第二章 雷鳴ノ祓 其の一、

 第二章 雷鳴らいめいはらえ


 其の一、


 平安京は夏の陽射しが降り注ぎ、焼け付くような暑さに見舞われていた。


 人々から『化け物屋敷』と恐れられる、内裏の北東、土御門小路にある屋敷の主人も天気まではどうする事もできないらしい。


 何の変哲もない貴族の屋敷にしか見えない、『化け物屋敷』の主人の名は、安部晴明という。


 なんとなく笑っているように見える、どこか狐を思わせる顔から、〝狐面〟と渾名される、稀代の陰陽師である。


 陰陽師は陰陽五行に通じ、物事の吉凶を占う職業であり、〈式神〉と呼ばれる、鬼神を操る術を身に付けている。


 それ故、彼に仕える下男下女は、皆、〈式神〉なのではないかなどと噂され、住んでいる屋敷も、『化け物屋敷』の呼び名を頂戴していた。


 だんだんと陽射しが弱まり空模様が怪しくなってきた頃、『化け物屋敷』の門を叩いたのは、二人の童子を連れた老人だった。


「聞けば、遠く、播磨国からお越し頂いたとか。さぞや、お疲れでしょう。して本日は、どんなご用件で?」


 晴明は老人達を板敷きの客間に招き入れ、茣蓙を用意し、労いの言葉をかけた。


 老人は晴明と同じく、陰陽師を生業としているという。


 陰陽師には大きく分けて、『官人陰陽師かんじんおんみょうじ』と、『法師陰陽師ほうしおんみょうじ』がおり、晴明は前者だった。


 官人陰陽師は宮仕えであり、陰陽道の術を貴族相手に使う。


 では、晴明の前に現れた老人は、いったい、どちらなのか。


「私は播磨国で、貴方様と同じく、陰陽師を生業としている者です。今日は、左京権大夫様に、是非、教えを乞いたいと思って、やって参りました」


 老人は茣蓙に座るなり、深々と頭を下げた。


『左京権大夫』というのは晴明の役職名であり、左京の司法や警察を預かる行政機関の長官の事だった。


「——私に、教えを?」


 晴明は目を丸くした。


 何しろ、親子ほど年齢が離れた相手である。


 そんな相手に押しかけられ、陰陽道について教えてもらいたいなどと言われても、簡単に引き受ける気にはなれなかった。


「もちろん、私の実力をご覧頂いてから、弟子入りを考えて頂ければ」


 自分から腕前を試してもらいたいと言うからには、相当な自信があるのだろう。


 そこまで熱心に言われたら、無下に断る訳にもいくまい。


「では、単刀直入にお聞きしますが、貴方の陰陽師としての腕前は、どれぐらいなのですか?」


 こうなったら老人の気が済むまで付き合ってやろうと、まず陰陽師としての力量を確かめた。


「こう見えても私も、陰陽師の端くれ、物の怪を相手にするばかりでなく、海賊退治をした事もございます」


 老人は待ってましたと言わんばかりだった。


「海賊退治ですか? これはまた、剛毅な」


「偶然、出会った船主から、海賊に積み荷を盗まれた挙句、下人も殺された、という話を聞きましてな。一肌、脱ぐ事にしたんですよ」


「失礼ながら、いくら陰陽道に通じているとは言え、貴方のようなお年を召した方が、そんな荒事を?」


「私の申し出に、船主も半信半疑だったようですが、老いても尚、陰陽道の腕前は、衰えてはございません。私は船を借りて沖に出て、朝から晩まで呪文を唱えました。一週間ぐらいして海賊船が姿を現すと、一緒に乗っていた船乗り達が海賊は武器を持っているから気を付けろと騒ぎ立てました。けれど、彼らも海賊が近付くにつれて、相手の様子がおかしい事に気付きました」


「いったい、何が?」


「海賊は皆、その時、すでに、私の術中に嵌まっていたのですよ。海賊達は全員、船の上で酔っ払ったように倒れ込んでいました」


「貴方のお力で?」


 老人は見た目とは裏腹に、相当な実力の持ち主のようである。


「はい。その後は海賊達に二度とこんな悪さをしないように言って、船主には手付かずのまま残っていた積み荷を返してやる事ができました。自分で言うのも何ですが、播磨国ではちょっとした有名人なんですよ」


 老人は自慢げな顔をして言った。


「しかし、そんな素晴らしいお力をお持ちなら、私がお教えする事など、何もないのではないかと思いますが」


 晴明がそう言うのも尤もである。


「これは失敬、肝心な事を言い忘れていました。左京権大夫様にご教授願いたいのは、私ではなく彼らなのですよ」


 老人が客間の隅に大人しく座っていた二人の童子を見やり、晴明は意外そうな顔をした。


「二人とも才能は十二分にあります。ただお恥ずかしい事に、私にはもう、彼らに教えられる事が何もないのですよ。そこでかの有名な左京権大夫様に、弟子入りを願おうとやって来た訳です。お願いできますか?」


 老人はいい返事を期待していたが、晴明は考え込んでいた。


 今、聞いた話が本当なら、老人の陰陽師としての実力は中々のものである。


 老人が自分にはもう教えられる事は何もないというのだから、彼らの才能の程は推して知るべしだろう。


 二人の童子を弟子に迎えれば、きっと教え甲斐はあるに違いない。


 だが——、


「ふふん」


 晴明は何を思ったのか、鼻で笑った。


「どうなされました?」


 当然の如く、老人は訝しげな顔をした。


「どうもこうも、私は貴方のお名前も伺っていませんし、『彼ら』と言われましても、いったい、どこにいるのやら?」


 晴明は悪戯っぽく言った。


「何ですと?」


 驚いたのは、老人の方である。


 自分の名前を伺っていないというのはともかく、二人の童子が見当たらないというのは、それこそ、いったい、どういう事なのだろうか?


「なっ!?」


 老人は傍らにいたはずの二人の童子が、忽然と姿を消している事に気づいた。


 まるで神隠しにでも遭ったように煙のように消えていた。


「貴方は何者なのですか?」


 晴明はそれまでとは打って変わって冷めた顔で質問した。


「なぜ、私のところにやって来たのですか?」


 有無を言わせぬ迫力だったが、老人は名前を明かそうとはしなかった。


「こいつは参った! 左京権大夫様——いや、〝狐面〟様は噂に違わぬ、当代切っての陰陽師らしい!」


 老人は一拍置いて、感心したように言った。


「播磨の海賊を相手にするのと違って、一筋縄ではいきませんな! いや、愉快、愉快!」


 かんらかんらと笑った。


「どこのどなたか存じませんが、貴方ほどではありませんよ。わざわざ、老人に化けてまで、都に教えを乞いたいとやって来て、童子の姿形をした〈式神〉を二体、試すように差し出してくるとは……」


 晴明は迷惑そうな顔をした。


〈式神〉とは、陰陽師が使役する鬼神の事である。


〈式神〉の見た目は老人が連れてきた二人の童子のような場合もあれば、成人男性、女性、動物、昆虫といった具合に、術者の意のままである。


「もし、あのまま〈式神〉の弟子入りを許していたら、都中のいい笑い者になっていたが、そこまで、簡単にはいかないようで!」


 老人はしかし、嬉しそうにしていた。


「もしや貴方は、私と方術勝負をしに来たのですか?」


 晴明は、なぜ、老人がこんなにも手が込んだ真似をするのか疑問に思って聞いた。


「いかにも!」


 老人は我が意を得たりという風に膝を打った。


「但し、今日は挨拶代わりに寄ってみたまでの事! そろそろ、失礼させて頂くとしようか!」


「お待ちなさい! 貴方はいったい!?」


「また、お会いできる日を指折り楽しみにしていますぞ! それまで、お達者で!」


 老人は長年の友人との別れを惜しむかのように言って、〈式神〉と同じく忽然と姿を消した。


「……播磨国の陰陽師、か」


 晴明は最初から自分一人しかいなかったような部屋で、ぽつりと呟くように言った。


 ——あの老人、いったいなぜ、私に方術勝負など挑んできたのだろうか?


 それからしばらくして、晴明は御堂関白——藤原道長のお供として、建設途中の法政寺を訪れていた。


 道長が愛犬の白犬を連れ、法政寺の門を潜ろうとした時の事である。


 道長の行く手を普段は大人しいはずの白犬が遮り、頻りに吠え立ててきた。


「突然、どうした? ほれ、戯れはよさんか」


 道長は白犬に狩衣の裾をぐいぐいと引っ張られて、しつこく纏わりついてくる白犬を振り払い、先に行こうとしたのだが、


「お待ち下さい、御堂関白様」


 晴明が、道長を呼び止めた。


「安四位までどうしたのだ?」


 道長はお供の晴明にまで足止めされ、不思議そうな顔をした。


「恐れながら、犬は一般的に飼い主に忠実と言われております。それに、人間より強い神通力を持っているとも……」


 晴明は回りくどかった。


「だから何だというのだ、はっきりと申せ」


「この先には、おそらく、御堂関白様のお命を狙う何者かの手によって、呪物が埋められているものと考えられます。このまま門を潜れば、どんな不幸が降りかかってくるか判りません」


 晴明は畏まって言った。


「それは困るな……だが、責任者の私が門を跨がず、いつまでも遠目から眺めているという訳にもいくまい?」


「仰せの通りで」


「察しがいいお前の事だし、私が今、何を望んでいるのか、もう判っているのではないか?」


「……御意」


「さすがだな、しかしできるのか? こんな広い境内で、私に仕掛けられた呪いの品を見つけ出す事が?」


「お任せ下さい」


 晴明は自分一人で門を越えるとその場で簡単な占いを実施し、目星を付けた場所を下人を使って掘り返した。


 すると、地面から出てきたのは、黄色い紙縒で十文字に縛られた、一個の土器だった。


「これが、呪物か」


 さしもの道長も、自分の命を狙って仕掛けられた呪いの品を見て、思わず息を飲んだ。


「こんな呪物を用意できるのは、私と同じ陰陽師だけです」


 晴明はお椀を二つ合わせたような土器を開け、独り言のように言った。


 土器の中身は空っぽだったが、土器の底には、朱筆で、一文字、呪文が書かれていた。


 間違いなく、他人を呪い殺す為に作られたものである。


「よくやった、安四位、いつもながら頼り甲斐がある奴。更に聞くが、私が今、何を思っているか言わずとも判るか?」


「……これを仕掛けた者が、どこの誰なのか?」


 晴明は道長が黙って頷いたのを見た後、懐から一枚の紙片を取り出し、呪文を唱え、折り紙を始めた。


 少しずつ形になってきたのは、一羽の白い鳥だった。


 晴明が出来上がった折り紙を天に向かって放り投げた瞬間、ただの紙で作られたそれは、本当に生きているかのような美しい白鷺に変わり、青空に大きく羽ばたいた。


 陰陽道を用いて作られた白鷺は南に向かい、晴明は検非違使を集めて後を追い、道長も彼らと一緒にいた方が安全だと判断したのか、ともに行く。


 やがて、白鷺は六条坊門万里小路の、古びた家の前にぽとりと落ちた。


「これも貴方の仕業だとしたら、いい加減、悪ふざけが過ぎるのでは?」


 晴明は皆の先頭に立ち、古びた家の中に足を踏み入れ、眉を顰めた。


「それはとんだ勘違いというものですよ、左京権大夫様」


 返事をしたのは、先日、晴明の屋敷に弟子入りを願ってやって来た、怪しげな老人だった。


「御堂関白様を呪詛したのは、貴方ではないのですか?」


 晴明は疑いの眼差しを向けて、もう一度、質問をした。


「勘違いですよ」


 老人は検非違使達に囲まれているにも関わらず、平然としているどころか、面白そうに笑っていた。


「それが証拠に、ほれご覧なさい。御堂関白様のお命を狙った不届き者は、そこに寝ているじゃありませんか?」


 確かに、部屋の片隅には、見知らぬ男が一人、倒れていた。


「つまり、これはどういう事だ?」


 当の道長は、事態が飲み込めていなかった。


「恐れながら、御堂関白様、この者こそ、左大臣の命に従って貴方様を呪詛した、陰陽師に他なりません」 


 道長の疑問に答えたのは、晴明ではなく、怪しげな老人だった。


「それは、誠か?」


「もちろんですとも。全ては、そこに倒れている者から聞き出せばお判りになる事でしょう」


「お主が、此奴を?」


「はい、御堂関白様のお命をお守りする為に」


「そうか、いや、よくやってくれた! お主のおかげで犯人を捕まえる事ができたし、黒幕が誰なのかも見当が付いたのだからな! これは何か礼をしなければならんな!」


 道長は老人の事を命の恩人だと認めて感謝の意を示したが、晴明は警戒心を解いてはいなかった。


「それでしたら、是非、左京権大夫様と、方術勝負をしたく存じます」


「何、方術勝負だと?」


 道長は老人の口から突拍子もない申し出を聞き素っ頓狂な声を上げ、周囲の者達も顔を見合わせざわつく。


「…………」


 当の本人である晴明だけが、老人の思惑を考え込むようにして押し黙っていた。


 いや、


「失礼ですが、貴方のお名前は、なんと仰るのですか?」


 晴明は渾名の通り、狐を思わせる柔和な笑みを浮かべて、老人の名を確かめた。


「私は播磨国の陰陽師、道摩法師どうまほうしと申します! 以後、お見知りおきを!」


 老人は大袈裟な身振りとともに、不敵な笑みを浮かべて名を名乗った。

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