付けて。夜に来ると、大体どきゅん……」
「まさかの超絶陽のたまり場だった……?! あっ、でも確かに、ああいう頭の悪そうな輩って、廃墟で肝試しとかしてそう」
「あー、なるほど! ギャル先輩みたいな見た目の女の彼氏やってるような低脳ヤンキーとか」
「ねえ、しえるちゃん、アタシのこと嫌いなの……?」
「いえ、別になんとも思ってないですよ?」
「ううっ、ひどい……」
「それより、いつまでもつっ立ってないで、とっととナカ入っちゃいましょうよ~」
「意外と乗り気だな」
「だってここまで割と苦労して歩いて来て、なんもしないってのもムカつきますし」
「うんうん、そうだよね! アタシはガゼン探検したい! 探索するの好きだし」
盛り上がる二人。
だがしかし。
「でも、その服装は、危ない……」
テンションの上がってきた若者二人に向けて、ここに来る前にも言っていた忠告を繰り返す杠先輩。
というのも、廃墟というのは手入れがされておらず朽ちかけているわけで、普段着で探索するのは大変危険な行為であるということらしい。
例えば剥き出しの釘が足に突き刺さる、指や腕なんかを砕けたガラスで切ってしまう、床や階段を踏み抜いて落下、野犬・蛇・虫なども要注意……などなど、廃墟には本当に無数の脅威が潜んでいるそうだ(ならば行かない方がいい気がするが……)。
だから探索の際は長袖長ズボンに軍用ブーツや登山靴などが好ましいらしい。それはちゃんとビラにも書いてあったし、昨日俺からも伝えた。
だというに。
「ここまで来て何を今更です」
「依雨ちゃん、お願い!」
絶対汚したくなさそうだし露出はしてるしどこかに引っ掛けそうなデザインとかいうふざけた服装をしている二人は、先輩に縋った。
すると彼女はしばし、逡巡した後――
「わかった。なら、せめて、私より前には絶対に出ないで欲しい……」
と言って、透き通った瞳で俺達を見つめた。
そして。
とうとう、俺達は先輩のくれたマスクと手袋を付け、廃墟の内部へと侵入した。
いや、侵入ではないのかもしれない。
なぜなら先輩はきちんと鍵を使って正面から建物へと入ったのだから。どうやら許可を取っているというのは本当だったようで安心した(まあ、正面といってもラブホなのであまり正面感はなかったのだが)。
「うわっ、きったな……。てか暗すぎません? って、はあ? くさっ!!!」
上圓がファーストインプレッションをそのまま全てアウトプットしてくれた通り、手入れの行き届いていない廃墟の中は荒れ果てていて汚く、昼間とは思えないほど暗く、単純に臭かった。
エントランス跡にはゴミが散らばり、割れたガラスが散らばっている。先輩が壁を懐中電灯で照らすと、早速前衛的な落書きが映し出された。
「…………。」
いきなりの非日常的エレメントの数々に圧倒されてしまう。
が、そんな俺とは対照的に、あからさまにテンションを高くしているオタク女が一人。
「ひゃ~、テーマパークに来たみたいだぜ~、テンション上がるな~」
「いやいやなに言ってんですかギャル先輩? どうせそんな見た目しといて実際は友達とデイズニーとか一回も行ったことないくせに」
「……あ、あるし!」
「夢の国だけに夢の中のお話ですか?」
「ううっ、むしくん、この子、ひどいよぉ……」
コテンパンにされた荒木は、そう言いながら俺にすがりついてくる。こんな暗くて寂れた空間でそんなことをされるとゾンビの様で不気味だから止めて欲しい。
「安心しろ、どうせこんなこと言ってるがコイツも友達と遊園地とか行かないタイプだろ」
「あの、せんぱいにだけは言われたくないんですが……」
「すまないな。俺は毎年母さんと行っている」
「なんでドヤ顔なん?」
「マザコンじゃないですか。ふつーにキモい……」
え?
「朽ちる前に親孝行……、いいこと……。昌也は、偉い……」
想像していなかったレベルの批判にショックを受けていたところで、先輩からの正当な評価。
そのお褒めの言葉をいただいた瞬間、自分の中の黒い感情が浄化されていくのを感じた。
「先輩……!」
しかし、残る二人は納得がいかないらしく。
「まさかの擁護派ですか?! 弱みでも握られてるんじゃないでしょうね……?」
「もしかして部に入る代わりに、なにか口では言えない様な誓約を……。むしくん、恐ろしい子っ!」
なんなんだ、この俺への理不尽な低評価は……。
さてはて、そんなこんなで始まった廃墟探索。なんとも奇妙なメンバーでの冒険ではあったものの、蓋を開けてみれば、思いの外和気あいあいとした雰囲気で楽しかった。
上圓は事あるごとに毒づき、荒木は物音がする度にびくついて、先輩は終始ミステリアスだったが、それでも不安定な場所に共にいるが故の吊り橋効果か何かなのだろうか、不思議な連帯感の様なものが俺達四人には芽生えていた。
なにせあの仲が悪かった俺達が、今や手を取り合って歩いているくらいだ。例えば、上圓は露骨に嫌そうな顔をしつつも荒木が自分の身体に抱きつきながら歩くのを許している(ちなみに当の本人は俺の手を強く握っている)。
しかし、そんな非日常的な時間もいよいよ大詰め。
最上階である十階までのフロアを探索し終えた俺達は、階段を下り始めていた。
上圓曰く、「日本にある一番くさいトイレよりくさい」匂いや、剥がされた壁紙、床に空いた穴、なぜか散乱している成人向け雑誌、用途も内容物も不明のバケツ……など、普段普通に生きているだけでは絶対に経験する事のないであろう物達とも、一旦ここでお別れなのだ。
なんとなく、感傷的な気分になってしまう。
どうやら自分は今日のこの催しをだいぶ楽しんでいたらしい。
であれば、やはり俺は、廃墟部に……。
と、そんなことをうっすらと考えていた矢先のことだった。
「しっ、静かに……」
先頭を歩く先輩が振り返り、神妙な顔付きでそう言った。懐中電灯まで消して。
さっきまで荒木を心無い言葉でいじめていた上圓が、「どうかしたんですか~?」と能天気な声で尋ねる。
「光芒、目撃……。わーたち以外の、人間……いるかも。遭遇は、避けたい」
「はあ」
上圓が「だからどうしたですか?」とでも言いたそうな不満げな声を漏らす。
だが、先輩はこの廃ラブホに入る前に言っていた。
廃墟における危険、腐食した床、剥き出しの釘、野生動物、アスベスト……それらを遥かに上回る最も恐ろしいもの。それこそ、人間にほかならないと。
廃墟とは、ある意味でこの法治国家日本における例外的な無法地帯だ。人の目はなく、そこで上がった悲鳴は誰にも聞こえず、土地の管理者はその責務を放棄している。
そんな場所でもし人間と出会うとすれば、浮浪者、不良、逃走中の指名手配犯、反社会的勢力……など、常識の通じぬ人々ばかり。その様な人間と、薄暗い、どこで誰が死んでいようが誰にも気付かれない様な場所で出会うことの危険性。これは、言わずもがな。
荒木は、そんな先輩の忠告を思い出したのか、ガクガクと震えながら上圓の腰にしがみついている。
それを見て、さすがの上圓もヤバいと思ったのか、
「何かあったら、頼りにしてますから」
と、小声で俺に耳打ちした。
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