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 組んだ手の上に顎を乗せたまま東雲は目を瞬かせて、千葉の目を正面で捉える。

「いくつか誤解を解く必要があるようだ」

「全問正解ちゃうかったかあ」

「及第点ってとこかな」

 千葉が頬杖をついたまま顎をしゃくり、東雲の発言を促す。

 指摘された点以外にも色々と疑問はあったが、まずは東雲から出される情報を整理するのが一番と思い、食べかけのラップサラダを胃の中へ片付けることにした。

「まず、ストーカーが関係者かという点だが、今までの脅迫状の内容や脅迫状が置かれていた場所から考えると、千葉くんの言う通り身内の犯行だということはほぼ確定している。二点目、関係者を排除したいというのも正しいね。田原市議は警察関係者に知り合いはいても署の人間とはあまり関わりはなく、僕の上司とは高校時代以来の再会だったらしい。僕の噂を聞きつけて、かつての同級生を頼ってきたとのことだ。そして、三点目。市議の個人的な依頼なのかという話だが……この件は署内でも表沙汰にはなっていない。だが、僕の上司からの正式な警護依頼であることには間違いないよ――だから半分ハズレ」

 ジャケットから電子煙管のケースを取り出すと、東雲は椅子に背を預けて煙管を咥える。VIPパス上で煌めくイベントロゴが東雲の唇からふうっと吐き出される紫煙によって覆われた。長い脚を組んで、穏やかな目つきで煙を吐き出す様は、ルノワールの描く華やかな絵画のようだった。

「僕と市議に接点はないから誰かが仲介しないといけない。今回はそれが僕の上司だったというわけさ。上司も『恩を売れる』ととても喜んでいたよ……スキャンダル云々も――娘の手前、市議自身はそんなことを口に出してはいないが――本音のところはそうだろう。もうすぐ選挙期間に差し掛かるからね」

 東雲は煙管へそっと口をつけ煙を肺に取り込むと、真っ赤なアイラインに縁取られた目を細めた。僅かに冷ややかな光が放たれる瞳はそれを見た者に少々の畏れを抱かせるほどだった。

「それと……現行犯で逮捕をしたいというわけではないよ。今回は本当に警護依頼なんだ。市議のご息女という立場のある人物を危険に晒すリスクの方が大きい――だからこれも君の見当違いだ。勿論脅迫状の差出人を突き止められれば脅迫罪で逮捕することはできるけどね」

 ラップサラダを完食し手を拭ったのち、俺は右手を軽く掲げた。話を聞いても解決のしない疑問がひとつあった。

「質問なんだが」

「どうぞ」と東雲。

「そのイベントを中止してしまえばいいんじゃないのか。ストーカーに成功体験を与えてしまうかもしれないが、それでも市議の娘が危険に晒されるという可能性は低くなるだろ」

「当然の疑問だね……これを見てほしい」

 東雲はそう言って美しく微笑むと、卓上中央に浮かんでいるホロ映像を操作するとイベントロゴの下に記載されているイベント詳細を拡大する。

「――チャリティー?」

「今回のイベントでは物販の売上や一部収益が移入民支援を行っているNPOへ寄付される。元々は保守寄りの中立派だった田原市議は三年ほど前から移民支援に積極的に携わるようになっているらしくてね……今回のイベントは直接関わりがあるわけではないが、かと言って無関係とも言い難い。市議のご親族には不動産方面に明るい方もいるらしくてね。移民ビジネスは未だに儲かるというのがその界隈での常識だよ……まあ、目立った不正は見当たらないように思えたけど」

 東雲の発言に、正面に座っている千葉が大袈裟に溜め息を吐き出し、呆れた表情で首を左右に振った。そしてベストから電子タバコを取り出し、カートリッジを慣れた手付きでセットする。

「……祥ちゃん、いつから探偵になったんや?」

「あくまでただの刑事だよ。警護対象の周辺を洗っておくのも大切な仕事だからね」

 東雲がふふふと笑う様は実に上品だ。

「――勿論イベント中止を進言したんだけど、自分ひとりの問題のために中止することはできないと瑛麻さんから突っぱねられてしまって……田原市議もイベント中止は気乗りしない様子だったよ。ご親族のビジネスに差し障るとお考えのようだ」

「娘の命よりビジネスかよ」

 素直な感想が漏れ出た。世の中には様々な人間がいることなど、目の前のふたりを見ているだけでも十分にわかることだが、善良なフリをして自分の利益のみを求める人間の話はやはり気持ちの良いものではない。

「市議も娘の心配はしているよ……同時に守るべきものが多いというだけの話さ」

 田原市議の振る舞いを擁護する割には不自然なほどの上品な笑みを貼り付けたまま、東雲は煙管を灰皿に叩きつける。カンッと軽く音が鳴り、カートリッジが火皿から灰皿の中へ転がり落ちた。

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