5

 火皿の空いた煙管を優しくテーブルの上に安置し、東雲は再び肘をついて両手を組み合わせた。

「――さて。今回の任務に、より適切な人物が僕たちの身近にいると思わないかい?」

 東雲の涼やかな目がバーの扉へ向けられる。何かを待っている様子だ。

 紫煙と共に「ああ……」と間抜けにも思える声を漏らしながら千葉が頷く。千葉が思い当たった人物は俺にも心当たりがあった。

 底抜けに明るくて根性の据わっている、海外にルーツを持つ女だ。

「……それって、もしかして」

 その人物の名を口にしかけた瞬間、バーの扉が開いたことを知らせるベルの音が響き渡る。女がひとり、サングラスを外しながら入ってきていた。腰まで伸ばした金とピンクの派手なグラデーションで縦ロールの髪。日本に在住する女性の中では背が高く、歩く様子も堂々としている。いかにも利発そうな顔つきはいつも笑顔を浮かべているが、それが太陽並みに眩しい。何かで翳らされても、太陽の周りに白く輝くコロナの如く、元来の素質によって光を失わないのだろうと思わされる――アヴェ・真理愛はそんな人物だ。

 そんな我らが敬愛する医師・真理愛は俺たちの座っているテーブルを見つけると小走りで駆け寄ってきて開口一番謝罪した。

「皆さんお待たせして申し訳ありません! お昼最後の患者さんが長引いてしまって」

「忙しいところ来てもらってるんだ。謝ることはないよ、アヴェくん――綿奈部くんは知らされていなかったかもしれないが、警護のメインはアヴェくんに担ってもらおうと思っているんだよ」

 そもそも東雲がいること自体聞いていなかったため、真理愛のことは論外だ。しかし、これでやっと腑に落ちた部分がもう一点ある。

「……やっぱり、千葉が言っていた通りじゃないか。お前、現行犯で相手を捕まえようとしているな?」

「――どうしてそう思うんだい?」

 今やその美しい微笑みすら白々しく感じる。この男はそこまで腹黒いわけではないが、腹に一物も二物も抱えていることがある。

「市議の娘を警護するだけなら屈強な――それこそお前みたいな男がひとりそばにいて周りを威嚇している方がよっぽど抑止力になるだろ。敢えて真理愛を身辺警護のメインに据える必要はない」

「警護相手が女性の場合、男の僕ひとりではカバーし切れない場面が出てくるからね。アヴェくんという人選は間違っていないと思うが」

「人選が的確すぎるんだよ。海外にルーツがあって、派手な見た目で、真理愛は一見いかにも招待客でしかない。犯人が『うっかり』顔をのぞかせたとしてもおかしくない。それが狙いだろ」

「……それはただのおまけだよ。あくまで警護任務さ」

「シラを切るつもりだな……おとり捜査は好まないと思っていたが」

「たとえば僕がそういう目論見を持っていたとして――君たちが揃っているなら特に問題ないのでは?」

 東雲は悪びれずに笑顔のまま空いている椅子を引く。会話の切れ目を待っていた真理愛は立ったままになっていた。その椅子に向けて指を揃えて手を差し向けると「どうぞ」と一言、真理愛に声を掛ける。女は促されるまま椅子へ座るとテーブルに備えつけられているメニュー表を手に取りながら口を開いた。

「絶大な信頼を寄せていただいているようで嬉しいですよ、私」

「万が一があっても真理愛ちゃんさえ無事なら救護活動はお手のものやもんな」

 千葉がヘラヘラと笑うが、真理愛は顔を顰めて首を左右に振る。

「滅多なことを言わないでください、千葉さん」

「ごめんごめん」

 本当は悪いと思っていないだろう男は適当に謝ると真理愛の注文を受け付け、注文をマスターへ通すために席を立つ。

 東雲がジャケットから新たにVIPパスを取り出すと真理愛に差し出しながら申し訳なさそうな表情を作った。

「実際そういう打算がないわけでもないよ。公にしていないとはいえ警察としても当然犯罪者の身柄は確保できるのが望ましい。何かがあっても対処できるようにアヴェくんには来てもらったんだ」

「私が一番最初の砦で保険だというわけですね」

「一番危ない役割ということだね……勿論僕もそばにいるから極力危険な目には合わせないように警戒はするが、引き受けてもらえるかな」

「危険を承知で傭兵業をしてるんですよ。私もそこまで甘くないです」

 東雲の手からパスを取り上げながら真理愛は満面の笑みで言い放つ。ここまで肝が据わっている人間を敵に回したくないと心底思う。

 申し訳なさそうな顔をしていた男の表情がパッと切り替わり、再び白々しい微笑でこちらを向いた。

「さて、綿奈部くん。ここまで内容を聞いてもらったわけだから君ももう部外者ではないね?」

「…………引き受けるとは言ってねえ」

「機材関係の監視を君にお願いしたいんだ」

「まだ、引き受けて、ない」

 言葉を区切りながら任務未受諾であることを強調するが東雲はまったくそんなことを気にする様子はなく次から次へベラベラとおしゃべりをする。

「会場に前もって調査に出かけてもらおうと思うんだ。機材の搬入も監視をしてほしい。勿論、監視カメラ位置の把握とハッキングもね――通信関係の捜査許可申請はこちらでしておくから法令違反にはならないよ――お願いしたい。当日は動線管理用のコンタクトレンズが関係者に配布されるらしいんだけど、僕と綿奈部くんに関しては別の物を装着するのが安全だからそれの準備も。瑛麻さんとアヴェくんは配布されるものを装着してほしい。当日は瑛麻さんは主宰であり出演者だからそれに合わせて動いてほしいんだ」

「人の話を聞けないのか」

「だって引き受けてくれるだろう?」

 東雲は俺の一切を疑わない目つきでこちらを見る。青み掛かった灰色の瞳の奥にチラチラと煌めく紅――人類はこの輝きを手に入れるために多大な犠牲を払うだろう――その光はこの男が表す全幅の信頼の形だと俺は知っていた。

「――東雲。嫌な男だよ、お前は」

「お褒めに預かり光栄だね……君以上の適任者は思い当たらないんだ」

「よっぽどお友達が少ないんだな」

「数少ない友人の中に優秀な人材がいるありがたみを実感しているところさ」

 美しいものは美しい。人類の誰もが手中にしたいと思う輝きを一身に向けられることの幸福と惨めさを俺以外の誰が感じているだろうか(そしてこれに似た輝きを持つ人物を俺はもうひとり知っている)。俺はそういう輝きを向けられて頼られてしまうと、もう断れない。

 ――俺は本当に『身内』に甘い。

 俺は俺の性質に頭を抱えたくなった。

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