第一章 許仙 其の三、
第一章 許仙
其の三、
翌日、横浜仙人街は晴天に恵まれ、人々で賑わっていた。
各企業の社屋が集中する地区には、経済的な繁栄を象徴するかのように、『魔都』、上海を思わせる摩天楼の一群がそびえ立つ。
取り分け、威容を誇る直方体の超高層建築は、中国の皇帝が都を定める時に用いたという吉凶禍福を見極める術、『風水術』によって設計された、〈秦王会〉の本社ビルだった。
最上階の奥にある会長室は一流の調度品に囲まれ、風水によって選ばれた、金運、幸運を呼ぶ品々も、随所に配置されていた。
例えば、高級なマホガニー製の執務机には商売の神である関帝の置き物、壁には成功をもたらすと言われる黄金を載せた帆船の絵画、壁際の鉢植えには縁起がよいとされるオレンジの木が植えられていた。
この部屋の主人は、よほど金運と幸運を呼び込みたいらしい。
これまた立派な革張りの椅子に座っているのは、年相応の痩せた身体に、仕立てのいいスーツを着た、好々爺然とした老人だった。
彼こそ、〈秦王会〉の会長、
傍らに佇んだ痩せぎすの男は、社長を務める、息子の
「
栄政は高齢に似合わない、はきはきとした口調で聞いた。
息子の栄亥も白髪混じりですでに初老の域に達していたが、こちらも眼光は鋭いものがある。
二人とも矍鑠とした老人であり、実際、それぞれ役職を務めている訳だが、彼らは、それとは別に、もう一つの顔を持っていた。
黒社会としての〈秦王会〉においても、組織の上層部を担っていたのである。
「各幇の皆さんもやる気は充分、どこの幹部も金と暇を持て余してますから予選も大盛況、この調子で行けば、『闘仙』は上流階級の格好の娯楽となる事でしょう。本選が開かれた暁には盛り上がりも最高潮に達すると思いますよ」
その辺にいるサラリーマン然とした四十絡みの背広を着た中年、『黄龍』と呼ばれたその男は、調子よく答えた。
が、能面のように張りついた笑顔のせいか、なんとなく怪しげな雰囲気が漂っていた。
果たしてそれは、愛想笑いに長けた営業マン特有のものなのか、それとも——?
「一攫千金を狙ったフリーの仙鏢師はもちろん、組織の面子をかけた各封お抱えの仙鏢師など、参加者は後を絶ちませんからね。『闘仙』の人気は鰻登りですよ」
「このまま何事もなければ、結果は大成功というところですかな」
栄政は嬉しそうに言った。
「ええ、ええ、それはもう——ただお抱え仙鏢師の中には、幇主が許可を出したとしても、出場したがらない者がいるようでして」
「どういう事ですか?」
「もし、負けるような事があれば、組織の面子を潰す事になる、そうなれば、自分の経歴に傷がつくと考えて、及び腰になっているのかも知れませんな」
「うーむ、こちらとしてはそれを踏まえた上で試合に出るだけでもかなりの報酬を約束した上、その他、諸々のサービスも手厚くしたはずです。それに今後の事を考えれば、『闘仙』には出ざるを得ないのでは?」
「会長の仰る通りですよ、彼らも回を重ねればきっと気付くと思いますよ。『闘仙』に出場した方が、自分達の利益に繋がるとね。優勝者には最強の仙鏢師という栄誉が与えられる訳だし、『闘仙』のランキングがそのうち雇用の評価軸となるでしょう。近い将来、『闘仙』に出場した事がない仙鏢師はお客の信用を得る事ができずにおのずと仕事にあぶれ、商売上がったりという事に」
「主催者の我々は仙鏢師の免許制度なりなんなりで大儲けですな」
「……しかし、もう一つ気がかりな事が」
「と言うと?」
「『闘仙』の開催には大半の組織が賛成しているんですが、一部、参加や協力を拒否するだけでなく、反抗的な態度を見せているところがありまして……」
黄龍は自分の不始末のように、申し訳なさそうに言った。
「参加しないばかりか、反抗するというのは放っておけませんな」
栄政は看過できないという風に腕組みをして言った。
「大体は少しでも有利な条件で『闘仙』に関わろうと、小狡い事を考えている利権目当ての連中ですが、〈
「〈傲来幇〉、か。あそこの幇主はまだ小娘と言っていい年齢だったな。生意気な! どれだけ歴史があるのか知らんが、〈秦王会〉に逆らおうとは、身の程知らずめが!」
栄亥はそれまで二人の話を黙って聞いていたが、どうやら紳士的なのは、見た目だけのようである。
「はい、〈傲来幇〉の幇主はどうにも扱いづらい女性でして、お抱え仙鏢師である〝蛇目〟の『闘仙』参加を承諾し、予選に使う施設を貸し出してもらえれば、それ相応の見返りはすると伝えたのですが、ぴしゃりと断られてしまいまして……」
黄龍はまだ何かあるのか、歯切れが悪かった。
「黄龍大夫は、その後、どうなさったのですか?」
栄生は表情こそ穏やかだったが、黒社会の人間らしく、その目には危険な光を宿していた。
「こちらも〈秦王会〉の看板を背負っていますから簡単に引き下がる訳にはいきません——こうなったら直接、本人を引き抜いてやろうと、〝蛇目〟がいるという『十字坡酒楼』のバーに、お借りしている仙鏢師を一人、向かわせまして」
「それで?」
「実を言えば、それが昨日の晩の事でして……バーで何があったのか、本人の意識が戻らないので詳しい事は判りませんが、残念ながら返り討ちに遭いました。顔はぐしゃぐしゃに潰され、全身打撲に骨折、今は病院のベッドの上で寝ております」
黄龍はハンカチで額の汗を拭き、平身低頭といった具合だった。
「今度こそお灸を据えてやらなければいけませんな」
栄生は深々とため息をつき、栄亥に目配せしたが。
「いや、これ以上、〈秦王会〉の大事な仙鏢師を傷つける事はありません。『闘仙』の参加者から何人か、手練れを見繕うというのはいかがでしょう?」
「ふむ、それは名案だな。栄亥、早速、それなりの報酬を用意して、参加者の中から十人、使えそうな者を集めろ。あとは黄龍大夫に任せるといい」
「判りました。いい機会だ。うちに逆らうとどうなるか、あの女幇主の身体にきっちりと教えてやりましょう!」
栄亥は年齢に似合わぬ下卑た笑みを浮かべた。
「落ち着け。『闘仙』に関して事を進めるのは、あくまで黄龍大夫の役目だ。あまり勝手な真似はするな、いいな」
栄生は息子が私情に走ろうとするのを見て、窘めるように言った。
「はい、もちろん」
栄亥は素直に父親の言う事をきいた。
「しかしこんな風に、お前と一緒にまた仕事ができるとはな」
栄生は感慨深そうに言った。
「それもこれも、黄龍大夫のおかげですよ」
栄亥も父親と同じく、嬉しそうな顔をして言った。
「どんな名医も老衰ばかりはどうしようもないというのに、黄竜大夫は魔法でも使ったように儂を元気にしてくれた。そればかりか、『闘仙』という一大行事を企画し、指揮まで執って下さるとは、いや、いくらお礼を言っても足りないぐらいですよ」
栄政は満足そうに微笑んだ。
「いいえ、滅相もありません。ところで私がお教えした聖獣体操は、毎日、欠かさずやっておられますか。毎日、体操をして、私が調合した漢方薬を飲んで頂ければ、いつまでも元気に過ごす事ができますからね」
「そりゃもう! 毎日、体操をして、欠かさず、漢方を飲んでいますとも!」
「お二人とも、私のような仙鏢師が『現代の仙人』と言われているのはご存知でしょう? 後漢、
黄龍はにこやかな顔をして、組織の未来に太鼓判を押した。
「そう、私に任せて頂ければ、富、名声、何もかも全て、手に入れてみせましょう! 『闘仙』を開催し賭博で大儲けする事ができれば、それを資金として私の研究も更なる高みへと昇る事ができますからねえ!」
黄龍はまるで底意地の悪い道化師のように、満面に笑みを浮かべた。
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