13:満たすべき条件

実家から2人で暮らしているマンションに戻り、しばらく経ち、中間テストの前日の夜。


俺はリビングのソファーに寝転がり、趣味の読書に没頭していた。


母がいない。


そう思うだけで、俺の心が軽やかになる。


外から聞こえる自動車の音。


窓から吹き込んでくる風に揺られるカーテンの衣擦れの音。


ノートに書きこむシャープペンシルの音。


「......ねぇ、叶羽とわ


俺が寝転がっているソファーに背中を預けて勉強している蓮音はすねが、首を脱力させて俺の太腿ふとももへと預けてくる。


「なんだ?」

「勉強、しなくていいの?」

「あぁ......安心しろ。 提出物は終わらせてある」

「そうじゃなくて......対策とかの話よ」


どうやら、テスト前日でも余裕をぶっこいている俺を心配しているようだ。


「まぁ何とかなるだろ」

「何とかって......あんた、ちゃんと覚えてるの?」

「分かってる。 10位以内に入ればいいんだよな?」


俺はゴールデンウィーク中に、蓮音の計画にめられた。


その内容は、中間テストで10位以内に入らなければ夏休みに実家で過ごし、勉強するというもの。


夏休み期間ずっとだ。


東京にやってきて自由を手にした俺が、貴重な夏休みを母さんに監視されながら消費してしまうのは避けたい。


それを理解した蓮音に上手く丸め込まれた。


「分かってるのならいいんだけど......一応、うちの学校レベル高いんだからね?」


不服そうな表情を浮かべ、再びテキストへと視線を落とす。


(しかし......)


俺には懸念点があった。


(何位を取るか......だな)


もちろん、条件ギリギリの10位を取るのが一番いい。


それでもかなり目立ってしまうのだが......1位、2位辺りよりはマシだろう。


しかし、一番最悪の結果としては、10位を狙って、10位未満の順位を取ってしまう事である。


取るべき点数の指標として、身近な人物に聞いておく。


「蓮音、何割は取るつもりだ?」

「え~?そんなの分かんないけど......入試と同レベルなら最低8割...得意科目なら9割は行けると思うわよ?」

「なるほど......」


(入試トップの蓮音がその辺か.....なら全教科8割5分あたりか......?)




次の日の朝、俺は教室で自分の席に座ると、後ろから声がかけられる。


「とわち~ん......テストどう?」

「まぁ、あまり勉強はしていないな」

「そういう事言うやつに限って、いい点とるんだよなぁ~......実は勉強してるんでしょ?」

「してないって......」


俺が勉強していないのは事実なのだが、声の主である田中は疑いを俺にかけたままだ。


これ以上テストの不安を聞かせられる前に、廊下へと脱出を図る。


正面のドアから出た俺に、声をかける女性が居た。


「ごめんなさい、ここのクラスの人よね?川崎さんを呼んでもらえるかしら?」


俺に声をかけてきたのは見覚えのある人物だった。


(確か......入学式の時に......)


入学式の時、生徒会長挨拶時にその傍に立っていた人だ。


副会長だろうか、言葉を発していないにもかかわらず、記憶に刻まれているのは、そのずば抜けた容姿のせいだろう。


現に、他のクラスの生徒も俺の目の前にいるその美少女に夢中だ。


「......ここのクラスの人じゃ無かったのですか?」

「あ、すいません。 呼びますね。」


俺はその先輩に背を向け、教室内に居る目的の人物の名を呼ぶ。


「お~い!蓮音!お前に用があるって人が来てる!」


蓮音は、俺の呼びかけに驚いたようだった。


周りにいた友達に手を目の前で振り、何かを否定しているようだった。


少し話した後、蓮音が小走りでこちらに来る。


「ちょっと!いきなり呼び捨てってどういうつもり!?周りの友達にも混乱されちゃったじゃない!まだ学校で私たちの交流はないんだから!」

「あ、忘れてた......」


いつもの癖で、つい蓮音を呼び捨てで呼んでしまった。


俺が呼び捨てにしている事が、クラスメイトには違和感だったのだろう。


今も、周りからの視線が集まっている。


「あの~......いいですかね?川崎さん」

「あ、すみません!」


急に2人で話し始める俺達に困った様子の先輩が、申し訳なさそうに蓮音に声をかける。


「叶羽はあっち行ってて!」


俺は邪魔者と言わんばかりに、手で軽く払われる。


今の発言で、俺達が下の名前で呼び合うことがクラスに知れ渡ってしまっていた。


俺はクラスメイトから、好奇の視線を浴びつつ、仕方なく席に戻る。


「とわちん、周りの人ってあのこと知らないんでしょ?」


田中が言うあの事、というのは俺と蓮音が幼馴染という事だろう。


そのことを知っているのは、俺の友人の田中と、その幼馴染の佐藤だけだ。


そのことを知らない他のクラスメイト達は、俺と蓮音が下の名前で呼び合っているのが奇妙で仕方がないだろう。


「あぁ、知らない」

「大丈夫なの?それ」

「大丈夫じゃない、絶対に面倒なことになる......」




初日の数科目を終わらせると、俺達は放課後を迎える。


テストの合間の休み時間にも、クラスメイトに詮索されたりするとも考えたが、俺にクラスメイトが訪ねてくることは無かった。


今もなお、友人らしき人物たちに囲まれている蓮音をみると、そのしわ寄せが来ている事は一目瞭然だが。


俺はそんな蓮音を横目に、さっさと帰宅の準備を行う。


「ねぇねぇ、とわちん」

「ん?」

「明日もテストあるじゃん?」

「うん」

「だからさ、帰りにファミレス寄って勉強しない?」

「断る」

「なんでぇ~?」

「テスト期間はさっさと帰ってゆっくりしたい派なんだよ、俺は」

「そういうと思って.......川崎さんを呼んでおきました!」

「......別に行かないぞ?」

「え~!?」

「逆になんでそれで行くと思ったんだよ......」

「だってぇ~......」


大げさに落ち込んだリアクションを見せる田中に呆れながら、机にかかっている鞄を持ち上げると同時に、ポケットに入っているスマホが震える。


スマホを取り出し、確認するとメッセージ。


『来なさい。』


メッセージを読み、その差出人の方を軽く見る。


そこには天使の様に周りに笑いかける蓮音。


しかし、そのメッセージの後には、可愛らしいクマがウサギに膝を入れているスタンプ。


しかもそれが何通も。


状況を見るに、俺の立場はウサギ側なのだろう。


どうやら、俺のせいで巻き起こった厄介事に相当怒っているようだ。




「はぁ......大変な目に遭った......」

「まぁまぁ......柊君も悪いとは思うけどね?」


あの後なんとかクラスメイトからの追撃を逃れた蓮音と共に、俺と田中、そして田中が誘っていた佐藤さんと共にファミレスに来ていた。


俺の隣に座った蓮音が、向かい側に座った佐藤さんになだめられている。


「これからは名字呼びにして!......て言っても遅いかぁ......」

「まぁ俺には実害なくて良かった、友達がいない特権だな、これ」

「なんでちょっと偉そうなのよ!」

「友達が多いと大変そうですね、”川崎かわさきさん”。」

「んもぉ~!ムカつく!」


少し遊び過ぎたのだろう。 蓮音は子供の様に頬を膨らませ机に突っ伏した。


「まぁまぁ、ドリンクバー取ってきてあげるから。 蓮音ちゃん、何がいい?」

「オレンジジュース!」

「俺も行くよ。 とわちん、何がいい?」

「緑茶で」

「はいよ」


俺達の注文を聞いた二人は、仲良く談笑しながらドリンクバーのコーナーへと向かう。


依然として蓮音は不貞腐ふてくされている。


机に突っ伏した蓮音の膨らんだ頬を押す。 すると口から空気が抜けていく。


その姿はハリセンボンのようだ。


「おい、そろそろ機嫌直せよ」

「やだ」

「はぁ......っていうか、なんで皆あんなに興味あるのかねぇ......話の中心人物が蓮音だからか?」

「違う......夢じゃなかったからよ......」

「夢?」

「ヒーローが本当に居たって事よ......」

「どういうことだ?」

「分かんないならいい!」


俺が何かしたわけでも無いはずだが、蓮音は余計に怒ってしまったらしい。


鞄から教材を取り出し、勢いよく机の上に広げる。


(俺も少しはやってる風にしとくか......)


蓮音の隣で別の数学の教材を開け、数問に目を通したと同時に田中達が帰ってくる。


「お、もう始めてんのか」

「私たちもやらなきゃ!」


手渡してくれた飲み物を受け取り、礼を告げる。


「とわちん、数学出来るの?」

「ん?まぁ普通かな」

「でもいいよなぁ~......だって学年1位にいつでも教えてもらえるんでしょ?」

「え?田中ってそのこと知ってんのか?」

「あ~、佐藤に教えてもらったよ?」

「ゴメン!知ってるんだと思って!」


そのこと、というのは俺と蓮音との同居の事だ。


佐藤さんは蓮音からそのことを以前から聞いていたらしい。


「いや、佐藤さんが知ってて田中が知らないのもおかしいし、別に気にしなくていいよ」

「ごめんね、ありがとう」


そう言って、田中達もテスト対策を開始する。


分からないところは蓮音に聞き、教えてもらうことで理解でき、蓮音も理解を深める事が出来る。


そんな状況が1時間ほど続き、一旦の集中が切れた後。


「そういえば、とわちんさ~」

「ん?」

「さっきから同じ教材してるよね」

「そうだな」

「よくノンストップで進められるね?ずっと手が動いてるくない?」

「それ私も思ってた!蓮音ちゃんに聞いてる素振りも無かったもんね!」

「あ~......このテキストは結構やってるからさ、覚えてたんだよ」

「なるほどなぁ.......すげぇな、結構やってんだな」

「そういうことだ、さぁ、続きやろうぜ」

「はぁ~テストって嫌いだ~」

「私も~......」


そう言ってやる気の無さそうにもう一度ペンを握った二人だが、5分と経たないうちに完全に集中モードに入る。


普段はふざけたような態度の田中も、この切り替えの良さが高校合格に結びつけたのだと実感させられる。


そんな事を考えていると、服の裾が少し引っ張られる。


引っ張った主の蓮音は、正面に居る2人の迷惑にならない様に、手を軽く仕切りにしながら、俺の傍に近寄ってくる。


「この問題、分かんないんだけど」

「あ~.......」


蓮音がペンで示した問題は、テスト範囲の単元ではあるが、かなり高レベルの応用のもの。


「確かに難しいな」

「......それだけ?」

「は?」

「教えてよ」

「俺が学年1位のお前に教えてたら変だろ。 それに断言できるが、そんな高レベルの問題は今回のテストには出ない」

「分からないままなのは嫌なの!」


単純に好奇心、この問題を理解してみたいという気持ちが籠った眼差しが俺に向けられる。


そんな真剣な眼差しをされ、断れる俺ではない。


「わかったよ......帰ったら教えてやるから、今は別の問題やっとけ」

「やった!」


その答えが聞けて満足したのか、蓮音は別の問題に取り組み始める。





その後3時間ほど勉強した後、俺達は夜ご飯をファミレスで済ませ、家に帰る。


蓮音と交代で風呂に入り、リビングに顔を出すとペンを動かし続ける蓮音がいた。


「ずっとやってんな......」

「いい順位キープしときたいの」


帰宅して風呂を済ませた後、俺が知る限りでは蓮音はずっと机に向かっている。


「まぁがんばれよ」


俺も蓮音の正面に座って勉強......するはずもなく、その後ろのソファーに寝転がり本を開く。


「ちょっと」

「ん?」

「ココ、忘れてないでしょうね」


蓮音が指を差した先をみると、先ほどファミレスで分からないと言っていた問題があった。


「はぁ~......ったく」


俺は本を閉じ、体を起こす。


「この問題はちょっと複雑で.........」


「どうだ?分かったか?」


問題の内容を説明し終えた後、蓮音の反応を窺う。


理解しやすいように説明したつもりだが......


「すごい!分かりやすい!」

「そうか」

「ありがとう!」


勢いよくこっちを振り向き、目を輝かせながら礼を告げてくる。


その際、蓮音の髪が出す香りに一瞬気を取られてしまう。


(同じシャンプー使ってるはずなのにな......)


何故か全く違ういい匂いが生まれる。


俺はいつになればこの謎を解明できるのだろうか......


「あーあ、でもこんなんじゃ叶羽に勝てないだろうな」


伸びをした蓮音が、どこか諦めたようにこぼす。


「勝負なんてしてない。 俺が今回やるべきなのは、母さんの出した条件を満たすことだけだ」


それを、それだけを満たせば、各教科の点数など、もはやどうでもいい。


















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