第四章 黄龍 其の十、

 第四章 黄龍


 其の十、


「中国前漢武帝の時代、司馬遷によって書れた歴史書、『史記』に、こんな話があるのをご存知ですか。初めて中国統一を成し遂げた、秦の始皇帝に仕えた方士のお話です」


 仙は〈傲来幇〉が手配したリムジンの後部座席で、隣に座っている李哪吒に話しかけた。


「秦の始皇帝は歳を取るにつれ死を恐れ、不老不死を求めた」


 少年はこれから黒社会のアジトに乗り込もうかという時に、突然、歴史の話を振られ、答えあぐねた。


「始皇帝は国中から名だたる方士や識者を集めたんですが、ある日、その中の一人が、『東方の三神山に不老不死の秘薬あり』、と進言してきました」


 仙は戸惑う少年には構わず、先を続けた。


「その男の名前は方士、徐福。彼は始皇帝に取り入って、東方の三神山目指して大船団を組み、意気揚々と出発しました」


「急に歴史のお勉強?」


 少年は訝しげな顔をした。


「まあ、そんなところですよ」


 仙は笑って答えた。


「結局、徐福は東方の三神山ではなく、ここ、日本に漂着したらしいんですが、日本各地にそれを示す伝説は残っていても、確たる証拠はないので、一般社会では眉唾物です。ただ、この街、仙人街では、それも、〈桃幇〉の間では違います」


 少年は他にやる事もないので、黙って話を聞いていた。


「徐福が日本にやって来た事は仙人街では一般社会以上にまことしやかに語られ、彼の秘薬に関する話もよく聞くし、自称、後継者だの弟子だのという輩も珍しくない。彼らは徐福と同じように時の施政者や権力者に近付いて、都合のいい事を言っては、研究資金などと称して、後援者に金銭を要求している」


「徐福のやり口を真似た、詐欺師ってところか」


「それが困った事に詐欺師とも言い切れないんですよね。中には、世間一般に出回っている薬に比べれば、多少、精力が増強したり、中途半端に効果を発揮するものもあるので」


「最初っから何の効果もなければ、いくらなんでも相手も信用しないしね」


「もしかしたら、今回ばかりは本人かも知れません」


「本人って……まさか?」


「ええ、そのまさかですよ。あの小孫をどうこうできるような人間は、仙人街にもそうはいませんからね」


 仙の言葉を聞き、少年の表情は曇った。


「それがこんな事態になったという事は、よほど手強い相手だったか、何か思いがけない事が起きたか。或いは、やはり……」


 仙はそこまで言って、リムジンの窓の向こうを見やる。


「どうかしたの?」


「『闘仙』本部ビルの周りには結界が張られているみたいですね。私の目でもビルの内部を見通す事ができない。今回のお相手はひょっとすると、ひょっとするかも知れませんよ」


 仙は難しそうな顔をした。


「いくら素性が判らない相手だからって、怖気付いている訳じゃないよね?」


 少年は疑わしげに言った。


「…………」


 仙は黙して語らなかった。


「だったら信じられないなー。この先にいるのがどこの誰だろうが、やる事に変わりはないんだからさ。ただ戦って、倒すだけでしょ」


 少年は期待に胸を膨らませるように言った。


「李哪吒先生、力任せに相手を倒す事は目的じゃない。相手を倒せば事が済む訳じゃないんですからね」


 仙は念を押すように言った。


「はいはい」


 少年は不機嫌そうにそっぽを向いた。


「李哪吒先生に、〝道〟との合一を目指すつもりがあるのなら、本当の強さとは何なのか、もう一度、ちゃんと考える必要があると思いますよ。だからこそ私は、貴方がここに来る事を許したんだし」


 仙が諭すように言うと、少年はますます顰めっ面になる。


 ——一年前の、あの日、父さんにも同じような事を言われた気がする。


 李哪吒は一年前、李武術道場を飛び出した。


 当時、武術道場には、師範の李靖、師範代の二人の兄、李金吒りきんた李木叉りもくしゃ、門下生には、李哪吒と、近所の子ども達が数人という状況だった。


 少年の父、李靖は、若い頃は無茶もしたらしいが、この頃は白髪も目立ち、深い皺が年齢を感じさせる、どこにでもいる初老の男性だった。


 最盛期には多くの弟子を抱え、近隣にその名を轟かせた李武術道場も、今となっては主人と同じく、見る影もなく寂れていた。


 子ども達は武術を極めようとして門を叩いた訳ではなく、親から運動するように言われ、道場に通っているだけだった。


 李哪吒は、幼少の頃より仙鏢師として手ほどきを受けていたが、仙鏢師の仕事は減る一方、この国も都市化が進み、妖怪変化が姿を現わす事も少なくなってきていた。


 少年はそれでも修行を重ね、めきめきと腕を上げ、実力は二人の兄に匹敵するほどだった。


 師父、李靖にも負けるつもりはなかったが、李靖はいつまで経っても、李哪吒を門下生として扱った。


 いくら実力を付けても、決して認めようとしなかった。


 ——僕の実力は兄さん達と比べても、遜色ないはずだ。


 それどころか、自分の方が優れているぐらいではないか?


 ——父さんと比べても、見劣りはしないだろう。

 なのに、なぜ?


 ——どうして、僕の事を認めない?


 少年は毎日、面白くなかった。


 父も二人の兄も、仙鏢師として仕事をしている時よりも、子ども達に中国武術の指導をしている時の方が活き活きとしている。


 ——妖怪退治の時、先陣を切るのは決まって自分なら、危険を冒してとどめを刺すのも、また自分。


 少年は、父や二人の兄は、もしや妖怪に恐れをなして、尻込みしているのではないかとさえ考えた。


 ——そうだ、そうに決まっている!


 父も二人の兄も仙鏢師としての力不足を自覚し、我が身可愛さから妖怪変化と戦う事は避け、子ども達を指導している時には安心して伸び伸びやっているのだ。


 彼らは力もなく、臆病であるが故におんぼろ道場に引っ込み、あえて貧乏暮らしを選んでいる、挙げ句が、これだ。


 ——僕の強さを妬んで、格下扱いしているんだ!


 だとすれば……


 ——絶対に、あの人達と同じようにはならないぞ。


 こんな田舎で、貧乏暮らしを続けるつもりはない。


 ——例えどんな敵が相手でも、僕の力を見せつけて、必ず認めさせてやる。


 李哪吒は固く胸に誓い、それがこの後、どんな時も少年を突き動かす原動力となっていた。


「着きましたよ」


 仙が少年に声をかけ、リムジンが静かに停車した。


 リムジンの窓の向こうには、赤々とした夕日に輝いた、建設途中の超高層建築群が見えた。


「ここから先は、私達だけで行くとしましょうか」


 仙達がリムジンから降りた時には、辺りはもう薄暗くなってきていた。


 今は『闘仙』も開催されておらず、元々、立入禁止区域の為に、人っ子一人いない。


 鉄骨コンクリートがむき出しのビル群と、吹きすさぶ冷たい夜風が相俟って、荒涼とした雰囲気が漂っている。


「私達の相手はただ一人、黄龍と名乗る男だけ。〈秦王会〉が行く手を阻んで来たとしても、構う事はありませんよ」


 仙はいつもと変わらない調子で、緊張した様子はなかった。


「…………」


 李哪吒は神妙な面持ちで頷いた。


「それじゃ行きましょう」


 仙は近所に買い物にでも行くように、軽い足取りで歩き出した。


「〝蛇目〟さん、肝心の『闘仙』ビルの場所は判っているの?」


「はい、〈傲来幇〉から場所は教えてもらっているので——それにしても、本当に人っ子一人いない」


 中世ゴシック建築の大聖堂を思わせる威容がすぐ近くに見えてきても、未だに何の妨害工作もなく、それどころか、〈秦王会〉の構成員の気配すらなかった。


「これはまた、ひどい有様ですね」


 仙は『闘仙』本部ビルの真下にある幾何学模様の円形広場までやって来て、些か驚いたように言った。


 まだ植木も長椅子も備え付けられていない広場には、目を背けたくなるような惨憺たる光景が広がっていた。


 何か大きな爆発にでも見舞われたかのように広場は瓦礫に埋もれ、〈秦王会〉の構成員と思しき無残な屍体があちこちに転がっている。


『闘仙』本部ビルも近くで見上げてみれば、各階が大地震に襲われたように崩落していた。


「これを孫小姐がやったの?」


 少年は怪訝そうな顔をした。


「……私は違うと思いますね」


 仙は落ち着いた口調で言った。


 いくらなんでも彼女がこんな事をするとは、到底、思えなかったし、第一、〝斉天大聖〟と言えども、これほどの力はないはずである。


「にしても、これは——」


 少年は戸惑いの色を隠せなかった。


 あたかも『闘仙』本部ビルも〈秦王会〉の構成員も、何か得体が知れない巨大な怪物に蹂躙されたかのよう、それ故、この辺り一帯は廃墟の有り様を呈し、〈秦王会〉の構成員達は抵抗虚しく、皆殺しにされた、とそう思えてならなかった。


 だが、だとしたら、どんな怪物が、なぜ、暴虐の限りを尽くしたというのか?


「…………」


 少年は仙の後ろを歩きながら周囲を観察していたが、どの屍体を見ても大型の猛獣に襲われたように食い散らかされていた。


 皆、『闘仙』本部ビルに背を向ける形で倒れていたが、まだ血が乾いていないところを見ると、息絶えてから、それほど時間は経っていないのだろう。


「おそらく、この惨状を作り出した犯人は、今もビルの中にいるか、この周囲に隠れ潜んでいますね」


 仙は警戒するように促した。


〈秦王会〉の構成員達は、『闘仙』本部ビルから現れた〝何か〟に襲われ、慌てて外に逃げ出したが、結局は捕まり、命を落とした。


「…………」


 仙の耳が何かに反応したように、ぴくりと動いた。


 ほんの微かだったが、しかしはっきりと、誰かの悲鳴が聞こえた。


 それは常人離れした聴力を持つ、仙にしか聞こえなかっただろう。


「〝蛇目〟さん、どうかした?」


 少年は仙の様子に気付いて声をかけたが、彼は振り返る事もなく、正面玄関に向かって、歩いていく。


 彼らは正面玄関の壊れかけた回転自動扉をくぐり、吹き抜け構造である打放しのコンクリートの大空間に足を踏み入れた。


 広々とした一階の真ん中辺りには荘厳な雰囲気すら漂わせ、大理石でできた長大な螺旋階段が最上階に続いている。


 仙達は最上階の手前までエレベーターに乗り、その後は天国へ続く階段のような、唯一、最上階に繋がる螺旋階段を上っていくが、辺りに転がっているのは、〈秦王会〉構成員の無残な姿だ。


 螺旋階段を上り切った廊下の先には、『闘仙』本部長の執務室がある。


 ここも天井の蛍光灯は全てひび割れ、壁には蜘蛛の巣のような亀裂が走り、惨殺された屍体が目につく。


 仙は黄龍がいるだろう、執務室の前までやって来ると、ふと立ち止まった。


 両開きの木製の扉は扉の体をなしておらず、砕け散った扉の向こう側には、静まり返った薄暗い室内が見えた。


 蛍光灯も割れているらしく、点滅を繰り返し、不気味な雰囲気が漂う。


「——貴方が〈秦王会〉会長お付きの漢方医だという、黄龍さんですか?」


 仙は暗がりを見つめ、普段と変わらぬ口調で聞いた。


「いやあ、今か今かとお待ちしておりましたよ。おっと失礼、その前に、初めましてと言うべきでしたか」


 室内の奥から姿を現したのは、サラリーマン然とした背広姿の中年男だった。


「〈秦王会〉会長の元で漢方医として働いています、黄龍と言います」


 黄龍は当たり前のように自己紹介をしたが、口の端からは血が滴り、足元には、〈秦王会〉の構成員らしき人間が、うつ伏せに倒れていた。


『闘仙』本部ビルの外で聞いた、断末魔の悲鳴の主だろう、今さっき、黄龍にその身を食い千切られたのか、じわじわと血の海が広がっていく。


「こちらこそ、『十字坡酒楼』のバーでマスターをやらせてもらってます、許仙と言います。ところで今日は、聞きたい事があって来たんですが、孫美猴はどこにいますか?」


 仙は早々と本題を切り出した。


「孫美猴? ああ、〈傲来幇〉のお嬢さんの事ですか? あれはこうして、貴方をおびき寄せる為の餌として役に立ってくれましたよ」


 黄龍はいかにも嬉しそうに笑って言った。


「彼女は今、どこですか?」


 仙は勿体ぶった黄龍に対して、忍耐強くもう一度聞いた。


「…………」


 少年は硬い表情で様子を見守っている。


「うーん、まだお判りになりませんか? あのお嬢さんもほら、他の連中と同じように、おいしく頂いたばかりですよ」


 黄龍はもうお腹一杯だとでも言うように、自分の腹部をぽんぽんと叩いた。


「ほう」


 仙はなぜか、感心したような声を出した。


「——今、なんて言った?」


 少年はもう我慢がならないというように口を挟んだ。


「よく聞こえませんでしたか? もう一度、言いましょうか?」


 黄龍はにやにやと笑っている。


「……!?」


 少年はただ向き合って言葉を交わしているだけだというのに、目の前にいる黄龍という男に何か薄ら寒いものを感じた。


「貴方方がわざわざ、こんなところまで探しに来たお嬢さんは、私がおいしく頂きました」


 にかわには信じられない。


「これだけはっきり言っても、まだお判りになりませんか? あのお嬢さんはもう、私のお腹の中だと、そう言っているんですよ?」


 信じたくもなかった。


「それにしても貴方のお弟子さんは、かなりの上物でしたねえ。いや、いかに『現代の仙人』と言われる仙鏢師でも、あそこまで充実した〝気〟の持ち主はそうはいませんからねえ。今までどんな修行を積んできたのか、おかげで私が長年夢見ている『白日昇天』が、現実のものに感じられたぐらいですよ!」


 黄龍は興奮を抑えきれないらしい。


「…………」


 仙は眉一つ動かさず、無言を貫いている。


「——はくじつしょうてん?」


 李哪吒は、正直、聞いた事がない言葉だったので、仙なら何か知っているのではないかと思い、彼の方を見やる。


「哀れな!」


 黄龍が心底、哀れむように言った。


「いくら『桃幇の守り手』、『現代の仙人』などと大きな事を言ってみたところで、まさか『白日昇天』もご存じないとはねえ! 君のような輩はあのお嬢さんと違っておいしくもなければ、何の栄養もないでしょうな」


 黄龍は芝居がかった仕草で頭を振り、少年の無知を嘆いた。


「!?」


 李哪吒はカッとなって黄龍に掴みかかろうとしたが、


「李哪吒!」


 仙にすんでのところで肩を掴まれ、引き止められた。


「『白日昇天』というのは、人々の前で虚空に昇る事を言うんですよ。すなわち、天に住む仙人、『天仙』になる事を意味する」


 仙は今にも飛び掛かろうとしていた少年の横に立ち、淡々とした口調で説明した。


「…………」


 少年は黄龍の事を睨みつけるばかりで、振り返ろうともしなかった。


 故に、仙がいったい、どんな顔をして、『白日昇天』について語っていたのか、知る事はなかった。

「さすがは仙人街でも噂に名高い仙鏢師〝蛇目〟、『白日昇天』は私の長年の目的でもあるんですよ」


 黄龍は機嫌よさそうにうんうんと何度も頷いた。


「かつては東の果てにある、仙人が住むという三神山目指して航海に出た事もあります。その時は必死の努力も虚しく望みは叶わず、やっとの思いでこの地に流れ着き、いや、時が経つのは早いものです。気が付けば二千年以上ですか、ようやく、願いが叶いそうですよ!」


「……もしかして、あんた、自分の事を秦の始皇帝に仕えた、方士、徐福って言いたいのか?」


 少年は不愉快そうな顔をして聞いた。


「ああ、大昔にそんな名前で呼ばれた事もありましたねえ。私は日本に着いてからも研究に研究を重ね、残念ながら、不老不死こそ手に入れる事はできませんでしたが、不老長寿の方法は、なんとか確立する事ができたんでね」


「やっぱり貴方は、秦の始皇帝に仕えていた方士徐福、その人でしたか」


「今日に至るも過去の失敗が、人様に知られているのはお恥ずかしい限りですが、いかにも!」


 黄龍は自分を卑下するような台詞とは裏腹に、胸を張るように言った。


「しかし、そこまで長生きしていても、判らないものですか」


 仙はふいに、疑問を呈した。


「何だって?」


 黄龍はわずかに苛立ちを見せて聞き返した。


「人間の本当の強さ、本当の力というものが、単純な腕力だけでは決める事ができないのと同じように、『白日昇天』もまた、〝気〟の量や質だけでは実現する訳じゃないという事が」


 仙はいつものように口調こそ穏やかだったが、黄龍を見るその目には、哀れみの色すら浮かんでいた。


「随分、知った風な口をきくじゃないですか? それなら貴方は、どうすれば昇天できるというんですか?」


「——『道の道とすべきは、常の道にあらず』」


 仙はまるで独り言のように、ぽつりと呟いた。


「これが〝道〟だと説明できるような〝道〟は、本物の〝道〟じゃありません」


 仙は静かな物言いだったが、黄龍を見つめる双眸には、厳しいものが含まれていた。


「ふっふっふ、はっはっは! 今更、老子!? 太上老君ですか!?」


 黄龍はじっと俯いていたが、ふと、我慢できないというように笑い出した。


「全く、何を言い出すのかと思えば、片腹痛いわ! 貴様も私と同じく、この地上に何百年と留まっている孤高の者ではないのか!? もし、貴様が〝道〟を知っているというのなら、今、ここでこうして、相見えている訳がなかろうに!?」


 次に顔を上げた時には、サラリーマン然とした中年男の面影はどこにもなく、全くの別人が立っていた。


「だが、それも今日限りの事! 貴様を食らえば、長年夢見た、『白日昇天』を現実のものにする事ができるのだからな! ガアア!!」


 黄龍は突然、血に飢えた獣のように雄叫びを上げた。


 その途端、室内に突風が吹き抜け、まるで大地震の前触れのように、崩れかけていた天井からはコンクリートの破片がばらばらと落ち、ひび割れていた四方の壁はぐらぐらと揺れ出した。


 仙は表情一つ変えず、落ち着き払った様子だった。


 少年は緊張に身を固くしていた。


 たった今、この尋常ならざる事態をもたらしている者が、黄龍だという事は、誰の目から見ても明らかだった。


「ガアア!!」


 黄龍の顔は魚の鱗のようなものに覆われ、口は耳まで裂け、背中には禿鷲を思わせる翼が生え、手足も人間のそれではなくなり、指先から猛禽類のような鋭い鉤爪が生えてきた。


「こっちの方かまだ、『白日昇天』だの何だのと言うよりは判りやすくていいかなー」


 李哪吒は、仙鏢師として、妖怪変化を相手にしてきただけあって、こちらの方がまだ与し易いらしい。


〈秦王会〉会長お付きの漢方医、黄龍を名乗っていた男は、かつて方士、徐福と呼ばれていた男は、最早、どこにもいなかった。


 彼らの前に佇んでいたのは、インドを起源とし、ギリシャ語の『グリュプスがった嘴』にその名を由来する怪物——グリフォンとよく似た、巨大な魔物だった。


 伝説にあるグリフォンとの違いをあげればきりがないが、はっきり違うのは、顔の形が鷲ではなく、鮫を思わせるものだという点、下半身がライオンではなく、虎のそれであるというところか。


 仙達の前に姿を現したのは、体長、優に三、四メートルはあろうかという、鮫の顔に虎の身体、鷲の翼を持つ、異形のものだった。


「〝蛇目〟さん、本当にあれが孫小姐を食べたんだとしたら、あの人には借りがある。ここは僕にやらせてくれる?」


 少年は敵討ちをさせてもらわなければ、気が済まないという風に、一歩、前に出た。


「李哪吒先生は見ていて下さい」


 仙は静かに制止した。


「いったい、何が駄目だっていうんですか!?」


 少年は我慢の限界に達したように、激昂した。


「僕だって奴が普通じゃない事ぐらい判りますよ! 例えそうだったとしても、一矢報いる事ぐらいはできるんじゃないですか!?」


 仙は少年の必死の抗議を聞いても、首を横に振るばかりだった。


「僕とあんたが力を合わせれば、奴を倒す事だってできるはずだ!」


 いよいよ感情的になったが、仙は答えようとしなかった。


「僕にはその程度の力もないって言うんですか!? いったい、どこまで、僕の事を子ども扱いすれば気が済むんですか!?」


 少年は仙に詰め寄った。


 なぜ、みんな、自分の事を認めてくれないのか?

 何をすれば認めてくれるというのか?


「……私は貴方の事を力不足だなんて思った事はないし、子ども扱いするつもりもありませんよ」


 仙はそれこそ、聞き分けのない子どもを宥めるように言った。


「…………」


 少年は仙の事を、キッと睨み付けた。


 ——こんな東の果ての国までやって来て、あの日と同じ思いをするなんて……だったら、今回も同じだ。


 少年は自分の胸を突き動かす衝動にその身を任せる事にした。


 ——今度こそ、僕の力を認めさせてやる!

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