第三章 悪魔の猟犬群 其の一、

 第三章 悪魔デビルズ・猟犬群ダンディ・ドッグズ


 其の一、


 ホープが今、一番、気に入っている見世物は、『Ms.ライトの幻灯館』だった。


 幻灯館の館長、ライト。


 人語を解す番犬、ヘアリー・ジャック。


 それにもう一人、あの晩、『クー・シー』に変身を遂げた少年。


 彼らはまだまだ、色々と楽しませてくれそうである。


 もちろん、〈第二の目を持つ者〉や、〈邪視を持つ者〉についても興味は尽きない。


 だが、ライトを今すぐ捕まえる事ができなくても、それはそれで無聊の慰みになる。


 ホープはライト達を捕まえる算段というより次は『クラブ』のどのメンバーに何をさせれば楽しめるのかを考えた。


 思い浮かんだのは、古くからの知り合いであるチャールズ・メストル卿の顔である。


 ホープが初めてメストルと出会ったのは、彼が十代の頃、『グランド・ツアー』を行っていた時である。


 ホープは貴族の嫡子として家庭教師を伴い、ヨーロッパ大陸を旅行していたのだ。


 目的は『グランド・ツアー』を通して貴族としての礼儀作法や立ち居振る舞いを学び、異国の文化や芸術に触れて教養を養う事。


 期間は、数ヶ月から数年、主な行き先は、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、オランダ。


 ホープはフランスでホテルに滞在していた時、あるパーティに参加する事になり、同じく『グランド・ツアー』をしていた、チャールズ・メストルと知り合った。


 最初に見た時は物静かで控えめな印象だったのを覚えている。


 とは言え、メストルは、真面目で品行方正だった訳ではない。


 彼が『グランド・ツアー』で取り組んでいる事は、文学や芸術などではなかった。


 娼館通いである。


 ホープも何度かメストルと一緒に娼館を訪れた事があったが、メストルはお金さえ払えば自分の言う通りになる女の前では横柄な態度だった。


 貴族という立場と有り余る金と暇を使って色欲に溺れていた。


 パーティでは影が薄く、いつの間にか姿を見かけなくなったが、子どもの頃から幽霊が見えたといい、唯一、交霊会には積極的に参加していた。


 おそらくは自分が有利な立場に立つのが好きで、有利な立場の場合は、態度が大きくなる人間なのだ。


 だからか、イギリスのカントリー・ハウスにいた頃は、狩りも週五、六日はやっていたらしい。


『狐狩り』、である。


 メストルに言わせれば、事前に狐の逃げ場を塞いでおき、猟犬を使って追い詰め、抵抗できない獲物にとどめを刺すのが楽しいのだという。


 メストルはフランスで売春宿を探す時もうきうきとしていたし、彼にとっては夜の相手を探すのも、狩りをしているのと同じ事なのだろう。


 ホープはいつしかメストルと疎遠になり、帰ってきてからは思い出しもしなかったが、数年後、彼と奇妙な再会を果たす事になる。


 ホープはその頃、すでに『水晶球の透視者クラブ』を設立していた時期で、メストルが『悪霊狩り』を行うと称して『霊媒狩り』を行っている事を、〈水晶球の幽霊〉を通して知った。


 メストルは、なぜか下層階級に恨みを持っており、彼らが自分と同じ霊媒を騙っている事も、本物の霊媒である事も許す事ができないらしく、ロンドンで上流階級以外の自称霊媒を騙して、自分の屋敷に招き、領地の森林で狩りの形式を用いて惨殺していた。


 ホープはメストルに興味を持ち、〈水晶球の幽霊〉を通して『クラブ』に誘い込み、メストルはスクライアーがホープだとは気付かないままに、『クラブ』のメンバーとなったのである。


「メストル卿、今年の『狐狩り』に、是非、紹介したい獲物がいるんだが、まだ間に合うかな」


 ホープは木漏れ日に輝く噴水広場でベンチに腰掛け、ロンドンのタウン・ハウスに滞在しているメストルに〈水晶球の幽霊〉を通して話しかけた。


——そろそろロンドンに戻ろうかと思っていたところだが、この世から抹消すべき下層階級の霊媒の情報ならありがたく聞かせてもらおうかな?


 噴水器から噴き出す水に映っているのは、タウン・ハウスの書斎で、机の前に座ったメストルだった。


「獲物の名は、フランシス・ライト。霊媒の噂がある女で、ロンドンのベイカー・ストリートで『Ms.ライトの幻灯館』という見世物小屋をやっている」


 ホープは今回も命に別状がなければ、ライトの事をある程度、傷付けても構わないと考えていた。


 でなければ、彼女を捕まえるのは難しいだろうと判断しての事である。


「だが、彼女が本物であれ偽物であれ、命は奪わないでくれ。聞きたい事があるから、生け捕りにして欲しいんだ」


 ——幻灯館のライト、か。下層階級の霊媒など、本物だろうと、偽物だろうと、殺しても構わんだろう?


「実際に幻灯館の見世物を観た者によれば、あの女のそれは驚きに値するものらしい。例え下層階級の霊媒だろうと、本物だとしたらどんな力を持っているのか気になるし、インチキ霊媒だとしても、やはりどんな仕掛けなのか興味がある」


 ——相変わらず物好きな事ですな。私からしたら上流階級以外の霊媒など霊媒のうちには入りませんが、スクライアー会長がそう言うのなら、そうさせて頂きましょうか。明日にでも幻灯館とやらに行ってみましょう。


「ありがとう」


 ホープは微笑みを浮かべたが、その微笑みは、どこかいつもとは違っていた。

 

 ホープの両目は、彼自身、気が付いているのかいないのか、病に侵されたように、黒く濁り始めていたのである。


「……フィールディング君は、将来、何かなりたいものはあるの?」


 ウィリアムがライトに読み書き算盤を教わっている時、彼女はふと、思いついたように質問してきた。


「うーん、特にこれっていうものはないよ。ただ、何となく、ダニエル・ダングラス・ホームみたいになりたいって思っているだけで」


 ウィリアムは少し気恥ずかしそうに言った。


「ダニエル・ダングラス・ホームみたいに?」


「何となくだけど、できれば霊能力を使って、人の役に立ちたいんだ」


「ふーん」


 ウィリアムからするとライトは大して興味がなさそうに見えたが、彼女はこの時、少年の事をしっかりと考えていた。


「——ヘアリー・ジャック、今日は社会見学と行きましょう」


 ライトは後日、ヘアリー・ジャックを連れて街へ出かけた。


 大英帝国の首都、ロンドン——大人達は、ロンドンに行けば何とかなる、ロンドンに行けばどうにかなるぞと、商売が成り立たなくなった田舎から子どもを連れて、皆、この街にやって来る。


 大人達は霧に包まれた街にやって来て、それこそ機械のように工場で来る日も来る日も働き、男の子は煙突掃除夫になり、女の子は売春婦になる。


 イギリスは、エディンバラ風の数階建ての建築様式がもたらされて以来、細く曲がりくねった煙道が取り付けられ、今では僅か七インチ平方しかないものも珍しくない。


 それ故、小柄な少年の煙突掃除夫が求められたのだが、煙突掃除夫の仕事は、死と隣り合わせだった。


 煙突掃除に必要な道具は、煙突を掃除する為のブラシと粗布で作られた煤避け帽子だけであり、掃除を始める前に上着と靴を脱いで、煤避け帽子にシャツとズボン姿で、右手でブラシを翳し、毛虫のように煙道を這っていく。


 煙道が広すぎても狭すぎても掃除はやり辛かった。


 いくつも角がある時や煤溜まりに通路が遮られている場合は身動きが取れなくなって死ぬ事もあるし、長期間、煤で真っ黒に汚れ、煤塗れの空気を吸っていると、病気にもなりやすい。


 煙突掃除夫の仕事も過酷なら、売春婦もまた厳しい仕事だった。


 下層階級の女性が働きたいと思った時、選択肢は二つしかない。


 すなわち、屋敷に奉公に出るか、売春婦になるかである。


 簡単に稼げるのは売春婦だったが、いくら簡単に稼げるとは言え、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も街頭に立ち続けるのは堪えるし、お客がいなければ稼ぎはなく、当然、食うのには困る。


 よしんば、お客に困る事なく稼ぐ事ができたとしても、まだ病気になる恐れが残っている。


 ——実際、毎年、大勢の煙突掃除夫の男の子や売春婦の女の子が事故や病気で死んでいる。


 それでもロンドンに来れば何とかなるなどと言えるのだろうか?


 確かに一時的には食い扶持は見つかるかも知れないが、長い目で見るとどうだろう。


 ここ、ロンドンは、虚栄の都なのではないか?


 ——では、ライトから見たら?


 ライトから見たらこの街は何者にもなれる可能性に満ちた街だった。


 ライトは、どうせ嘘を吐くのなら面白い嘘を吐きたかった。


 みんなが楽しむ事ができる、役に立つ嘘。


 だからエンターテイナーになった。


 そして、みんなが楽しむ事ができる役に立つ嘘——自分が想像した事を現実に、本当の事にしたかった。


 ライトはそう思うからこそ、ウィリアムの将来を常日頃から考えていた。


 ——フィールディング君には煙突掃除夫は似合わない。


 だとしたら、どうする?


 ウィリアムにとって相応しい将来は何か、職業は何か、自分の足で探す事にした。


 もちろん、ウィリアムの将来を勝手に決めつけ、押し付けるような真似をするつもりはない。


 いつか必要な時、力になれるように、下調べをしておこうと思ったのだ。


 彼女達がやって来たのは、ミュージック・ホール、『アザー・ワールド劇場』だった。


 なぜ、ここにやって来たのかと言えば、ライトもミュージック・ホールから仕事を始めたし、ミュージック・ホールに行けば、色々な芸を見る事ができるからである。


 霊能力を使った見世物と言えば交霊会ぐらいでインチキばかりかも知れないが、色んな見世物を見ていれば何か思い付くかも知れない。


 一人ぐらい出演者に本物が混じっている事もあるだろうと、まずは劇場に足を運んだ。


 ライトは『アザー・ワールド劇場』の窓口で入場料六ペンスを支払い、最初の広間で油絵を楽しんだ。


 次の区画は長いテーブルが整然と並べられたところで、テーブルには軽食と飲み物が用意され、お客は皆、何を飲み食いしようか迷っていたが、何も注文せずに演目だけを楽しんでも構わなかった。


 劇場の奥にある舞台では演目が絶えず行われ、家族連れや仕事帰りの労働者達で賑わっていた。


 出し物は歌や踊りが中心だったが、交霊会を始めとした見世物も用意されている。


 ライトは、観客席で大泣きした赤ちゃんの声が混ざったバラッド、『サム・ホール』を聞いていた。


 おお、俺の名前は、サム・ホール

 煙突掃除夫! 煙突掃除夫!

 おお、俺の名前は、サム・ホール

 煙突掃除夫! 煙突掃除夫!

 俺の名前は、サム・ホール

 でっかいものから、つまらんものまで、何でも盗み

 今じゃ、そのツケ、払わされてる

 チクショー、目にもの見せてやる


 俺の親方、俺にかっとなる事を教えた

 かっとなる事を教えた

 俺の親方、俺にかっとなる事を教えた

 そして今じゃ、縛り首!

 チクショー、目にもの見せてやる


 荷車に乗せられ、ホルボーン・ヒルへ

 荷車に乗せられ、荷車に乗せられ、ホルボーン・ヒルへ

 セント・ジャイルズで、〝ジル〟を一杯

 そして、タイバーンでは遺言(ウィル)を一つ

 チクショー、目にもの見せてやる


 それから、州長官がやって来る……

 それから、死刑執行人がやって来る……


 そして、今から俺は上に行く

 上に行く

 そして今から、俺は上に行く

 これで、一巻の終わり……

 みんな、祈りを傾ける……

 チクショー、お前ら!


 ライトはバラッド、『サム・ホール』を聞きながら、ウィリアムにはサム・ホールと同じ道を歩ませたくないと思った。


 霊能力を使って人様の役に立ちたければ、何を生業とするのが相応しいのだろう?


 すぐには思い付かなかった。


 いや、それを考えるのは、ウィリアム本人だ。


 ——私はただ、彼の手助けをすればいいだけ。


 ウィリアムの選択肢が少しでも増えるように、読み書き算盤、心霊学を教え、細やかなながら食事を提供し、できるだけ環境を整える。


 ——なぜって、人間にとって一番大事なものは……。


 ライトは子どもの頃に聞いた事がある『アーサー王伝説』の一つ、『ガウェイン卿とラグネルの結婚』を思い出した。


 ——アーサー王が宮廷で仕事をこなしていたある日、一人の乙女が直訴をしにきた。


「王様、私は自分が住んでいるお城を黒い騎士に奪われてしまいました。どうかお助け下さい」


 アーサー王は乙女の直訴を受けて、黒い騎士を懲らしめようと、お城に乗り込んだ。


 だが、お城の中に足を踏み入れた途端、黒い騎士が魔法をかけているのか、全身から力が抜けて立っていられなかった。


 アーサー王は力を吸い取られ、目の前に現れた黒い騎士になす術もなく敗れた。


「このまま殺してしまうのは面白くない。そこで一つ、質問をしよう」


 黒い騎士はとどめを刺さずに、喉元に剣を突き付けて言った。


「この質問に答えられなかったら、その時こそ、お前の命と、お前の王国をもらおう。一年後、ここに戻ってきて答えよ」


 ——全ての婦人が、最も望む事は何か?


 アーサー王は国中を回り、色々な身分の様々な年齢のご婦人方に最も望んでいる事は何か聞いて回った。


 ある者は「富」と答え、またある者は「美貌」、またある者は「地位と名誉」、「愛する人」、「陽気に暮らす事」などなど、質問の答えは、当然の如く、人それぞれ違った。


 月日は流れ、あと数日で一年が経つというある日の事だった。


 アーサー王が黒い騎士の質問の答えが判らないままに森を彷徨い歩いていると、醜い老婆がしゃがみ込んでいた。


 アーサー王は老婆から目を背け、知らないふりをして通り過ぎようとした。


「いくら醜い老婆とは言え、立派な騎士様ともあろうお方が、倒れている女性を無視するのですか?」


 老婆がふいに声をかけてきた。


「——私は貴方のお悩みを解消できるかも知れませんのに」


 アーサー王は驚いて立ち止まり、老婆に黒い騎士との一件を話した。


「私は、貴方のお探しになっている答えを知っております。答えを教えて差し上げる代わりに、若くて美しい立派な騎士を、夫に下さいませ」


 アーサー王は老婆と取り引きを交わし質問の答えを教えてもらうと、黒い騎士がいるお城に向かった。


 そしてまずは今日まで他のご婦人方から聞いた質問の答えを言ってみたが、全て間違いだった。


「アーサー王よ、もう降参するか? 残念だが、お前には正しい答えは判らなかったようだな」


 ——全ての女は、自分の意志を通したいもの。


 と、アーサー王は最後に、あの老婆から聞いた答えを告げた。


「おのれ!」


 黒い騎士はアーサー王の答えを聞き激怒した。


「我が妹から答えを聞き出したな!」


 黒い騎士は口惜しそうに言って、アーサー王の前から姿を消したという。


 ライトは『ガウェイン卿とラグネルの結婚』のお話を知った時、男性、女性に関わらず、人間にとって一番大事なものは、自分の意志に違いないと感じたものである。


 だからライトは、ウィリアムにも、自分の未来は自分で決めてもらいたいと思っていた。


 ——例えそれが、どんな困難な明日を選ぶ事になったとしても。

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