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 俺の足下に沈黙しているのは意識を失いながらもバイタルサインに異常はないアヴェ・真理愛と無機質な微笑みを浮かべるアノニマスマスクだった。殴られたであろう後頭部はヘアスタイルの乱れが発生しているものの、出血などはない。アノニマスマスクはふたりを襲った男が着けていたもののようだった。

「この石頭女……タンコブくらいで済んでいそうなのが不思議だ……」

「綿奈部くん、感心するのも結構だがアヴェくんを運んでくれ。大丈夫そうでも、意識を取り戻さないと無事かどうかわからないだろう」

 東雲が小刻みに震えたままの田原を助け起こしながら指示を出す。言われなくてもわかっていると思いながら真理愛の両脇に両腕を差し入れて上半身を引き摺り起こした。

「オラァ! てめえ、抵抗すんな!」

「痛い痛い痛い!」

「千葉くん、私刑は犯罪になるから気をつけて」

 千葉は男の腕を捻り上げて拘束していた。千葉の顔に浮かぶ表情の半分は真理愛へ危害を加えられたことへの怒りが表れていたが、もう半分はこれ幸いとばかりに人間の関節の限界を推し測ろうとする好奇心のようなものも感じ取ることができた。捻り上げられた腕の先にかろうじて引っ掛かっていた棒状の武器がステージに転がり落ちる。それは出力は強くなさそうだったがスタンバトンであり、真理愛はそれによって気絶させられたということがわかった。

 未だステージ上には色鮮やかなスモークが焚かれ続け、音楽は大音量で途切れることがない。おそらく意図的に発生させたであろう機材不良。しかし、一向に始まらないパフォーマンスにこの状況を何も知らないだろうスタッフが異変に気づいたらしい。俺たちがステージに登ってきた下手側から女性スタッフのひとりが駆けつけてくる。イベント前に田原たちと談笑していた人間だった。女は現場を目撃した瞬間に、当然すかさずセキュリティを呼び寄せようとする。

「セキュリティ! こちら……」

「待って!」

 田原が大音量の音楽に負けないように声を張り、女の手首に掴みかかった。そばにいた東雲も田原の行動に流石に驚いたらしい。美しい目を少し見開き、しかし田原の次の発言を待っていた。

「待って、呼ばないで」

「でも、エンマ、この状態では……」

「イベントを中断したら、チャリティーが台無しになってしまう。困る人もたくさん出てくる。だから、お願い……!」

 女の手首を掴む田原の手は、未だに小刻みに震えている。前下がりのボブで表情は隠されて見えなかったが、先ほどの様子だと血の気も引いた状態だろう。誰がどう見てもこの女が痩せ我慢と無理を主張していることはわかった。

 しかし田原の言葉の通り、このイベントはそもそも移入民支援のために開催されており、政治的な意図の大きなものだった。そういう意図のあるイベントで問題が起こってしまえば保守派・革新派どちらの立場であれ、この問題を起点として論争が巻き起こることは想像に難くない。すると移入民の支援という目的を達成することはもはや難しくなるだろう。

 その発言を聞いた上で東雲は田原の薄い肩にそっと手を置くと、目を細めてほんの僅かの笑みを作ることもなくその女を見下ろした。

「だが瑛麻さん、到底イベントを続行できる状態ではない。観客全員に聴取をすることはないが少なくともあなたと被疑者については速やかに署で取り調べを行う必要がある。この場をどう乗り切るつもりだ。イベントを続けて出演順を繰り上げるにしても一時中断をする必要はあるのでは?」

 東雲の青み掛かった灰色の目は冷たさすら覚えるほどに冷静だった。そしてその声は天で裁きを下す存在ほどに重々しく圧倒的正しさを感じさせるものだ。

 田原も東雲に反論することはできず、その場に身を固めるだけで黙り込んだ状態で俯いた。俺自身、田原の気持ちはわからないわけでもなかったが、東雲の言うことはあまりにも正論だった。この状況を打開できる策などない、はずだった。

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