第8話 ショタコンと青い空
ぐっとまぶたを閉じた暗い世界で、ニアのお母さんが悲鳴をあげたのが聞こえた。
……間に合わない。
そう思ったのも束の間、ニアがボソッと呟いたのが辛うじて耳に届く。
「
ぱっと目を開いてニアのお母さんの方へ視界のピントを合わせると、そこにはキマイラと母親の間に立ち塞がったニアがいた。もう目と鼻の先に爪は迫ってきている。
「
ニアの言葉に応えるように魔導書が開き、魔法石が輝く。先程とは比べ物にならないほどの魔力を感じて、思わず鳥肌が立った。
キマイラの爪が触れるか触れないかギリギリのタイミングで、キマイラを覆うほどに大きな魔法陣が浮かび上がる。黒い影と化したキマイラは、魔力そのものとも言える光に消し炭になった。
「………!」
……凄い……。
この一言に尽きる。やはりこの子の夢を道具屋で閉じ込めて終わらせる訳にはいかない、そう思った。
キマイラが消滅してほっと胸をなでおろしたところに、ヒステリックな声が響いた。
「何よ!アンタ、最近全然言うこと聞かないじゃないの!!道具屋の子供なんだから、将来はアンタも道具屋なのよ!魔法が使えるからって魔導師にならないでもいいじゃない!!」
「……
ニアが両手を広げると、その両手の上に1mほどの水の球が生成された。ゆっくりとニアのお母さんの元へと歩み寄ると、水の球が暴走でもしたかと思うほどに歪な形になり、やがて破裂してニアのお母さんはびしょ濡れになった。
なるほど、ルイレン様がビショビショになったのはあれが原因だったのか。
「……は……。アンタ……っ。」
「ねぇ、お母さん。ずっと言ってなかったことがあるんだけどね。」
また自分だけ濡れていないニアは屈託のない笑顔を惜しげも無く水を被った母親へと向ける。
「ぼく、押さえつけられるの凄く嫌いなの。とりあえず1回頭冷やしな?
「ニア……アンタ……なんて……?」
「お母さんが何を言っても、ぼくは魔導師になるよ。それがぼくの夢だから。口出ししないで。」
ニアは踵を返すと俺の元へと歩いてきた。可愛らしく、やはり女の子にしか見えないのは変わらなかったが、明らかに足取りも表情も違っていて、まるで別人のようだった。
「お兄さん……、ぼくもルイレンくんと一緒に連れて行ってはくれませんか?絶対に力になります。」
「……ルイレン様に聞いてからかな。」
「ルイレンくんってどこにいるんですか?」
「あっちの建物の陰で休んでるはずだよ。」
ニアは俺が指さした方向へと駆けていく。濡れたまま放心状態のニアのお母さんを尻目に、俺も後を追いかけていった。
「ルイレンくん!」
「……ニアか。」
「ルイレン様、大丈夫?」
「ああ、何とか傷は治した。心配かけたな。」
ルイレン様はさほど表情の変化なくそう言った。ニアは興奮が隠しきれない、といったようにルイレン様の手を取った。
「ルイレンくん、ぼくも旅について行っていい?」
キラキラとしたニアの目をしばらく見つめたルイレン様は、ため息をついてから俺の方を見た。
えっ、何?俺は何を言ったらいいの?えっと……ルイレン様、今日も可愛いね……とか?
「ショタコン、ニアはこう言っているがどうする?」
「えっと、ルイレン様はどうしたい?」
「ショタコンの好きにしたらいいと思うが。」
「俺はいいと思うけど、ルイレン様の意見も聞いておかないとって……。」
「僕はショタコンの付属品のようなものだ。決定権は僕には無い。……まぁ、ニアの意思であれば尊重したいんだが……。」
ニアに手を握られたまま照れてそっぽを向くルイレン様に萌え禿げていると、ニアは片手で俺の手を取り、俺たちと手を繋いだまま両手を上にあげてバンザイをした。
「じゃあ決まりです!ぼくもついて行きます!もう出発するんですか?」
「うん、そのつもりだよ。キマイラはニアのお陰で何とかなったけど、街には城の兵士たちがまだ沢山いるだろうからね。」
「悪かったな、ニア。僕と関わったせいで街を巻き込んでしまって。……後悔しているだろう。」
ルイレン様は変わり果ててしまった街を眺めて視線を落とした。その表情からは何だか悲しげなような、怒りのようなものが感じ取られた。
そんなルイレン様から何かを察してなのか、同じように街を見つめた。
「……確かに街はボロボロになってしまいました。でも、ぼくはルイレンくんのお陰で、とっても凄い魔法を使えるようになりましたよ。」
俺たちから手を離すと、ニアは魔導書を広げて浮かせ、ニッと笑って可視化できるほどの大量の魔力を自身の周りに収束させた。
「
ニアが声を発した瞬間、優しい桃色の光で辺りが包まれる。よく見るとそれは魔法陣の一部のようで、恐らくは街を覆い尽くす程の大きさの魔法陣を広げているのだろう。
「街が……!」
「……凄いな。」
みるみるうちに穴だらけになった壁が修復されていき、ペシャンコに潰れた家が元通りの姿を取り戻していった。
気づけば街は元通りになっており、誰も人が居らずがらんとしているところ以外は俺の知っているアルシーナだった。
「だから後悔なんてしてません!!ルイレンくん、幸い死者は出ていないそうですし、そこまで気に病まなくてもいいんですよ!!」
「……そうか。」
「じゃあ、行きましょうか!」
ニアが笑う。会った時の何とも言えない笑い方ではなく、今は心の底から笑えているように見える。やはり子供は幸せそうな顔がいちばん素敵だ。俺もつられてはにかむ。歩き出した2人の背を追いかけて俺も街を出ようと足を踏み出す。
「……はぁっ、……兄ちゃん!!」
「ビャァッ!?」
突然後ろから左手を掴まれて変な声が出た。
ダメだダメだ、可愛い子供たちがいるんだからしっかりしていないと……。
そう思って何とか精神を落ち着かせてゆっくりと振り向くと、そこには例の監視塔のおっちゃんがいた。
「……無事だったんだな……怪我は無いんか?」
「あ、はい……大丈夫です……。」
「……良かったぁ……。」
良かったなら腕を離して欲しい。指輪のことを思い出して若干鳥肌が止まらなくなりつつあるんだ、こっちは。
「そちらもお元気そうで……。じゃあ、俺たちはこれで……。」
「待ってくれ、兄ちゃん!」
「な、何ですか……?」
ヤバい、おっちゃんの顔がガチだ。26歳俺、このおっちゃんが怖くて涙が出そうになる。ちょっと震えてるかもしれない。おっちゃんには伝わるな、この震え。
「……その、指輪……返事を……聞かせてくれないか。」
「……え、えんりょしましゅ……。」
声裏返ったああああああああぁぁぁ!!!
ルイレン様やニアの前ではかっこよくいたかったぁぁぁぁ!!!
おっちゃんに腕を掴まれて半泣きで情けない声を出す俺……かっこ悪いよ……。
「いやいや、そんなこと言わずに!!相手いないんだろぅ!?」
「……えぇ……。」
「じゃぁこのおっちゃんでも良いじゃねぇか!」
「……いや……。」
「なぁ、頼むよ!兄ちゃんのこと監視塔からずっと見とったけど、スゲェ好きなんだ!!」
ヤバい、本当にヤバい。声が出なくなってしまった。そんな経験ないけど、電車とかでよく聞いた痴漢の被害者ってこんな感じになるんだろうか。震えて止まらなくて動けないし恐怖が喉に詰まって声が全く音にならない。
「なぁ兄ちゃん、逃げないし何も言わねぇってことは結婚してくれるってことだろぉ!?」
「!?」
「絶対に幸せにするからな〜!!」
腕を引っ張られて抱き寄せられ、おっちゃんの手が脇腹を伝い、腰へ伸びる。
は、吐きそう……。助けて、誰か……。
そう願った瞬間、おっちゃんの圧が消えた。
「へぶぁっ!?」
突如として消えた気持ち悪い手の感触に思わず顔を上げると、そこには顔を真っ赤にして血管を浮かしているニアと、ひっくり返っているおっちゃんがいた。
「……ニアちゃんじゃねぇか!!何しやがる!!」
「貴様こそ何するんです!!ぼくの将来のお嫁さんなんですよ!?薄汚ねぇ手で触んじゃねぇです!」
「なっ……!?」
「嫌がってんのが分かんないんですか!?失せろ!二度とそのツラ見せんなです、このクソジジイ!!」
ニア……意外と口が悪い……。
そんなニアの圧に押されたように逃げるおっちゃん。明らかにやりすぎだけど、ちょっとだけスカッとしたかも。
「……フーッ……フーッ……。お兄さん、無事ですか!?」
「あ……うん……。」
「すみません……助けに入るのが遅れて……。」
ニアが俺に抱きつく。今はこの小さめサイズの可愛さが落ち着く。逆にまた泣きそうになってきた。ありがとうニア……。
「ニア!!」
こ、この声は……ヒステリックババ……いや、ニアのお母さん!?まさか引き止めに来たのか?
声のした方に顔を向けると、そこにはまだ濡れたままのニアのお母さんがいた。
「お母さん……、止めに来たの?」
「……ニア、やっぱり旅に出るのね……。」
ニアのお母さんがぐっと睨みをきかせる。しかし、ニアはたじろぐことなく冷めた目で母親を見ていた。もちろん俺から離れることも無く。
「もうアンタを止める気は無いよ。ただ……言いたいことがあったんだ。」
「言いたいこと?」
「……今までアタシの理想を押し付けて悪かった。」
ニアのお母さんは深く深く頭を下げた。流石のニアもこれには驚いたようで、俺から離れて、自分の母親に向き直った。
「魔導師になるんだよね、頑張ってらっしゃい。必ずや魔導師ソニアのようになんなよ。」
「……当たり前でしょ。ぼくはお母さんの息子だからね、しつこさは一人前だよ。……ソニアさんみたいになれるまで頑張り続ける。」
「そうだね、やんなら胸張って最後までやんな!」
出会った頃と同じような肝っ玉母ちゃんっぷりを発揮して激励するその姿は、正しくニアの母親だった。ニアもいい笑顔で応えていて、これが本当にあるべき家族というものだ、と感じた。
「怪我と病気には気をつけるんだよ!」
「……ありがとう、お母さん。」
「行ってきな、ニア!!」
「うん、行ってきます!!」
互いに手を振り、送り出す……と、ふとニアのお母さんが俺の方を見る。寂しげな表情を見せた彼女は、再度深々と頭を下げた。
「アンタの言葉が無かったら、きっとアタシはニアの言葉を真剣に受け止めることは無かっただろうね。目が覚めたんだよ、感謝してるわ。」
「えっ、あ……いや、そんな……。」
「落ち着きのない子だけど、うちの子をよろしくお願いします。」
顔を上げたニアの母親の顔はとても晴れやかで、世界一素敵な母親に見えた。こちらからも頭を下げ、一言返す。
「こちらこそ、大切な息子さんをお預かりします。」
「行きましょう、お兄さん。」
「……話は終わったか?」
ずっと離れたところで事の顛末を眺めていた眠たそうなルイレン様が街の外へと向かうと、俺達も続いて歩き出した。
「お兄さん、次はどこへ向かうんですか?」
「うーん、ここから近いところだと……どこだろう。」
「まだ決めていないならロザニアはどうですか?ぼくの好きな本の主人公が、アルシーナの次に向かった街なんです。」
「ニアの好きな本?」
「はい、『勇者ショウタロウの冒険記』、とっても面白いんですよ。さっきお母さんとの話にでてきた魔導師ソニアもその登場人物で……!」
正太郎……まさか自伝でも出したのかな、勇者としての。それは若干引くけど……。ニアの話を聞いていくと、どうやら魔導師ソニアはエルフらしい。エルフは長寿ってよく聞くよな……。
「ソニア……聞いたことのある名だな。ふむ……じいやから聞いたのかもしれん。」
「あいつの冒険記かー、ちょっと読んでみたいな。魔導師ソニアって今だったら何歳だろうね。もしかしたら正太郎……いや、じいやさんのパーティーの人とも会えるかも。」
「え、えっ?知り合いなんですか!?」
「ルイレン様、そこ話してなかったんだ。」
「関係ないだろう。」
ニアはしばらくあたふたした後、少し考えるような仕草を見せ、さらに時間が経った後に考えることを諦めたらしい。
「まぁ、ルイレンくんって大分変なところありましたし……。勇者正太郎が育て親なら納得です。」
「それで納得出来るんだ、正太郎凄いな……。」
「じいやは今どうしているだろうか……。」
ルイレン様が空を見上げる。瞳に映った空があまりに綺麗で、俺も空を見上げた。ニアは俺の腕を掴んで楽しそうだ。
ショタに囲まれても、親友の安全は願わずにはいられない。今だから思うんだ、ルイレン様を引き取ったあの日、もっと正太郎に出来たことがあるんじゃないかって。
「正太郎……。」
「じいやは元勇者だ。簡単には死なない。」
「ルイレン様……?」
「だから大丈夫だ、そんな不安そうな顔をするな、ショタコン。」
「……うん。」
今日の空はどこまでも青く輝いていて、少し目にしみて痛かった。
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