第五話 暗い魂の有真論


 次の日。

 なぜか俺は荒木の家にいた。

「うわー、むしくん信じられないくらいヘタだね~」

 そしてなぜか、罵倒されていた。


 なぜこんなことになったかというと――。

 

 昨日の昼休みに弁当を作って欲しいと例の二人に言われたことを鵜呑みにし、実際に小さめではあるが二人分の弁当を作ってきていた俺は、昼休みになるとまず荒木にそれを手渡した。

 すると彼女は「え、ホントにつくってきてくれちゃったの……? もしかしてむしくんって、いいヒト? 神? 聖人? アストラエア?」とかなんとか、よくわからないことを言って、また涙目になった。……いや、嬉しくても泣くのかこいつは。

 そしてそのお礼ということで、なぜか彼女の家にお呼ばれする流れになり――(ちなみに今日はなぜか上圓に出会わなかったので弁当を渡す機会がなく、代わりにその分は荒木が嬉しそうに完食した)。

 俺は高校入学一週目にして、同級生の女子の家を訪問することに相成った。

 

 彼女の家……というかマンションは、学校から徒歩十分くらいの場所にあった。

 やけに近いなと思ったが、道中で聞いたところによると、どうやら荒木は高校入学を期に一人暮らしを始めたらしい。

 しかし、それにしては随分とまあまあなマンションに住んでいるなという印象を受ける。土地の値段的には大差ないのだろうが、単純に建物の規模からして普通に俺と母さんが二人で暮らしているアパートより家賃が高そうだ(更に、これは入った後にわかったことだが、俺たちの住まいが1Kなのに対し彼女の住まいは少なくとも1DK相当の広さがあった。日本の経済格差は根深い問題だなと思った)。


「そ、その、友達呼ぶのとか初めてだから、緊張する……」

「意外だな。もう毎日バカみたいに呼んで騒いでそうなのに」

「むしくんのアタシのイメージってそんななんだ……。まあ、あんだけ無様なトコ見てんのにまだそう思ってくれてんのはある意味ありがたいケド……」

 そんなような会話をしながら、マンションの中へ入る。自分のアパートには無いオートロックの正面扉やエレベーターに目を奪われつつ彼女の部屋へ。

 304。それが彼女の部屋の番号だった。

 ガチャリと鍵を開けて彼女がドアノブを回し、部屋の中へ――

「わあああああああああああああああああっっっ!!!?!」

 が、唐突に荒木は奇声を上げながらバタンとドアを閉めて振り返り俺を突き飛ばした。

「な、なんだ?! 急にどうした?」

「あ、いや、そのー……そーいえばお部屋がお散らかり申していたなあと……」

「自分で嫌がらせの如く強引に人を誘っておいてそのザマか」

「ふぇ……ごめんなさい……。ぐうのねもでない……。ううっ……」

 彼女はまたも涙目になった。涙腺の戸締りが緩過ぎるだろう。勘弁してくれ。

「いや、まあ別にこの際構わん。俺は気にしないから入れてくれ。でなければ帰るぞ」

「え、やだ。帰らないで! ここまで来て帰るとか、ボス前まで走っといてボス霧入らないで骨片使うようなモンだし!」

 相変わらず喩えがわかりづらい……というかわからん。

「面倒なやつだな……。じゃあ、入れてくれ。いいか?」

「や、じゃあ、その、目隠し! 目隠しするけどいい?」

「目隠し?」

「そうそう。見せたくないのはとある一角だけだから、ベツにそれ以外はゼンゼンだいじょーぶなの!」

 と言われ、「わかった」と了承すると、彼女は「じゃー目ぇつぶっててね?」と言い、俺の両目を両手で覆った。

 そして歩き出す。おそらくは彼女の部屋の中へと。そこまでして隠したいものとはなんだろうと思いつつ、彼女に従う。従うのだが……。

 いやしかし、大問題として、背中に胸があたっていた。もにゅん、もにゅん。柔らかい。それでいてきちんとハリがある。更には視界が奪われているせいで、それがやたらと生々しい。しかもよく考えたら、この後ずっと二人きり……。

 ああ、だめだ。だめだ。母さんの過剰のスキンシップのせいか、たとえいくらかわいかろうがあまり女性に対して緊張するということはないのだが、どうやら大きな胸に関しては未知のゾーンであり、どうも本能的な部分で反応してしまうらしい。

「あ、靴脱いで」

「……目隠ししながらか?」

「もち」

「……なるほど」

 なんという奇特な体験か。同級生の女子から目隠しをされながら、靴を脱ぎ、同級生の女子の部屋に入る。……なんだか特殊な性的倒錯の様にさえ思えてくる(実際、胸はあたっている)。

 そうこうして、靴を脱ぎ、脱ぎ終えた靴をきちんと揃って並べられただろうかなどと妙な不安を覚えながら、また立ち上がって歩き出す。

 なにぶん視覚を奪われているので背中を押されながら歩くわけだが、必然、めちゃくちゃ胸があたってくる。というか、押し付けられている。

 なんだこれは。こんな心地よい感蝕がこの世にはあったのだな。この素材で布団を作ればベストセラーなのではないか。

 などと思っていると、バタンと後ろ手にドアを閉めたらしき音がして、「もういーよー。ごめんねー」なんて声と共に、おっぱいの感触は――じゃなかった、目隠しをしていた手の感触は去った。

 網膜に戻る光。

 すると、

「うわっ……」

 目の前には、信じられない景色が広がっていた。

「どー? いいでしょー? アタシの部屋~。アタシのお城へようこそ~」

 ドン引きしている俺に気付いていないのか、彼女はやたらと上機嫌だった。

「お前、こんな部屋に住んでいるのか……」

 俺は思わず、そんなことを言ってしまう。

 けれど実際、「こんな部屋」と言いたくなるほど、彼女の部屋は常軌を逸していた。

 なんとなくだが、女子の部屋に行くとなった俺は、それが果たしてどんなものなのだろうという想像を少しばかししていた。きっとこの見た目だから部屋の内装も派手なのだろうか、あるいは意外と普通の女子っぽいかわいらしい部屋(一度もお邪魔したことがないので普通の女子の部屋というのがどんな部屋なのかは知らないが、イメージとして)なのだろうか、みたいなことを。

 しかし、残念ながら(?)この部屋は、そういう派手とか派手じゃないとかかわいいとかかわいくないとか、そういう次元にはなかった。

 というか、こんな部屋に住んでいる人間がこの世の中にはいたのかという驚愕が第一に俺を襲った。世界は広いのだなと。

 というのも、この部屋にはまず大きな特徴として、甲冑があった。しかも、二つ。

 はあ?

 なぜ現代人の、それもこの平和な日本の一女子高生の自室に、鎧が。それも、西洋風の。意味が分からない。おあつらえ向きの剣とか槍とか盾(レプリカかなにかだとは思うが。……だよな?)まであるし。

 そしてそのせいで霞んでしまいそうになるが、その横にはガラス棚が三つあり、その中に西洋騎士(?)やらなにかのゲームのドラゴンやらロボットやら怪物(?)と思しきフィギアや指輪などがたくさん飾られている。加えて、天井や壁など、至るところにゲームのポスターらしきものがバシバシ貼られていた。

 後は部屋の端にベッドと勉強机とパソコンとミシン、その反対側にテレビとゲーム機にクローゼットと本棚、そんなところだろうか。

 ううん、総括すると、よくはわからないのだが、なんとなくオタク(?)の部屋という印象。それにしても甲冑は意味不明だけれども。少なくとも一般の女子高生の部屋ではない。後、全体的に部屋の色が黒い。壁紙やら、家具やらが。

「お、そんなにうらやましいの?」

 呆然としている俺を見て、何を勘違いしたかふふんとそんなことを尋ねてくる荒木。

「まあ、なんというか、すごいな」

「でしょでしょ~。えへへ~」

 本人が幸せそうなので、素直な感想を言うのはやめておこう。

「これはね~初代に出てくるアルトリウスの鎧で~、あ、アルトリウスっていうのは深淵歩きっていう称号を持ったバチクソかっこいくて鬼強い騎士なんだけど実は……」

「……。」

 その後、なんだかよくわからないゲームの話を、滅茶苦茶早口なご機嫌口調で30分も話されたが、わけがわからなかった。


 30分後。

「それで? 今日はそのゲームをやらせる為に俺を呼んだんじゃなかったのか?」

「はっ!? あ、ごめん。アタシってばつい……。いつの間にか早口キモオタみたいになっちゃった……。うう、またやっちゃた……。アタシってなんでこうなのかな……。ぐすん……」

「泣くなよ……。ほら、お前の話、面白かったし、それにそんだけ熱く語れるものなんて自分にはないから、少し羨ましかったしな」

「そ、そう? ほんと? 嘘じゃない?」

「俺は基本的に嘘をつかない」

 今の話も、後半部分は本心である。

「そ、そっか! じゃ、じゃー、今から全一でおもろい神ゲー、『ダクソ』を、むしくんにプレイさせてあげるね! 覚悟しろー?」

 彼女はそう言うと、ゲーム機らしき直方体の電源を入れた。


 

 そしてまた30分後。

「うわー、むしくん信じられないくらいヘタだね~」

 こうして罵倒されているというわけだった。

 どうやら、俺は信じられないくらいゲームが下手であるらしい。

 彼女曰く、「今までゲームで一度も酔ったことないのに、むしくんのカメラ操作がひどすぎて酔った」「なんで虚空見上げながら崖下にダッシュすんの?」「回復って知ってる?」「それはねー盾じゃなくて素手って言うの、知ってる?」「まだそこチュートリアルなんですけど!」「あー、×ボタンの存在忘れてる感じ?」「武器は装備しないと意味がないんだよ、むしくん……」「あのさ、敵にはちゃんと攻撃しよっか?」「無限に壁に向かって走ってて草」などである。クサってなんだよ。

 そんなこんなで、俺はそもそも操作方法などすら理解するのに時間が掛かり、自分の分身が画面の中にいるという概念等、ごく基本的なゲームの構造を理解するのにも時間が掛かった。何分、これが初のテレビゲームなのだ。ご容赦願いたい。

 が、しかして、俺はその後二時間程かけ、最初のボス(各地に存在する門番の様な存在であり強敵であるらしい)を倒した。

 荒木なんぞに教えを請うという屈辱に耐え、やっとの偉業である。

 そしてなんとまあこれが、案外に嬉しい。

 なんと言おうか、それまでに凄まじく時間をかけただけでなく、何度も何度も死んだりしたので、倒した際の達成感には中々のものがあったのである。

 成る程、これはハマる人がいるのも納得だなと思った。

 と、そういうわけで俺がホクホク顔でボス討伐後のゲーム画面を見ていると、

「やったじゃん! むしくん! おめおめー!」

 と言って、いきなり荒木が抱きついて来た。

「なっ、おい!」

 ボス討伐の感慨に浸る俺を邪魔するな! その柔らかい感蝕、やめろ! そう言えば今密室に二人っきりだという現状を思い出すだろうが! この馬鹿が!

「もー、あんなド下手だったむしくんが、一日目にしてボス倒しちゃうとかさー、ししょーとしてハナダカだわー。ま、あれチュートリアルボスなんですけどね!」

「は?」

 というかお前に教えを請いこそしたが弟子になったつもりはない。

「ま、貸してみー」

 俺が色んな感情とともに彼女の言葉を脳内で否定していると、荒木はすっと俺の手に握られていたコントローラーを奪取し、手馴れた手付きで俺にさせたのと同じように新しく一からゲームをスタートさせた。

 そして。

「お手本見したげるわ」

 彼女がそう言った後、俺は数分の間、画面から一時たりとも目を離すことはなかった。


 それはある種、残酷ですらあった。

 彼女が操作するキャラクターは、終始画面内を一切の無駄なく駆け抜けていく。その洗練されたなめらかな動きは、さっきまで俺がプレイしていたのとは全く別のゲーム内でのものなのではないかとさえ感じさせた。

 素人目にもわかる。彼女はこのゲームに相当熟練しているのだと。

 やがてそれは、圧倒的事実となって俺に突きつけられた。

 なんと、俺がプレイから約二時間半かけてようやく倒した強敵を、彼女は開始三分程で即殺したのだ。

 しかも、大したことなさそうに。ひどくあっさりと。

 それが証拠に、彼女は俺にコントローラー返すと、気さくに笑った。

「こんな感じ~。どう?」

「……お前、すごいな」

 素直にそう思った。

 それがなんであれ、何かに真剣に打ち込んでいるというのは、等しく賞賛に値するのだなと痛感した。

「そ、そうかな……。なんかそんな風にじかにほめられたの初めてだし、照れる……」

「だってお前、なんだよ……。俺が二時間半かけたのに、三分もかかってないだろ」

 あまりの力量の差に、悔しさを通り越してなんだか呆然としてしまう。

「えと、あれでもちょっとミスったから、ほんとなら二分半くらいにはできるんだけどね。えへへ……」

「まじかよ……」

 あれより早くなるのか――?

 さっきから唖然としっぱなしの俺を見て、彼女は照れくさそうに横髪を撫で、頷いた。

「う、うん」

「どれくらい練習したんだ?」

「あー、どうだろ、測ったことないし、わかんないなー。千時間とか?」

「千時間?!」

 毎日三時間やったとしても一年弱かかるじゃないか……。

「あっ、またアタシってばイキってキモいことを……。フロムゲー千時間やってる陰キャとか、キモいし……。せっかくむしくんと仲良くなれそうだったのに……。しにたい……」

「まあ、確かに少し引いたが……」

「やっぱり……。」

「だが、それでもさっきのはすごかった。アレを見たら、キモいとは思わないさ。素直にすごいと思えるよ」

 今回のは、完全なる本心である。

 するとそれが通じたのか、さっきまでしょぼくれていた荒木は俺の手をギュッと握り、拾われた捨て猫の様な目で俺を見上げた。

「はわ~。むしくんてば、もしや顔に似合わずいい人なんか?」

「なんだそれは……。一番顔に似合わずなのはお前だろうが」

 すぐ泣いたり、ゲームがやたらと上手かったり、甲冑のある部屋に住んでいたり。

「ぐさぁっ! ううっ、今のは傷ついたよむしくん。アタシがどんな想いでこんなギャルみたいな見た目してると思ってんのさ! あんまりなんですけど!」

「知るか! 何故お前がどんな想いでその見た目をしてるのか察しながら会話しないといけないんだ。おかしいだろうが」

「そんなのしらないし! 優しくするなら徹底的にしてよ! 中途半端に優しいのが一番ずるいんだからね!」

「わけがわからん……」

 どういう理論だ。逆ギレも程々にして欲しい。

 そう思って謎に涙目の荒木を見やると、彼女はなんだかつらつらと勝手に語り始めた。

「なら教えてあげるし。アタシがこんな格好してるのはギャルだったら陽キャ扱いされて、無条件にいじめの対象になることはないからなんだよ? 根暗な黒髪眼鏡がフロムオタなのがバレるといじめられるけど、金髪ギャルだったらオタでもギャルなのに変わった趣味持ってる面白い子扱いをしてもらえるんだよ。わかる? マイナー趣味を持つ為にはね、容姿に気を遣わないと生きていけないんだよ。それくらい、誰だってわかるでしょ?」

「なるほど、そんなものか……」

 そんなこと、考えたこともなかった。趣味を持つというのも大変なんだな。

「そういうもんだし! わかったら、アタシの部に入ること! おけ?」

「ああわかった……っていや待て、そうはならんだろ」

 危うく流されるところだった。

 弱味ばかり見せてくるからいつの間にか気を許していたが、やはりこの女、油断ならぬ。

 そうして、俺が気を引き締め直していると、彼女は駄々をこねる子供みたいにまくし立てた。

「なるの! ここまでアタシの秘密教えちゃったんだからそーまでしてくれんと割に合わないし! 等価交換だよ等価交換! あったかふわふわ!」

「お前が勝手に話しただけだろうが」

 というかなんだあったかふわふわって……。

「でもちゃんと聞いてくれたじゃん……!」

「つまり俺は耳栓でもしていた方がよかったのか?」

「いまさらそんなこと言ったって意味ないし。いじわる言わないで。」

「はあ? どこが意地悪なんだよ……」

 俺がその脈絡のなさにげんなりしていると、彼女はベッドにドスンとダイブして、そのまま枕に顔を埋めながらいじけだした。

「ていうかさー、なにがやなの? さっきまで楽しそうにダクソしてたじゃん。だったら入部してくれてもいいじゃん。それともなに、そんなにアタシと同じ部に入るのがやなワケ? ああそっか、むしくんもやっぱり心の中ではアタシのことキモいと思ってるんだね……。ぐすっ……」

「はぁ……。どうしてそうなる。一々いじけるなよ……」

「じゃあ入部してくれるの!?」

 ガバっと起き上がりこっちに詰め寄ってくる荒木(アホみたいに乳が揺れて変な声が出そうになった)。

「っ、どうしてお前の頭の中には入部する気もないがお前のことを悪くは思っていない俺、という可能性が存在しないんだよ……」

「だってそんなのありえないし。」

「現に有り得てるからこうなってるんだろうが。お前のことが本当に嫌いならわざわざ家まで来て仲良くゲームなんかしていない」

「へ……? なか……よく……?」

「そうだ。一緒にゲームなんて、仲の良い奴同士でもないとしないんじゃないのか? 普通」

 初めこそ、嫌々ここへ来たわけだが。

 でも実際、荒木のことを不思議と嫌いになっていないのは本当だ。

 俺はそんな想いを込めて、彼女の瞳をじっと見つめた。

 するとそれが伝わったのか、彼女はぱっと視線をそらし、下を向くと、

「じゃ、じゃあ、もけ。入部してくれなくてもいいからさ、その、えと……」

 そう言って、なんだかもにょもにょし始めた。

「どうした?」

 あんなにしつこかったコイツが急に入部しなくてもいいなどと言い出したので、俺はその後にどんなにえげつない条件が控えているのかと身構えた。

 けれどなぜか彼女はそれを中々口に出さず、

「えと、その、と、とも、」

「ああ?」

「や、えと、ともだ……」

「なんなんだ。早く言え」

「うっ、」

 痺れを切らした俺が荒木を急かすと、彼女はなんだか更に口ごもり、そして――

「あー!!! なんでもない! トロコン! トロコンするまでダクソしろし!!」

 なんだか結局よくわからんことを大声で喚きだした。

「は、なに? トロコン?」

「トロフィーコンプ! 要するにめっちゃダクソしろってこと!」

「何故だ? その必要性を感じない」

 こいつには前後の文脈とうものが無いのか。

「しるかー! さっきデーモン倒してあんなよろこんでたくせに! さっそくダクソはまってたじゃん!」

「いや、あれはまあ、単なる障害を乗り越えた達成感であって……」

 思いの外楽しかったのは認めるが、だからといってそれにかまけ堕落していては母さんに合わせる顔がない。ここは我慢すべき局面であろう。

 そう思っていると、荒木はここぞと誘惑してきた。

「この後にはもっと大きな達成感が待ってるのにな~。チラッチラッ」

 が、俺は母さんの為、それを否定する。

「だからなんだ。俺にはそんなゲームなんぞにかまけてる時間はない」

「え…………。」

 途端、荒木の目から光が消えた。

 それは放っておくにはあまりにも痛切な面持ちだった。手酷い裏切りにでもあった様な。

「……。」

 重い沈黙が続く。

 やってしまった。強く言い過ぎた。俺は、自分の失言を自覚する。

「いや、悪い。言い方が悪かった。別にお前を否定するわけじゃない。荒木のテクニック、あれは素晴らしかったし、きっとこのゲームにそれを身につけるに見合うだけの魅力はきっとあるのだろう。実際面白いとは思った。映像も綺麗だったし」

「なら!」

 彼女がぎゅっと拳を握るのが見えた。けれど――、

「だが、俺には、そんな一銭にもならないこと……」

「なるし! アタシ、ゲーム実況で儲けてるし!」

 俺の言葉を遮って、荒木は大声を出した。聞きなれぬ単語を。

「……ゲーム、実況?」


 数分後、荒木からの説明を受けた俺はゲーム実況という概念について理解した。

 つまり、自分がゲームを遊んでいる動画をサイトに投稿し、そこに掲載される広告を視聴者が見ることで、あるいは、その動画を気に入った視聴者が投げ銭的なものを投稿者に送ることで、収益を得ることが出来るらしい。

 しかも、この荒木蘭菜という女は、そのシステムを活用し、小遣いレベルではあるが、それなりに稼いでいるらしい。高校生なのに。

 ……なんというか、今日は自分が如何にこの世の中を知らないのかを学んだ気がする。

「お前って、結構すごいやつだったんだな」

 俺が内心どこかで馬鹿にしていたゲームという媒体で、俺なんかよりよっぽどすごいことをしていたのだ。学生が自主的に努力して、金銭を己の力のみで得ているのだから。

「え、え、急になに? なんなの、むしくん。え、ふぇえ? 惚れた?」

「どんな解釈だよ……。そうじゃない。そんな手段で金が得られるなんて俺は知らなかった。しかもお前はその為に千時間も努力したってことだろ?」

 ベタ褒めする俺に、きょとんとした顔で視線を返していた荒木。

 けれど、たった今。その表情が明確に変化した。

「うーん、それは少しちがうかな~」

「え?」

 困惑する俺に、荒木はどこか達観した様な瞳で俺に語りかける。

「アタシはただ好きだからやってただけだよ。ついでにお金ももらえるならって収益化はしたけど、最初からそれが目的だったわけじゃないし」

「じゃあお前は意味もなく、千時間も?」

「意味もなくって? 意味って何?」

「だから、何の為にそんな長時間……」

「そんなのに悩むような理由なんかある? ただそうしたいからそうなってただけだけど。意味がないとなにも出来ないワケ? でも、そもそもこの世に意味のあるものなんてないと思うけど、アタシは。すべての物事は、ただ、あるだけ。そこに意味を付けるのは、人間の主観でしかないよ。……フロム脳ってのは、それで成り立ってるわけだし」

「……。」

 理解出来ない。意味が分からない。実利もなく、ただそうしたいからそうするなんて。たぶん俺はそんなことをしたことはない。自分がただ楽しむために遊んだことなど。

 そんな俺に、彼女は告げる。

「じゃあ、むしくんは、何の為に生きてんの?」

「なんだ急に」

 唐突な質問に戸惑う。なんだか、それはあまり踏み込まない方がいいことの様に思えた。

 けれど彼女は、続けた。

「なんとなく。それこそ、意味なんてないかもね。でも答えて」

「……家族の為だ」

 少し悩んで、そう答える。確かな確信を以て。

 だが、彼女はあっさりと突っぱねた。

「その人生、何の意味があるの?」

「は?」

「アタシはそんなのに意味は感じられないけど。だから、そういうことなんじゃない? ぜんぶ。もっと言えばさ、そんでもしそれで家族に感謝されるという意味があったとして、感謝されることになんの意味があるの? まあ仮にそれまたそこに良心を潤すとかの意味があったとして、更にその感情の変化には何の意味があるの? そういうことだよ。突き詰めたら、人間のすることに意味なんてないよ。でも人間はいつも全てに意味を見出す生き物なの。笑っちゃうね」

 あははと、彼女は笑った。

 全く面白いとは思わなかった。

 そんな中、彼女は不意にコントローラーを握った。

 そして、また最初からゲームを始める。

「ゲームをするのにさ、意味なんてないよ。でも楽しいし、上手くなりたいし。でも、その快感や欲求に意味なんてないよ。でもさ、その楽しい、上手くなりたいって気持ちはさ、本物なんだよ。例えばそこに、現実逃避とかマウンティングだとかの意味を見出す嫌な人がいたとしてもさ、先にそう思った自分の気持ちは本当は純粋なんだよ。意味がないってのはそういうことでもあるじゃん? その純粋さってさ、すごく尊いことだと思うよ。だからさ、意味ってそんなに大事かな? 意味のあることだけしてたら、つまんない人間になっちゃうと思う。意味のないことが、きっといつか意味のあることより重要になるかもしれないし、ある人にとっては、すごく意味のあることかもしれないんだよ」

 そう言い終えると、彼女はもう、さっきと同じ様な見事な手際で、最初のボスを倒し終えていた。

「……ほら、今度は2分34秒で倒せた」

 満面の笑みとともに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る