15
男を捕縛しようとする千葉の背後からふらりとひとつ影が飛び出してくる。姿が見えるまで気配に気づかなかった。
「皆さん、お困りのようですが……僕の趣味がディスクジョッキーと言ったら、信じてもらえませんかね」
誰の耳にも印象深く残る低い綺麗な声だ。男はいつもの装いとは違い、白いシャツにシルエットのゆったりとした黒のパンツを着用していた。そして転がっていたアノニマスマスクを拾い上げるとヘラヘラと笑顔を浮かべる。声とは対照的にあまり特徴のないあっさりとした顔立ちに、胡散臭い微笑みを浮かべる男はまさしく山田拓――『ユートピア』の常連で俺たちの友人のひとりだった。
「……山田くんがDJしてるとか聞いたことないけど?」
千葉が手加減なしに暴漢を(どこから取り出したのか知らないが)縄でぐるぐる巻きに縛り上げて、山田を見上げる。千葉を振り返りながら男は手にしたアノニマスマスクを自分の顔に被せて「くっ、くっ」と喉を鳴らして笑った。
「皆さん、一か八かの賭けですよ。僕自身は腕に自信はありますけど、勿論皆さんは僕の実力なんてわからないでしょうし、素性のわからない人間がそこの女性の代わりにパフォーマンスをして大失敗を演じれば目も当てられない状況になるでしょうね」
「お前、場を繋げるだけの自信があるってことか?」
「綿奈部さん、愚問ですよ。皆さんがこの僕に賭けるか賭けないか、それだけの話です」
俺は思わず、この事件の担当者である東雲に視線を送った。突然の闖入者に、しかもそれがまったく敵意のなさそうな知り合いなだけにどうすればいいのかわからなかった。それに、山田に賭けるかどうかを決めるのは俺でないことは確かだ。
俺の困惑の視線に気づいた東雲はにこりともせずに俺たちの方を見ると、特に感情の起伏もない声で告げる。
「僕は瑛麻さんとそこの被疑者……そして千葉くんが機材の近くで捕えたもうひとりの人間を速やかに移送できればそれでいい。瑛麻さん、あなたがこの男・山田くんを信用するかどうか、それだけの話だ」
「あ、俺がもうひとり捕まえてたん、バレてた?」
「わかっていたさ。君にしては舞台に上がってくるのが遅いと思っていたんだ。だからその男には共犯がいるんだろうと予想はついていた」
「俺のこと、信用してくれてるんやなあ……ってのはええねん。それで、瑛麻ちゃん、どうすんの?」
千葉はこの状況には似合わない呑気な関西弁で田原に問いかける。千葉自身はイベントがどうなろうとどうでも良いというような態度だった。田原がやっとこちらを振り返ったことによりその表情が明らかになる。やはり血の気は引いており、仮に田原がこの場に残れる立場の人間であったとしてもステージに立つのは難しそうだった。その上、突然名乗りを上げてきた男についてどう判断をするべきか迷っているようだった。その困惑は当然のものだ。
一向に始まらないパフォーマンスに観客の動揺は最高潮に達しそうなことをステージ上にいる誰もが実感していた。ステージは生物だ。多少のアクシデントがあることくらい出演者側だけでなく客側も理解している。しかしタイムリミットはもうすぐそこまで迫っていた。
痺れを切らしただろうスタッフが通信機のマイクに話しかけようと息を吸った瞬間だ。
「山田さん、おねがい、します……どなたか、知りませんが……このイベントは必要なんです……」
田原が勢いよく頭を下げ、かろうじて聞こえるくらいの声で懇願した。
アノニマスマスクに隠された男の顔がどんな表情をしているか見ることは叶わなかったが、おそらく満面の笑みを浮かべていたに違いない。
「いいでしょう! 報酬の話は後ほど、ゆっくりと!」
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