第二章 パブ・常若の国亭 其の二、

 第二章 パブ・常若ティル・ナ・ノーグ


 其の二、


 ウィリアムは毎日のように昼間は街に出向き、『常若の国亭』から任された鼠捕りに勤しんでいた。


 ロンドンには不潔な通りや下水溝に、鼠が数え切れないほどいた。


 実際、鼠捕りの専門職、『鼠捕り師』という職業があったぐらいである。


 ウィリアムも鼠捕り師と同じようにヴェルヴェッドのジャケットにコーデュロイのズボン、鼠の絵が描かれた皮ベルト、鼠を入れる鉄の籠を手に、テリアとフェレットを連れ、路地裏や下水溝を回っていた。


(みんなこういう下積みをして、いつか真っ当な霊媒格闘家になるんだ)


 ウィリアムは自分にそう言い聞かせて、〝霊媒いじめ〟や〈獣憑き〉になる時に必要な鼠を、朝から晩まで生け捕りにしていた。


(——〈邪視を持つ者〉になれば、いずれはその報いを受けて、人ならざる者になる運命)


 だが、霊媒格闘家達の黒ずんだ目を見てから、どうしても不安が拭えなかった。


 あの黒ずんだ目こそ、Ms.ライトが言っていた、『邪視』なのではないか。


 いや、たかが鼠を殺したぐらいで化け物になってたまるか、きっと、〈獣憑き〉になるのに怖気付いた奴の戯言に過ぎない。


 メリックもジョージも、パブの連中はみんなこう言っていたではないか、目が黒ずんでくるのは霊媒格闘家として上達してきた証拠だ、と。


 だからウィリアムも、日々、鼠相手の〝霊媒いじめ〟に打ち込み、霊媒格闘家として修行を積んでいた。


 どんなに練習をこなしても、自信はなかったが。


 ——これから俺はどうすればいい? このまま霊媒格闘家を目指して過ごしていればいいのか?


 ウィリアムは鼠を探して次の通りに行こうとした時、通行人の中に見知った女性がいる事に気が付いた。


 往来は道行く人でごった返していたが、なぜか彼女の姿はすぐに目に留まった。


「—— Ms.ライト?」


 ウィリアムは戸惑いの色を隠せなかった。


「こんにちは。お久しぶりね、フィールディング君」


 ライトは今日は幻灯館が休みなのか、よそ行きの格好をしていて、もぎりをしている時よりも可愛いらしい感じだった。


「なんでこんなところにいるんだ?」


 ウィリアムは訝しげな顔をした。


「フィールディング君とちょっと話したい事があって来ちゃった。貴方、この近くのパブで働いているの?」


 ライトは当たり前のような顔をして言った。


「何でそんな事を知っているんだよ。何かの勧誘なら帰ってくれよ」


 ウィリアムは警戒心を露わにした。


「あら、つれないわねえ? ウェイターをやっているんでしょう? 交霊会はやめたの?」


 ライトはめげずに近況を聞いてきた。


「あんたには関係ないだろう」


 ウィリアムは迷惑そうな顔をして言った。


「よかったらどこかで、ゆっくりお話したいんだけど」


「今、仕事中なんだよ。見れば判るだろう」


「——貴方、見たんでしょう」


 ライトはふと、意味ありげな事を言った。


「み、見たって、何をだよ?」


 ウィリアムは明らかに狼狽えた。


「フィールディング君はスティーブ君に誘われて、あの店で霊媒格闘技をやっているわね」


「な、何で、そんな事まで!?」


「あの店のご主人は、メリックという人だそうね。なぜ、彼が『霊媒格闘技』を始めようなんて思ったのか判らないけれど、彼は霊を、〈残留思念〉を、〈獣憑き〉になる為に必要な単なるエネルギー源と見なしているみたいね」


「それのどこがいけないって言うんだよ? あんたはどうせ、〈獣憑き〉になる事に対して怖気付いているから、〈邪視を持つ者〉だとかなんとかイチャモンをつけているんだろう?」


「あら、やっぱり見たのね。〈邪視を持つ者〉を、〈獣憑き〉の姿を」


「だったら、なんだって言うんだ! こっちは金を稼ぐ為に、毎日、働いているだけで、文句を言われる筋合いはないぞ!?」


「スティーブ君も前に同じような事を言っていたわね。彼には有名になりたいって気持ちもあったみたいだけど」


「……ジョージとどういう関係なんだ?」


「彼も貴方と同じように、幻灯館に一度、お客様として来て下さったのよ。その時にはもうパブで働いていたみたいだけど——残念な事に私の忠告は、スティーブ君には聞き入れてもらえなかったわ。自分には幸せにしなきゃいけない人がいるって」


「ジョージはどこぞのご婦人にぞっこんみたいだからね」


「私もちょっと事情を聞かせてもらったけど、スティーブ君はたぶん、彼女の事を好きな訳じゃないわ——ただ単に、ふしだらな関係にスリルを感じて楽しんでいるだけね」


「そうだったとして、だからなんだって言うんだ?」


「スティーブ君がパブに勤めてから随分時間が経っているわ、あれからずっと〈残留思念〉を利用しているとしたら、そろそろ〈邪視を持つ者〉になっていてもおかしくない頃ね」


 ライトはため息混じりに言った。


「……本当なのか、その話」


 ウィリアムにはまるで現実感がなかったが、確かにメリックをはじめとしてパブの連中はみんな眼球が黒ずんでいたし、ジョージのそれにも変化の兆しは見て取れた。


 彼らの黒ずんだ目を見た時、なんとなく邪なものを感じたのもまた事実だった。


 一方、ライトには突拍子のなさや多少の胡散臭さはあっても、おぞましいものは感じなかった。


 だがまさか、〈第二の目を持つ者〉だの〈邪視を持つ者〉だのという話が、本当の事だなんて……。

「少しは私と話す気になってくれた?」


 ライトはウィリアムの様子を見て、嬉しそうに言った。


「……あんた、俺と何を話しに来たんだ?」


 ウィリアムはここに来てライトに興味を覚え、警戒を緩めた。


「平たく言えば、霊媒と霊能力の使い方の話よ。こんなところで話すのもなんだし、よかったらうちに来ない?」


「…………」


 果たしてライトを信用してもいいものか迷ったが、結局のところ頷いた。


「それじゃ、幻灯館に行きましょう。あそこなら、落ち着いて話せるわ」


 ライトに連れられベーカー街にある『Ms.ライトの幻灯館』を訪れると、彼女は幻灯館の脇に取り付けられた分厚い木製の扉を開け、階段を上っていく。


「どうぞ、座って」


 応接室に通され、ウィリアムは席に座るように言われた。


「改めて自己紹介しましょうか。私の名は、フランシス・ライト。もうご存知だとは思うけど、幻灯館の館長をしているわ。最近、新しい事業も始めたのよ」


 ライト自身、テーブルを囲んだ椅子の一つに腰掛け、自己紹介をした。


 ウィリアムは黙って聞いていたが、ライトの足元で何か動いている事に気付き、目を丸くした。

「ヘアリー・ジャックよ」


 ライトが笑顔で紹介したのは、彼女の足元で寛いだむく犬だった。


「……俺はウィリアム・フィールディング。今は『常若の国亭』でウェイターをしながら、霊媒格闘家見習いとして働いている」


 ウィリアムは気を取り直すようにライトに倣って自己紹介をした。


 ここまで来たからにはじっくり話を聞くつもりだった。


 Ms.ライトという女性は何者か?


 彼女が言う〈第二の目を持つ者〉や〈邪視を持つ者〉とは何なのか?


 もしかしたら、それが判れば今後の身の振り方の答えも出るかも知れない。


「あのパブの地下で毎晩よからぬ事をしているとしたら、君の瞳はいつ黒ずんでもおかしくはないなあ」


 ウィリアムに嫌味っぽく言ったのは、ライトの足元で寛いでいるむく犬、ヘアリー・ジャックだった。


「!?」


 ウィリアムはヘアリー・ジャックが人間の言葉を話した事に、驚愕を禁じ得なかった。


「ヘアリー・ジャック」


 ライトは嗜めるようにむく犬の名を呼んだ。


「うん、何か失礼な事でも言ったか?」


 ヘアリー・ジャックは不満げだった。


「こ、この犬も〈獣憑き〉なのか!? い、いや、俺の目はまだ、〈邪視〉には……!?」


 ウィリアムは心配そうな顔をして自分の顔や体を慌てて触った。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ、貴方はまだ〈邪視を持つ者〉になっていないから。ヘアリー・ジャックも〈邪視を持つ者〉じゃない、〈第二の目〉を使って犬の姿をしているのよ」


 ライトはウィリアムを安心させるように言った。


「この犬も〈第二の目を持つ者〉」


 ウィリアムはヘアリー・ジャックの事をまじまじと見た。


「ようやく信じてくれたのかしら。他人や動物の命を奪って〈残留思念〉を利用し心霊現象を引き起していると、いずれは自我を乗っ取られ本当の化け物になってしまうと」


「じゃあ俺みたいな霊媒は何をすればいいっていうんだよ? 俺は巷で流行りのインチキ交霊会なんかやりたくないし、せっかく見つけたまともな仕事なんだぞ」


 ウィリアムは身を乗り出すようにして言った。


「フィールディング君が自分が霊媒だと自覚したのはいつ頃の事なの?」


「物心ついた時から普通の人間には見えないものが見えて周りから煙たがられていたし、警察官の父親ともうまくいかず母親には気味悪がられて家出したんだ」


 ウィリアムは不貞腐れたように言った。


「霊媒について、誰かに学んだ事は?」


「霊媒について学んだ事なんてないね! 強いて言えば、〝霊媒の王者〟、ダニエル・ダングラス・ホームについて知っているのと、あのパブで〈獣憑き〉になる方法を教えてもらったぐらいだよ」


「それじゃ心霊現象の歴史についてはどこまでご存知?」


「十年以上前にどこかの博士が幽霊の存在を立証した事と、その頃から霊媒を騙る詐欺師が多くなってきた事ぐらいかな」


「要は、何も知らないに等しいという訳だ」


 ヘアリー・ジャックが二人の会話に入ってきた。


「わ、悪かったな」


 ウィリアムは腹立たしげに言った。


「クルックス博士ね。クルックス博士は心霊現象に懐疑的だったけど、霊媒のフローレンス・クックを被験者とした研究で、彼女が幽霊を物質化させたのを確認した。それから心霊学は急速に発展したけど、科学のお墨付きをもらったのをいい事に、霊媒を騙って詐欺を始める者が現れた。一方で、本物の霊媒は自分の持つ力に気が付かないまま心霊現象に悩まされていたり、或いは霊能力を持っている事を自覚していても使い方が判らず、困っている人がたくさんいるのが現状よ」


 ライトはウィリアムの事をじっと見つめた。


「俺もその一人っていう訳か?」


 ウィリアムの質問に、ライトはこくりと頷いた。


「霊媒は人と霊を仲介する者。フィールディング君は『霊視』はできても、まだ『口寄せ』はできないみたいだけど、鍛錬すれば必ずできるようになるわ。もちろん、〈第二の目を持つ者〉になる事もね」


 ライトが言うと、ヘアリー・ジャックが立ち上がり、ウィリアムの事を値踏みするように見た。


「鍛錬が足りないのだ!」


 ウィリアムはヘアリー・ジャックの台詞に戸惑うばかりだった。


「そんな事言われたって、俺の周りには本物の霊媒なんかいなかったし、いったい、どう鍛えればいいのか」


 ウィリアムは正直な気持ちを口にした。


「人生をよく生きる為には、理性が必要よ。貴方は自分が霊媒だって判ってから、何を考え、どう行動したの? 自分自身について、霊媒について、深く知ろうとした? 知ろうとしたのなら、具体的に、何をしたのかしら?」


 ライトは矢継ぎ早に質問してきた。


「そ、それは……」


 答えられなかった。


 ただ家を飛び出し、毎日、公園や収容所を探して歩き回っていただけである。


 言い訳をさせてもらえるのなら、生きるだけで精一杯、その日暮らしというやつである。


「みんな立派な人間になる為には何もしないのに、つまらない事に関しては足の引っ張り合いをするし、真剣な話は聞こうともしない癖に、下らない話には集まってくる」


 ヘアリー・ジャックは追い討ちをかけるように言った。


「答えられないのも無理ないわ、今のところ霊媒の学び舎はどこにもないんだから——ここ、幻灯館を除いてわね」


 ライトは悪戯っぽく笑った。


「……ここが霊媒の学び舎?」


「新しい事業を始めたって言ったでしょう? 私達は君のように霊能力があってもどうしていいか判らない人達の為に、毎週、日曜日に、夜間学校を開く事にしたの」


「幻灯館の地下室を使った小さな学校だがね」


 ライトとヘアリー・ジャックは何かしらの信念を持っているようだった。


 労働者階級の子どもは、昼間、学校に行っている暇はなく、男の子なら働きに出ていたし、女の子なら働いている両親の代わりに弟や妹の世話をしていた。


 彼ら学校に行けない子どもや年配の労働者に基礎教育を施す事を目的として、サンデー・スクールやイブニング・クラスが始まったのだが、ライトが設立したのは、霊媒を対象とした夜間学校のようである。


「ただでさえロンドンには浮浪者が溢れ返っているし、彼らは一年中、同じ格好で、屋根の上や下水溝で寝起きする劣悪な環境にある。その上、自分が霊媒だと気付いていない人や霊能力をどう使っていいのか判らない人達は、それと知らずにいずれ自我を失う危険な行為に手を染める事も珍しくない。だから私達は少しでもそういう人達の力になれたらと思って、霊媒を対象とした夜間学校を開く事にしたの」


 ライトはにこやかに続けた。


「幻灯館の傍ら、イースト・エンドの住宅地や路地裏に行って社会から見放された霊媒がどういう状況に置かれているのか、調査もしているのよ。誰かが困っている時は微力ながら手助けさせてもらう事もある。今日は先日出会って以来探していた、君に声をかけさせてもらったという訳ね、フィールディング君」


 ライトは夜間学校の第一号の生徒として、ウィリアムに手を差し伸べたという訳である。


「俺を夜間学校に通わせてくれるっていうのか?」


「もちろん。ここで学や技術を身につけて、自分の生活を変えてもらいたいのよ」


「基本的には読み書き算盤を中心に講義するつもりだ。その後、心霊学について指導させてもらいたい。今後、新規の参加者が来たら、先輩として君にも指導してもらいたいと考えている。全ての講義が終わったら夕食もある——至れり尽くせりだな」


 ヘアリー・ジャックは感謝しろと言わんばかりだった。


「あんたも人間と同じものを食べるのか?」


 ウィリアムはいやらしい顔で言って、ヘアリー・ジャックの事を莫迦にした。


「私達は初めて調査に出た時、路上で生活している人には教育よりもまずは食事が必要だと感じたのよ。お腹が空いていたら勉強も何もないもの。三食昼寝付きとは言わないけど、できるだけの事はしたいと思っているわ」


 ライトはウィリアムにきゃんきゃん吠え立てるヘアリー・ジャックを宥めながら、真っ直ぐな目をして言った。


「そこまで……」


 ウィリアムはライトの情熱をひしひしと感じ、感嘆の声を漏らした。


「人間は自然に適った労苦を選べば幸福に生きる事ができる、不幸な人生を送る事になるのは愚かさのせい。霊媒は霊媒らしく心霊現象について学ぶべきよ。そうすれば貴方もいつかきっと立派な職業霊媒になれるでしょう——貴方は今の自分についてどこまで理解しているのかしら?」


 ライトはふいに難しい質問を投げかけてきた。


「今の自分について? その日暮らしで、考えている余裕なんかないな」


「繰り返すけど、人生をよく生きる為には、理性が必要よ。霊媒なら、霊媒について知る必要がある。頑張って、応援しているわ」


「館長、そろそろ地下に行こうか」


 ヘアリー・ジャックは普段なら幽霊ショーを開いている幻灯館の地下に、ウィリアムの事を案内した。


「改めて自己紹介と行こうか——私の名前は、ヘアリー・ジャック」


 ヘアリー・ジャックは地下室に持ち込まれた教卓の上にちょこんと座り、ウィリアムは会衆席の最前列で生徒よろしく聞いていた。


 ライトは教卓の脇に置かれた椅子に座して、講義の様子を見守っている。


「初めまして、ウィリアム・フィールディングと言います。これから頑張って勉強したいと思うので、よろしくお願いします」


 ウィリアムは態度を改め、生真面目な様子で自己紹介をした。


「今日は初日だし、心霊学の概要をさらっとおさらいしようか。近代の心霊学に関して語る時、避けては通れない事件がある」


 ヘアリー・ジャックが話し始めたのは、一八四八年に起きた、ハイズビル事件についてだった。


 ハイズビル村に引っ越してきたフォックス家の姉妹が、音を介して幽霊と交信したのである。


 彼女達は自宅で、自分達の前に姿は見せないが物音を立てる幽霊と、『YES』なら一回、音を立てる、『NO』なら二回、音を立てると、取り決めを交わして、意思の疎通を図る事に成功した。


 これがきっかけで、心霊現象の研究が活発になったのである。


「では、幽霊とは何だ? どこから来たと思う? 天国、地獄?」


 ウィリアムは答えられなかった。


「答えは、天国でも地獄でもない。幽霊は、死んだ人間から生まれた、〈残留思念〉の事だ」


 ヘアリー・ジャックは反応を窺うように、ウィリアムの顔を見やる。


「死後もこの世に残る、強い思念——つまり、幽霊は死んだ人の気持ちや思い、感情から生まれたものなんだよ。だから幽霊が死んだ人間そのものなのかと言えば、違うと言わざるを得ない、必然的に恨み辛み憎しみが多いが、愛情や思いやりといった性質のものもある。そして〈残留思念〉は、よく知られている幽霊という形を取ったり様々な心霊現象を引き起こす」


 ウィリアムは心霊講義を熱心に聞いていた。


「霊媒は〈残留思念〉を感じ取る能力を使って『霊視』や『口寄せ』ができる。もちろん、〈第二の目を持つ者〉や〈邪視を持つ者〉も霊媒だから『霊視』や『口寄せ』ができるが、更に別の力を持っている」


「〈第二の目〉や〈邪視〉っていうのは、なんなんだ?」


 ウィリアムは敏感に反応し、質問した。


「〈第二の目を持つ者〉は本人の資質によって心霊現象は固定されるが自分の想像を現実のものにする事ができる。一方、〈邪視を持つ者〉は他人や動物を殺めて生み出した〈残留思念〉を利用して色々な心霊現象を引き起こす。それを繰り返しているうちに眼球は黒ずみ、いずれは〈残留思念〉なしでも〈獣憑き〉になる事ができるようになり二度と人間には戻れなくなる」


「〈第二の目を持つ者〉になる為には、どうすればいいんだ?」


「鍛錬、だよ」


 ヘアリー・ジャックはここぞとばかりに笑って言った。


「人生において、鍛錬なしには何事もうまくいく事はない。鍛錬すれば人は徳に達するし卓越した状態になる。鍛錬こそ、万事を克服する力、だ」


 ヘアリー・ジャックがそこまで話すと、今度はライトが壇上に立った。


「霊媒は霊能力に無理解だったり、己の欲望に囚われていては、正しく力を発揮する事はできません。まず霊媒とは何か、霊能力とは何の為にあるのか、一緒に考えましょう」


 ライトは微笑みを浮かべて、ウィリアムに言った。


「フィールディング君、霊媒は何の為に存在すると思いますか?」


「……判りません」


 ウィリアムは首を横に振った。


「霊媒の霊能力は、何の為にあると思いますか?」


「幽霊を意のままに操る為?」


 恐る恐る答えた。


「幽霊を意のままに操って、どうします? 霊媒として交霊会を開いて、参加者から参加費をもらって、お金を稼ぎますか?」


「……俺はまだ霊媒が何者なのか判りませんし、霊能力をどう使ったらいいのかも判りません。第一、霊能力の使い方自体、何も判らないんですから」


 ウィリアムは困ったように言った。


「私は何も職業霊媒として交霊会を開く事が悪い事だと言っている訳じゃありませんよ。さっきも言ったように、霊媒とは何か、霊能力とは何か、考えてもらいたかったんです。そこから始めれば、霊能力の使い方も身に付くはずですから」


 ライトはウィリアムの緊張を解そうとしてか、笑顔で説明した。


「霊媒は文字通り、霊と人の媒介者。この世にいない死んだ者の言葉や思いを他人に伝える仲介者です。霊媒が持っている霊能力というのは、霊を、厳密に言えば、〈残留思念〉を感じる事ができる能力です——ところでフィールディング君は釣りはしますか?」


 ライトは、突然、そんな事を聞いてきた。


「いいえ」


 ウィリアムは戸惑いを隠しきれなかった。


「霊媒とは何か、霊能力とは何か理解するには、釣り人が何を目的として、どうやって釣りをするのか考えると判りやすいかも知れません。釣り人の定義は生活の為に釣りを行わない人の事だそうで、釣りをする目的は自然を感じる為だそうです。釣り人は魚を釣る時、魚になりきって四季折々の自然を感じるそうなんですが——」


 ライトは釣りを引き合いに出して霊媒とは何か説明し始めた。


「霊媒も釣り人のように霊能力を生活の為に使わない方がいいのかどうかは置いておいて、霊媒が霊能力を使うのは自然を感じる為ではなく、この世にはいない死んだ人の思いや言葉を感じる為ですよね、そう考えると霊能力を上達させるにはこんな風に意識すればやりやすいんじゃないでしょうか——釣り人が魚になりきって四季折々の自然を感じるように、霊能力を使う時、〈鬼火〉を通してその人になりきる事、具体的には、受容、傾聴、共感を意識すれば、もうこの世にはいない死んだ者が本当に伝えたかった言葉や思いをより正しく感じる事ができるはずです」


「……〈鬼火〉を通してその人になりきる事」


 ウィリアムは理解を深めようとするようにぶつぶつと呟いた。


「霊媒とは何か霊能力とは何か理解し、受容、傾聴、共感に努めなければ、霊能力の上達はありません。それと同じように自分についてもよく知って、本当は自分が何がしたいのか、その為にはどうするべきか自覚しない事には、〈第二の目を持つ者〉になるのは難しいでしょう」


 ライトは諭すように言った。


 今夜の講義はそこでお開きとなり、お盆に載せた夕食が運ばれてきた。


 金属製のお皿には、牛の胸肉の塩味煮込みに、茹でたじゃが芋、玉葱、人参が盛り付けられ、チーズを載せたパンがついていた。


 ウィリアムが普段、食べているものと比べれば、夢のような献立だったし、空腹こそ満たされたが、残念ながら、不安が消える事はなかった。


 ——俺は何なんだ? いったい、何者なんだ?


 ライトとヘアリー・ジャックから心霊学の講義を受け、霊媒の歴史や霊能力の種類について触れる事ができたし、霊能力の操り方も幾らか指南してもらった。


 とは言え、まだたったそれだけ。


 将来どうしていいかは判らない。


「——なんだかぼーっとしているみたいだけど、今日の献立は口に合わなかったかしら?」


 ウィリアムが今後の自分について心配していると、ライトが気を使って話しかけてきた。


「いいえ、そんな事は……ただ」


 ウィリアムは言いあぐねていた。


「ただ?」


 ライトはウィリアムが話し出すのを待っていた。


「これから俺はどうすればいいのか、どうなるのかなと思って」


 ウィリアムは胸のうちにある不安を素直に吐露した。


「大丈夫よ、もう二度と私利私欲の為に〈残留思念〉を利用しなければね。だから、また来週もちゃんと学校に来てね?」


 ライトはウィリアムの隣に座って、笑顔で言った。


 ウィリアムには、ライトは夢と希望に満ちているように見えた。


 ライトにも色々と悩み事はあるのだろうが、彼女の表情はいつも明るく輝いていた。


 ライトは自分が何をやりたいのかを自覚し、その為に何をやらなければならないのかも理解し、毎日、できる事をやっているからだろう。


 ——それに比べて、俺はどうだ?


 自分がやりたい事が何なのかまだ何も判らなかった。


 だが、当面、自分が何をすべきかは判った。


 ——今の霊能力じゃ何もできない、だから霊能力を磨く必要がある。


 自分が叶えたい夢を探すのは、夢を見つけるのは、それからだろう。


「Ms.ライト、俺に霊能力の使い方を、〈第二の目〉について教えて下さい」


 ウィリアムが頼み込むと、ライトは笑顔で頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る