第四話 ときめいて部室


 その日の放課後。

 相変わらず同級生の喧騒でてんやわんやしている教室を後にした俺は、焦っていた。

 帰りのHRで担任から来週中に必ずどこかしかの入部届けを提出するようにというお達しがあったからである。

 ふざけるな。

 なぜ今更言うのか。初日に言え。そして期間が短過ぎやしないか。やはりこの学校は頭がおかしいのか。

 しかし嘆いていても始まらない。部活に入れなかったなどという笑止千万な理由で退学なんてしたくはない。しかし入りたい部なんて…………また先輩の顔がチラつく。いやいや、本当に俺はどうかしてしまったのか。でも、もはや、それしか選択肢がないのではないか。なんなら彼女も作らないといけないわけだし――ってなんでそれで先輩の話になるんだ! あああああっ! クソっ! はあっ……はあっ……!

 とはいえ、俺はまだ彼女の部が何部なのか知らないわけで、取り敢えずそれを確かめるだけ確かめてみるのはどうだろうか。それなら別になんの問題もないだろう。もしかしたら、本当に入りたくなるような素晴らしい部活かもしれないし。

 だが、よくよく考えたら、俺はそれを確かめる手段を持っていなかった。名前も何組の生徒なのかも部活の活動場所も知らない。知っているのは、彼女が二年生だということだけ。これではどうしようもない。

 少ない手がかりを元に、取り敢えず放課後の二年生の教室をしばらくうろうろしてみたが、それらしき人影は見当たらなかった。

「ねー? 入りたい部活があるんでしょ? なんで二年生の教室?」

 俺は一旦諦めて、もうひとつの心当たりを当たるべく、踵を返す。

「ちょ、無視しないでよ!」

 するとさっきから周りをうろちょろしていた荒木が、俺の進行方向に立ち塞がった。ぶるんと大きな乳を揺らして(廊下にいる他の生徒がざわつくからやめろ)。

「入りたい部活の先輩が二年生なんだ」

「ふーん? なんて言う人? 何組?」

「知らん」

「はあ? なにそれ? 何部だかも教えてくれないし、やっぱりウソなんじゃないの?」

「本当だ」

「アタシの部に入りたくないからって、ウソついてるんでしょ!」

「違う」

「じゃあ本当だってわかるまで、ついてくから!」

「お前はストーカーか」

「す、ストーカーって……、ぐすっ、よく女子にそんなひどいこと言えるね……!」

 まーた涙目になった。勘弁して欲しい。

「そう言われるのが嫌ならつきまとうのをやめてくれないか?」

「アタシだって好きでこんなことしてるわけじゃないし……。ていうか勘違いしないでくんない? け、結婚したいとか昼に言ったからそう思ってるのかもだケド、ベツにむしくんのことなんかゼンゼン好きじゃないんだからね! だから、だからアタシはストーカーとかじゃねーから!」

 もう付き合ってられるか。なんでそっちが悪いのに怒鳴られねばならないのか。理不尽にも程があるし、付き合う義理もないので、俺はスタスタと先に歩き出した。

「って、人の話は最後まで聞け陰キャァ!!! うわーん!」

 背後から、凄まじいがやや嗚咽混じりの気がしなくもない声がした。


 さてその数分後。

「てかせんぱーい、いつまで歩かせるつもりですか~? そっちに部室棟なんてー、ないんですけど~?」

 勝手に合流してきた上圓まで引き連れて、俺と荒木はてくてくと校内を歩き回っていた。もう一人増えれば完全に桃太郎だ。きび団子なんて渡してな……、いや、昼休みのアレがある種そうとも言えるのか……?

「嫌ならついてくるなと言ってるだろうが」

「はあ? 私を連れ回せることがどれだけ幸福なことか考えてからモノを言ってくれません? 人間は自分の不幸に無自覚とか目をそらしがちとか言いますけど、せんぱいはその真逆ですね……まったく、おめでたいヒトです」

「どう考えても不運なんだが……」

「はー……。だいたい、いい加減白状したらどうなんですか? 入りたい部なんて、本当はありませんって」

「ほんとほんとー。むしくん、アタシをどんだけ歩かせる気?」

「歩かせる気も何も、お前等が勝手についてきてるだけなんだが」

「…………いじわる。」

 荒木はぷくうと頬をふくらませた。

 え、俺が悪いのか……?


 そうこうするうちに、お目当ての建物が見えてきた。

 校内の敷地の端に忘れられてしまったかのようにひっそりと佇む、小さくて時代を感じさせる、半ば朽ちかけの建造物の前に。

 そう、つまり昨日先輩に感想を求められた、あのコンクリ製の独特な見た目をした建物の前に。

 先輩はやたらここを気に入っているようだったし、来たら会えるかなみたいな安直な発想である。

 が、今のところ、周辺にそれらしき人影は見えない。というか、俺たち以外誰もいない。

「ん、なんですかこれ? こんなのウチの学校にあったんですねー」

「ほへー、なんかダクソに出てきそう」

「だくそ? なんです、それ?」

「あ、や、なんでもないカラ……。気にしないで……」

「そう言われるとぉ、逆にぃすっごく気になりますねぇ~。ふふふ……」

 上圓はニタリと嗜虐的な笑みを浮かべる。

「お、教えないかんね?」

「それは残念ですねー。ま、今のご時世、たぶん検索しちゃえばわかっちゃうんですけど?」

「あっ」

 荒木がしまったという声を上げたのも束の間、上圓は俺なんかからしたら神業としか思えない指さばきでシュバシュンとスマートフォンを操作して、

「……ふむふむなるほどなるほど……。あっはァ~、ギャル先輩、オタクなんですねぇ……。ゲームの。しかもその見た目で……。へぇ~」

 なんともいやらしい顔でほくそ笑む。

「ふん、悪い? ……てか、ゲームのオタクじゃねえし! フロムゲーのオタクな?」

「はあ? 意味分かんないんですけど? しかも急に喋り方変わってますし。ふっ、これだからオタクの人ってキモイんですよね~」

「き、きも……ううっ、そうだよね。アタシはキモいよね……ギャルになっても……」

「え、なんですか急に? ガチ凹みしないでくれません? メンヘラですか。豆腐メンタルですか。柔らかそうなのはその乳と腿だけにしろって感じなんですけど」

「……はあ、やっぱりアタシってキモいのかなあ……」

 またも荒木は泣きそうな顔でしょぼくれていた。確かに上圓の声にはかなり刺があり、聞いているだけの俺でさえもややしんどかったとはいえ、そんなに落ち込むほどのことではにないと思う。俺たち高校生だぞ、もう。

「ううっ、ぐずっ……クラスのみんなも実はそう思ってるのかな……」

 こいつ、大丈夫か……。

 ここまでのレベルとなると、いよいよ心配になってくる。

「ちょっとー、自分の世界入んないでくれます? まじなんなんですかこのヒト……」

 さすがに上圓にも人の心があるらしく、少しバツの悪そうな声を上げた。

 すると、目の前のもはや廃墟一歩手前の建物に入ろうとしていた俺の手を引いて、

「てか、せんぱい! どうにかしてくださいよ! せんぱいの連れてきた女でしょ!」

「責任を転嫁するな! そもそもこいつが勝手についてきただけだ」

 大体なんだよせんぱいの連れてきた女って。正しくはせんぱいについてきた女だ。

「でも目の前で女の子が悲しそうにしてるんですよ? そこに手を差し伸べられないような男が、上圓と今後も肩を並べて歩けるなどとは思わないことですね! ふん!」

 なんなんだこいつは。論拠と結論が自分なことを除けば割とまともなことを言ってるのがムカつく。

「はあ……」

 俺はこのまま見ているのもアレだし、腹を括った。

「おい、荒木」

「ぐすん、どうせむしくんもアタシのことよくわかんないゲームが好きなキモい陰キャとか思ってるんでしょ……」

「そんなこと思ってるわけないだろう……。いいから泣くな」

 むしろいわゆる学生が言うところの陽キャ(それもかなり度合いの強い)であるのに、そういった自身のポジションとは真逆に位置する文化に造詣が深いのはすごいことだと素直に思う。そもそも無趣味な俺からすれば、そこまで好きになれる趣味があるというのは理解のできないことであると同時に、少し羨ましさすら覚える特性である。

 けれども、どうやらそういった俺の彼女への評価はまるで伝わらなかったらしい。

「……ないてない!」

 駄々っ子の様な声で、昼休みの一件を思い出すような返答をされてしまった。

 それを聞いて、上圓が呆れた様なじとっとした目で俺を見る。

「あのー、せんぱーい、もっとなんかこう、ないんですか? つかえませんねぇ……」

「知らん。俺は口下手なんだ」

「それ、言ってて恥ずかしくないんですか? それってぶっちゃけ自分が動物だって言ってるようなものなんですけど。人間としての機能を放棄しているって言ってるも同然ですよ? そーゆー男が許されてたのは、昭和までです」

「なら、どうすればいいんだよ……」

「知りませんよ。こんなメンヘラギャルの励まし方なんて」

「めんへら……」

 上圓の言葉にビクッと身体を震わせた荒木が、ぼそっと悲しそうにその単語を呟いた。

「お前なあ……」

「あーなんですかもう、じゃあ私が謝ればいいんですか? 私が悪いんですか。そうですか。はーいつも悪者にされるのは上圓ばっかだなー。かわいいは罪ですか。そうですか。かわいい税を払わせられないだけましとかそういう話ですか。はーああ、なんでこんなにかわいいのに生きづらいんですかね~。……意味わかんない」

 なぜ急に逆ギレ? しかも最後の方のトーンがやたらと切実だった。

「別にそんなことは言ってないだろ」

「ああ、すいません。実はかくいう私もちょっとメンヘラなんで、ぶっちゃけちゃいましたー。えへへ……。あ、でも、こんなこと言うのは、せんぱいにだけ……」

 これまでよりもどこかわざとらしく明るい声を出す彼女が、なぜだか自分でもよくわからないのだがどうしようもなく居た堪れなくて、俺はその言葉を遮った。

「いいからお前は少し反省しろ。それと荒木もこいつはこういうどうしようもない奴で適当にあることないこと言ってるだけなんだから、あんまり真に受けるな」

「なんですか、それ……。むかつきます……」

 そう言いつつもその声に不思議と少しだけ、雀の涙ほどのうれしさの様なナニカが混じっているように聞こえたのは、俺が彼女に毒されてしまったからだろうか。

 それに答えを出すよりも早く、荒木が俺の方へずいっと歩み寄った。

「じゃあ、むしくんは、キモいと思ってないってこと……?」

「ああ。そう自分を卑下するな。むしろお前はちゃんと周りから魅力的な人間だと思われてると思うぞ。いつも視線を集めてるし、クラスでも人気者じゃないか」

「そ、そうなのかな……?」

「そうだろ。俺なんてクラスでは誰にも話しかけられないが……、」

「うわ、まじですかせんぱい、かわいそ~」

「お前は少し黙ってろ…………。それに比べて荒木はみんなから話しかけられていてすごいなと密かに尊敬しているくらいだ」

「尊敬……!? そ、そうだったんだ……」

 彼女の瞳に輝きが戻り始める。

「ああ。だからもっと自分に自信を持て。すぐ泣くな。俺の母さんも昔言っていた。女の涙は武器になるが、使いすぎると肝心な時に使えなくなるとな。お前も使いどころをもっと見極めたほうがいい。俺なんかじゃなく、もっといい男の前で泣いてやれ」

 俺がそこまで言うと、くすくすと、小さな笑い声が耳に届いた。

「なにそれ、ヘンなの…………。やっぱむしくんって、変態……。てか、母さんが言っていたって、家族でどんな話ししてるワケ? ウケる……」

 どうやら調子を八割方取り戻してくれたようだ。よかった。

 だというに、

「せんぱいってもしかしてマザコンなんですか? たしかし、言われてみたら一周回ってそんな感じの顔してますよね。外ではアレだけど家では……的な」

 コイツは人がせっかくいい話をしている時になんなんだ……。

「どんな顔だよ」

「一途そうな顔ですかね? 学校ではコワモテみあるけど実は家ではママにゾッコン的な?」

「…………褒め言葉と思っておこう」

「むしくん……ポジティブかよ……」

 荒木がぼそっとそんなようなことをぼやいた――。

 その折、


「あれ……入部希望者……?」


 まるで曇天の灰色がぱかっと割れて、一瞬にして太陽が辺り一面を照らしたかのよう。

 秘境に流れる清流の様に美しく無色透明な声が、俺の心をたったそれだけの言葉で浄化していった。そして清められたそばから、心が踊る。

 俺は振り返った。

 さすれば視界に映る、彼女の姿。森羅の妖精の様な、紫霄の天使の様な幻想的な風貌。

 嗚呼、本当に、逢えた……。

「先輩、こんにちは」

 真っ白な肌、小さな身体、灰色のロングヘアー、無垢でミステリアスな瞳……。

 また、何度でも見蕩れてしまう。隣に別の二人の美少女がいることも、一時、忘れて。

 するとまるで雪が溶けるみたいに、彼女の唇が開いた。

「あっ、ふわぁ……! 昨日の……! 来てくれたんだ、ね……。うれしい、うれしい、な……」

 ぱあっと咲く、ひまわりみたいな可憐な笑顔。

「きょ、恐縮です」

 心奪われた俺は、そんな返事を返すのでやっとだった。

 が、だというに、自分のかわいさにしか興味のないらしい上圓が、脳みそに何も詰まってなさそうな声でこうぼやいた。

「んー、誰ですかー? このちっこい不思議ちゃんは?」

「……お前は本当に失礼な奴だな……。俺が入ろうとしてる部活の先輩だよ」

「えっ、あの話ホントにホントだったんだ……!」

「いや、嘘ですよね。こんなの中等部にもなかなかいない小柄さですけど」

「でも、高等部の制服着てるし……」

「お前等……本人の前で失礼だろうが」

 今すぐここから消えて欲しい。

「いや、いい……。妥当な評定……。なれてる……」

 しかし先輩は本当に一切気にしていないのか、無表情のまま俺を制した。

「それより、入部、希望……?」

「ええ、まあ。この二人は違うんですが」

「あ、私は見学に来ました~」

「え? じゃ、じゃあアタシも」

 こいつら、平気で嘘をつくな……。

 だが、この二人と違い寛大で純粋な先輩は、古びた扉に手をかけると、俺達を手招いた。

「そう……。じゃあ、中へ……。うぇるかむ。」




「へー、中は意外と綺麗ですね~」

 上圓の失礼な感想通り、部屋の中は外観からは想像もつかないほど手入れの行き届いた内装で、なんというか、とても文化部の部室っぽい場所だった。

 それにしては広さが教室一個分ほどあって、広すぎるような気がしないでもないが、その半分から向こう側は背の高いロッカーで衝立のような形で仕切られているので、もしかしたら奥側は別の部活の部室なのかもしれない。だとしてもなかなか広いけれど。

 ……というか、勝手にここが先輩の部活の部室だと仮定してしまったが、そうではない可能性も、まだ多分にしてあるのだった。

「ほへー、なんか色んな写真とかはってあるけどー、何部だかゼンゼンわかんないねー」

 荒木の言葉通り、壁やロッカーなど、いたるところに風景やおそらくは部員と思われる学生数人を写した写真が貼られていたが、それだけではイマイチ何部なのかがわからない。

「何部、だか、わからない……? わからないのに、見学……? けったい……。なんとも、奇々怪々……」

 こくんと小首をかしげてぽけーっと、無表情のままそんなことをつぶやく先輩。

 言われてみれば、ごもっともな指摘。

「あ、いやそれはー、むしくんがオモシロイ部があるって言ってたからー、あはは~」

 コイツ……俺のせいにしたな?

「むしくん……?」

「あ、俺、虫弓昌也っていうんで。たぶんそのもじりです」

「なるほど、昌也……。覚えた。」

「……っ」

 先輩に名前で呼ばれ、ドキっとした。なんだ、この感覚……。

「ちなみに、わーは、杠依雨(ゆずりはいう)……。よろしく。」

「あっはい、よろしくお願いします」

 ゆずりはいう?! なんだそのかわいらしい名前!? めっちゃくちゃ先輩に似合っているじゃないか! ゆずりはいう、それ以外考えらないような素晴らしい名前だ……。なんというセンスのいいご両親なのだろう。名字からしてもう素晴らしい。

 ……って俺は何を考えているんだ? かわいい名前ってなんだよ。生まれて初めてそんなこと思ったぞ?

「てかー、けっきょく何部なんですかー? ここ?」

「ああ、そうだった、ね……。ここは……」

 先輩は上圓の言葉に頷くと、

「廃墟部……。廃墟部、だよ……」

 と言った。

 けれども、俺達は、

「「「廃墟部?」」」

 ほぼ三人同時に疑問の声を上げてしまった。



「廃墟部は、廃墟好きの集まる、部活……。休日は……、定期的に、廃墟に行ったり、する……。楽しい……」

 聞きなれない部活名にぽかーんとしてしまった俺達の為に、先輩が概要を説明してくださる。

 そんな親身な彼女に対し、上圓が興味なさそうな声で言った。

「え、じゃあ平日は何してるんです?」

「みんなで、週末の、計画……。あとは、お話……とか……」

「え、みんなって、ほかに誰もいなくない?」

「三年の先輩が、やめて……、今年から、わー一人……」

「そうなんですか……」

 つまり、名前から受ける印象通りのマイナー部活なのだな……。

「だから、もし、入ってくれるなら……。うれしい……」

 そう言う先輩の顔は、必死で、何者よりも尊く見えた。喩えるのなら、祖国の危機の為に立ち上がった可憐な少女、ジャンヌ・ダルクさながらに。

 けれども無論、なぜか俺についてきた二人の女にはそういったものに心打たれる感性の持ち合わせはないないらしく――。

「うーんでも私廃墟とか全然興味ないんで、すいません」

「あー、アタシはすっごい興味あるんだケド、ベツの部活作んないといけないから……」

 先輩の請願を拒否。マジで何の為に付いて来たんだこいつら?

「そう……。残念、無念……」

 悲しむ先輩。まるで永久の眠りに着いたいばら姫か如く。

 それを見た瞬間、思わず俺は口走っていた。

「俺は入りたいです」

「ふわぁ……!」

「はァ?」

「へ?」

 三者三様の「はあ?」を聞く。言い終えた後で、自分も自分で何やってんだという気分になっていた。先輩の所属する部を確かめるだけのつもりが、結果としてそれが大して自分の興味を引く内容でもないのに、入部したいとのたまうなぞ。

 だが、これでいい。どうせ部活に入らなければいけないのなら、彼女のいる部に入りたいと思ったのは事実だ。残り二人のに入るよりは断然マシだし。

 それになにより、こうして、彼女の笑顔を見れた。

「うれしい、うれしい、な……。じゃ、じゃあ土曜部に、新入生歓迎の廃墟ツアー、あるから……」

 彼女は最高の微笑みと共に、俺にそう語りかけ――

「ちょぉっと待ったぁーーーー!! せんぱいは上圓の部に入るので、それはナシです!」

「いやいや、むしくんはアタシの部に入るんですケド!」

 先輩の言葉を遮ってやんややんやしだす姦し女共。

「入らないが?」

「えっ、えっ、どういう……?」

 往生際の悪い二人に否定をしていると、先輩が困惑していたので、弁解。

「なんでもないです。気にしないでください、先輩。こいつら、ちょっと頭がおかしくて」

 しかし、そうすぐに諦める奴等でもない。

「はあ? おかしいのはどう考えてもせんぱいの頭でしょーが! こんなかわいい後輩より、そんな……まあ、たしかにそこそこかわいいですけど……私より年増な女を選ぶとか! オスとしての機能が弱まってるんじゃないですか? どう考えても、私との方が優秀な子供が生まれそうじゃないですか? ええ?!」

「お前は自分で自分が何を言っているのか理解しているのか……?」

 聞いててしんどいから本当に止めて欲しい。

 だというに、上圓は理不尽にキレ続け――。

「それはこっちのセリフです。せんぱいこそ自分がたったいまどんなに愚かな言葉を吐いたか、自覚して欲しいものですね。ぷすん」

 加えて、荒木はいきなり俺の腕を掴んだ。

「ともかく、ゆー先輩には悪いケド、むしくんはアタシの部員だから。連れてくね」

「あなたのではないですが……、いいでしょう。ここはギャル先輩に協力します」

 彼女はそう言うと、荒木と一緒になって俺の腕にしがみつく。

「な、おい?! なにをする!」

「えっ、えっ……、なに……?」

 俺も先輩も二人の傍若無人っぷりに常識的な脳の処理スピードが追いつかず、パニック。

「いいから行きますよせんぱい」

「よいしょっと、意外としっかりしてるなあ、むしくん……。筋力20以上ありそう」

「なんのつもりだ! 放せ!」

 暴れるが、力が強く抜け出せない。かといって、流石に本気で抵抗して怪我をさせでもしたらそれこそ大変なことになりそうなので、大人しく従う他、俺に残された道はなかった。無念。

「むしろ私にホールドされてうれしーくせにぃ?」

「そんなわけないだろうが!」

「ほらー、いくよー?」

「あっ……、まって……。これ、チラシだけでも……」

 ずるずるどこぞへと誘拐されていく俺に、先輩がなにやら新入生勧誘用のビラを渡してくれた。俺はそれを死ぬ気で手を伸ばし受け取る。

「ありがとうございます。絶対、こいつらをなんとかしたら、また絶対来るのでっ!」

「うん……。まってる……ね……?」

 囚われの姫君の様に繊細な潤んだ瞳で俺を見る先輩。

「はい!」

 俺は心の底から誓った。また、ここへ戻ってくると。

「え、なんかアタシたちが悪役みたいになってない?」

「仕方ありません。行き過ぎたかわいいは時に悪になるものです。大麻が麻酔にも麻薬にもなるように!」

「なる~! でもその理論だとアタシはただの悪じゃん……」

 いや、お前も十分かわいいんじゃないか? とは思ったものの、そんなこと絶対に言ってやるもんかと心の中で思いながら、俺はしばらく引きずられ続けた。




 そうして俺は結局またこの二人に振り回された後、帰宅した。

 そして、そういえば部活だけでなくバイト先も決めないといけないなあなんて思いながら家で夕飯をつくっていた矢先、

「どう? 彼女づくりは順調?」

 と、母さんに声をかけられた。

「え、いやそう簡単には……」

「じゃあ、気になる人ぐらいは出来たのかな~?」

 脳裏に浮かぶ杠先輩のほのかな笑顔。

「ごふっごふっ!」

 むせた。

「お? お? おお~? これは、もしかしてぇ~?」

「違うから。そういんじゃなくて」

「あひゃー、ついにあのまーくんにも好きな女の子ができたんだね……。ママは嬉しいような悲しい様な、複雑な気分……。でも、祝います。ママはまーくんの門出を、祝います」

「門出ってそんな……、俺は母さんの元を離れる気はないよ」

「ああっ、まーくん! なにさの一生君を放さないみたいなセリフ! ママってばキュンキュンしちゃうじゃんか!」

「そ、そうなんだ。」

「当たり前じゃない、まーくん! 他の子にもそんなこと言ってないよね?!」

「言うわけないでしょ……」

「はあ? なんで言わないの! 彼女作る気はないのかー!」

「ええ……」

「まったくー、ママ一筋なのは嬉しいけどぉ、それじゃあ、ダメだよってこないだ言ったでしょ! ママはぷんぷんですよ、ぷんぷん」

「ご、ごめん……」

「はいじゃあママ決めたー。まーくんはー、彼女つくるまでバイト禁止ね!」

「はあ?! なんで?」

 そこに何の因果も存在しないと思うのだが。

「なんでって、どうせまーくんが今バイトなんかしたところで、そのお金を全部家に入れようとかなんとか、そんなこと思ってるんでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「やっぱり……。はあ、そんなの認められないでしょー、ふつー。学生の本分はなに?」

「勉強」

「ちがう! 青春でしょ!」

「え」

 そんなの、初めて聞いたけど。というか具体的になんだ、青春て。

「勉強も、バイトも、大事。でも、それはあとからでもできること。今しかできないのは、青春だけだよ。ちがう?」

「……」

 そう、なのか……?

「まあまだ納得できないんだろうけど、それはそれ。ママはまーくんにバイトしてもらうためにがんばってあなたを育ててきたわけじゃないの。それをわかってほしいな……。でもね、べつにさ、まーくんがなんか欲しいモノがあって、そのためにバイトするならいいんだよ? でも、ママのためにするってのはさ、やっぱりちがうなあ。ねえ、そんなにママの稼ぎが不安かな? そんなにママの仕事は、信用できない? ……やっぱり、水商売なんかしているお母さんは、いや?」

「そんなこと……、そんなことあるわけないよ……」

「そっか。まーくんはやさしいなあ。でも、わかるよ、本当は、本当は嫌なんだよね。……ごめんね……」

「……」

 母さんは、俺の為にキャバ嬢をやってくれている。生活費の為に。

 別に、その仕事を否定するわけじゃない。嫌なわけなんて絶対ない。

 ただ、それが普通の仕事よりも過酷であることは事実で、親が過酷な仕事をしているというのは、あまり好ましいことではないのも事実で。

「でもさ、ママは大丈夫だから。べつにエッチなことされるわけじゃないし、毎日いろんな人とお話できて楽しいしね。それに、お酒も呑めるし」

 なのに、母さんはまた、今日もいつもの様に笑った。それがなにより、胸にくるのに。

「ただまあ、最近たしかにいくらこの見た目でも年齢的にきついかもとは思ってるから、数年後は、まーくんにもちょっと頼っちゃうかもだけど……」

 母さんはお茶目に笑った。そこには、申し訳ないという色が滲んでいた。

「それでも、今は、まーくんが大人になるまでは、がんばらせてほしいな。だってそれがお母さんでしょ。ママなんだもん、子供が子供のうちは甘えさせてあげなきゃじゃない?」

 彼女はそう言ってガッツポーズを取る。そんな母さんを誰よりもかっこよく、誇りに思うし、大好きだと感じる。だからこそ、彼女の為に働きたいんだ。

 けれど彼女はあくまで笑うのだ。

「だーかーら、まーくんはとっとと彼女つくりなさい! 彼女にあげるプレゼントのためにバイトしたいって言うなら、ママはいくらでも認めてあげるからさ。……だって、ママの働いたお金がママの恋敵のために使われるとか、ゼッタイやだし?」

 俺はどうあれ、絶対に急いで彼女を作らなくてはならないようだった……。

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