第5話 ゼロ距離吐息

 人事異動の季節。送別会を兼ねた同僚たちとの飲み会のあと、ベロベロに酔っ払った同期の男を押し付けられ、俺は一人困惑していた。

 俺の右肩に全体重を預けているこの男——神澤隼人——とは、プライベートでの付き合いはなく、家族構成やどこに住んでいるのかなんて俺は知らない。知っているのは名前と年齢、性別くらいだ。一緒に昼飯を食べたこともないし、サシで飲みに行ったこともない。なのになぜか今回の飲み会では俺のとなりに陣取り、ビールを浴びるように飲んでベロベロになった挙げ句、後ろから俺に抱きついてきた。呂律が回らなくて何言ってんのかわからない状態なのに、引っ張ろうが押し返そうが離れない。

 結局飲み会がお開きになるまで、神澤は俺にくっついたまま離れようとしなかった。



 二次会でカラオケに行く流れになったのに、俺は背中に神澤という無駄にデカい荷物をぶら下げたままだ。コイツのせいで飲んだ気がしないから飲み直したいが、このまま参加は無理がある。

 いつも神澤と連んでいる奴に押し付けようとしたら

「お前んち近いじゃん、泊めてやって〜」

 と手をヒラヒラ振りながら日本一のネオン街へと消えていった。

 確かに俺の家はここから二駅で、のんびり歩いても十五分かからない。でもそれは、俺一人だったらの話だ。

 しかたなく俺はタクシーを拾い、神澤を自分の家に連れて帰った。そして今は、リビングのソファーでどうしたものかと考えている。正確にいうと、ソファーに横になっている神澤の上で、だ。

 


 ソファーに寝かせて毛布を取りに行こうとしたら、後ろから腕を引っ張られ、この体勢になった。

 密着してゼロ距離になった体は、酒を飲んだからか熱く、神澤の少し早い鼓動が伝わってくる。神澤の膝が俺の脚の間に入り、際どい部分に触れた。

「おい、離せ」

 慌てて起きあがろうとしたが、逆に強い力で抱き寄せられて互いの腰が擦れ合った。硬い感触に驚いて動けずにいると、耳に温かいものが触れた。柔らかなそれは神澤の唇で、耳の入り口で水音を立てているのは舌だと気づくのには少し時間がかかった。不思議と気持ち悪さはない。それどころか、俺の口からはため息がもれ、全身の力が抜けていく。

「離さないよ」

 吐息混じりの声で囁かれ、体の位置が入れ替わる。いつの間にかシャツのボタンは全て外され、ベルトも緩められていた。入り込んできた神澤の熱い手のひらに、俺は俺の全てを委ねた。

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