第3話 箱庭の夢

 小さい頃、ミニチュアの家具とか植物を置いて、理想の庭を作るのが好きだった。古い団地住まいで、庭付き一戸建てに憧れていたからかもしれない。

 ジオラマ作りが趣味だった親父を横で見ていて、なんとなく真似して作り始めたのがきっかけだ。

 俺が作っていたのはジオラマというより箱庭だったけど、親父は丁寧に教えてくれた。

 広告の裏に簡単な図を描いて、どこに何を置くか考えて、すごくワクワクしながら作っていた。お菓子が入っていた缶とかティッシュの空き箱を使って、将来こんな庭がある家に住みたいな、なんて空想しながら。

 最初のうちは、自分一人だけの庭という設定だった。

 白いガーデンテーブルに置かれたティーカップは一客だけ、ガーデンチェアも一脚だけ。理想ではあったけど、少し寂しくもあった。

 それが年を重ねていくうちに、ガーデンチェアがもう一脚置かれ、ティーカップの数もその分増えた。

 ずっと一緒にいたい、ずっとそばにいてほしい。そう思える相手ができたからだ。



 ソイツと俺が出会ったのは、受験して入った中高一貫校だった。

 入学式の日の朝、親より先に家を出た俺は、予定よりも少し早く学校についた。土の香りがする昇降口で、学年カラー付きの真新しい上履きに足を突っ込み、案内表示に従って教室へ向かった。

 新しい制服と新しい学校生活。たぶん教室にはまだ誰もいない、俺が一番乗りなはず!

 テンションが上がりきっていた俺が勢いよく扉を開くと、そこにはすでに一人、銀縁の眼鏡をかけた神経質そうなやつがいた。

 窓側から数えて二列目の、一番後ろの席に座り、机に向かって何やらブツブツと呟いていた。

 俺が来たことに気付いていないのか、それとも無視しているのか、銀縁眼鏡のソイツが顔を上げる様子はなかった。

「お……、おはよう」

 黙って入るのもどうかと思い、一応挨拶をしたが反応はナシ。高かったはずの俺のテンションは急激に下がっていった。

 このまま入り口に突っ立っていても仕方がない。机に貼られた名前のシールを頼りに、俺は自分の席を探した。入学説明会の時は親同伴で席は自由だったから、決められた席に座るのはこの日が初めてだった。

「カナモリ、カナモリ~っと」

 自分の名字を呟きながらたどり着いた席は、銀縁眼鏡くんの前だった。近くまで来ても顔を上げる様子はない。

 ソイツの机の上には原稿用紙が広げられていて、どうやらそれを声に出して読んでいるようだった。机に貼られたシールには「倉橋」と書かれていた。下の名前は原稿用紙に隠れて見えない。

(なんていうんだっけ、こういうの……、一心不乱?)

 何が書いてあるのか気になった俺は、ソイツの顔に自分の顔を近づけ、わざとらしく声に出して読み上げてみた。

「あーーっと、なになに?」

 耳元で声を出すとさすがに驚いたらしく、、ガタリと音を立ててソイツが立ち上がった。

「暖かい日差しに包まれ、美しい春の花も咲き始めた今日この頃、私たち新入生一同はぁ、ってアレ、これってもしかして」

 そこに書かれていたのは、新入生代表の挨拶文だった。

「新入生代表、倉橋……」

 そこまで読み上げると、目の前から原稿用紙が消えた。倉橋がものすごい勢いで払い除けたからだ。顔を赤くして、こちらを睨みつけている。正面から見ると肌に透明感があって、綺麗な顔をしている。目元がシャープな上、銀縁眼鏡のせいだろうか気が強そうに見えた。だが、よく見ると、握った拳が小刻みに震えている。

「なんなんだっ、……っていうか誰だよ」

 声変わりしはじめたばかりのような、まだ高いけど少しハスキーな声。

 その声を聞いた瞬間、下腹の奥の方がムズムズした。

「俺? 俺は金森、カナモリダイキ、席はお前の真ん前」

 そう言って、ヘソの下を摩りながら自分の席を顎で示すと、倉橋の眉根がピクリと動いた。

「お前って、キミと僕は今日が初めてで」

「そんなことよりそれ、大事なもんなんじゃねぇの?」

 倉橋の言葉を遮り、床に散らばっているものに指さして言う。

 あっ、と小さく声を上げた倉橋が、慌ててそれらを拾い集めた。そして机の上で手早くまとめると、ご丁寧に俺をひと睨みしてから教室を出て行った。

(よくわかんねえけど、面白そうな奴だな)

 それが俺の、倉橋に抱いた最初の印象だった。

 その日以来、俺はなにかと倉橋にちょっかいを出すようになり、倉橋は俺から逃げるようになった。まあ、逃げても席は俺の後ろだから無意味なんだけど。席替えをして席が離れても、俺は倉橋に付きまとい、ちょっかいを出し続けていた。自分でもなんでこんなに執着してるのかと不思議に思ったりもしたが、半年ほどたった頃、ある変化が自分の体に起きて納得した。

 手のひらについたものを拭き取りながら、ああそういうことかと思ったのを今でも覚えている。



 あれから八年。

 中学生だった俺たちは大学生になり、もうすぐ就職活動が始まる。

「良くも悪くも変わってねえな」

 キッチンのカウンター越し。ダイニングの椅子に座り、タブレットを睨みつけながらブツブツと呟いている男を見て独りごちる。

 一週間後に行われる大学の卒業式で、倉橋は送辞を述べることになっている。人前に出るのは苦手なくせに、頼まれたら断れない性格は今も昔も変わらないようだ。

 俺よりもずっと低かった身長は二十センチほど伸び、並んで立つと鼻先にアイツの頭頂部がくる。眼鏡は銀縁からフレームレスに変わったものの、シャープな目元と肌の透明感はそのままだ。

 中学の頃からちょっかいを出し続け、高校でクラスが別々になっても追いかけ続けた結果、大学に入学する直前に倉橋は俺の恋人となり、同居人になった。

 今ではこのマンションの一室が、俺にとっての箱庭だ。

  こうなることができたのは、よく言えば執拗に追いかけ続けた俺の粘り勝ちだが、単に俺を追い払うのが面倒くさくなっただけのような気もする。

 なんで俺とこういう関係になったのか理由が知りたくて、組み敷いて焦らしまくって言わせようとしても毎回はぐらかされる。そもそも理由を聞けるまで我慢するなんて、俺には無理な話だ。普段は無表情で冷たい印象を持たれがちなアイツが、一糸まとわぬ姿で妖しく乱れるのだから。

「少し休憩したらどうだ」

 二人分のコーヒーと、倉橋用のナッツが入ったチョコレートをテーブルに置く。

 四つある椅子のうち、テーブルをはさんで向かい側に座ろうと椅子を引くと、倉橋がタブレットを置いてこちらを見た。眼鏡をはずし、無言のまま隣の椅子を指先でコツコツと叩く。傍から見れば偉そうな態度だが、俺から見れば可愛くてたまらない。

 このあとの展開を頭に浮かべ、少し鼓動が早くなる。望まれるがままに俺は倉橋の隣に座り、ほんのり頬を染めた倉橋が動き出すのを静かに待った。

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