17
東雲がクラブの支配人に話をつけ、目を覚ました真理愛と田原、そしてそれ以外の関係者で分かれてステージ裏の控え室で警察の応援車両を待っていた。控え室はフロアやステージと比べて色彩に欠け、真っ白な照明に真っ白な壁のシンプルな部屋だった。控え室らしく壁のひとつは鏡張りになっているものの、その他は椅子が多いということくらいが特徴だった。部屋の奥のふたつの角にそれぞれ縄で拘束された人間が座らされていた。
「あいつ……俺のカメラに映っていた……」
「搬入業者を装ってクラブに入り込んだということだね。アヴェくんを殴った男は機材に潜り込んでいたようだ」
「ああ……簡易のカメラ映像だけではそこまで解析はできなかったか……侵入直後にスタッフのフリをしていれば気づかれないし、当然スキャンにも引っかからないわけだな。その上、監視カメラのないトイレにでも篭っておけば、誰かに気づかれることも少ない……俺たちの『目』も機器リソースの関係上、直接顔を見ないと身分を照合できないからな」
千葉が例の機材近くで捕えたという人間は監視カメラの死角になっている場所で清水と搬入パスのやりとりを行なっていた男だった。スタッフを上手く言いくるめて機材操作をし、大量にスモークを焚いていた張本人だということも発覚した。男たちは既に東雲からたっぷりと聞き取りをされた後だったため、げっそりとした表情を浮かべたまま、特に抵抗したり共謀したりする様子を見せることもなく大人しくしている。
騒動直後に東雲から言葉責めに遭った清水もまた、この部屋で待機させられており、鏡台の目の前の椅子に座って項垂れた状態で沈黙を保っていた。鏡に映る顔は青ざめたまま。最初こそ俺はこの男に怪しさを覚えていたが、少しだけ気の毒に思えた。
東雲はそんな男たちの様子には構うこともなく、落ち着いたいつもの調子で話しかけてくる。
「しかも、搬入業者ということでスタッフも特に疑わなかったそうだ。今回の色つきスモークに使う薬剤が特殊だとか何とか言って……」
「IDの確認もなしに、か?」
「搬入パスがあれば誰も疑わないということだよ。実際に僕たちも彼らの本来の身分をしっかり洗いはしなかっただろう……ところで、解析は進んでいるかな」
「進めているに決まってるだろ……人使いが荒いぞ。後で追加料金請求するからな」
東雲が被疑者ふたりを聴取している間、俺は自分の車へ解析用のデバイスを取りに走らされていた。真理愛と田原が装着していたスマートコンタクトレンズについてハッキングの形跡がないか確認をしてほしいと言われたためだった。ふたりが着けていたレンズは確かに、ステージ本番直前に妙な挙動を見せていたことが確認されている。サプライズのためのプログラムの書き換えは行われていないはずだということもスタッフに確認済みだった。
そもそも、支配人の話では田原瑛麻に対するサプライズは計画されていないということだった。
「そういえば、言いそびれていたんだが」
「なんだ」
「この一件、すべて……」
東雲の言葉を遮るように解析デバイスがアラートを鳴らし、画面には何かしらの問題が発生しているという警告が表示された。警告の詳細を見れば、半グレ界隈でよく出回っているハッキングプログラムが検出されたのがわかった。このようなプログラムは心得のある者なら痕跡を残さずにスマートコンタクトレンズ類のデバイスをハックできるが、素人が取り扱うには少々難易度が高い。
「ああ、やはり」
解析デバイスのホロ画面を覗き込みながら絶世の美貌を持つ男は無感動に言葉を漏らす。どうやら、すべてこの男の予想通りらしい。
「で、何を言いかけていたんだ、お前は」
「君も気づいているとは思うけどね、この事件は――」
「ひまりちゃん! 久しぶりやなあ!」
洒落たシャツにシルエットの綺麗なベストを身につけた大柄な男。彫りの深い端整な顔は見る人に野生味を感じさせるが人懐こい笑顔を浮かべているため、そのギャップと美しい茶色の瞳が人を惹きつける。伊藤ひまりもこの男と肉体関係こそないものの、『カッコイイ人だ』という好意を持っていた。伊藤の目の前に現れたのは田原瑛麻の知り合いの千葉恵吾という男だ。一時期この男と田原が遊んでいるところをよく見かけていたし、伊藤自身も酒を飲んだり談笑したりすることはあった。
「恵吾くん! この辺りに顔出すの久しぶりじゃん。どうしたの」
千葉はバーカウンターのスタッフにカシスオレンジをふたつ注文すると、その内ひとつをひまりに差し出しながらいたずらっぽい笑顔で片目を瞑った。
「これ、奢りな。俺の知り合いがこのイベントの運営に関わるって言うてたから、久しぶりに顔出しとこかなと思って。あっ、瑛麻ちゃんのことちゃうで?」
「カシオレありがとう! 瑛麻とはもう切れてるもんね……知り合いって?」
「このカウンターで待ち合わせ。もうそろそろ来ると思うねんけど……」
千葉がカシスオレンジのグラスに口をつけながら視線だけを伊藤の背後に向けて、その端整な顔に笑みをさらに濃く深く刻みつける。伊藤の背後に千葉の待ち合わせ相手がいるということがその表情から読み取ることができた。伊藤は千葉の視線を辿りながら後ろを振り返る。
「伊藤ひまりさん、ご同行願えますか」
背の高い、金髪と灰色の瞳が眩しい美しい男が伊藤を見下ろしていた。確かこの男は。
「ショウ、さん……?」
VIP席で浮かべていた柔和な笑みはすべて消え失せて、冷徹な視線だけが伊藤に注がれていた。男は左手首に装着したデバイスから身分証を提示している。その身分証には警察関係者であることを示すエンブレムが表示されていた。
「僕は〇〇署刑事課の東雲祥貴。田原瑛麻さんへの一連の脅迫騒動について伺いたいことがあります。改めて聞きますが、ご同行願えますか」
「カシオレはおあずけやな」
伊藤にとっては思いもよらぬ急展開で思考が追いつかず、動揺をしている内に手に持っていたグラスを千葉に取り上げられてしまった。千葉は取り上げたグラスにも口をつけて、ニコニコと楽しそうに笑いながら世間話をするかのような軽さで伊藤に語りかける。
「ひまりちゃん、役者やったなあ……詰めの甘いところが可愛いけど」
千葉は飲みかけのふたつのグラスをバーテンダーに押し付けると、ヘラヘラと浮かべていた笑みを掻き消して、伊藤の顔を覗き込みながら顔を近づけた。
「パトカーまでエスコートしよか?」
凶暴さすら感じさせる男の顔立ちに伊藤は内臓がすべて一気に冷やされた思いがした。逆らえば殺される――そんな錯覚を抱くほどだった。
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