第6話 妻が何かたくらんでいるのかもしれない

 パーシルが暮らすティルスター王国は国土の半分が農園もしくは畑である。

 秋には冬を越すために保存が効く作物の収穫や保存食の作成が行われ、「荷物が運べるなら悪魔でも使え」と揶揄される忙しさだ。


「ふぅ、こんな感じでよろしいですか?」


 パーシルはカゴいっぱいに詰め込まれたジャガイモを依頼者である農夫の老人の家の前まで運び込んだ。

 今回の依頼はジャガイモが育ったので収穫を手伝ってほしい、というもので、1ヘクタールほどある大きな畑の殆どに埋められたジャガイモをとにかく引っこ抜き、収穫というものだった。


「ありがとうパーシルさん。これで十分だよ」


 籠の数からジャガイモの量を確認した農夫の老人は、パーシルの仕事に納得したようだ。

 冒険者としては、重い武器、防具、数日分の食糧、討伐した魔物の首や素材などなど、荷運びは基礎中の基礎なのでパーシルとしては初心に帰った懐かしい気分で仕事をこなせた。


「ああ、そうそうパーシルさんお子さんがいるんだって?」

「ええ、今、やっと9か月なんですよ」

「そうかい、そうかい。そうだ、もしよければもらっていってほしいものがあるんだが」


 思い出したと手を合わせ依頼主の農夫の老人は家の中に一度戻り、三冊の本を手にパーシルのところに戻ってきた。


「これなんだが」


 それは魔術の仕組みをまとめた技術書だった。

 初級、応用、中級とあり、それぞれいかようにして大気から魔術のための力を取込み、束ね、放つのかを記述してあるものだ。


「これは? 高いものではありませんか?」


 この国における本とは異世界転生者がもたらした技術により、恐ろしく価値が高いわけではないが、それでもまだ趣味にするには金が要る。

 パーシルも読めない字は多く、進んで買おうとはなかなか思えないものであった。


「昔、息子が冒険者になりたいと言って買ったものなのだが、あやつ家を飛び出したきり帰ってくることもない。

 埃をかぶらせておくのもなんだしもらってはくれないか?

 なんなら市場で売ってしまってかまわないよ」


 手に取って数ページ開いてみると見本の絵も比較的あり、パーシルが知っている単語もいくつかあった。


――ヴェインならどうだろうか。魔術が使えるかどうかはわからないが、幼いうちから文字に慣れさせておくのもいいかもしれない。


 最近のヴェインはパーシルの言葉を理解しているような反応をすることが多い。

 少なくても知っている単語があればそれぐらいは教えてあげられるだろう。


「それでしたらご好意に甘えることにします。ありがとうございます」


 パーシルは農夫の老人から本を引き取ることにした。


 依頼を終え、パーシルは火ノ車亭まで戻ってきていた。


 連日連夜、冒険者があつまり、食事をとり、酒を飲み、はしゃぎ騒ぎ、と火ノ車亭は今日も活気があるようだ。

 パーシルは冒険者たちを避け、店の奥にあるカウンターでシアに依頼の報告をしようと声をかけた。


「シア、今日の依頼は完了したよ」

「はい、パーシル、お疲れ様」


 依頼達成の報酬、銅貨を一枚を受け取ったパーシルに、シアは声を潜め改めて話を切り出した。


「……ところで、あんたにお客さんがきているわよ」

「誰が?」


 パーシルは首をかしげた。

 少なくともここ最近の依頼は文句を言われないレベルでこなしているので、誰かが文句を言ってくることもないはずだ。


「マリーシャさん」

「え?」

「どうする。会ってく?」


――妻のマリーシャが?


 パーシルは言葉が詰まった。

 本当に今更、妻に会って、何を話すというのか。

 そもそも彼女はなにをしに会いに来たというのか。


――だが会わない事にはわからないか。


 パーシルはシアにうなずくことで了承を伝えた


「わかった。ついてきて」

 

 そうして、シアに案内されたテーブルには逃げ出した妻のマリーシャが座っていた。

 いろいろ言いたいことがあるパーシルだったが、まずは心を落ち着け、席に着き、話を聞くことにした。


「それじゃ。あたしはヴェインくんの様子をみてくるから」

「わかった。ありがとう」


 シアがテーブルから離れ店の奥に戻っていく。

 それを確認してパーシルはマリーシャと向き合った。


 パーシルから見てマリーシャは以前よりやつれている印象だった。

 以前は肩の上で揃えていた黒髪が、腰のあたりまで伸び、ところどころが跳ねている。また、あまり食事をとっていないのか、ほほが痩せ、別れる以前よりも生気のなさが伝わってきた。


――何があったのだろうか、今は何をしているのだろうか。


「……久しぶり、パーシル」

「……ああ」


 少しかすれ気味の声でマリーシャは話す。

 生気のなさをそのまま表す話しぶりに、パーシルは彼女の身を案じた。


「あの子は元気にしているの?」

「なんとかやれているよ、……マリーシャ、君こそ大丈夫か?」

「優しいのね。――ねえ、あの子に会わせてくれないかしら?」


 育児生活にわずかながら安定を手にしつつあるパーシルには、少しだけ心の余裕があった。

 ゆえにパーシルは相手のことをよく観察できていた。


 彼女は、マリーシャは、なんとなく酒におぼれた母を連想させる瞳をしていた。


――あの時、金がなくなり酒が飲めなくなった時の母親はどうだっただろうか。


「ちょっと……様子を見てくる。寝てるかもしれないし」


 パーシルはマリーシャの眼を振り切るように店の奥に逃げ込んだ。

 その予感を信じたくはなかったが、パーシルはあの瞳に覚えがあった。


 ここでヴェインと彼女を会わせてしまうと何かよからぬことが起こってしまうと、パーシルの直感がそれを察していた。


――思い過ごしかもしれないが。


 パーシルがヴェインのいる部屋に入ると、シアとヴェインがパーシルを見つめていた。

 

「どうだった?」

「よくわからない。ヴェインに会いたいと言ってる。ただ、思い過ごしかもしれないが、何か妙だ」

「どういうこと?」

「あくまでカンなんだ。ただ、ちょっと嫌な予感が」

「そう……」


 ヴェインが立ち上がり、二歩、三歩とパーシルに歩み寄る。

 最近のヴェインはついに歩く事が出来るようになっていた。

 シアが言うには赤ん坊は四つんばいになって移動することが先らしいなのだが、ヴェインはいきなり立ち上がり歩きはじめたらしい。


――やはり異世界転生者は出来が違うということなのだろう。


 パーシルはヴェインを抱きかかえた。


「……ヴェイン、マリーシャが、お前の母さんが来ているんだ」


 ヴェインがパーシルの言葉の意味を理解したのか苦虫をつぶしたような顔をする。

 彼にとっても一年近くほったらかしてきた人間だ。印象は良くないのだろう。


「……ああ、そうだな。今日は寝ていたことにして帰ってもらうことにするよ」


 パーシルは一呼吸を置き、店の中に戻った。

 自分の愛した女性が、母のようなそんな愚かな企てをしているとはあまり考えたくはなかった。


「すまない。マリーシャ、ヴェインはもう眠ってしまっているみたいんだ。また今度来てくれないか?」

「そう――それじゃあ、また来るわ」


 彼女はテーブルから立ち上がり、ふらついた足取りで店を出て行った。

 パーシルは彼女の背を見送り、はたと気が付いた。


 マリーシャとの会話の中、彼女が息子の名前を一度も口に出さなかったことに……。

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