第4話 甘い香りと春の訪れ
それはとても甘く、懐かしくて切ない香りだった。
四年前の今日、俺はこの高校を卒業した。そして大学四年の今、仕事で忙しい父親のかわりに、母親とともに卒業生である弟の親族として式典に参加することになった。
講堂の一階席、中央の通路を挟んだ後ろ半分が親族席になっていて、母親はママ友たちと仲良く前の方の席に納まっていた。体がデカい俺は、邪魔にならないよう最後列の席に座った。
式典は滞りなく進み、壇上では担任に名前を呼ばれた生徒が一人ずつ、学園の理事長から卒業証書を受け取っている。五百人近くいるから、これには結構な時間がかかるはずだ。弟のクラスの番がくるのはまだ先だろう。二階席の上部にある窓は開け放たれ、そこから入ってくる優しい風が、春の訪れを物語っている。その風に乗って、ほのかに甘い梅の花の香りが運ばれてきた。
この講堂の裏には広い中庭があり、そこには梅の木が何本も植えられている。特に白梅は、この学園の校章のモチーフになっているからか本数が多く、今ぐらいの季節になると一斉に花を咲かせ、甘い香りで魅了する。
俺はこの香りが好きだった。なぜなら、あの人が身にまとう香りと似ていたから。壇上の端に立ち、受け持った生徒の名前を読み上げているあの人の、甘い香りと似ていたから。
当時は近くにいたくて、気持ちを抑えきれなくて、ひどく傷つけたこともあった。それでもあの人は、俺を遠ざけるようなことはしなかった。でも、あれはたぶん、俺の片思いだった。
卒業してから、あの人が俺に連絡をよこしたことはないし、俺もしていない。あくまでもあの人にとって俺という人間は、たくさんいる生徒のうちの一人でしかなかったんだろう。
あの人の声が弟の名前を呼んだ。弟が卒業証書を受け取り、壇上を降りる前、あの人に一言二言声をかけたようだった。あの人は顔をあげ、一瞬だったがこちらを見た。心臓が、ドクリと音を立てたような気がした。くすぶっていたものが再び燃え上がったかのように、胸の奥が熱くなった。
俺はまだ、あの人のことが好きだ。
式典が終わると母親は、俺が運転してきた車に乗ってママ友たち数人とランチしに行ってしまった。
一人残された俺は、あたたかな風に誘われて、講堂の裏側にある中庭に来た。遊歩道を歩きながら、甘い花の香りを胸いっぱいに吸い込んでいると、手に持っていたスマホが震えて着信を知らせた。
画面に表示されていたのは、あの人の名前だった。
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