第27話 ショタコンと執事
廊下の隅の一室。そのドアは少しだけ開いていた。興味本位で覗いてしまったことを、後から悔いた。
「……!」
ソファの上でローラン様が膝を抱えて泣いている。横に座ったジョンさんが心配そうにそれを見つめ、言葉を探しているようだった。
「ローラン様……。」
「やめてください!!」
昨日のお淑やかなイメージからは想像もつかないほど大きく迫力のある声で叫び、顔を上げたローラン様は目元が少し赤くなっていた。しかしそれすら一種のメイクかのように肌に馴染んで美しく見える。膝を抱えるのをやめたローラン様がジョンさんの服に縋りつく。
「……やめてください、ジョン……。」
「しかし……。」
「約束、したでしょう。大衆の前ではちゃんと『ローラン様』をします。でも、せめて2人の時だけは……。」
「……はぁ……。分かりましたから顔を上げてください、ノイシュ様……。」
「……すみません。わたくし、面倒ですよね。ちゃんと名前で呼んで欲しいなどと……。」
「…………いえ、別に。」
……な、何だこの入りにくい空気は……。どうしよう、皆になんて声をかければ……。
『……お兄さん、えっと、どうすれば……。』
『あれ、ニアも見てたの?』
『普通に入れば良いだろう。何を迷うことがある?』
『これ、ルイレン。若い2人の邪魔をしてはいかんのじゃぞ!儂でも分かるわ、これくらい。』
『は?』
『えっ、皆見てたの!?』
気がつくと全員が同じように出歯亀をしていた。こんなにルイレン様やニア、ベアトリシアさんまで近くにいるのに気が付かなかったというのは……もしかしたら、あまりに目の前の光景が衝撃で意識が飛んでいたのかもしれない。
「ジョン……わたくし、考えたのです。」
「何をです?」
「やはり『ローラン様』は終わりにしませんか?この土地も手放して、いっそ、一緒に別の街へ移り住みましょう。その方が……。」
「なりません。あなたは次の『ローラン様』になるのです。元々旦那様とはそういう約束でしょう。」
ローラン様を終わりにする……?次のローラン様になる……?どういうことだ。全く話が掴めないが、もしかしてさっき通って行ったローラン様そっくりの人が関係あるのかな。
「でも……だって……。」
「あなたは旦那様のご子息ですから、伝統を守っていく義務があります。」
「……何故、わたくしはお父様の息子として産まれたのでしょう。自由な時間なんて殆どなく、友人も録に作ることができない……。」
「……。」
「貴方とすら関わりを最低限にしろと言われ、わたくしの人生の行く末すら決められていて……恋愛すら……うぅっ……ぐすっ……。」
「はぁ、泣かないでくださいよ。」
ジョンさんは呆れたような同情したような表情でハンカチを取り出し、ローラン様に渡した。ローラン様はそれを黙って受け取ると、涙を拭いてジョンさんの肩にもたれかかった。
「……すみません。八つ当たりみたいなものです。貴方だから……こんなわたくしを見せられるんです。」
「……そうですか。」
「だって……わたくしは、貴方のことが……。」
「でも、どうやらこの表情を知るのは俺だけではなくなったようですね。」
「えっ?」
ローラン様がバッと体を起こし、ジョンさんの指さす方向を見る。視界に映ったのはドアの隙間から顔を覗かせる俺たち4人の姿だったのだろう。ローラン様の顔が煙が出てきそうなほどに真っ赤になっていく。
「……ローラン様?」
「ひゃっ、ひゃいっ!?」
俺が一言声をかけると、大袈裟なくらいに驚いて、両手で顔を覆いながら俯いてしまった。ジョンさんはそれを少しだけ視界の内に収めたあと、お茶のご用意を致しますね、とだけ残して部屋を出ていった。
「……あの、ローラン様。」
「わ、笑いたければ笑ってください……。」
「笑いませんけど……。」
「やっぱりローラン様って可愛いです!」
「可愛くないんです、はやり……。」
ローラン様はガックリと肩を落として俯いた。そこには神々しさは無いが、人間らしさは大いに感じられた。顔が整っているだけあって、どんな表情でも絵になるな、というのが俺の感想だった。
「あの、ローラン様。「次のローラン様」って何ですか?」
「……わたくしの家は代々、『ローラン様』という人物の名前を受け継いでいくのです。」
「どういう人なんですか?」
「わたくしの先祖にあたる方で、剣の名手だったそうです。昔、この街に訪れた災厄を祓ったとされており、大英雄としてその名を残しています。」
「つまり、ローラン様の一族はその人の名前を名乗ってるってこと?」
「20の歳を迎えたら、選ばれた人間が名乗ることになっています……でも、わたくしは……。」
ローラン様の手が震えている。それはそうか、大英雄の名を、選ばれたからという理由だけで名乗っていかなければいけないのだから。恐らくとんでもないプレッシャーなのだろう。
「お待たせ致しました。紅茶をどうぞ。」
言葉に詰まったローラン様を遮るように、ジョンさんが俺たちの目の前に紅茶を置いていく。何やら小難しい紅茶の説明みたいなのがあって、ジョンさんはその場から一礼をして離れようとした。しかし、ジョンさんの服の端をローラン様が掴んで阻む。子犬のような表情で行かないで、と言うように視線を送っていた。
「ローラン様……。」
「ジョン、隣に座ってください。」
「……はぁ……仰せのままに。」
溜息をつきながらジョンさんはローラン様の隣に座った。こうして見るとジョンさんも大概イケメンだなぁ。パッと見、美男美女カップルだ。
「おい、ローラン。先程、ジョンに「ノイシュ」と呼ばれていたが、あれは貴様の本名か?」
「ちょっ……ルイレン様……口調、口調!」
「構いませんよ。……そうです。わたくしの本名はノイシュといいます。ですから、せめてジョンには……。」
「お嬢は俺のことが大好きなんですよね。だから俺には本名で呼んで欲しい……そうでしょう?」
一瞬で空気が硬直した。ジョンさんは何でもなさそうな顔でサラリと言ってのけたが、隣にいるローラン様改めノイシュ様がすごい顔をしている。
……えっ!?わ、分かってたの!?分かっててあの態度だったの!?ジョンさん、ちょっと冷たすぎるんじゃないかな……。
「……き、気づいていたんですか……?」
「俺もそこまで阿呆じゃありません。でも、あまり俺に情を移すのは良くないですから。」
「何故……どうして、そんなこと言うんですか?」
「俺は貴方の執事です。それ以上でもそれ以下でもありません。ラインは弁えてください。」
「……ごめんなさい。」
ノイシュ様がシュンとしている。これに絆されない人とかいるんだ、と思ってしまうほどに庇護欲を掻き立てられてしまう。それに動じないジョンさんはどんな特殊な訓練を受けているんだろう……。
「で、どういった要件でしたでしょうか。」
「あぁ……依頼の件で、協力して欲しいことがあって。」
「お兄さんを着飾ってほしいです!出来れば可愛い服がいいで……あぶぁっ!?」
「話をややこしくするな、ニア。」
「殴ること無いじゃん!」
いつもの感じな2人のおかげで場の空気が絆される。やっぱりショタは世界を救うよね。ニアは少なくとも属性はショタじゃないけど。
「……という訳だ。」
「そうですか。わたくしのできる範囲でならお手伝い致しますが、囮とは流石に危険なのでは……?」
「囮でしたら俺が引き受けましょうか?」
「いやいや、依頼を受けているのは俺たちですから、ジョンさんに手伝わせる訳には……。」
「カツキ様、わたくしが依頼をしたのは単なる手段に過ぎません。最終的な結果が大事なのです。」
どうしよう……確かに俺は今までモンスターとしか戦ってなかったから対人なんて初めてだ。それに、着飾ったところで庶民すぎる身の振る舞い方しか出来ないだろうし……。ここはノイシュ様の執事であるジョンさんの方が囮には適役なのかな……。
「それに、貴方は人間でしょう?もし刃物で襲われでもしたら死んでしまいますよ。」
「えっ?」
「ジョンさんって人間じゃないんですか!?」
ジョンさんがまたしてもサラリと発言をしてくれる。まぁ、確かにソニアさんの幼馴染なら人間ではないか。しかし問題はそこじゃない。だってジョンさんの耳は全く長くないっていうか、人間と全く同じ見た目でしかないからだ。
「なんじゃ、気づいとらんかったのか。」
「ベアトリシアさんは気づいてたの?」
「当たり前じゃろ。時々、儂のことを睨んどったしのう。やはり嫌われておるな。」
「はは、ご冗談を。睨んでなどございません。俺がハイエルフだからといって……。」
「ジョンさんってハイエルフなんですか!?」
ジョンさんの言葉を遮るようにニアが目を輝かせて立ち上がる。多分、好きな作品の裏設定みたいなものを見た時の反応に近いだろうな。
「はい。ハイエルフでございますが……俺は生まれつき耳が短いんです。人間よりは少し尖っているのですが、髪で隠れてしまう程度です。」
「わたくしはとても良い個性だと思うのですが、普段は人間だと自称しているそうですよ。」
「儂は見て分かるようにダークエルフじゃからの。わんこエルフも警戒しとったんじゃろ?」
「……そのような呼び方はおやめ下さい。」
「ベアトリシアさんは名前を覚えるのに時間がかかるんです……本当にすみません。」
「おじいちゃんじゃからの。」
ジョンさんがため息をついて席を立つ。
改めて背が高いな。高身長イケメンでノイシュ様にモテてて、しかも執事のハイエルフって……どんだけ設定盛ってるんだこの人。
ノイシュ様はジョンさんが離れるのを少し寂しがっている気がする。もちろん、お美しいのは変わりないが。ニアは将来こんな風になるのだろうか。
「では、俺は少し離席します。衣装の候補を持ってきますのでお待ちを。」
ジョンさんは一礼して部屋を出ていった。全く、一挙手一投足がイケメンで仕方がないな、このハイエルフは。
「ノイシュ様、ノイシュ様!ジョンさんのどういうところが好きなんですか〜?」
「儂、人間とハイエルフとの馴れ初めが気になるのう。」
どうやら女子会が始まってしまったらしい。ただ、見た目は完全に女子会だが、実のところ全員男だ。
いや、ノイシュ様に限ってはまだ確証は無いんだけれどもね。もしかしたら……いや、無いか。
「ジョンは元々お父様の執事でした。ジョン曰く、拾っていただいた、とのことで。」
「お父様の執事さんですか……。」
「小さい頃からジョンはわたくしのお世話係だったのです。ですから、よく遊んでもらっていまして。わたくしとしては、友人だと思っていたのです。」
「ふむふむ、お世話係を友人と。」
「しかし、お父様はそれを良くは思わなかったようでして、わたくしが10を数える歳の時にジョンをお世話係から外そうとしたのです。」
ノイシュ様のお父様は、執事と息子が友人関係にあるというのは、名家の主人として止めるべきだと思ったのかもしれない。しかし、ノイシュ様にも友人を選ぶ自由は保証されるべきだ。
「わたくしは納得出来ず猛抗議をしましたが、あまり取りあっては貰えませんでした。しかしある日、『ローラン様』を継ぐことを条件にするのであれば、その時までは傍に置いて良い、と……。」
「それってつまり、ノイシュ様が『ローラン様』を継いだら……。」
「……えぇ、ジョンはわたくしの傍を離れることとなります。きっと、ジョンはそれを何とも思ってはいないでしょうけれど……。」
む、報われねぇ……。
ジョンさんに少し怒りが沸いてきた。こんなに想ってくれる人が近くにいるのに、あの態度はあんまりだろう。せめて少しは、ノイシュ様のことを見てあげて欲しい。
「しかし、それで良いのです。ジョンはわたくしに何の感情も抱いていない……ですから、苦しむのはわたくしだけで良いのですよ。」
「ノイシュ様……。」
「ふふ、わたくしの感傷に付き合わせてしまいましたね。申し訳ありません。」
ノイシュ様の目が死んでいるように見える。
友人へ向ける感情が、別な感情へと変わったのはいつからだろうか。いつから、ノイシュ様はその感情を抱えて生きるようになったのだろうか……。
その間、きっとジョンさんは同じような反応しかして来なかったのだろう。
その対応が、ノイシュ様の心を蝕んでいることを、彼はどれくらい理解しているのだろうか……。
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