7

 そして時は車内へ戻る。

 吸い終わったタバコを車載灰皿に押し潰し、車内の収納へ仕舞っていた白いプラスチックケースを取り出した。そしてそれを、つまらなそうに外を眺めている隣の男へ差し出す。

「ほら。ご所望のコンタクト」

「ありがとう」

 表情をパッと切り替えて眩しい笑顔に微笑みかけられる。いつもは舞台役者のようにワックスで整えられている金髪がゆるく下ろされており、いつもしている目元の赤色の化粧――いまどき男の化粧は珍しくないが、東雲のそれはあまりに目立つポイントメイクだ――もしていない。服装もトレードマークである白いスリーピーススーツではなく、白いタートルネックニットを中に着込んで黒いジャケットに細身のスラックスを身につけていた。元々整いすぎている顔立ちでそれだけで目を惹くものではあるが、悪目立ちをしないように気遣っているのだろう。

「……ほんっとに、化粧してなけりゃタダの男前だな」

「褒めすぎだよ。さっきからどうしたんだい」

「普段のお前が奇抜すぎて勿体ねえって思う自分に腹が立つんだよ。いつもその格好じゃダメなのか?」

「今日の僕は『クラブの招待客』で、普段の僕は『刑事・東雲祥貴』なんだよ。求められている役割が違うから、見た目も違う。それだけの話だ」

「――だからと言って『刑事のお前』が化粧する意味もわからんが」

「僕の化粧の意味が本当にわからないのか?」

 男はクスクス笑いながらケースを受け取ると、助手席のサンバイザーを引き下ろしてそこへ設置されている鏡を開く。そして手慣れた様子でプラスチックケース内に保管されていたレンズを取り出すと手早く両目に装着した。東雲は特に俺の答えを待っているわけでもなさそうだったし、俺もその問いに対する答えを持っているわけではなかった。

「……着け慣れてるんだな」

「特に目に疾患があるわけでもないから事件捜査で使うこともあるんだよ、こういうの」

「そうか――動作確認をするから異常があれば教えてくれ」

「了解」

 今回使用するスマートコンタクトレンズは俺のナノマシンデバイスと同期されている。東雲の視界に表示されているインターフェイスと俺の視界に表示されているものは同じものだ。

「俺の方を見てくれ。情報は表示されているか? 俺のコード『G3』が正常に表示されていれば大丈夫だが……」

 東雲のブルーグレイの瞳がにこりともせずに俺の顔を見つめて、一瞬後に頷く。俺の視界にも東雲の顔の隣に小さな文字で『G1』と表示されていた。

 通常、視界の端に現在時刻と座標等が表示されているだけのシンプルなものだが、デバイスに読み込ませておいたリストを参照して視界に映る人間が何者なのか特定できる。今回に関してはクラブ内の見取り図も読み込ませてあり、視界右上に表示させてある。加えて、東雲の指示通り監視カメラの情報も取得済みであるため、その映像を視界内に表示させることもできた。

「カメラは全台掌握してあるが……骨が折れたぞ」

「君ならできると思っていたからね」

「調子のいいことを……右上の見取り図と照らし合わせてカメラ映像とのリンクに異常がないか確認するぞ」

「――仕事に対する姿勢が丁寧でいいね」

「金払いが良ければそれなりの仕事をするのは当然だろ」

 見取り図の真下にハッキング済みの監視カメラ映像を次々に切り替えて映す。見取り図内にはカメラの設置位置と映像の範囲を示す扇状の図形を表示させていた。トイレなどの法律上設置が不可能な場所以外はありとあらゆるところにカメラが設置されていた。まだ入場時間前のためクラブの玄関やフロアはセキュリティ以外の人間はいないものの、フロアステージや控え室などは今日のイベントの準備でごった返している。その人混みの中には金とショッキングピンクのグラデーションの髪を二つにおさげでまとめた派手な見た目の女がいた。サーモンピンクのパンツドレスに身を包んだ真理愛は田原瑛麻の今夜のゲストとして既に潜入済みだった。真理愛の隣には音響スタッフと忙しそうに打ち合わせをする真っ黒な前下がりボブの「いかにも」な女がいた。

「今のところ、接続状態もアヴェくんたちも異常はなさそうだね」

「……これで監視カメラ自体は全台見てもらったことになるが、一点気になるところが」

「何かな」

「搬入口付近のカメラの方向だが……」

 手元のデバイスで操作し、搬入口真上のカメラとそのカメラのすぐ隣のカメラ映像を表示させる。

 東雲は顎に手を添えてほくそ笑む。一見何もない空間に向かって笑顔を向けている不気味な格好だがそれでも様になるのだから、この美しさの壮絶さをありありと突きつけられる。

「なるほど。死角が生まれているね」

「ああ」

「死角はそのままにしておいてもらえるかな。その上でこの場所に……」

 東雲の発言を遮るように、監視カメラの映像からまったく別の回線へ映像を切り替えた。ちょうど死角になる位置の映像が表示され、男は驚いたように目を見開き、俺の方を振り返る。

「ここには事前に小型カメラを仕込んでおいた」

「綿奈部くん、素晴らしい働きだね」

「何か意図があって死角になっているのかと思っただけだ。カメラの角度を勝手に変えて相手に気づかれても困るからな」

「流石だね。確かまだ搬入されていない機材があったよね?」

「ああ。ちなみに、ここまでの搬入で妙なヤツが紛れ込んでいないことは確認済みだ。機材自体もなんら異常はない……何か変なのが紛れ込むとすれば、今からクラブに物を持ち込んでくるヤツだな」

 東雲は呆れや悔しさに似た笑みを浮かべて、助手席の背もたれに沈み込んだ。そして再び煙管を取り出して吸い口を咥える。

「やっぱり君に任せて正解だったよ……役割を分担しているとはいえ、当日まで僕はまともに関われなかったからね。死角の情報も内心ヒヤリとしたところだったんだ」

 この男は完璧主義者に近い性質を持つ。任務の綻びとなりそうな情報が直前に飛び出し、それについて自分で事前に対応をできていなかったためにそんな表情になっているようだった。なんでもかんでもひとりでできるわけがない。そんなことは本人もわかっているだろうが。

「――所轄の刑事様はお忙しいだろうからな。他の人員を借りられるわけでもなく平常業務と並行していたわけだろ?」

「……慰めてくれているのかい?」

 男は煙を吐き出しながら真っ直ぐ前を見つめている。しかしその横顔は先ほどよりも少し穏やかになっていて、それを見た俺の心がなんとなくざわついた。気がした。

 ――そう正面切って問いただす人間がいるかよ。恥ずかしいヤツ。

 確かに多少の気遣いのつもりでの発言だったが、そのように真っ直ぐ質問されると素直にそうだとは答えられるわけもない。

「そんなんじゃねえよ……事実確認しているだけだ」

「そう?」

「そうだよ」

「ふふ……でも、ありがとう。助かったよ」

 何が助かったのか。死角をなくしたことによってリスクが減ったことに対してか、俺の慰めに対してか。東雲が何に感謝をしたのかを明言することはなかった。

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