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 車内収納に再び手を突っ込んで、アルミ製の薄いカードケースを取り出す。この中には通信用の超小型スピーカーが入っている。見た目は薄橙色のパッチで、耳の後ろに貼り付けることで音声を聞き取ることが可能になる。

「これはお前のデバイスと同期させてくれ。通常のスピーカーだと音声が他に漏れる可能性があるからな――まあ、お前のは警察仕様で完全指向性だろうけど」

「通常の通信は一般のものと同じだから、これは助かるよ」

「クローズドサーバーへの参加コードはこれ。千葉と真理愛は参加済みで、俺とお前が準備完了するのを待機している状態だ」

 カードケースを裏返して東雲のデバイスにコードを読み取らせる。一枚を東雲に渡し、一枚は既に俺のデバイスへ同期させていたためシートからパッチを取り外すと左耳の後ろへ宛てがった。

 スピーカーの準備も整い、東雲の神妙な面持ちを横目に早速通信サーバーへ参加すると、間延びした関西弁の陽気な声が聞こえてきた。

『お、『目つきゲロ悪』と『正義大好きマン』入ってきてるやん……こちら『眠れる獅子』。そっちの準備整ったん? 待ちくたびれたでぇ』

 少なからず慎重な空気が漂っていた車内と対照的なふざけた言葉が鼓膜を震わせた。

「――お前の方こそ、入場する算段はついてるのかよ」

『近場のバーで時間潰してそうな子とか目星つけてるから、声かけに行こうかなって思ってたところ。そろそろ入場の順番待ちも始まる頃やろし』

 千葉の声色は祭を楽しみにきた人間のようにウキウキしていた。警護任務よりもナンパがメインイベントだと言い出すのではないかと思えるレベルだった。

「普段なら並べばそのまま入れるんだろうけどね……今回は一般客もチケットが必要だから。しかもイベント主宰の招待であれば自ずとVIP席への案内になってしまうから、別途一般チケットの確保もできない――だが、千葉くんならなんとかしてくれるね?」

『俺の腕の見せ所やな』

「女の子をナンパしてそのままどこかへふけるんじゃないかと思うと心配だなあ」

『そっちの方が得意分野やなあ』

 隣の男が「ふふふ」と上品に笑い声を漏らす。

「いざという時に君がいるのといないのとでは大違いだからね。頼んだよ」

『料金分は仕事するから安心して――ほなちょっと声かけてくるわ』

 やたら気取った「オーバー」という挨拶と共に、千葉の通信がミュート状態になる。お調子者らしい挙動なのに落ち着きと色気の感じられる声で、男としては正直妬ける。

「アヴェくんとも通信状態が正常か確認できたら僕たちも動き出そうか」

「了解」

 東雲の指示で監視カメラの映像を切り替え、真理愛と警護対象である田原瑛麻が映っている映像を視界に表示させる。田原瑛麻はVIPルームで他のタレントやクラブスタッフと談笑をしており、その輪の中に真理愛も混ざっていた。

 通信自体は常時繋がっているため今までの会話も真理愛には聞こえていたはずだ。

「アヴェくん、僕の声が聞こえていたらミュートを解除してもらえるかな」

 一瞬ののちに真理愛のミュート状態が解除され、VIPルームでの会話が一気にスピーカーへ流れ込む。

『じゃあ真理愛さんはエンマの後輩ってこと?』

『そうですね。私もシンガーを目指してて、エンマさんのパフォーマンスを勉強させてもらってます』

『でもエンマより大人っぽいよねえ』

『ちょっと、私のこと子供っぽいって言いたいの?』

『冗談冗談』

 女性スタッフの揶揄いに黒髪ボブの女が頬を膨らませる。クラブイベントの主宰をするだけあってクラブのスタッフとは親しいようだった。

『海外にルーツのある人間はよく老けてるねって言われるので、どうしてもエンマさんより年上に見えるかもしれないですね』

 真理愛のフォローに思わず噴き出してしまった。真理愛が一瞬だけ監視カメラを睨み上げた気がしたが――気のせいだと思いたい。

 クラブ遊びに慣れているわけでもない真理愛にとって田原瑛麻の後輩という設定の方が自由に動きやすいだろうという考えだったが、実際は真理愛の方が年上であるため、その茶番にもほどがある会話がおかしく感じた。

「――流石に年下設定は無理があったんじゃないのか?」

「そんなことはないよ……見た目は関係ないさ。どちらも美しい人であることには違いない」

「そういう話はしてねえんだよ」

「そうなのかい? ――ありがとう、アヴェくん。何かあればいつでも連絡をしてくれ」

 東雲の言葉が聞こえたらしく、次の瞬間には真理愛のステータスはミュート状態に切り替わった。

 続いて俺と東雲も同時に通信をミュートに切り替える。東雲はダッシュボードに一時的に置いていた煙管を保管ケースに入れ直すとジャケットのポケットへ仕舞う――かと思いきや、助手席の収納を開くとその中へ安置した。

 その電子煙管は肌身離さずといった具合で東雲がいつも持ち歩いているものだ。男の意外な行動に思わず収納を指差す。

「ん? 持っていかないのか?」

「クラブ通いをする人間が煙管は吸わないだろう。道すがらコンビニかどこかでタバコを調達するさ」

「はあ……徹底してんなあ」

「怪しまれては困るからね」

「悪目立ちの間違いだろ」

「――フーディーにジーンズにスニーカー。君は上手く溶け込みそうな格好をしているから今回の任務に最適だね」

「どうもありがとう。俺はお前ほど目立つ見た目はしてねえからな」

 嫌味なんだか本音なんだかわからない東雲の言葉に、嫌味でしか返すことのできない俺は器の小さい人間なのかもしれない。

 そして俺たちはようやく車の外へ出る。日も落ちて随分と経ったこの街には冷たい空気が充満していた。伸びをして大きく息を吸うと排ガスと埃の臭いが鼻をつく。しかし、酒とタバコの臭いで密閉された空間へ飛び込んでいくことを考えると、汚染されていても新鮮な空気を今のうちに吸い溜めしておく方が良いように思えた。

 視界の端に表示されている時刻は二十一時三十分。イベント開始は二十二時。もうそろそろ入場列が形成されている頃合いだろう。

「さあ――行こう」

 背の高くて美しい男がさらりとした金糸を掻き上げて闇の中を見据えているのを車越しに目撃した。

 青みがかった灰色の瞳に紅が冷たく煌めく。闇夜に光るその輝きに、ぞくりと背筋が粟立った。

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