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「ストーカーからの殺害予告?」
「殺害……まではいかないかな。被害届を出してきた女性が主催するクラブのイベントがこの週末にあるんだけど、イベントをぶっ潰してやる、無事でいられると思うな……と手紙には書いてあったね」
そう千葉と東雲が話しているのを聞きながら遅い昼食をとっていた。マスターの作るラップサラダはカロリーを気にする女子や筋トレをするすべての人に愛されている絶品だ。何より片手間で食べられるというのが一番の利点である。別に俺は女子でもトレーニーでもないがそれを貪りながら黙ってふたりの話を聞いていた。千葉に来いと言われたから来たのに、放置プレイである。
「あとは常套句だね。裏切っただの苦しんでいるだのなんだの……」
「典型的なお気持ち羅列ってのはわかったけど、なんで強行犯係の祥ちゃんがストーカー対応してんの? そういうのって生活安全課とかの仕事ちゃうん?」
「あまり大きな声で言えないんだが――市議会議員直々のご指名でね」
「ああ……市議の娘ってこと?」
「まあね……あとは忙しいときというのはどの課に所属していても関係なくてね、『人手がないから貸してくれ』というのが表向きの理由だよ」
「わざわざ他課の人材を? よっぽど人足りてへんのやろな」
カフェオレの入ったカップを口元に運ぶ千葉は目を弓形に曲げて意地悪に笑った。それを見た東雲は肩を竦めてジャケットのポケットに手を突っ込む。東雲が取り出したのは薄型のディスプレイが組み込まれたカードのようなものだった。そのカードには黒く長いポリエステル製ストラップが付いている。
「なにこれ?」
「――VIPパス、というやつだね」
「今時物理パス? チケットってことやろ、これ?」
「珍しい故にそこに価値を見出せる。特別感を演出するためにノベルティを兼ねて物理カードにパスを組み込むというイベントも少なくないらしい――で、我が署は人員が足りていないから君たちに警護協力を願いたい」
千葉は特に違和感なくその言葉を受け入れていたが、寝耳に水だったのは俺だ。俺が『ユートピア』を訪れたのは千葉に呼び出されたからで、新規の任務を引き受けるためではない。
食べかけのラップサラダを皿に置き、涼しげな目元でパスをこちらに差し出す東雲とパスを珍しそうに眺めている千葉を交互に睨みつけた。
「『君たち』……? どうして俺が仕事を引き受ける前提なんだ。千葉もそんなこと話してなかっただろう」
「千葉くん、綿奈部くんに説明をしていなかったのかい?」
東雲は綺麗に整えられた眉をスッと引き寄せて千葉を見る。一挙手一投足にいちいち美の余韻を感じられるのが俺のカンに触るが、それもいつものことだった。それよりも問題は千葉の方だ。すっとぼけた顔でカフェオレを啜り続けていた。
「うーん、説明してなかったっけ?」
「お前……通信ログを洗ってもいいんだぞ」
「ごめんって。俺ひとりだけで引き受けてもいいかなと思ってたんやけど、祥ちゃんがツナも呼べって言うからさあ――めんどくさがってバックレられたら困るから黙ってたわ」
そのように言い訳をされるとぐうの音も出ない。実際、呼出の連絡で東雲からの依頼という情報が耳に入っていれば何か理由を探して『ユートピア』を訪れない可能性はあった。東雲のことを所謂『善良な人間』とは思っているが、東雲という人間の在り方に苦手意識がある――ソリが合わないのだ。また、稼業の性質上、『お上』側の人間からの任務を受けることはリスクが大きいとも感じている。
コイツらふたりを目の前にしてしまうと、どうせ巻き込まれることがわかっている。だからこそ話を聞く前の段階でふたりとの接触を避けるのが吉なわけだが。
「……東雲、お前、その仕事は他のヤツらに当たれないのか?」
コイツらに会って話まで聞いてしまったからには仕事を回避する方法を模索する必要がある。まずは最善を尽くし、俺が仕事を引き受ける必要性を潰す。
美しいながらも男らしい骨ばった指が、アイスアールグレイティに突っ込まれたストローをつまみ、中身をかき混ぜる。真っ赤なアイラインに縁取られた目がスッと細められ、その視線に射抜かれた。
「君たちのように、人格の保証された人間じゃないと今回の仕事を任せることはできない。ストーカーの素性が曖昧な以上、僕自身が協力者を信用できないとダメだろう?」
こちらを見つめたままの瞳がやがて微笑みに切り替わるその流麗さに鳥肌が立った。コイツはどんな人間にも人を籠絡する笑顔をこのように振り撒く。何か交渉を押し通そうとする時の笑顔だ。口では信用しているとかいうものの、ここまでされると本当に信用されているのか疑わしい。
「――ただのPMCやらエージェントやと、どこから依頼主やストーカーに通じてるかわからんからなあ。ある程度どんな人間かわかってへんと依頼したくてもできへん、と」
「そういうことだね」
千葉の言葉に同意しながら東雲がアイスティのストローを咥える。
千葉はカードから飛び出してくるホロ画像を指先でチラチラと弄んでいた。派手なネオンオレンジとネオンブルーのイベントロゴ。カードをこねくり回しているその男はやがて「うーん」と唸り出す。そしてカードをテーブルの上に放り投げると腕組みをして首を傾げた。
「ごめん、祥ちゃん。俺もしかしたらこの仕事無理かも」
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