第一章 Ms.ライトの幻灯館 其の四、

 第一章 Ms.ライトの幻灯館マジック・ランタン・ミュージアム


 其の四、


 ケイトは分厚い木製の扉を開けて、幻灯館に足を踏み入れた。


 幻灯館の広間は冷たい雰囲気が漂う石造りで、壁には蝋燭の炎が幾つも揺らめき、どこかから流れてくるグラス・ハーモニカの不可思議で恐ろしげな音色を聞きながら、地下室へと続く階段をゆっくりと下りていく。


 背後を付かず離れず漂っているのは、スクライアーの目となり耳となる〈水晶球の幽霊〉だった。


 階段を下りた先、鉄製の重々しい扉を背にして待っていたのは、受付にいたはずのもぎりの女性である。


「お客様、今宵はようこそ、幻灯館にいらっしゃいました。私は当館の館長を務めております、フランシス・ライトと申します」


 深々と一礼した彼女の傍らには、火がついていない篝火の台が置かれていた。


「これから私が、幻灯館の目眩く世界をご案内させて頂きます! 本来なら霊媒しか見る事ができない、心霊の世界を存分にお楽しみ下さい!」


 彼女が篝火に火を点けると、誰も手をかけていないのに鉄の扉が開いていく。


 鉄の扉の向こうに待っていたのは、祭壇こそなかったが、礼拝堂のように会衆席が並んだ地下室だった。


「さて、お立ち会い! お客様にはベーカー街にいながらにして、ロンドン塔の幽霊の目撃者になって頂きます!」


 ケイトが席に着いたところで彼女は厚手の布でランプを囲って明かりを落とし、奥にある映写室に行き、透明で薄い映写幕を下ろす。


 ライトが映写室で幻灯機を操作し、いよいよ、『幽霊ショー』が始まる。


 ふいに映し出されたのは、骸骨の顔をした幽霊が暗闇でぼんやりと光り、縦横無尽に飛び回る光景だ。


「ロンドン塔は血塗られた歴史を持つ建物です」


 ライトの声が映写室から朗々と聞こえてきた。


 骸骨の幽霊が闇の向こうに消えた後、今度は渡鴉が化鳥のように飛び交うロンドン塔が不気味な姿を現した。


「ヘンリー八世の妻、アン・ブーリン」


 ライトの台詞とともに、ロンドン塔の夜を彷徨い歩いている、王妃、アン・ブーリンの姿が映る。


 次いで、幼くして殺害された二人の少年、エドワード五世とヨーク公リチャードの姿が暗闇に浮かぶ。


 二人の少年が何の前触れもなく姿を消し、次に映写幕に映ったのは、眩いばかりに美しい少女だった。


 映写幕に映る眩いばかりに美しい少女は、『九日間の女王』と言われる、ジェーン・グレイ、その人だった。


 ライトはロンドン塔に纏わる王室の幽霊を、本人や関連する映像とともに紹介した。


「ここまでご覧頂いたお客様にはもうお判りの事だと思いますが、幽霊はこの世に残した恨み辛み憎しみ、怨念から生まれるものです。そして、幽霊は、ただ虚しく、永遠に彷徨うばかりの、寂しい存在」


 ライトは残念そうに言った。


「以上で本日の幻灯館の演目は、全て終了にございます」


 決まり文句らしい台詞で締め括ると、映写室から出てきて、一礼した。


「え、これで終わり? 貴方は不思議な力を使って、ある種のお客相手に特別なショーを開いているっていう話じゃない?」


 ケイトはわざとらしく驚いた顔をして質問をした。


「悪いけど、こんな『幽霊ショー』、今時どこだってやっているし、今日は特別ショーはやらないの?」


「お客様は特別ショーに興味があっていらっしゃったのですか?」


 ライトはいつも通り笑顔こそ浮かべていたが、何となく相手の出方を窺っているようなところがある。


 当然だろう、どう考えても目の前にいるお客の眼球は普通ではない、まるで悪魔のそれのように黒ずんでいるのだから。


 私利私欲の為に他人を、欲望の赴くままに動物を殺め、〈残留思念〉を利用し、心霊現象を意のままに操る者——〈邪視を持つ者〉、だ。


 今は曲がりなりにもお客のように振る舞っているが、いったい、いつ本性を現すのか、判ったものではない。


「ええ、そうよ! 私は、特別ショーを観に来たの! もし噂が本当だったとしたら、不思議な力っていうのは、具体的にどんな力なの? ある種のお客っていうのは、どんなお客の事を言うのかしら?」


 ケイトは興味津々といった様子で、矢継ぎ早に質問した。


「お客様がどこでどんな噂をお聞きになったのか存じ上げませんが、不思議な力というのは、霊能力の事です。当館ではお客様のように自分やこの世界に希望が持てない方の為に、特別ショーを無料でご用意しております。特別ショーをご覧頂ければ、特に霊能力を持て余している霊媒の方には、ショーを通して、その力がどんなものなのか、どんな風に扱えば危険がないのかといった事も、お判り頂けるはずです」


 ライトは愛想よく微笑んで、特別ショーについて説明した。


「やっぱり貴方、霊媒だったのね、私もよ。霊媒なら、特別ショーを観せてもらえるのかしら?」

「失礼ですが、私が見たところ、貴方は〈邪視を持つ者〉とお見受けします。おそらく、特別ショーをご覧頂いても意味はないかと」


 ライトは意を決したように言った。


「は? 〈邪視を持つ者〉、ですって?」


 ケイトは眉を顰めた。


「はい」


 ライトはこくりと頷いた。


「何の事? どういう意味?」


「私は貴方が仰るように霊媒ですが、ただの霊媒ではありません。〈第二の目を持つ者〉です。そして貴方は、〈邪視を持つ者〉——その目が黒ずんでいる事が何よりの証拠です」


「ふーん、私の目がどうなっているのか見えているっていう事は、貴方、本当に霊媒なのね。でもね、この目は、私が霊媒である証、私が、選ばれし者である証よ?」


 ケイトはそれこそ黒ずんだ目を輝かせて、胸を張って言った。


 彼女の両目は、娼婦を殺め、手に入れた〈残留思念〉をもとにしてドレスを作る度、黒ずんでいった。


 だからこそ、霊媒全員の眼球が黒ずんでいる訳ではないが、この目は自分が霊媒の証、選ばれし者の証明なのだと、彼女は考えていた。


「さっさと特別ショーとやらを見せてもらえるかしら? そうすれば貴方の考える霊媒についても判るでしょうから」


 ケイトは黙りこくっているライトを見て、苛立たしげな顔をして言った。


「——さあさ、寄ってらっしゃい! 観てらっしゃい! ここは『Ms.ライトの幻灯館』! 今宵は余所では観られない、特別ショーをご覧頂きましょう!」


 ライトは観念したように、ケイト以外、誰もお客がいない地下室で、特別ショーを開演する事にした。


「今から始まりますのは、身も心も凍るような死の恐怖を感じさせる、『幽霊ショー』!?」


 ライトはケイトから値踏みするような視線を向けられても気にせず、おどけた調子で言った。


「いえいえ! 今からお客様にご覧頂きますのは、人間が夢見る事の素晴らしさを実感してもらい、この世には生きる希望があると信じて頂く為の特別ショー、昔懐かしい、『子ども部屋のボギー』にございます!」


 ライトは笑顔で前振り口上を続けた。


「ショーを披露するのはこの私、幻灯館の館長である、フランシス・ライト! それでは私の正体は、『霊媒』? 『超能力者』? それとも、詐欺師? ご安心下さい! 私はお客様に〝娯楽〟という名の〝夢と希望〟を提供する、エンターテイナーです!」


 ライトは大袈裟な身振り手振りでケイトの事を煽った。


「エンターテイナー・ライトの『子ども部屋のボギー』! 始まり、始まり!」


 ライトが観客として意識していたのはケイトだけで、残念ながらもう一人いたお客の存在には、全く気付いていなかった。


 ——さて、どこまで楽しませてくれるかな?


 スクライアーはケイトの傍らで、〈水晶球の幽霊〉を通して独り言のように言った。


「何か仕掛けて来るつもりみたいですけど、このまま楽しみますか?」


 ケイトはライトには聞こえないように、スクライアーの指示を仰いだ。


 ——ああ、しばらく楽しもう。


「……『牛乳を混ぜるペグ』!」


 ライトがその名を呼んだのと同時、傍らに姿を現したのは、農民のような衣服を身に纏った若い女性だった。


小柄な女性、『牛乳を混ぜるペグ』は、小さなパイプを咥え、煙草を吸っていた。


「これは……貴方、私に何をしたの?」


 ケイトは眉間に皺を寄せて確かめた。


「『牛乳を混ぜるペグ』は許可なく森に入って来る相手の胃や筋肉を痙攣させたり、お腹にガスを溜めて身動きを封じる妖精——貴方はどこのどなた? 何の為にここにやって来たの?」


 ライトは自分の優位を確信しているかのように、ケイトの素性を聞いた。


 なぜなら、『牛乳を混ぜるペグ』が吹かす煙草の煙には、普通の人間が吸えば神経を麻痺させる効果があるからである。


「スクライアー会長?」


 ケイトは虚空に漂う〈水晶球の幽霊〉に、いや、スクライアーに指示を仰いだ。


 ——予定変更だ、君も遊んでやれ。


「仰せのままに!」


 ケイトはにやりと笑った。


「!?」


 ライトは驚いたように目を瞬かせた——ケイトは『牛乳を混ぜるペグ』の煙草の煙を吸い込み身体が痺れているはずが、何事もなかったかのように動き出したのである。


 最初から煙が効かないのか、煙の量が少なかったのか?


「まだ何か芸をお持ちなら披露して頂ける!?」


 ケイトは余裕の表情で言った。


「改めてお聞きしますが、お客様のお名前は?」


 ライトはすぐに冷静さを取り戻し、ケイトに聞いた。


「ケイト、仕立て屋よ! そして、『クラブ』のメンバーでもある!」


「『クラブ』?」


「貴方も霊媒なら噂ぐらい聞いた事はない? 霊媒なら階級を問わず入会できるという、とある『クラブ』の話を」


「貴方、私の事を『クラブ』に誘いに来たの?」


「さあね、どうかしら!」


 と、そう言った途端、ただでさえ黒ずんでいた眼球が、いっそう、真っ黒に染まった。


 かと思えば、あっという間に、ケイトの華奢な体は倍以上に大きくなったかと思えば、衣服が破れ、全身、真っ黒な獣毛に覆われた。


「……貴方、『クラブ』のメンバーだって言ったわよね。『クラブ』の人間は、みんなそんな風なの?」


 ライトはイギリス各地に伝承が残る、『黒妖犬』を思わせる漆黒の獣人を前に、呆れた顔をして言った。


「だったら何だっていうの!? あんたは『クラブ』のお眼鏡に叶わなければ私の手にかかって死ぬのよ!?」


 ライトの目の前にいる相手は紛う事なき〈邪視を持つ者〉である。


「私、そんな『クラブ』に認めてもらう気なんかないわよ」


 ライトはつまらなそうに言った。


〈邪視を持つ者〉は他人や動物を殺めて手に入れた〈残留思念〉を利用し、己の欲望を具現化する——いわゆる、心霊現象を引き起こす。


 中には、今のケイトのように動物霊を憑依させて、〈獣憑き〉になる者もいる。


〈獣憑き〉は何度か変身を繰り返しているうちに眼球が黒ずんできて、終いには彼女のように〈残留思念〉に頼らずとも自分の意志だけで変身できるようになるが——そうなるともう手遅れ、二度と人間に戻れなくなる日も近い。


 このまま放っておけば正真正銘の化け物になるだろう、今まで以上に欲望の赴くままに殺人を犯すに違いない。


 たった今、ライト自身が命の危険に晒されているのだ。


「なら、死になさい!」


 ケイトは野獣のように血走った目付きで、雄叫びを上げるように言った。


「私は今度こそ最高のドレスを作り上げて、正規メンバーに昇格するの!」


 ケイトはライトの喉元を食い千切ろうと襲いかかってきたが、目の前に巨大な熊に似た三匹の怪物が立ちはだかった。


「バグベア! バッグ! バガブー! 押さえつけて!」


 ライトは〈第二の目〉を使って具現化した『子ども部屋のボギー』に、鋭い声で命じた。


『子ども部屋のボギー』を使えば、ケイトの息の根を止める事も、決して不可能ではない。


 だが、ライトは殺人に手を染める気はなかった。

「ボクルブー! 『心霊写真銃スピリチュアル・フォトジェニック・ガン』を!」


 ライトが叫び、先ほどまで誰もいなかった場所に、四匹目の『子ども部屋のボギー』——熊と似た怪物、ボクルブーが出現し、傍らの壁に設けられた隠し扉を開け、狙撃銃のような形状をした、〝それ〟を持ってきた。


 今から数年前の事、マーレイという人物が、ライフル型の写真機を発明した。


 その名を、『写真銃フォトジェニック・ガン』という。


『写真銃』は形状も銃と似ていれば取り扱い方も通じるところがあり、照準を対象に合わせて引き金を引くと、弾倉に装填したディスクに連続写真が撮影されるようになっていた。


 弾倉には最大二十五枚、ディスクが装填可能であり、一発の射撃で一秒間に十二枚、連写が行われ、一枚のディスクを使い切るように記録される。


 マーレイは、鳥や虫、小動物の連続写真を撮影する為に、自由に持ち運べて、かつ操作しやすい写真機を開発したかったのだという。


 では、ライトは、何を目的として、『心霊写真銃』を開発したのか?


 ライトは三匹の『子ども部屋のボギー』に身動きを封じられたケイトに狙いを定め、『心霊写真銃』の引き金を引いた。


 次の瞬間、ケイトは自分を押さえつけていた三匹の『子ども部屋のボギー』を残して、不思議な事に、煙のように消えてしまった。


 ライトはマーレイが開発した『写真銃』を参考に、『心霊写真銃』を完成させた。


『心霊写真銃』は連続撮影こそできなかったが、二十五枚の写真を撮る事ができる。


 それも、ただの写真ではなく、心霊写真を——すなわち、『心霊写真銃』は〈邪視を持つ者〉をフィルムに封印する事ができるのだ。


〈残留思念〉を利用した事で徐々に自我を失い、本物の化け物に成り果てたとしても、元は、人間——いくら何でも殺す訳にはいかなかった。


 さりとて、野放しにしておく訳にもいかない。


 ライトはだからこそ、『心霊写真銃』を開発したのである。


 ライトの目論見通り、ケイトは見事、心霊写真に封印された。


 ライトはしかし、最後まで気が付かなかった——スクライアーの存在に。


〈水晶球の幽霊〉は彼女に不審に思われる事なく天井をすり抜け、何処かへと消えた。

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