第9話 『悪魔令嬢』


 私のせいだと思われているの……?


 疑う余地もない。この場の誰もが私を疑っている。

 とりあえず、カサンドラさんの容体を――


 静止の声を聞かず、私は倒れるカサンドラさんの元へ。脈拍正常。体温も問題なし。発汗は少し多いけど日常範囲内。眼球運動は……。


「だから触らないでって言っているでしょう⁉」


 状況確認をしていた私の手が払われる。

 顔を上げれば、そこには今まで見たことないくらい怖い顔をしたセレニカさん。だけど目が合った途端、彼女の顔が悲しげに歪む。


「あなたのこと、信じていたのに……!」

「みゃあ」


 こんな時に、なんて呑気な鳴き声だろうか。

 騒然とするテラスの中央を堂々と。悠然に闊歩してくるのはシャム猫だった。今日は汚れていないらしい。彼はぴょんと身軽に私たちのテーブルの上に乗っては、食べかけのマドレーヌをむしゃむしゃと口にし始める。


「ミャアちゃん、ダメ……!」


 それは私が毒を入れていないという物的証拠。あとで鑑識に回してもらえば、健康に害する被害が何も入っていないという無実の証拠になる。


 だけど……周囲の目は、私の意図を汲み取ってくれない。


「やっぱり毒を仕込んでたんじゃないか」

「あれ、悪魔令嬢が大切にしている猫ってやつだろ?」

「もう罪を認めたようなものじゃない」

「だからあんなやつ、入学させなければ……」


 こんな地獄耳。本当に欲しくなかったのに……。

 不必要に自分を責める声など聞きたい人はいないと思う。


 私……もう無理だよ……。

 ミャアちゃんを抱えて、私はこの場から逃げ出した。

 屋根の上に上がり、教舎の壁や塀を駆け渡り、私は最短でいつもの裏庭に飛び込む。


 そこでそっと、ミャアちゃんを下ろした。


「ダメだよ、ミャアちゃん。本当に毒が入ってたら、ミャアちゃんも死んじゃっていたかもしれないんだからね」


 私は本当に馬鹿である。

 そんな自分への嫌味に、自分で余計に泣きそうになっているなんて。


 だけどミャアちゃんは呑気に「みゃあ」と鳴くだけ。しかもお腹が空いているのか、私のポケットを鼻頭でモゾモゾと探ってくる。


 そんな無邪気な姿に、私は思わず苦笑した。


「わっかんないかぁ。ミャアちゃんは猫だもんね」

「みゃあ」


 私は残っていた、自分用の崩れたマドレーヌを取り出す。するとミャアちゃんは形なんて厭わないとばかりに飛びついて。ウマウマ美味しそうに食べてくれていた。


 そんなミャアちゃんの背中を私はゆっくりと撫でる。

 モフモフとした毛並みが、とてもあたたかい。


「そうだよ……わからないよね……」


 あの状況で、私にもわからないことがあった。

 それは、私が毒を入れたと疑われたことではない。


「なんでカサンドラさん、わざと倒れた・・・・・・のだろう?」


 本当に毒が盛られたのならば、体温の急上昇や急降下、眼球運動の痙攣、呼吸が浅くなったりと、何かしら反応があるはずである。急激に倒れるくらい具合が悪化したのなら、泡を吹いていてもおかしくないはずだ。


 だけど、カサンドラさんにはそんな反応が一切なかった。若干汗ばんでいたのも、わざと気絶して見せて緊張していると思えば納得がいく反応だ。


「そんなにカサンドラさんは私のこと嫌いだったのかな?」


 そりゃあ、ミャアちゃんの件でトラブルは遭ったけれど。

 でも、私は『悪魔令嬢』ミーリャ=フォン=デイバッハ。後ろには当然『悪魔宰相』の父様がいる。この国にこんな真っ向から父様に喧嘩を売る命知らずがいるだろうか?


 失礼な話、カサンドラさんにはそんな大物感を覚えなかった。


 気になることがあれば徹底的に調べろ。それが相手の弱点だ。

 一度狙った獲物は絶対に逃すな。


 ――その身体にデイバッハの血が流れるのであれば。


 そんな父様の声が、脳裏によぎる。

 呟いた自分の声が思いのほか低かった。


「本格的に調べてみるか」

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