第7話 もしかしたら俺の妻はやばいかもしれない

 半年の月日が経ち、ヴェインは一歳半となった。

 あの日以来、マリーシャは姿を現さず、パーシルたちは忙しくも穏やかな日々を過ごすことができていた。


 ヴェインの成長はというと、とても順調で、なんとぐずぐずに煮込んだ野菜やパンなど、固形物を食べることができるようになった。量こそまだ多くはないが、ヴェインの腹持ちは改善され、夜中、空腹で弱っていくことは無くなった。


 その結果として夜の睡眠時間が十分に確保できるようになったパーシルは、これならば多少の無理ができるようになったと判断し、シアの許可を取り、王立冒険家ギルドから発注される危険はあるが実入りの良い依頼に切り替えることにした。


 現状、ヴェインが熱を出すと一瞬で貯蓄が消し飛ぶほどしか金がなく、さすがにパーシルとしては今後のことを考えると一日銅貨一枚では何かあった際に不安だった。


 パーシルはまず薬草採取の依頼から受けることにした。

 冒険者の基本である採取の依頼だが、向かう先は魔物が跋扈するティルスター王国北部に位置する大森林。

 この大森林は、いつのころからか、魔の領域から流れ込んできたの瘴気に侵され、魔物がすみつくようになった危険地帯だ。


 だが、この森には効果の高い貴重な薬草や医療に使われるキノコなどが採取でき、国から常に報酬の良い依頼が出ているので、ティルスター王国に所属する冒険者にとっては優良な稼ぎ場でもあった。


 パーシルは久しぶりの顔ぶれとパーティを組み、一年ぶりとなる薬草採取の依頼をこなしていた。


「ふぅ、これだけあれば大丈夫だ。依頼は達成できるだろう」

「おう、お疲れさん」

「お疲れー。魔物の気配は……うん、結構遠いから今のうちに離れておこう」


 メンバーはリザードマンのアーランドと、エルフのレイン。彼らはパーシルが育児を始める以前よりパーティを組んでいた馴染みのメンバーだ。


「組むのは一年ぶりだったが、腕は衰えていないようだな」


 アーランドは剣を腰に、魔物の死体が詰まった布袋を肩に担いでいる。

 彼はリザードマン特有の怪力と自身の鱗の固さで前衛を張るパーティの守護者だ。


「そうそう、おかげであたしたちも楽させてもらったわ。ところでさ、パーシルの子供ってどんな子なの?」


 周囲を警戒しながらレインが軽い調子を見せる。

 エルフは魔術が得意な種族で、戦いにももちろん魔術を使うことが多いのだが、視力がよく、器用な彼女は「呪文を唱えるよりこっちの方が楽だから」と弓を使う変わり者だ。


「優秀な子だよ。びっくりするほど教えることがない」


 パーシルから見たヴェインはまさにそうだった。

 以前譲ってもらった魔術の技術書も、すいすい解読しているようで、最近は単語程度だが、意味の分かる言葉を話しはじめている。

 

「それはそれは。将来が楽しみだな」

「ねえねえ、やっぱり冒険者にさせるの?」


――さすがに異世界転生児に後を継がせるなんて強要できないだろうし。


 それはまだ、先の話だと、パーシルは首を振った。

 ヴェインがあの調子で言葉を覚え、順調に読み書きができれば学術で生きていくことも可能だろう。

 冒険者はあくまで選択肢の一つ。そうするしか生きられなかったパーシル自身とは違い、ヴェインにはちゃんとやれることを選んでほしいとパーシルは思っていた。


「それはヴェインがこの世界がどうなっているのかちゃんと理解してからかな」

「そっか、じゃあ、今度会わせてよ! あたし、ここ300年ぐらいの旅の話を聞かせてあげるわ」

「そうだな。私もパーシルの子には一度会ってみたいものだ」

「分かった、分かった。今度、紹介する」


 半年前の変わってしまった妻を思い出し、一年たっても変わらない仲間たちにパーシルはどこか安堵を覚えていた。

 そうしてここ一年で何があったのか話をしつつ、パーシル達は荷物をまとめ、森からの脱出の準備を進めていた。


 ふと、そんな折、パーシルは風向きが変わったことに気が付いた。


――この方角は、北からか?


 大森林での探索には危険の予兆がいくつかある。

 草の鳴る音、巨大な獣の足跡、食べ残された動物の死骸、そして何よりも冒険者たちが恐れるのは北風だった。


「レイン」 

「――分かってる。北風が吹いてきた。様子を見てくる」


 レインが身軽に木の上に上がり、周囲の状況を確認する。


 パーシル達が依頼をこなしている大森林、その更に北には魔の領域と呼ばれている未開の土地が存在している。

 そこでは巨大な大樹を中心に赤い瘴気が発生し、その赤い瘴気は大地を枯らし、生き物を魔物へと変質させていた。


 ゆえに北風が吹き、魔の領域から赤い瘴気が大森林に、しいてはパーシルたちのそばへ流れ込んでくれば周囲に魔物が増える可能性が高い。

 それはすなわちパーティが危機に陥るということなのだ。


「うん、大丈夫。すぐに瘴気がくる気配はないよ」


 木から飛び降り、器用に音を立てず着地するレイン。


「だが長居は無用だな。みんな早めに撤収しよう」


 パーシルは布袋に薬草を詰め、道々に獣の痕跡がないか警戒しつつ大森林から脱出に向けて移動を開始した。


 その後、無事に大森林を脱出したパーシル、アーランド、レインの三人は、冒険者ギルドに戻り、依頼完了の報告を済ませることにした。

 冒険者ギルドはティルスター王国の中心に近いところにある建物で、冒険者のライセンスの発行、危険度の高い依頼や国からの依頼を冒険者に提供している機関のことである。

 火ノ車亭と比べると集まる冒険者は歴戦の猛者や有能な若者が多く、陽気とは無縁なおごそかな空気が常に漂っている。


「はい、確かに確認しました。お疲れ様です。こちらが報酬となります」


 受付の女性に薬草と魔物の素材を渡し、確認の後、事務的な対応を受けつつパーシル達は報酬を受け取った。


 危険度の高い依頼は国が管理していることが多く、今回パーシルたちが受けた『大森林からの薬草採取』もその分類に当たる。

 国が管理している依頼は冒険者ギルドでのみ受諾、報告ができ、多少の手間はあるが、もらえる報酬は火ノ車亭での依頼の10倍近く、さらには火ノ車亭とは違い討伐した魔物の素材を換金してお金に換えることができる。

 今回は三人で報酬を山分けしたが、それでも銀貨3枚と火ノ車亭で依頼をこなすより稼ぎは良かった。


「それでは配分はこれで問題ないか?」

「私の異論はない。これで新しい本が買える」

「あたしもオッケー」

「そうか。それじゃまた組むことがあったらよろしく頼むよ」


 かくして懐の温まったパーシルは二人と別れ、火ノ車亭に戻ることにした。


 火の車亭の入り口には奇妙な恰好の人たちが店に集まっていた。

 彼らは全員、白い蛇の紋様が施された黒いローブをまとっていた。


――なんだ? トラブルにしてもキナ臭いな。


 病的に統一された謎の一団にパーシルの警戒心を強め、とりあえずかかわらないようにと裏口からこっそり店に入ることにした。


 火の車亭の裏口は食材を保存する店の奥へと繋がっており、パーシルはその店の奥から店内の様子をうかがった。

 店内は騒がしくはあれど、いつもの陽気な雰囲気はなく、代わりに怒声などが飛び交っている。

 そしてパーシルは『彼女』を見つけてしまった。


「ここにあの子がいることは分かっているの! さっさと出しなさい!」


 マリーシャがローブで顔を隠した男たちを引き連れ、店を占拠していた。

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